4 ファルテイン公爵令嬢エヴァノーラ・ストックドーン
◆4◆
私はファルテイン公爵家の長女、エヴァノーラ・ストックドーン。
クルーウィック学院の二年生で、十七歳。
同じ二年に在籍する、第一王子ロズハルト様の婚約者。
そして、乙女ゲーム『クルーウィックの学び舎で紡ぐ虹色の季節』において、ヒロインのレアナ・フロウッドに嫌がらせを繰り返し断罪される悪役令嬢だ。
前世の自分に関する記憶はかなり薄れてしまっているけど……元日本人で、会社勤めをしていた、と思う。
彼氏を作る暇もなく働き詰めで、たまの休日は趣味の乙女ゲームに没頭していた……はず。
『くる虹』もそんな乙女ゲームの一つで、ここは『くる虹』にそっくりの世界なのよね。
要は異世界転生をしたって話だけど……死因はすでに思い出せない。
でも『くる虹』に関する記憶だけは、一切薄れず忘れずで覚えている。
物心ついた時から
なぜなら……この身体はとても病弱だったから。
悪役令嬢エヴァノーラに、そんな病弱設定なんてなかった。
少なくとも私の記憶にある限り、ゲーム本編中に病弱を臭わせるような台詞もイベントもなかったから、最初はすごく混乱したわ。
ゲームの悪役令嬢エヴァノーラは、幼い頃から我が侭放題に育って、なんでも自分の思い通りにならないとすぐに癇癪を起こして周囲に当たり散らす高慢な、良くも悪くもテンプレな貴族のお嬢様だった。
そしてロズハルト様に近づくヒロインが気に食わなくて、取り巻きの令嬢を使って嫌がらせをしまくった。
でも、そんな性格に育ってしまったのも無理ないかも……って思ったわ。
エヴァノーラの人生を歩んで、今は我が身のことだけに、同情したくなったもの。
そんなお母様の体質を受け継いだ
ちょっとでも雨に濡れたり、肌寒い思いをしたりするなんて以ての外。
飛んだり跳ねたり走ったり、普通の子供みたいに遊ぶことも禁止。
そんな真似をしたら、数日寝込んでしまうのは毎度のこと。
おかげで、一年を通して一日の大半をベッドの上で過ごすのが日常だったわ。
そんな風だったから、他家のパーティーやお茶会に出席はおろか、我が家主催のそれにすら出席出来たことがなかったから、年の近い友達も出来なかった。
しかもお母様が亡くなった後、側室から正室になったお義母様は、自分が産んだ男の子、つまり弟ばかりを可愛がり、
でなければ、買収された主治医によって、薬に毒が混ぜられていたかも知れない。
弟が次期公爵になるのは確定で安泰だから、
そして弟も、そんなお義母様に言い含められているみたいで、
お父様も、公爵らしく領地は下の貴族達にお任せだったけど、内務大臣って重職に就いていたから、領地の屋敷より王都の王城にいる時間の方が多かった。
だから、
おかげで、お父様はそんな
幸か不幸か公爵家には半端ない権力と財力があって、健康以外なんでも望みが叶うもんだから、我が侭放題になるには十分な環境だったわけね。
きっと悪役令嬢エヴァノーラはそんな狭い世界で我が侭放題に育ち、なんとか学院に通える年齢になれて、ようやく少しだけ世界が広がったんだわ。
そして……可愛く魅力的な
日に焼けていない白い肌と言えば聞こえがいいけど、病的に青白い肌の自分。
それに対して、健康的で美しい肌が眩しく、明るく快活で、躍動感に溢れ、ちょっと抜けてて庇護欲をそそる、誰もがつい目で追ってしまう愛らしいヒロイン。
どちらがロズハルト様と並んで絵になるか考えるまでもないわけで。
