11 クルーウィックで秘めた花言葉を

◆11◆



 テストも無事に終わり、学院は夏休みに入った。


 学生達は基本、領地の実家へ戻るか、王都のタウンハウスで暮らすか、避暑地へ移動する。

 そして家族と共に普段通りの生活を送ったり、友人と遊び呆けたり、自由気ままに過ごすのが定番ね。


 私はと言えば、領地へ戻ってのんびり実家暮らし一択。


 だって、この世界にはクーラーも扇風機もないのよ。


 外は暑くて出歩けない。

 馬車の中は蒸し風呂。

 王都から領地に戻ってくるだけで、数日寝込むくらい暑さにやられるのよ。


 避暑地の別荘にも行きたいけど、数年前、移動で大変な目に遭ったから、夏の旅行は諦めているわ。


 だから、部屋の風通しを良くして大人しく過ごすか、庭園のガゼボあずまやで日差しを避けてのんびりするか、いいとこそんなところね。

 夏とか関係なく、本当に代わり映えのしない毎日だわ。


 結局、今日も今日とて、変わらずベッドで大人しく本を読んでいる。


「はぁ……」


 退屈。

 栞を挟んで本をナイトテーブルに置くと、身体を横たえてゆっくり目を閉じる。


「…………」


 瞼に浮かぶのは、一枚のイベントスチル。

 レアナヒロインとロズハルト様が避暑地の湖で二人、水着でキャッキャウフフしているシーン。


 ロズハルト様は普通に男性用の膝上くらいまであるズボンタイプの水着で、水に濡れた髪がなかなかセクシーなのよ。

 そしてレアナヒロインは、シンプルな白い三角ビキニ。


 ただし、スレンダーなボディーにはち切れんばかりの大きな胸が、ドーンと、ね。

 可愛い顔してエッチな身体に、攻略対象イケメン達の好感度が跳ね上がるのも無理ないか、と思ったわ。


「今ごろ、本当にそのイベントスチルみたいに、二人きりでキャッキャウフフしているんじゃないかしら……」


 現状のロズハルト様とレアナの仲を考えると、ロズハルト様が避暑地にある王家の別荘へレアナを誘わないわけがない。

 当然、レアナも付いて行かないわけがない。


「はぁ……やってられないわよね……」


 ロズハルト様は本来、婚約者たる私を誘うべきでしょ、って話よ。

 別にロズハルト様と二人きりになりたいわけでも、水着で悩殺したいわけでもないからいいんだけど。


 ただ、眩しい日差しを浴びながら水着でイチャイチャ夏を満喫している二人と、一人ベッドでゴロゴロするしかない私を比べたら、そこはかとなく、こう……ね、怒りが湧いてくるってもんでしょう。

