5 第一王子と悪役令嬢
◆5◆
「エヴァノーラ様?」
ミリエッタの手を放して、気合いを入れてピンと背筋を伸ばすと凛とした振る舞いを心がけて、公爵令嬢として恥ずかしくない歩みでレアナに近づく。
「そこで立ち止まられては、通行の邪魔ですよ」
「あっ、あなたはお昼の……!」
レアナが心持ち身構える。
貴族のご令嬢が、社交の時には本心を表情に出さないように努めているのに対して、レアナは思考と感情がストレートに顔に出るタイプだ。
その隠し事が出来ない裏表のない性格が、周囲にいるご令嬢達と違って新鮮で、攻略対象達の興味を惹く一因になっているのよね。
あと、庇護欲をそそられる、抜けているところも。
だから今、レアナがこんな廊下の真ん中でキョロキョロと何をしていたのか、おおよそ予想が付く。
「まあ、あなた、その態度はエヴァノーラ様に対して失礼ではありませんこと」
「平民の分際でエヴァノーラ様に無礼を働くことは許しませんわよ」
ああ、そう言えば出会ったばかりの今日じゃないけど、食堂でやり合うイベントがあったっけ。
確かその時、悪役令嬢エヴァノーラは……。
『ここはカトラリーを使ってマナーを守って食事をする場所ですの。手づかみで頬張る山猿は見苦しいので、同席されると迷惑ですわ。出て行って戴けませんこと』
って、見下して言い捨てるのよね。
でも私は、そんな無意味な応酬をするつもりはない。
だからご令嬢達に非難されてむっとしたレアナに、さらに非難しようとするご令嬢達の前に手を
「食堂でしたら、私達が歩いてきた方へ進むとありますよ」
レアナが私達の後ろ、廊下の向こうを見て、あからさまにほっとする。
ほらやっぱり迷ってた!
広く大きな女子寮って言ってもたかが知れているのに、迷子になるなんて……それ、反則でしょう!?
攻略対象達じゃなくても、目が届くところに置いて守ってあげたくなるじゃない!
どこに行くにも手を繋いで連れて行ってあげられたらどんなにいいか!
くっ、でも私には計画が……必要以上にレアナと馴れ合うわけにはいかない……!
「今ならまだ間に合いますけど、時間を過ぎたら出して貰えませんから、明日からはもっと早めに行くように気を付けた方がいいですよ」
「……はい、ありがとうございました」
複雑そうな顔でレアナは一礼すると、私達の脇を通り過ぎ食堂へと向かった。
それを見送って、ご令嬢達がまだ収まりが付かないのか、非難の声を上げる。
「あれが立場を
「まったく、謝りもせず本当に失礼な平民でしたわね」
「穏やかで滅多なことでは怒らないエヴァノーラ様が、静かに怒られるのも無理ありませんわ」
ああ、今のそう勘違いされたんだ。
他意なく親切に教えただけなんだけど、『無礼で愚かな平民は食いっぱぐれるのがお似合いよ』って遠回しに皮肉を言ったと思われたのね。
それはちょっと不味いかも。
私とレアナは対立する必要があるけど、周囲がレアナと対立する必要はない。
だからレアナに対してあまり批判的な空気を作りすぎたくないのよね。
それは無意味なイジメにしかならないから。
みんなが私を慕ってくれるのは嬉しいけど、それで計画を台無しにされては困るのよ。
必要なのは、レアナが思考停止に陥らない、落ち着き考えるだけの余裕のある対立。
その匙加減が重要なんだから。
「皆さん、長い目で見て差し上げましょう。彼女はただの平民。貴族と触れ合い共に過ごすこと自体、初めての経験でしょう。だから身分の差を肌で実感した事がなく、この学院の精神である平等の意味を履き違え、無邪気にそう振る舞ってしまっているだけだと思います」
だって、ゲームで
貴族とは異なるその考え方に攻略対象達は興味を惹かれて……と、序盤の切っ掛けになるだけで、特に平等を勝ち取るために奮闘したり挫折したりもしない、ふわっとした設定でしかないのよね。
だって『くる虹』は純粋に学園ラブストーリーを楽しむ作品だったから。
身分の差なんて主に、愛し合う二人が引き裂かれそうになるって程度で、どの攻略対象とも最後は『平民でありながら優秀な上に、可愛らしくていいお嬢さんじゃないか』って、あっさり認められて結婚を許されちゃうし。
まあ、ゲームならそれでいいんだけどね。
でも残念ながら、現実だとそれじゃあ通用しないし、そんな展開あり得ない。
だってこの世界がどれだけゲームに似ていようと、紛れもない現実なんだから。
「いずれ彼女も現実を知り、礼儀を知り、落ち着いてくれることでしょう」
「まあ、あの無礼な振る舞いをお許しになるのですか? 本当にエヴァノーラ様は懐が深くお優しいですわね」
「それにしてもあの平民は、貴族と平民が平等に扱われることがあり得るなんて、本気で考えているのかしら」
「呆れた話ですわね」
本当に。
