13 ファーストダンスの意味

◆13◆



 夏休みが明けて、二学期が始まった。


 夏休みボケや気怠げな空気は、授業が始まった最初の頃だけで、すぐに空気が華やぎ始めて、次第に騒がしさを増していく。

 そう、一月もしないうちに、秋のダンスパーティーが開催されるから。


 みんな夏休み中に礼服やドレス、髪型やアクセサリーを決めてしまって、当日使用人が寮へとやってきて着付けてくれる手はずになっている。

 夏休み中に準備が終わらなかった子や、サイズが変わってしまった子なんかは、今ごろ大慌てでしょうね。


 当然、ロズハルト様の婚約者たるこの私は、とっくに準備万端よ。


「ダンスの授業が増えると、いよいよダンスパーティーが目前って感じがしますね」

「ええ。ミリエッタは夏休み中、うちでレッスンを受けていたから、仕上がりも上々で、今日の授業でも褒められていたわね」

「ふふ、ありがとうございます。それもこれも、エヴァノーラ様とシェリー先生のおかげです」


 もっともミリエッタは、シェリー先生のレッスンの半分は男性パートの練習に費やしていたけれど。

 ソワソワ期待の高まる目で見られたら、どんな顔をしていいか分からないわ。


「ダンスホールの準備も着々と進んでいるようですよ」

「去年の飾り付けは星空をモチーフにして、幻想的で素敵だったわね」

「はい。今年はどんな趣向を凝らしたものになるのか、楽しみです」


 全校生徒が入場し、二十組以上が同時に踊れるだけの広く大きなダンスホールの飾り付けや準備は、すでに生徒会が夏休み前から始めていて、大詰めを迎えている頃ね。

 ロズハルト様は生徒会長だから、今ごろ大変な思いをしているんじゃないかしら。


 私はこんな身体だから、推薦を辞退して生徒会には入らなかった。

 計画を実行するための時間を削られたくなかった、と言うのもあったから。


 それはともかく、夏休みが明けてからレアナをほとんど見かけていない。

 ロズハルト様がそうやって忙しくしているから、二人はあまり会えていないみたいだけど、果たして夏休み中にどれだけ関係が進展したのか、その様子が分からないのは、ちょっと不安ね。


 本来ならルート分岐になる秋のダンスパーティーだから、私の計画も大詰に差し掛かっているとも言えるわ。

 絶対に失敗は許されないから、出来れば様子を知っておきたかったのだけど。


 ミリエッタなら私のために裏でコッソリ噂を集めるくらいしていると思うから、聞けば教えてくれると思うけど……あまり気が進まないわね。

 私から聞くと、多分ミリエッタは私を気遣って気に病むと思うから。


 先日の、校舎裏の森庭での件があるから、もし何かあればミリエッタから私の耳に入れてくれるだろうし、そうじゃないと言うことは、多分大きな問題はないはず。

 仲良くしてくれているご令嬢達からもチラホラ噂を耳にするから、特に計画に支障なし、と思っておきましょうか。



 夏バテの影響で私がまた数日寝込んだ以外は特に問題なく、遂に秋のダンスパーティーの日がやってきた。


 空は晴れ渡り、煌々と輝く満月が美しく、秋らしい夜風が涼しい、とてもロマンチックな日になりそうな夜だった。


 この日のために領地から王都のタウンハウスへ来てくれていたナタリーが、朝から一生懸命私を着飾ってくれて、まさにロズハルト様の婚約者として、そしてファルテイン公爵家の令嬢として、相応しい装いにしてくれたわ。

 結い上げてまとめた髪型も、光沢のある高価な絹をふんだんに使ったシックで大人びたドレスも、ロズハルト様の髪や瞳の色と同じ宝石をあしらったアクセサリーも、何日も前から入念に磨き上げられた肌も、計画を実行するための武器として十分よ。


「エヴァノーラ様……大変お美しいです……」


 私を迎えに来て、うっとりと頬を染めながら瞳を潤ませて、ミリエッタが熱っぽい溜息を吐く。

 そんなミリエッタも、伯爵令嬢として磨き抜かれた可愛らしい素敵な装いだわ。


「ありがとう。ミリエッタもとても綺麗よ」

「あ、ありがとうございます……」


 そんなに真っ赤になって照れるなんて。

 淑女の装いをして、そうして大人しく素直にしていると、ミリエッタも普通のご令嬢として可愛いのに。


「では、そろそろ行きましょうか」


 ミリエッタを促して控え室を出ると、ダンスホールへと向かう。


 社交界の正式な夜会とは違うから、男女同伴は絶対じゃない。

 学院に婚約者がいる場合や、兄弟姉妹も通っていたり、友人同士で約束したりして、パートナーと一緒に参加する生徒達もいるけど。


 そうじゃなくて一人で参加する生徒達もかなり多い。


 仲がいい人達だけじゃなくて、普段あまり交流がない人達とも、この機会に交流を持って自由にダンスを楽しむのが目的の学校行事だから、いつもなら声をかけにくい、声をかけられない、そんな人に勇気を出してお近づきになる機会でもあるの。