そんなヒロインがロズハルト様と急速に仲を深めていく。
しかもヒロインの周りには、いつの間にか他にも
それに比べて自分の周りには、ご機嫌取りをして取り入ろうとする取り巻きのご令嬢達と、婚約者のロズハルト様しかいない。
もしロズハルト様を取られてしまったら、こんな自分に一体何が残るのか。
きっとヒロインを妬み、恨み、嫉み、何より羨んだに違いない。
そして平民を羨むなど、公爵令嬢としてどれほど矜持が傷ついたことか。
だから必死になって、ロズハルト様からヒロインを遠ざけようとしたんだろう。
だって私も、前世では普通に健康な身体だったから、この病弱な身体に転生してどれほどへこんだか。
健康な子供が当たり前の顔でどう過ごしているか、なまじ身を以て知っている分、余計にね。
こんな
だけど、ゲームの知識と前世の記憶を持つ私が
何よりミリエッタが私にとってただ一人の、心を許せる親友になってくれたことが大きい。
それからは、バランスのいい食事、体調がいい時は散歩、天気のいい日は日光浴、などなど健康に気を遣って、なんとか一人で寮生活を送れるくらいには健康になったのよ。
もっとも、健康に気を付けてきた私ですらこれだから、ゲームのエヴァノーラはもっと病弱だったはず。
ヒロインの前に登場したのも体調がいいときだけで、体調が悪いときは寝込んでいて、嫌がらせは取り巻きのご令嬢達に任せていたのかも知れないわね。
きっとそれは、羨んでしまった平民に弱っている自分を見せたくない、悪役令嬢の矜持だったんじゃないかしら。
ともかく、予想もしなかった病弱な身体の上に、衆目を集めた上で婚約破棄されて恥を掻かされた挙げ句、断罪までされて処刑だなんてごめんだわ。
だから私はそんな
「――様……エヴァノーラ様」
「…………ん……?」
「そろそろ起きて下さいエヴァノーラ様。もうじき夕食のお時間ですよ」
「……ぁぁ……ありがとうミリエッタ」
わざわざ起こしに来てくれたミリエッタにお礼を言って、ゆっくりと身体を起こ……せない。
「……ミリエッタ?」
ミリエッタが私の手を握っていた。
「ふふ、エヴァノーラ様が手を放して下さらなかったので」
それ、嘘よね?
あなたが手を放さなかっただけよね?
そんなことより、あれからずっと私の手を握ったままそこにいたの?
少なくとも三時間は経っているんだけど。
「エヴァノーラ様の寝顔、とても愛らしかったですよ」
「……熱に浮かされた寝顔が愛らしいわけないでしょう?」
寮生活を始めて自重を忘れた親友のエスカレートしていく気持ちに、私はどう向き合って付き合っていけばいいのかしら……。
「それでエヴァノーラ様、起きられますか? 食事はこちらに運ばせますか?」
一眠りしたおかげか、少しは身体の調子が戻ったみたい。
「大丈夫、起きられるわ」
私の手を包み込むように握っていたミリエッタの手の中から、容赦なく手を抜き取って、ゆっくりと半身を起こす。
「それに、今日は久しぶりに食堂で食べたいわ。毎食ベッドの上でなんて、気が滅入るもの」
ミリエッタが私の額に触れる。
「微熱くらいでしょうか……熱は大分下がったみたいですね。これなら食堂と往復するくらいなら平気でしょう」
安心したように微笑んでくれる。
でも、ちょっとだけ残念そうね?
ベッドの上で食事をするとき、あなた絶対に『あーん』して私に食べさせるのを譲らなかったものね。
私としては、いつもいつも恥ずかしかったのよ?