レアナには今後、それをちゃんと自覚して貰わないと。
元日本人の私が言うのもなんだけど……現実には、少なくともこの世界のこの時代では、貴族と平民がレアナの言うような平等に扱われることなんてあり得ないんだから。
翌日。
新入生を迎えても、二年生の生活は何も変わらない。
新入生は入学式を経てオリエンテーションで学院内の施設をあちこち案内されているけど、二年生はすでに普通に授業が行われているから、当然自分の教室へと入る。
「まあ、エヴァノーラ様ですわ」
「もうお加減はよくなられたのですね」
私に気付いたご令嬢達が、表情を明るくして、さわさわと囁く。
そんなご令嬢達に挨拶代わりに微笑みを返すと、小さく黄色い悲鳴が上がった。
ちょっと照れるわね。
そんな中、私は一人の男子生徒の席へと向かった。
彼も、すぐに私に気付く。
言わずとも知れた私の婚約者、ロズハルト様だ。
ロズハルト様は、涼やかな目元が麗しいイケメンで、中性的な顔立ちとまではいかなくても、男臭さを感じさせない男性的な顔立ちをしている。
性格は温和ながら快活で活動的。
基本的に女性の扱いは慣れていて、とても気が利くし紳士的だけど、残念ながら私……
少なくとも私に対して恋愛感情は欠片も感じられず、さすがに
だから
仮にも王子が、王様が決めた婚約者相手に、衆目を集める中で婚約破棄と断罪なんて愚行に走るくらいなんだから。
私としては、ロズハルト様はメインの攻略対象だったこともあるし、悪い方ではないので、婚約の話は悪い気はしなかったし、それなりに好意は抱いていたわよ?
でも、その私への扱いに次第に気持ちが冷めていってしまったと言うか、結局恋愛感情にまでは育たなかったから丁度いいかもね。
「四日ぶりか、エヴァノーラ。もう体調はいいのか?」
「はい、ロズハルト様。ご心配をおかけいたしました」
淑女らしく礼をする。
「ロズハルト様も、新入生が入って来て生徒会がお忙しいのではありませんか? 政務もあるのですから、あまりご無理をなさいませんよう」
うん、鎌をかけたとおりね。
ロズハルト様の私を見る表情が、微かに、ほんの微かに揺らいだ。
多分、他の誰も気付いていない。
もしかしたらロズハルト様本人も気付いていないかも知れない。
でも、確かに表情が揺らいだ。
きっと昨日、レアナと出会ったからだろう。
『きっとあの時僕は、君に一目惚れをしてしまったんだろう。気付けばいつも君を目で追ってしまっていたんだから』
告白のシーンでロズハルト様が
ロズハルト様がレアナに関心を抱いてしまうのは、もう仕方がない。
計画には、それも織り込み済みだから。
でも、密かに女心としては……。
これでも、
授業は特に問題ない。
幼い頃はベッドの上で過ごすしかなくて、本はたくさん読んできたから。
おかげで、語学と歴史と地理に関しては、授業を受けていて不安はない。
数学ともなれば、日本の中学校レベルだから、満点を取らない方が恥ずかしい。
礼法も、公爵令嬢である以上、どこに出しても恥ずかしくない、他国の王族の前に出ても問題ないレベルで修得している。
問題は、ダンスと体育ね。
ダンスだってもちろん、王族のロズハルト様と踊れるくらいに仕上がっているのよ。
ただ、体力的に、ね……。
だから、基本的にどっちも見学が多い。
もう慣れた……とは言わないわ。
諦めたって言う方が正解ね。
それでもやっぱり時々、元気に走って優雅に踊る人達が羨ましくあるけど。
そんな時は、未だに
ともあれ、ダンスと体育以外はそつなくこなしているから、もう一度学生時代を過ごしているような奇妙な感覚は、時に懐かしく、時に気恥ずかしく、時に面倒で、それなりに満喫している。
そんな感じで、今日も問題なく授業が終わって放課後になった。
「ロズハルト様、本日のご予定はどうなっていらっしゃいますか?」
「今日は王城へすぐに戻ってこなさなくてはならない政務がある。何かあるのか?」
「いえ、久しぶりに登校してロズハルト様のお顔を拝見出来ましたので、もしお時間があればお茶でもご一緒出来ればと思っただけです」
「そうか、それは済まなかった。また次の機会にしてくれ」
いつと決めない次の機会は、永遠にやってこない次の機会ですね。
ええ、分かっていますとも。
単にロズハルト様の動向を把握しておきたかっただけですから。
「それではな」
「はい、行ってらっしゃいませ」
そっけない言葉だけを残し、護衛を兼ねている男子生徒を伴って、教室を出て行くロズハルト様。
一礼してその後ろ姿を見送る。
これで今日は私もフリーで動けることが確認出来たし、早速計画を次の段階に進めるとしましょうか。
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