 中にはこのダンスパーティーでお相手を見付ける生徒もいるらしい。

 だから、気合いを入れて楽しみにしている子が多いのよね。


 ダンスホールに入ると、すでにほとんどの生徒が集まっていて、思い思いに談笑していた。


 煌びやかなシャンデリアの明かりと、窓から差し込む月明かりで、ダンスホールは一種幻想的な雰囲気に包まれている。

 楽団の生演奏で、ゆったり静かな曲が流れているのも、とても雰囲気がいいわ。


 今年の飾り付けのテーマは紅葉かしら。

 たくさんのロウソクの炎に赤く明るく照らされて、情熱的な雰囲気でもあるわね。


「こんな素敵なダンスパーティーで、エヴァノーラ様と踊れたら……」


 微かな呟きに隣を見ると、ミリエッタが夢見る乙女の顔で、うっとりとダンスホールを眺めている。

 この顔は、思っていたことがつい口から零れたって感じだけど、自分でそれに気付いていないみたいね。


 ミリエッタのその希望は、出来れば叶えてあげたいけど……。


 ごめんなさい、今夜はその希望を叶えてあげられないわ。

 今夜は計画の大きな山場だから。


 そう心の中で謝りつつ、周囲を見回す。


「ぁ……」


 ミリエッタの息を呑むような呟きに思わず振り返って、そしてミリエッタのきつく咎めるような視線を辿るように目を向けると……。


「ロズハルト様……」


 と、レアナが楽しげに談笑している姿があった。


 ロズハルト様はドレス姿のレアナを、きっと歯が浮くような台詞で褒めちぎっているんでしょうね。

 レアナも嬉し恥ずかし頬を染めて、ロズハルト様をうっとりと見つめている。

 まるで付き合いたての初々しい恋人みたい。


 周囲には、それを嫉妬や羨望の眼差しで見ている生徒達がいる一方で、咎めるように眉をひそめたり、呆れ返ったりしている生徒達もいる。

 本人達は、そんな風に顰蹙ひんしゅくを買っているなんて、気付いてもいないようだけど。


 私が二人に近づこうとすると、ロズハルト様がレアナの側を離れた。

 どうやらダンスパーティーが始まるらしい。


 程なく、生徒会長としてロズハルト様が挨拶をして、ダンスパーティーの開会を宣言すると、会場中が拍手に包まれた。

 さあ、いよいよダンスパーティーの開始ね。


 これから少し間を置いて、ダンスのパートナーを探す時間が取られてから、一曲目の演奏が始まることになっている。


 だから、曲が始まる前に、私はレアナを目指して近づいていった。

 ミリエッタも黙って私に付いてくる。


 そんな私達の目の前で、挨拶を終えたロズハルト様がレアナの前に戻って来た。


「レアナ、この僕と――」

「ロズハルト様」


 ギリギリ、声をかけてもはしたなくない距離まで近づいたところで、なんとか最後まで言わせず阻止することに成功する。

 ロズハルト様がやはり来たかと苦い顔で、レアナがやっぱり邪魔をするのかと挑む顔で、私を振り返った。

 周囲の注目まで集めてしまったけど、こればかりはもう仕方ない。


「ロズハルト様、ダンスの順番をお間違えではありませんか?」

「それは……しかしエヴァノーラ、お前は……」

「ご心配には及びません。それに、そういう問題ではないことは、ご理解なさっているでしょう?」

「っ……」


 言葉に詰まったロズハルト様に、レアナが前に踏み出してくる。


「ロズハルト様にダンスを申し込まれたのはあたしです、あなたじゃありません」


 ミリエッタが今にも癇癪を起こしそうだから、我慢出来なくなって口を挟んでくる前に、レアナを黙らせないとね。

 だから、ここからはまた悪役令嬢本気で行かせて貰うことにしましょう。


「あなた、ファーストダンスの意味はご存じ?」

「ファーストダンスの意味ですか?」

「あら、ダンスの授業で習わなかったのかしら?」

「あ……」


 平民にはパーティーでのダンスに縁がないから、忘れていたのかも知れないわね。

 でも、思い出したのならなおさら、レアナがロズハルト様のファーストダンスのお相手を主張してはならないのよ。


「ロズハルト様のファーストダンスのお相手は、他でもない、婚約者たる私が務めなくてはならないのです。このような常識、いちいち口に出して言わせないでいただきたいですが」