「至福の時間は、また次の機会ですね……」
今、ぽそっと、おかしな台詞が。
これは追求すべきか、スルーすべきか……。
「さあ、食堂へ向かわれるのでしたら、また着替えましょう」
悩んでいる間に追求するタイミングを逸してしまった。
いいわ、お腹も空いたから追求は放棄で。
またミリエッタに手伝って貰って、寝間着からドレスに着替える。
これだけ私と積極的に仲良くしてくれているけど、実はミリエッタはモブキャラなのよね。
ゲームでは名前も出てこない
もちろん、私はミリエッタにそんなことをさせる気は毛頭ない。
踊り場で待たせてレアナと接触させなかったのも、そのためよ。
だって、大事な大事なたった一人の親友に、そんなことさせられないでしょう。
もっともミリエッタは私のことを親友以上……の目で見ているみたいだけど。
ともあれ、ミリエッタと連れだって食堂へと向かう。
「今日の夕食は何かしらね。身体が温まるシチューだといいのだけど」
「厨房に行って確認して、シチューがなければ急いで用意させましょうか?」
「ありがとうミリエッタ。でも駄目よ、権力の乱用はよくないわ」
「こんな時こその権力だと思いますけど。エヴァノーラ様はファルテイン公爵家のご令嬢で、殿下のご婚約者なのですから。未来の王妃となる大事なお身体のために、周りが気遣い便宜を図るのは当然だと思いますよ?」
「そうかも知れないけど、駄目よ。権力は使うべき時を
記憶は薄れてきているけど、元日本人的な感覚で、やっぱりちょっと、ね。
それに、権力を持ってそれを振るう怖さを知ってしまったから、ここぞと言うとき以外で使いたくないのよ。
またやらかしたくないし。
何より、そういう我が侭を言わずにきたからこそ、ゲームの悪役令嬢エヴァノーラと私と、周囲の評価が違っていると思うから。
ミリエッタの手を借りて、ゆっくり歩きながら食堂へ入る。
「まあエヴァノーラ様、もう出歩かれても大丈夫なのですか?」
「やっとお熱が下がられたのですね、良かったわ」
「ふふ、皆さんありがとう。もう大丈夫よ」
こんな風に、親しく声をかけてくれて、親切にしてくれる。
我が侭が過ぎて、煙たがられ遠巻きにされていた悪役令嬢エヴァノーラは、どこにもいない。
取り巻きとは全く別の意味で、多くのご令嬢達に周りを囲まれながら、空いている席へと案内される。
なんだかんだで席に座らせられると、ミリエッタは私の分までトレイを取りに行ってくれて、他のご令嬢が気を利かせてお茶を淹れてくれた。
本当は身分や地位に関係なく平等で、自分でしないといけないのに。
「甘やかされていますね、私」
「いいえ、みんなエヴァノーラ様を慕っているのですよ。だから隙あらば、お世話を焼きたいのです」
お茶を淹れてくれたご令嬢が、優しく微笑んでくれる。
「まあ、ありがとう。でも照れてしまうわね」
微笑むと、嬉しそうに微笑みを返してくれた。
本当に、ありがたい話ね。
「お待たせしましたエヴァノーラ様。戴きましょう」
ミリエッタがトレイを運んできてくれて、他のご令嬢達も同席して、みんなで和やかに談笑しながらの夕食になる。
夕食は、子牛肉の小さなステーキ、付け合わせはニンジンのグラッセと
シチューじゃなかったのはちょっと残念。
ステーキはご令嬢向けに本当に小さなサイズだけど、私は半分も食べるのが精一杯。
オニオンスープとアスパラのソテー、酢漬けのサラダはなんとか全部食べて、蒸かしたジャガイモとパンは半分ほど残す。
これでも幼い頃に比べたら、大分食が太くなった方だ。
今の私ですらこれなのに、
それなのに、何かにつけて
「ふぅ……ご馳走様でした」
「ではいつも通り、残りはわたしが戴きますね。残してしまってはもったいないですし、作ってくれた料理人に申し訳ありませんから」
それっぽい言い訳を並べながら、ミリエッタがニコニコ……いえ、ニヤニヤしながら、私のトレイを自分の前に引き寄せて、私が残した分を食べていく。
しかも、私が使っていたナイフとフォークを使って。
その上、お行儀が悪いことに、ジャガイモと一緒にパクリと口に咥えたフォークを、ニヤニヤしながら味わって。
本当に、伯爵令嬢がこの自重のなさ、どこへ向かおうとしているのかしら……。
シチューの代わりに温かいお茶をいつもより多めに飲んで身体を温めて、みんなが食事を終えるのを待って、それから席を立つ。
ミリエッタがまた手を貸してくれて、食堂を出ると階段に向かって……。
弱り顔のレアナが、廊下の別れ道の真ん中でキョロキョロとしていた。
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