第六話――トガの思い出
「……皆と食べんのか?」
レストランの端っこ、そこで一人寂しく壁に向いてパスタを啜るルシア。その背中に声を掛けた。
「んんっ! ごほっがはっ!」
それに肩を跳ねさせたルシアは大きく咽せる。
「んっ、んぐっ! あ゙あ゙っ、ふう……。もう、トガさん! 後ろから急に話しかけるのやめてよ! 死ぬかと思った……」
喉の調子もようやく一段落といった様子のルシアは、トガへの苦言を呈す。
「ほっほっ。天使が死ぬわけなかろう。その調子なら、皆とも仲良く出来るのではないか?」
「あ〜……、まあ、うん、それがぁ……」
何やら言いづらそうにするルシア。わざとらしく目を逸らす。
「何じゃ、喧嘩でもしたのか? 何でも話してみぃ。ほれ、この通り、年寄りの含蓄はあるつもりじゃ」
そう言ってルシアの前の席に座るトガ。それを聞いたルシアは「実はぁ……」と話し始める。
「私が図書館で人間の書いた物語を読んでたの。そしたらパトラちゃんがやって来たの」
「ほう、パトラとはまた珍しいのう」
パトラ。
ルシアと近い生まれの下級天使。少々高飛車な態度ではあるが、悪い子では無かったはずだ。
「そしたら私の読んでた本を覗き込んで『あら、ルシアさんじゃないですか。何をお読みに……あ、その物語、最後には主人公が仲間に裏切られて死んでしまいますのよね。悲しい物語でしたわ』って物語のオチを言っちゃったんだ! それで私、我慢出来なくって……」
「ほうほうほう、なるほどのう。それはひどい話じゃ。喧嘩になるのも納得じゃ」
「あぁ、いや、喧嘩っていうか……怖がらせちゃったというか……」
ルシアは少しずつ肩を窄めて小さくなってしまう。
「んん? 何じゃ? よっぽどな怒り方をしてしまったのか?」
「うん……その、思いっきり叩いちゃって……パトラちゃんを吹っ飛ばしちゃったんだ……。そのせいで二人とも図書館をしばらく立ち入り禁止になっちゃったの……」
「ほう〜なるほどのう。ルシアは案外武闘派なところがあるんじゃなあ。長閑な図書館で突然天使が吹っ飛ぶんじゃから、わしなら腰が抜けるわい」
トガは穏やかに髭を撫でた。だが考えてみれば、ルシアは滅多に怒らない。溜め込んだものが一気に噴き出してしまうタイプだ。今回の件はまさにそれだ。
「そうじゃなあ。ルシアは謝るべきじゃと思うのか?」
トガは少し声を大きくして言った。少し不思議に思うルシアは、しかしすぐに問いに答える。
「もちろん! 私だって、やりすぎちゃった自分にびっくりしたんだもん……。それに、パトラちゃんだって悪気があった訳じゃないと思うんだ」
「うむ、それならあとは二人で話すしかないな。のう! パトラや!」
トガの言葉に一瞬はてなの浮かぶルシア。しかしハッとし、振り返る。
「は、はい……。私が悪かったのですし……」
そこにいたのはパトラ。ルシアの怒りをその身に受け宙を舞い、昼時の長閑な図書館を天使の修復機能によって光り輝かせた下級天使だ。
「パ、パトラちゃん!? もしかして、聞いてた……?」
「全部じゃないけど、途中から……。あの、図書館では、ごめんなさい。ルシアさんが私の好きな物語を読んでたから、つい、嬉しくって……」
「う、ううん! こっちこそ、その、叩いて光らせて出禁にしちゃってごめんね? 私も、ついカッとなっちゃって……」
「い、いえ、私こそ……」
「……ふむ、初めて聞く謝り文句じゃな」
「ふっ、ふふ」
トガの一言コメントにパトラがクスクスと笑う。
「ふふ、あはははっ」
それにつられてルシアも笑う。トガは二人の笑いを朗らかに聞いていた。
「……ていうか、パトラちゃんもあの物語好きなんだね、意外だな」
「あら、ルシアさんこそあの物語に手を出すなんて、なかなかわからっしゃいますわね」
既に向かい合って話している二人。
「あ、いつものパトラちゃんに戻った! やっぱりそっちの方がいいや」
「な、何のことかしら? ワタクシはずっとこうでしたけれど? そんなことより、よろしければワタクシと一緒に食べませんこと?」
「……っ! うん! 食べよ! でも、もうネタバラシは無しだよ?」
「このパトラ、同じ過ちはくりかえさなくてよ!」
既にその二人の間にトガの入る隙は無かった。
「そうだ、パトラちゃんのこと、パトラって呼んでいい? せっかく仲良くなれたし……ダメ?」
「な、仲良く……! え、ええ! よろしくってよ! それならワタクシも、あなたのことはルシアと、そう呼ばせていただきますわ!」
「うん! これからよろしくね! パトラ!」
「ええ、ルシア!」
手を握るルシアに頬を染めるパトラ。既に親友と呼べる二人であった。
* * *
その日は静かな朝だった。奴らが来るまでは。
朝、トガは揺り椅子に腰掛け、優雅にお茶を飲んでいた。
「今日はぁ〜、いい朝じゃなあ〜」
その日は珍しく、天使からの仕事の報告が無い予定の日だった。そういう予定の日だったのだ。だからトガも珍しく、前日の夜には自宅で食事を終えて入浴後就寝し、日が昇る頃に起きた。誰かが扉を叩く音で起こされる訳でもなく、自ら気持ちよく起きた、紛れも無くリラックス出来る気持ちのいい朝……だったのだ……。
――バンバンバン!!
