8 楽しい楽しい修羅場

◆8◆



「ロズハルト様」


 まずレアナを無視して、もう一度ロズハルト様に微笑みかける。


「だから、これは……」

「これは?」

「その……」


「先ほど『違う』とおっしゃいましたね? 何が『違う』のでしょうか? ロズハルト様がどう考えており、私がどう受け止めたのか、そこに齟齬そごがあると仰るのでしたら、ハッキリと分かるようにご説明戴けませんか」

「っ……」


 そこでまた口ごもると言うことは、つまり浮気を認めるのね。


「ちょっと、なんなんですかあなたは。いつもいつもあたしの前に現れて、これもその嫌がらせの一つですか!?」

「あなた! 平民の分際でエヴァノーラ様になんて口の利き方――!」

「ミリエッタ」


 軽く手を上げて、ミリエッタの台詞を遮る。

 不服そうだけど、ミリエッタは素直に引き下がってくれた。


「私はあなたに嫌がらせをしたことはありませんよ」

「嘘です! いつも嫌なことを言ったり、平民だって見下してきたり、今だってロズハルト様とあたしの邪魔をしに来たんでしょう!?」

「!? あなた殿下のお名前を軽々しくお呼びするなど――!」


 また軽く手を上げて、ミリエッタの台詞を遮る。


「済みませんエヴァノーラ様……」


 これはしょうがない。

 ミリエッタがそれ程驚く事態だ。

 だから、ミリエッタの剣幕の意味が分かっていないレアナを無視して、ロズハルト様に問いかける。


「ロズハルト様、この者に……この平民にお名前を呼ぶ許しを与えたのですか?」

「……そうだ、僕が許した」


 さすがに気まずそうね。


 それはそうよ。

 だって婚約者たる私の側に常に付き従っている、私の親友の伯爵令嬢たるミリエッタですら、名前じゃなく『殿下』としか呼ぶことを許されていないのだから。


 公爵令嬢の私だって、婚約者だから名前で呼ぶことを許されているに過ぎないわ。


 それなのに、平民の娘が親しげに名前を呼ぶことを許すなんて。

 婚約者を差し置いて、レアナがだと公言したも同然よ。


「そうですか。平民相手にいかがなものかと思いますが」

「エヴァノーラには悪いと思うが、それが僕の本心だ……」


 それにしても、まだ出会って一ヶ月かそこらなのに、まさかこれほど早く関係が進展していたなんて。

 他の攻略対象との会話イベントがなくなって、ロズハルト様との会話イベントしか起きなくなったせいかしら?

 だとしたら私も、計画を少しくらい前倒ししても良さそうね。


「さっきからあたしを無視してなんなんですか!? 関係のない人は――」

「関係なくありませんよ」


 静かに、だけど重々しく、レアナの言葉を遮る。


 前倒ししていいって分かった以上、今日、この場ではお遊びはなし。

 これまでみたいな、レアナとの会話を楽しんだり愛でたりもなし。


 ここからは悪役令嬢本気で行かせて貰うことにしましょう。


「そう言えば、まだ名乗っていませんでしたね」


 平民に名乗る必要などないのだけど、この際だから名乗ってあげましょう。

 そういった雰囲気を醸し出しておく。


 本当は、私がレアナをよく知っているせいで、つい知り合いと話すみたいに名乗り忘れていただけだけど、それが今効果的な演出になりそうなんで、結果オーライね。


 本来なら、平民相手なら略式ですら礼をする必要はないけど、ここは王族に対する場合を除いての最上級の品位を以て、美しく優雅にカーテシーをする。


「初めて正式にご挨拶させて戴きます。ご機嫌よう、レアナ・フロウッド様。ファルテイン公爵家令嬢エヴァノーラ・ストックドーンと申します」


 レアナが息を呑み、目を見張っていた。


 嬉しいわね。

 公爵令嬢としての所作と気品に圧倒されてくれたみたいで。


 頭を上げて姿勢を正し、そして追撃で微笑みかける。


「そして、今あなたの隣に座るロズハルト様の婚約者ですわ。以後お見知りおきを」

「――!?」


 レアナが声にならない悲鳴を上げたように見えた。


「こん……やく、しゃ……?」


 信じられないとばかりに、レアナがロズハルト様を振り返る。


 ロズハルト様はばつが悪そうにするだけで、何も答えない。

 答えられない。


「あら、ロズハルト様。この者に何も教えていなかったのですか?」


 驚きの中に非難を込めて、ロズハルト様を突き刺す。


「婚約者の存在を伏せて平民の娘に声をかけるなど、相手の女性にしてみれば、も同然でしょう。をなさるおつもりなら、相手の女性に分別を付けさせ、のが肝要ではありませんか?」