 ましてやエヴァノーラ悪役令嬢はロズハルト様を好きだったんだから、それを思うと余計によ。


 ……ああ、なんだか久しぶりに闇堕ちしそう。


「こんな時はいつもより余計に、せめて人並みに健康な身体だったらって、思わずにはいられないわ……」


 だってロズハルト様って、実は積極的で行動力があって、アウトドア派なのよ。

 だから好みのタイプは、馬車で遠出したり、馬に乗って野山を駆けまわったり、一緒に楽しく遊べる人。


 もし私が馬車で何日も掛けて遠出したら、まず間違いなく移動の疲れから旅行先で寝込んでしまって、下手をしたら帰りの日までずっと寝込んだままかも知れない。

 まさに、何をしに行ったのって話になるわ。


 馬に乗って野山を駆けまわる体力もないし。

 湖もちょっと足を付けるのが精一杯で、泳いだり、水をかけっこしたりなんて、とてもじゃないけど無理ね。一発で風邪を引くわ。


 そんな私に付き合わせたら、ロズハルト様は絶対退屈だろうし、余計な気を遣わせるだろうし、まず間違いなく楽しめないでしょうね。

 レアナヒロインを選びたくなる気持ちもよく分かるわ。


 でも、だからって婚約者の私を差し置いて、他の女の子を泊まりがけの遊びに誘っていい話にはならないんだけど。


 もしロズハルト様が、こんな私を気遣ってお見舞いに来てくれるような方だったら、それこそ恋に落ちていたでしょうね。

 そうならなかったのは、良かったのか悪かったのか……。


「はぁ……」


 虚しいわ。


「退屈そうですね?」

「ええ、とても退屈――」


 聞き慣れた声に、つい普段通りに返事をしかけて、パチッと目を開けると、声がした方を振り向く。


「――えっ? ミリエッタ……あなたどうしてここに? しかもいつの間に?」


 私を見て、いつもと変わらない笑顔を見せるミリエッタ。

 ミリエッタも実家のアーガス伯爵領へ帰ったはずなのに。


「ほんの今し方到着しました。実家にはエヴァノーラ様がいらっしゃらなくて退屈で。エヴァノーラ様のお世話をしていないと、どうにも落ち着かないんです」

「……あなたねぇ、本来伯爵令嬢あなたはお世話する方ではなくて、される方なのよ?」

「いいじゃありませんか。退屈なさってたんですよね?」

「それは……もう仕方ないわね。こっちへいらっしゃい」

「はい♪」


 ベッドの枕元の脇、いつもの定位置に、ミリエッタ専用になった椅子をいそいそと運んできて、ニコニコご機嫌で椅子に座る。

 そこまで嬉しそうにされると、ちょっぴり気恥ずかしくて照れるわ。


「ナタリーは?」

「エヴァノーラ様の様子はわたしが見ておきますからと、休憩して貰いました」

「ナタリーったら……」


 ミリエッタのこの行動にナタリーもすっかり慣れたものと言うか……。

 うちの家人達は、ミリエッタを主家と付き合いのある伯爵家のご令嬢だってことを失念して、私の侍女の一人と勘違いしていないか、時々心配になるわ。


「ご実家はもういいの?」

「はい、所詮四女なんて、ちょっと顔を出せば十分ですよ。むしろエヴァノーラ様のお側にいる方が喜ばれます」


 いつも思うのだけど、いくら四女とはいえ、伯爵家の年頃の娘なのに婚約者が未だに決まらず、実家にはちょっと顔を出せば十分だなんて、もしかして実家では冷遇されていたり、肩身が狭かったりするのかしら。

 アーガス伯爵はそんな方には見えないのだけど……。


 それもこれも、私のせい……なのかしら。


「もしかして、夏休みの間、ずっとうちに?」

「はい、そのつもりです。ご迷惑でしょうか?」

「迷惑なんて、そんなことあるわけないでしょう」


 ミリエッタならむしろ大歓迎よ。

 残りの夏休みの間、ずっと話し相手がいてくれて、ありがたいくらいだわ。


「でも、せっかくの長期の休みなのに、私に付き合っていたらもったいないわよ? 趣味を満喫したり、こんな時にしか出来ないことがあったりするでしょう?」

「趣味は、エヴァノーラ様のお世話をすることですから。毎日お早うございますのご挨拶からお休みなさいのご挨拶まで、ずっとお側でエヴァノーラ様のお世話を出来るなんて、こんな時にしか出来ません」

「そ、そう……」


 悪いけど、拳を握って力説されたら、さすがにちょっと引くわ。

 私のお世話をすることが趣味って、いくらなんでもどうかと思うわよ?

 ただの社畜……とは違うわよね、絶対。


 やっぱり、それもこれも、私がミリエッタの人生を狂わせてしまったせいよね……。


「そうそう、趣味と言えば」


 はたと思い出したように、ミリエッタが荷物から三冊の本を取り出した。


「エヴァノーラ様に喜んでいただけそうな本を本屋で見かけたので買ってきました」

「あら、それは嬉しいわね」


 三冊を受け取って、一冊ずつ確認していく。

 まずは一冊目。


「あら『プラバシール放浪記』。いいわね。南方のプラバシール王国を旅しながら、現地の様子や人々の生活を生き生きと描いた、ノンフィクション作品としても、旅行ガイドとしても、とても面白い読み物だと評価の高い一冊ね。これ、気になっていたのよ」

「ふふ、だと思いました」


 仮に私が人並みに健康だったとしても、公爵令嬢である以上そうそう簡単に他国へ旅行になんて行けないから、なかなかいいチョイスだわ。


 次は二冊目。


「『いかにヴァンタール帝国が滅びたか』って、よくこんな本を見付けてこられたわね。ヴァンタール帝国滅亡後に執筆されたとはいえ、皇室批判とも取られかねない過激な表現が多く散見されて、自国の王室批判に繋がってはと、多くの国で発禁処分にされているのに」


