12 ダンスレッスン

◆12◆



 ミリエッタのおかげで、ある意味で学院の寮にいるのと変わらない、退屈しない夏休みを過ごせている。

 けれど今年の夏休みに限り、ただ漫然と休みを満喫しているだけではいられないの。


「イチ、ニ、サン、イチ、ニ、サン」


 どれだけ暑くて背中やドレスの下が汗でびっしょりになっても、顔には汗を掻かず、飽くまでも涼やかに。

 そして笑顔と優雅さと気品を絶やさず、リズムに合わせてステップを踏む。

 たとえレッスンであっても本番と変わらず、頭のてっぺんから指先、爪先まで、全てを美しく見せるように心がけて。


 そうして一曲の半分ほど踊ったところで、シェリー先生がステップを止めた。


「はい、ここまで。休憩よ」

「はい、シェリー先生」


 礼をしてシェリー先生から離れると、部屋の隅の椅子に腰掛ける。

 すると、すかさずミリエッタが水の入ったグラスとタオルを持って来てくれた。


「ありがとうミリエッタ」


 一気に飲み干したくても、飽くまでも優雅さを忘れず、ゆっくりと飲んで喉を潤す。

 ほんのり感じるレモンの果汁が爽やかで、スッキリするわ。


 タオルで汗を拭きながら、シェリー先生の講評を聞く。


「レッスン初日は学院生活で鈍って三分の一程しか踊れなかったけれど、今は半分踊れるまで体力が戻ったわね。勘も取り戻してきたようで、ステップについては文句なしよ。笑顔もね。ただ体力の限界が近づくと、特にターンの時に上体がぶれて身体が振り回されてしまっているわ」


 寮生活をしていると、負担が掛からないようにって、つい身体を甘やかし気味になって、身体も勘も鈍ってしまうのよね。

 ダンスの授業も週に一度しかなくて時間も限られているから、頻繁に休憩しているとすぐに授業が終わってしまって、じっくり時間を掛けられないと言う理由もある。

 だから長期の休みはたっぷりレッスンの時間が取れて、鈍った身体を鍛えて勘を取り戻すのに丁度いいわ。


「もう少し体力を付けながら、姿勢の維持を意識していきましょう」

「はい、シェリー先生、ありがとうございます」


 とにかく、何が問題って、一曲踊りきれるだけの体力がないことが問題なのよ。


 もちろん無理をすれば踊れるわ。

 でも、最後の方は息切れが酷くなるし、汗もすごくなって、気品も優雅さもなくなってしまうのよ。


 しかも踊りきった後は、その場で崩れ落ちるのは必至。

 もう自力では立つことも出来なくなってしまって、息が切れて喋ることもままならず、抱えられながら退場するしかなくなるのよね。

 そして、最低でも二、三日は寝込むことになるの。


 曲がりなりにもロズハルト様の婚約者である公爵令嬢が、ダンスホールのど真ん中で、そんな醜態を晒すわけにはいかないわ。

 私をロズハルト様の婚約者の座から引きずり下ろしたい、取って代わりたいご令嬢達にとって、絶好の攻撃材料にされてしまうもの。


 結果、気品を保ったまま優雅に踊れるのは、一曲の半分が精一杯。

 だから、これまでロズハルト様とダンスを踊るときは、いつも一曲の半分まで。


 そのせいで、陰で色々言われているのは知っているけど、衆人環視の中、醜態を晒すよりましよ。

 そのことは、王家もロズハルト様も承知の上だし。


 でも……そうして曲の途中で踊るのを止める時、ロズハルト様のなんとも言い様のない顔が、胸を抉るのよね。

 きっとロズハルト様は、好きな女の子とだけ、何曲も何曲もずっと一緒に踊り続けたいのよ。


 その気持ちは分かるから、いつも申し訳なく思うわ。


 とはいえ、集中的にレッスンしたところで、すぐに一曲踊りきれる体力が付くかと言えばそうじゃないから、ままならないわ、本当に。


「ところで、踊っていて感じたのだけれど、エヴァノーラさんは今回とても気合いを入れているわね。何かあったのかしら?」


 ほとんど汗を掻いていないシェリー先生が、タオルで軽く顔を拭いた後、そう尋ねてくる。

 特に他意はない、何気ない話題だ。


 でも私には、指摘されたとおり、気合いを入れている理由がある。


「ええ、秋のダンスパーティーに向けて、しっかり仕上げておきたくて」

「そう言えば、エヴァノーラさんは今年卒業だったわね。卒業パーティーでのダンスも素敵だけれど、秋のダンスパーティーもそれとはまた違ってロマンチックだものね。殿下に相応しい淑女として、中途半端なダンスは見せられないわね」

