3 ヒロインと悪役令嬢の出会いイベント

◆3◆



 本来のレアナヒロインエヴァノーラ悪役令嬢との出会いイベントはこうだ。


『あの、済みません。良かった、誰もいなくて困っていたんです。今日から寮でお世話になります、レアナ・フロウッドです』

『……平民? なぜ学院に平民がいますの?』

『平民ですが、何かいけませんか?』


 遅れて女子寮へ到着したレアナヒロインがたまたま見かけて声をかけたのが、エヴァノーラ悪役令嬢だった。

 しかも平民ってだけで見下されたことで、むっとして言い返してしまう。


『まあ、あなた、エヴァノーラ様になんて口の利き方をなさるの』

『平民の分際で失礼ではありませんこと』


 それを見て取り巻きのご令嬢達が責め立てて、エヴァノーラ悪役令嬢も……。


『当学院に平民が通って良いと言うのは、ただの建前ですわ。それも分からず入学してくるなど、何を勘違いなさっているのかしら。非常に不愉快ですわ』


 と、当然さげすむわけだ。


『このクルーウィック学院では、貴族も平民も身分に関係なく平等だって聞いています。どこの誰か知りませんけど、あなたの言い様は、この学院の精神に反するのではないですか?』


 それに納得出来ないレアナヒロインを標榜して反発。

 エヴァノーラ悪役令嬢も平民が自分に逆らうなんて許せない。


『平民風情が付け上がるんじゃありませんわ。先ほども「ただの建前」と言ったのが聞こえませんでしたの? そんなことも理解出来ないなんて、どこの貧民街の出身かしら。あら、それは随分と山奥からいらしたのね。どうやら山猿に人の言葉は難しすぎたようですわね。では山猿にも分かりやすく簡単に言い直して差し上げますわ。平民風情が目障りですの、さっさと退学して失せなさい!』


 こうして、二人は敵対関係になる、という流れだ。


 でも、これだとただの子供の口喧嘩でしかないのよね。

 そんなイジメなんて無意味でしょう。

 エヴァノーラ悪役令嬢も公爵令嬢なら、貴族らしい実利のある対立をしなくてどうするのって話よ。


「あの、済みません。良かった、誰もいなくて困っていたんです。今日から寮でお世話になります、レアナ・フロウッドです」


 明るくハキハキと元気よく愛くるしい笑顔で、近づく私に気付いたレアナがゲーム通りに声をかけてくる。


 さすが乙女ゲームのヒロイン、すごく、すごく、すごく可愛い……!


 近くで見ると、睫毛が長くてとても綺麗。

 瞳も力強く輝いていて、見つめていると吸い込まれてしまいそう。

 この溢れ出す生命力と言うか、躍動感と言うか、豊かな表情と言うか、それは画面越しには感じられなかったもので、それがレアナの魅力をすごく引き立てている。


 ほんのわずかの間だけど、思わず見とれてしまったことは、さすがにおくびにも出さないけど。

 物心ついてからこの方、ずっと公爵令嬢をやってきたから、ここぞと言うとき本心を顔に出さないくらいはお手の物。


 ただ、こっそり私達の様子を窺っているのか、私の心の内の動きに気付いたのか、後頭部に突き刺さるミリエッタの視線がチクチク痛いけど……。


 それはそれとして。


「見ない顔ね。新入生かしら?」


 ゲームとは違う応対をして、レアナのリアクションを観察する。


 レアナに、エヴァノーラ悪役令嬢の台詞や態度が違う、とか、取り巻きのご令嬢達がいない、とか、ゲームと展開が違うことに戸惑う様子は見られない。

 どうやらレアナは、レアナみたいね。

 だったら、色々面倒だったから助かったわ。


 でも、安心してばかりもいられない。

 基本の流れは大きく変えず、ゲームと展開を少しずつ変えていかないといけないんだから、上手にレアナを誘導しないと。


「あら、あなた平民なのね? 初めて見たわ」


 いかにも珍獣を見たって軽い驚きを口にすると、途端にレアナがむっとする。

 うん、可愛い。


「平民ですが、何かいけませんか?」

「いいえ、当学院は貴族だけでなく、平民にも門戸は開かれています。ですからあなたが平民であろうと入学を許可されているのであれば、私が何かを言うことはありません。ですが、最初ですから一つだけ。卒業までの二年間、平民としての分をわきまえて謙虚に過ごされることをお勧めします」


 途端に、ますますむっとした顔になるレアナ。

 うん、やっぱり可愛い。


「このクルーウィック学院では、貴族も平民も身分に関係なく平等だって聞いています。どこの誰か知りませんけど、あなたの言い様は、この学院の精神に反するのではないですか?」

「あなた、本気で平等などと言う建前を信じているのですか? 貴族と平民の間には、歴然とした身分の差が、生まれと、育ちと、教育による知性と教養の差があります。それも弁えずに、無邪気に平等、平等と建前を信じて振る舞うようなお子様では、苦労しますよ」


 だって平民のあなたと貴族の私とでは住んでいる世界が違うのよ、そう忠告を込めて、いかにも親切心ですって顔で微笑み、煽る。


 もし優しく忠告して素直に『分かりました』と弁えられたら、私が困るから。

 ぶつかり合った結果、現実的な実利を生み出してくれないと。


 それも――貴族社会の常識に凝り固まった学院とそこに通う貴族の子息子女達に、新しい風を呼び込んだ――なんて、ゲームのキャッチコピー通りの、ふわっとした、聞き心地が良いだけのあやふやな何かじゃお話にならないのよ。


「ご忠告ありがとうございます。でもあたしは、この学院の平等の精神を信じていますから。では失礼します」


 捨て台詞を残して、レアナは私の脇を通り過ぎ颯爽と立ち去ろうと足を踏み出して――すぐに弱った顔になって足を止めた。


 自分がどうしていいのか分からず困っていたのを、今思い出したのね。

 この場には私一人しかいないから、ばつが悪そうな上目遣いでチラッと私を見る。


 ……ああもうっ!