 稀覯本とまではいかないけど、入手困難な一冊には変わりないわ。

 我が国では発禁処分こそされていないけど、それでもあまり大っぴらに話題に出すのは躊躇われる一冊よ。


「エヴァノーラ様は、こういう権力者の手で歴史の闇に葬られそうな真実を暴露する本は、お好きでしょう?」

「ええ、大好物よ」


 つい力が入って頷くと、ミリエッタがとても嬉しそうに微笑む。


 自分の仕事に満足してる感じがまた、伯爵令嬢ではなく私の侍女になりきっていないか、ちょっと心配になるけど。

 この本は素直に嬉しいわ。


 そして、最後の三冊目。


「これは……『クルーウィックで秘めた花言葉を』のシリーズ最新刊……」

「はい♪ わたしの分も買ってきました♪」


 声のトーンが上がって、ミリエッタがいそいそと荷物から同じ本をもう一冊取り出すと、嬉々として胸に抱く。


 この『クルーウィックで秘めた花言葉を』のシリーズ第一巻は、ミリエッタの人生を大きく狂わせた、もう一つの原因……。


 私が名案と勘違いした不用意な一言で、ミリエッタを私に縛り付けてしまってから数ヶ月ほど経ったある日のこと。

 お父様が『クルーウィックで秘めた花言葉を』のシリーズ第一巻を買ってきた。


 多分お父様は、表紙だけを見て、中身は確認せずに選んだのだと思うわ。

 だって表紙には、女の子が二人、仲良く手を繋いで並んで立っている姿が描かれていたから。


 クルーウィック学院を舞台にした女の子達の友情を描いた青春物で、将来私が通うことになる学院でもあったし、ミリエッタと言うが出来たのだから、仲良くするヒントや、話題の切っ掛けになれば……そう考えてのことだったんじゃないかしら。

 私もなんとなくお父様のそんな意図が読めたから、それはそれは楽しみにして読んでみたのよ。


 ところが中身は……百合小説だったわ。


 学院に通うお嬢様とお嬢様、お嬢様と侍女、女教師とお嬢様……そんな百合百合してる女の子達ばかりが、それはもう何組も何組も登場するの。

 学院は共学なのに、男の子はモブですら登場しない徹底ぶりよ。


 しかも、女の子同士の、ちょっと際どい描写なんかもあったりして。


 でも、それはそれとして、純粋に物語としても面白かったのが、良かったのか悪かったのか……。


 当時、まだ私もミリエッタも、お互いぎこちないところがあって、友達としてどう付き合っていけばいいのか手探り状態だったわ。

 だからミリエッタは罪悪感と使命感から、懸命に私が興味あることに関心を持とう、共通の話題を作ろう、って頑張ってくれていて、私が読んだ本はなんでも読もうとしてくれていたの。


 そんな中、『クルーウィックで秘めた花言葉を』のシリーズ第一巻の表紙が目に留まったのね。


『エヴァノーラ様、これ、どんなお話ですか?』

『えっと、それは……女の子同士で、仲良くするお話……かしら?』

『わあ、わたし、これ読んでみたいです』

『えっ、でもそれは……』

『面白くなかったんですか?』

『いえ、面白かったわよ? 面白かったけど……読む人を選ぶ本、だと思うわ……』

『面白かったのなら、わたしも読んでみたいです。駄目ですか?』

『いえ、駄目じゃないけど……』


 このとき、私はどう言えば良かったのか、未だに分からない。


 目の前で読まれるのはなんとなく落ち着かないから、領地の屋敷へ持って帰って読んでと、貸してあげたのだけど……。

 次、ミリエッタが遊びに来たとき、私を見るミリエッタの目の色がすっかり変わっていて……今のミリエッタになってしまっていたわ。


 それ以来、ミリエッタはこのシリーズをまるでバイブルのように愛読して、最新刊は必ず自分の分と私の分と二冊買って来るようになったのよ。


「素敵ですよね、女の子同士の秘めた物語……わたし、いつもいつも新作が出るのが楽しみで♪」

「そ、そうね……」


 そんなにうっとりするほど、なのね。


 本当に、未だに答えが出ずに迷っているわ。

 あの時、私はどうすれば良かったのかしら、って。


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