「ええ」


 微笑んで頷いた私に、ミリエッタがすごく何か言いたそうな顔をするけど、余計な事は何も言わずに黙っていてねと微笑みを向ける。


 ロズハルト様は間違いなく、レアナと踊りたいだろう。

 それも最初から最後まで、ずっと。


 でも、婚約者たる私を差し置いて、そんな真似は許されない。

 私が恥を掻かされるだけじゃない、王家がファルテイン公爵家の顔に泥を塗ることになって、政情を不安定にしかねないわ。


 だから、せめて一曲目だけは、絶対に婚約者たる私が踊らないと駄目なのよ。

 何より計画のためにも、そこだけは譲れないわ。


 もっとも、二曲目以降を全てレアナと踊ったら、それこそ公の場でレアナを恋人だって宣言するようなものだから、頭が痛いけど……。


 ちなみにゲームでは、一曲目からレアナヒロインは意中の攻略対象と踊って、二曲目の前にそれぞれのライバルキャラが止めに入るのよ。

 逆の立場から見たら止められて当然よね。

 婚約者をほったらかして別の女と踊るとか、普通に考えてあり得ないわ。


「エヴァノーラ様……」

「大丈夫よ、ミリエッタ」


 心配そうな顔のミリエッタに微笑む。


「せっかくだから、ミリエッタもレッスンしていただいたらどうかしら?」

「ですがわたしは……」


 シェリー先生は公爵令嬢にダンスを教えられるほどの一流の先生だから、気後れしているのね。

 こう言ってはなんだけど、多少歴史と格式と財力があろうが、伯爵家程度に雇われるほど安くはない先生だもの。


 でも、私がこのていたらくだから、頻繁に挟む休憩の間、先生に時間を持て余させてしまうのよ。


「お二人さえよければ構わないわよ」

「シェリー先生もこう言って下さっているのだから、遠慮する必要はないわ」

「で、では、よろしくお願いします」


 緊張しつつも、一流のレッスンを受けられることを嬉しそうに、綺麗なカーテシーをするミリエッタは、ちょっと可愛いと思うわ。


 ミリエッタとシェリー先生が向かい合って組むと、レッスンが始まる。


「イチ、ニ、サン、イチ、ニ、サン、ただ漫然とリードされるだけではなくて、相手がどんな風にリードしたいのかを感じ取って、それに合わせて優雅にリードされるのも、淑女として大切よ」

「は、はい!」


「イチ、ニ、サン、イチ、ニ、サン、もっと指先の綺麗な形を意識して。イチ、ニ、サン、イチ、ニ、サン、ターンの後に足を踏みしめて身体が流されないように踏ん張るから、次のステップへの出だしがわずかに遅れ気味よ。次のステップに繋げやすいように、ターンの速度に気を付けて」

「は、はい!」


 ミリエッタは、真剣な顔でステップを踏む。

 私以上にあれこれと注意されるのは仕方ない。

 公爵令嬢と伯爵令嬢では、これまで受けてきたレッスンの質が違うはずだから。


 ミリエッタもそれは承知の上だろうけど、こんなにあれこれいっぱい注意されるなんてって、笑顔の切れ目に、ちょっと悔しそうな顔が覗く。


 やがて一曲分の時間が過ぎて、ダンスが終わった。


「はぁ、はぁ……ありがとうございました」


 幾つも注意されたから、動きや姿勢を普段以上に意識して疲れたんでしょうね。

 ダンスの授業の時より息を切らしているわ。


 夜会ともなると、三曲、四曲と、パートナーを変えながら踊らないといけないこともあるから、少し呼吸を整えれば、ミリエッタはまだまだ踊れそう。


「私はもう少し休みたいから、ミリエッタが続けてどうぞ」

「ではお言葉に甘えて」


 今注意された内容を復習するように、ミリエッタが続けてもう一曲踊る。

 そうして二曲連続でレッスンを受けながら踊るのはさすがに少し疲れたのか、ミリエッタは休憩することにして、次は十分に休めた私が交代して踊った。

 やっぱり、一曲の半分までだけどね。


 それからシェリー先生も少し休みを挟んで、またミリエッタが踊ることになったんだけど……。


「あの……次は男性パートを教えていただけませんか?」

「あら、ミリエッタさんは男性パートも踊りたいの?」

「はい、その……踊れるようになりたいです」


 そこで、どうしてチラッと私を見るのかしらね。

 いえ、分かっているわよ、『クルーウィックで秘めた花言葉を』のシリーズに、ダンスホールでは女の子同士だと踊れないから、校舎裏で漏れ聞こえてくる音楽に合わせて、女の子同士で踊るシーンがあったものね。


「駄目……でしょうか?」

「いいえ、構わないわよ。たまにいるのよね、男性パートも踊れるようになりたいご令嬢が」


 え……もしかして、他にもミリエッタみたいなご令嬢が……?

 これは、深く考えない方がいいかしら……。


「でも、男性のリードに慣れきっていると、リードする側は大変よ」

「それでも踊れるようになりたいです。頑張ります」

「そう。情熱的ね。いいわ、レッスン付けてあげる」


 こうして、ミリエッタの男性パートのレッスンが始まった。


「イチ、ニ、サン、イチ、ニ、サン、ほら、受け身では駄目よ、貴方がリードしてあげないといけないのだから。イチ、ニ、サン、イチ、ニ、サン、ほら、ぼんやりしていたら駄目よ、また出だしが遅れているわ。相手の女性にどう踊るのか、貴方が伝えてあげないといけないのよ」

「は、はい!」


 さすがに、これは苦労しているわね。

 だって今までは、相手のリードに任せていれば良かったのに、今度は自分が常にリードし続けてあげないといけないんだから。


 でも、真剣な表情で、懸命に男性パートを踊る。

 もしかしたら、女性パートのレッスンより真剣かも知れないわ。


 そうまでして私と踊りたいのかしら……。

 気持ちはありがたいような、そうじゃないような、ちょっと複雑ね。


 そんな調子で一曲踊ったところで、普段と勝手が違うせいか、ミリエッタはヘトヘトになってしまって、すぐに私と交代する。


「私は普通に女性パートでお願いします」

「ええ、分かったわ。それでは始めましょう」


 シェリー先生にリードされながら、ステップを踏む。

 そうして踊りながら、シェリー先生に伝わるように、ぐったりしているミリエッタにチラッと視線を向けてから、シェリー先生に視線を戻した。


 そして声を潜める。


「内密にお願いしたいことがありまして……後で少々お時間を戴けますか?」


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