 迷子になって遅れてくるところといい、なんて抜けてるの!?

 そういうところが庇護欲をそそるのよ!?

 すっごくお友達になりたいんだけど!?

 先輩のお姉様らしく優しく部屋まで案内した後に、お近づきの印に一緒にお茶をしたくなるじゃない!


 くっ……でも駄目、私は悪役令嬢として対立しないと計画が……!


 それにそんなことをしたら、後で絶対ミリエッタが面倒臭いことになる。

 ええ、面倒臭い彼女みたいに、それはもう面倒臭いことになる。


 だから今は、このくらいの手助けが精一杯。


「寮監の部屋でしたら、そちらの通路の右側一番手前のドアよ。そちらであなたのお部屋がどこか聞くといいでしょう」

「っ……ありがとうございます」

「いいえ、平民を導くのも、貴族の務めですから」


 ふふっと微笑ましいって顔で微笑むと、レアナは目元を赤らめて悔しそうにしながらも、礼儀正しく礼をしてから寮監の部屋へと歩いて行った。


 ふぅ……。


 今の段階で言いたいことは全部言えたから、無事に出会いイベントはこなせたかな。

 すごく何か言いたそうな視線がビシバシ後頭部に当たるから、長居は無用ね。


 引き返して階段を上がり、レアナからはもう見えない踊り場まで上がってきて――


「エヴァノーラ様!?」


 ――気を抜いた瞬間、一気に身体から力が抜けて崩れ落ちてしまう。


 咄嗟にミリエッタが受け止めて支えてくれなかったら、倒れて頭を打っていたかも。


「まあ!? すごく熱が上がってしまっています! ご無理をなさるから!」

「コホッ、コホッ……平気よ……そんなことより、ファーストコンタクトは……コホッ、コホッ……大成功だったわ」

「それこそ、そんなことより、です。さあ、急いでお部屋に戻って休みましょう」


 ミリエッタが腰に手を回して支えてくれるから、熱くて怠い身体を預けるようにして、よろよろと三階の自室へと戻る。

 いくら私が痩せすぎて軽いとはいえ、殿方の助けを借りず、私に肩を貸して歩けるなんて、ミリエッタったらすっかり逞しくなってしまって、ちょっと申し訳ないわね。


 部屋に入ってベッドに腰を下ろすと、早速ミリエッタの手が私の額に触れた。

 その手が冷たくてすごく気持ちいい。


「やっぱりお熱がかなり上がっていますね。お身体が弱いのに無理のしすぎです」


 本当に、ちょっと無理をしすぎてしまったみたい。

 熱で頭がやけにぼうっとするし、身体の怠さも辛い。


「今すぐ新しい濡れタオルとお薬を用意してきます」

「いいえ、少し横になれば平気よ」


 急いで部屋を出て行こうとするミリエッタの手を掴んで止める。

 ミリエッタの手を借りて寝間着に着替えると、すぐにベッドに横になった。


「それほど無理をしてまで、あの平民とお話をされなくてはならなかったのですか?」


 チクチクと視線が痛い。

 言葉にも棘があるわね。


 普段は優しくて頼り甲斐があって、甘えても無理を言っても許してくれるのに、こういうときだけは本当に面倒臭い子になるのよね、ミリエッタって。


「しかも、その……初めは優秀な平民を公爵家で囲い込むために、お側に置こうとされているのかと思いましたが……すごく可愛い子でしたし……ええ本当にすごく可愛い子でしたし」


 大事なことなんで二度言いましたって顔だけど、それ、今関係あるかしら?

 たしかに、すごく可愛かったけど。


「ですが……いつもお優しいエヴァノーラ様らしくないと言いますか、わざと遠回しに喧嘩を売られていましたよね?」

「そう、ね……彼女にはああする必要があったから」


 意味が分からないって顔をするミリエッタ。

 私も説明しようがないから曖昧に微笑む。


「コホッ、コホッ……ごめんなさい、また少し眠るわ」

「いえ、お熱があるところ、余計なお話をして済みません。ゆっくりお休み下さい。夕食の前に様子見がてら起こしに来ますから」

「ええ、お願い」

「ではエヴァノーラ様が眠られるまで、手を握っておいて差し上げますね」


 言うが早いか、布団の中に手を差し入れて私の手を握る。

 ひんやりと冷たい手……ううん、それだけ熱が上がってしまったのね。


「もう子供ではないのよ?」

「熱が高いときは悪夢にうなされやすくなりますから。以前も、こうしてわたしが手を握っていて差し上げたら、悪夢を見ないでぐっすり眠れたとおっしゃっていたでしょう?」

「それこそ、子供の頃の話でしょう?」


 軽く手を引いても、ミリエッタに手を放す気は全然ないみたい。

 本当にもうミリエッタったら……。


「……いいわ、そうして私がよく眠れるように祈っていて。ただし、手を握っている以上のことはしては駄目よ?」

「ええ、もちろんです。どうしてそのようなことを?」


 意味が分からないって顔でキョトンと小首を傾げて……白々しいわね。

 どうして親友相手に貞操の心配をしないといけないのかしら。


「ふぅ……なんでもないわ、お休みなさい」

「はい、お休みなさいエヴァノーラ様」


 私は目を閉じると、すぐに意識が遠くなり眠りに落ちていた。


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