 卒業パーティーまでの火遊び相手の平民と、将来、王太子妃、そして王妃、ゆくゆくは国母となる婚約者と、どちらに重きを置いて気を遣うべきか。

 レアナには当然、特にロズハルト様へチクリと刺す。


「それは分かっているが……」

「分かっているのでしたら、態度で示していただけますか」


 毅然と、不敬だけど言葉を遮って、ピシャリと言わせて貰う。

 でも、まだその辺りをちゃんと理解していないんでしょうね。

 なおもレアナが食い下がってくる。


「でも、ロズハルト様はあたしを選んでくれたんです。あなたよりあたしの方が相応しいって――」

「まあ、あなたがロズハルト様のお相手として、私より相応しいですって?」


 悪役令嬢の本領発揮とばかりに、レアナの懸命な主張を遮って、小馬鹿にして思い切り見下す。


「そちらのドレスとアクセサリーは、ロズハルト様が贈られた物かしら?」

「そうです、あたしにとっても似合うって言ってくれました」


 自慢げに勝ち誇るように言う様子が、ちょっと可哀想と言うか、身の程を知らないのが哀れというか、これはロズハルト様が全面的に悪い。

 その意思を込めて、一度軽くロズハルト様を睨んでから、レアナへと目を戻す。


「ロズハルト様のそのご好意とお言葉に感謝するのでしたら、今すぐ壁の花になることをお勧めするわ。そう、ラベンダーのように」


 レアナのドレスがラベンダーを思わせる色合だから、なかなか上手く揶揄できたと思うんだけど……。

 うん、レアナにはちょっと難しかったみたいね。


 ラベンダーの花言葉は『沈黙』。


 黙って動かず立っていれば、さすがヒロイン、とても愛らしく可愛いわ。

 さすがロズハルト様が贈っただけあって、ドレスの質も趣味もとてもいい。


 でも、口を開いて動いた途端、全てが台無しになってしまっているの。

 なぜなら、そのドレスやアクセサリーに見合うだけの品位と所作を、レアナが全く身に着けていないから。


 明らかに衣装に着られてしまっていて、生粋の貴族のご令嬢達が着飾っている中、しかも平民でありながら身の程知らずにも第一王子へ近づくはしたない女と注目が集まっている中でのこれでは、レアナが気の毒になってしまう。


 ドレスを着ているときに取るべき立ち居振る舞いも、着ているドレスと自分が美しく見える所作も、どちらも身に着けさせずにこのような場に引っ張り出すなんて、ロズハルト様はレアナに恥を掻かせて公開処刑にしたかったのかしら。

 そう疑いたくなってしまう、紳士としてあるまじき仕打ちだわ。


 そしてレアナもそれに気づけない程、社交に疎く無知だから、いっそ清々しいくらいの道化っぷりを晒してしまっている。

 ゲームなら、レアナ視点だから気づけなくても問題なかったのかも知れないけど。


 だから、レアナがこれ以上恥を掻く前に、本当ならなんとかしてあげたいわ。


 でも、ごめんなさいね。

 同情はするけど、ファルテイン公爵家令嬢として手加減は出来ないの。


「そもそも、平民のあなたが、ロズハルト様のお相手を務められるほど踊れるのかしら?」

「ダンスの授業でちゃんとステップを覚えました。踊れます」


 むっとして、平民だからとまた馬鹿にされたと思ったみたいね。

 でも、ステップを覚えたのと、ロズハルト様のお相手として相応しく踊れるかどうかは、全く別問題よ。


「そう。ではこれからあなたに見せてあげましょう。ロズハルト様の隣に立つ意味を。その相応しさがどのようなものであるのかを。そして思い知りなさい、私達とあなたの住む世界の違いを」


 凛と言い放って、ロズハルト様へと向き直る。


「ロズハルト様」


 静かに促す。


「いや、しかし……」


 この期に及んで、まだレアナと最初に踊ることにこだわると言うの?


「ロズハルト様」


 もう一度静かに、だけど有無を言わさず促す。


「………………分かった」


 まったく手間の掛かる方なんだから。


「済まないレアナ、次は必ず君と踊るから」

「ロズハルト様……」


 レアナが少し傷ついた顔をしてロズハルト様を見つめるのを、ロズハルト様は苦しそうな顔で振り切って、無言で私に手を差し出す。

 それは、あまりにもマナー違反で、私に対して失礼だわ。

 仕方なく、その手を取るけど。


「自分の心に正直にと、ご自分を美化されておられるのかも知れませんが、その振る舞いは紳士ではありません」

「ぐっ……」

「もし他国のご令嬢に同様の振る舞いをされたら、国際問題にもなりかねません。これを最後にしていただきますよう」

「っ……分かっている」


 本当に分かってくれているのならいいのだけど。

 言わずもがなではあるんだけど、そこらの木っ端貴族の次男、三男ならまだしも、第一王子がしていい振る舞いじゃなくて、指摘せずにはいられなかったわ。


 この一連のやり取りは、どうやらみんなの注目を集めていたみたい。

 ダンスホールの真ん中に進み出たペアは、私とロズハルト様だけだった。


 楽団も私達のけりが付くのを待ってくれていたみたいで、赤面したくなるくらい、とんだ恥を晒してしまったわ。


 でも、これは丁度いい舞台よ。


 この場の全員に見せつけてあげましょう。

 いずれ国母となるべく幼い頃から教育されてきた、第一王子ロズハルト殿下の婚約者たるファルテイン公爵令嬢の名が伊達ではないところを。


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