「ち、違う! 僕は遊びでも騙しているわけでもない!」


 ロズハルト様がたまらずベンチから立ち上がり、私にではなく、レアナに向かって言い訳を並べる。


「確かにエヴァノーラは婚約者だが、父上とファルテイン公爵が勝手に決めた相手であって、僕が望んで婚約したわけではない!」

「ロズハルト様、本当ですか? この人のことは愛していないんですか?」

「ああ、もちろんだ! 僕が愛しているのはレアナ、君一人だけだ!」

「ロズハルト様!」


 私をほったらかして、手を取り合い、見つめ合い、二人だけの世界に浸るロズハルト様とレアナ。

 私に対するその無下な扱いに、ミリエッタが今にも癇癪を起こして暴れそうよ。


 だってそうでしょう?

 他のご令嬢達なら、二人を激しく非難しているに違いないわ。


 だからミリエッタが暴れる前に、二人だけの世界はぶち壊させて貰いましょう。


「ロズハルト様、何か勘違いをされておられませんか?」

「エヴァノーラ、僕が何を勘違いしていると言うんだ」

「私達の婚約は、陛下とお父様ファルテイン公爵が決めたのではありません。が決めたのです」

「ぐっ……!」


 さすがにロズハルト様はご自身の思い違いに気付かれたようね。

 でもレアナには違いが分からなかったらしい。


「王族と貴族の結婚においては、当人同士が愛し合っているかなど関係ありません。もちろん、愛し合っていることに越したことはありませんが、個人の意思が入り込む余地などない、との政治的な結びつきなのです」

「それっておかしいでしょう!? 愛し合ってもいないのに、家の都合で結婚させられるなんて間違ってる! そんなの幸せになれるはずがない!」


 元日本人の感覚で言えば、レアナと同意見よ。


 でもここは日本じゃない。

 私もすでに日本人じゃない。

 この世界の、この国の、公爵令嬢なの。


「間違っているのはあなたです。王族と貴族の結婚は、平民のそれとは全く別物なのだと理解なさい」


 これはもう社会のシステムがそうなのだから仕方がない。


 王族も貴族も、国や領地を治めて、その地に住む全ての民の生命と財産と平和を守る義務と責任があるわ。

 でも、国内外問わず敵対勢力に抗える力がなければ、国も領地も民も守れない。

 だから、力のある家同士が婚姻で結びついて、より強い力を得る必要があるのよ。


 それを懇々こんこんと教える。


「いずれ、あなたも授業で習うでしょう。これが身分の差、住む世界の違いなのです」

「でもそんな理屈だけで納得出来るほど、人の心は単純じゃないわ!」


 さすがヒロイン、いいことを言うわね。

 私も同感よ。


 でも、身分の差と言う現実から目を逸らしているあなたのその言葉は、空虚な理想論でしかないの。


「もしあなたがロズハルト様と結ばれたいと願うのなら、それは貴族社会へ飛び込むと言うこと。あなたの主義主張がどうであろうと、貴族の流儀に従わなくてはならないのですよ。あなたにそれだけの覚悟がありますか?」

「っ……!」


 今のレアナは王子様との素敵な恋に浮かれて、覚悟どころか、そんなことは考えたことすらないでしょうね。

 でもごめんなさい、もっと残酷な現実を教えてあげないといけないの。


「もしあなたが貴族の流儀に従い、貴族社会で生きる覚悟を決めてロズハルト様と結ばれたとしても、あなたは正室として王妃にはなれません。王妃になるのは、婚約者のこの私だからです」


「じゃ、じゃあ、あたしは……!?」

「あなたは平民の愛人として、王城に足を踏み入れることも許されず、ロズハルト様と共に暮らすことも出来ません。城下に家をたまわり、そこでロズハルト様が通ってきてくださるのを待つことしか出来ないのです」


「そんな!? そんなの納得出来ないわ!」

「ロズハルト様は卒業後王太子に、そしてゆくゆくは国王になられ、ロズハルト様ご自身が望まれても、個人として過ごせる時間はほとんどなくなります。ですから、あなたに会いに城下へ出るとなれば、政務のスケジュール調整、護衛の手配、道中や周辺の安全確保など、長い期間をかけて準備をしなくてはなりません。それすら、緊急の政務が入り、中止されることが多々あるでしょう。恐らく、年に一度も通って戴ければいい方ではないでしょうか。それでも十分な配慮と寵愛を受けていると、そうわきまえ納得しなくてはなりません」

「そんな……」


 かなりショックを受けているみたいね。

 でも、まだまだこんなものではないわ。


「それだけではありませんよ。あなたはロズハルト様と子をなしてはなりません」

「!?」


「ロズハルト様の御子は、すべからく王位継承権を持ちます。王妃の……私の産んだ御子であるならばまだしも、平民の愛人が産んだ子を王位に就けるわけにはいきません。権力を欲する貴族によって祭り上げられでもしたら、国が乱れます。それを恐れる者達に、事故を装い消されるかも知れません。あなたはご自分が産んだ子に、そのような運命を辿らせたいですか?」

「…………」


 茫然自失、と言えばいいのかしら。

 もう言葉もないみたいね。


 レアナは助けを求めすがるように、ロズハルト様を振り返る。

 いたたまれないようにロズハルト様は目を逸らしてしまい、レアナは私が言ったことを事実だと理解したみたい。


 それを受け入れられるかどうかは……残念ながら別問題だけど。


「私も口うるさいことは言いたくありません。学院に在籍している間くらい、最後の自由を謳歌することを認めるくらいの寛容さはあります。ですから、は学生の間だけと承知しておいてください。ロズハルト様が卒業されれば本格的に政務に就かれることになります。ですので、それが期限です。もう残り一年もありませんが、それまでの関係と割り切ったお付き合いでよろしくお願いいたします」


 ロズハルト様とレアナ、二人に淡々と事務的に告げる。


「――っ!!」


 突然、声を殺して泣きながら走り去るレアナ。


「レアナ!!」

「ロズハルト様!!」


 咄嗟に後を追おうとしたロズハルト様を鋭く制止する。


「どこに行かれようと言うのです」


 言外に、婚約者の私を放って、期限付きの遊び相手の恋人を追いかけるのか、そう非難を込めて。


「くっ……」


 さっきの私の話を聞いて、ピンク色に染まった頭の中も、正しく現実を認識できるようになったんでしょうね。

 さすがにレアナを追う足を止めた。


「ロズハルト様。今回は私が教えましたが、本来であればロズハルト様があの者に教え、正しく己の立場を分からせておく必要があるのですよ」

「……僕に説教をするな」

「ご自身のお立場を理解されておいででしたら、私も出過ぎた真似は致しません」

「お前はいつもそうだ……」


 搾り出すように、ロズハルト様が私を冷たい目で睨んでくる。


「お前の言うことが正しいのだろう。しかし極論でもある。その王族として、貴族としての正しい在り方を、理想だけを振りかざし、心の伴わない正しさで物事を推し進めようとする……全てがそのような四角四面で収まるわけではないというのに。お前のそのやり方には、息が詰まる」


 私の顔を見ているのは不愉快だ、ここにはもういたくない。

 そんな顔で、ロズハルト様が立ち去る。


 でもそれは本心であってもこの場を離れるための口実で、レアナを追ったんでしょうね。


「ふぅ……」


 ここまですれば、悪役令嬢の面目躍如と言ったところかしら。

 まあ、私もちょっと役に入り込み過ぎて、理想と正論を振りかざして相手を追い詰めて責める、かなり嫌な女だった気がするけど。


「ミ――」


 ミリエッタ、私達も戻りましょう。

 振り向いてそう言うより早く、突然ミリエッタが私に抱き付いてきた。


「わたしは悔しいですっ……あんな平民の女をっ……婚約者たるエヴァノーラ様をこんなにもないがしろにするなんてっ……!」


 耳元で聞こえた嗚咽混じりの声が、そしてミリエッタの肩が震えていた。

 労るように、守るように、強く強く、私を抱き締めてくれる。


「……ありがとう、ミリエッタ」


 ほんのり、胸が温かくなる。

 私もミリエッタの背中に腕を回して抱き締めて、自分のことのように悔し涙を流してくれる一番の親友の頭をそっと優しく撫でた。


 そうしてミリエッタを慰めながら、二人が去った方へと目を向ける。


 さて、レアナには厳しく残酷な現実を突きつけて大いにへこませたわけだけど……。

 立ち直ってくれるわよね?

 現実に打ちのめされて、ロズハルト様を諦めたりしないわよね?


 もしこんな中途半端な段階でそんなことになったら……。


 計画は大失敗。

 私はロズハルト様のために、そしてこの国のために、


 せっかくの二度目の人生なのに、また若くして死ぬなんて、私は嫌よ。

 だから、こんな悪役令嬢に負けないでよヒロインレアナ


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