その音は家中に響き渡る轟音だった。いつでも不測の事態に対応出来るように、天使長の家は扉を叩く音が家中に響くように設計される。拒否権は無い。
そして――、
「トおぉぉおガあぁぁぁあさああああん!!」
そのけたたましい叫びは、紛れもなくよく知る天使の声だった。というか、紛れもなくルシアの声だ。そして紛れもなく面倒を持ち込む時の声色だ。トガには分かる。孫のように可愛がっている天使なのだから。そして、だからこそ、トガは扉を開けてしまう。そこにいたのは――、
「んな朝に呼んでもあのジジイが起きてる訳が……うおお! ホントに開きやがった」
「ね、言ったでしょ? 僕が呼んだら開けてくれるんだよ。おはようございます、トガさん!」
いつにもまして元気なルシア。そして気怠げな目の少年。悪魔と呼ばれる天使がそこにいた。
「……まさか、フーガにバディが出来るとはな。しかもそれがルシアとはまた……、正反対にも見えるが」
三人は客間にて茶を飲み交わしていた。
ルシアの連れて来た天使は、眠ったまま生まれ、その体の特徴から悪魔と呼ばれる天使だった。
フーガが生まれる時、トガもその場で見届けていた。光の渦から次々と生まれる天使達の中、ただ一人立ち上がることもなく倒れたままの天使。黒い斑点模様の痩せ細った体は、不測の事態に備える中級天使達さえも忌避する程に異様であった。トガはその天使を抱え、自宅まで運び介抱した。その天使は目を覚ましてから数日間は一言も喋らなかった。トガはその天使に、他の天使が習うのと同じことを教えた。ある日その天使は「じゃあな、ジジイ」と初めての言葉を発し、窓から飛び出していった。
「あれ以来、噂だけが耳に入ってくるもんじゃから気にしておったが、落ち着いてくれたようで安心したわい」
「まさかフーガもトガさんの世話になってたなんて、なんかすごい偶然だね……!」
「いや、色んな天使の面倒見てんだから可能性は全然あんだろ」
キラキラと目を輝かせるルシア。それにツッコミを入れるフーガ。デコボコなりにいいコンビなのかもしれない。
「心残りの二人もバディが決まったことじゃし、ようやくわしも落ち着いて仕事が出来るわい」
「つーかジジイ、まだ俺のこと覚えてたのかよ」
「ちょ、フーガ! ジジイなんて失礼だよ!」
「ええわいええわい、実際ジジイじゃ。それに、お前のような手のかかる悪ガキなんぞ、忘れる方が難しいってもんじゃわい」
「ふふ、それならちょっと分かるかも!」
フーガは手のかかる天使だった。笑うルシアもあまり変わらないのだが。しかし、手のかかる子ほど可愛いとは言うもので。
「あ、そういやあ、またあれ焼いてくれよ。パリパリのやつ。よく食わせてくれてたろ?」
「ああ、あれ! 僕も大好きなんだよね、トガさんの焼くあれ!」
可愛い二人の頼みあらば、トガは休日返上も厭わないのだ。
「ふむ、よかろう。二人のために焼いてやろう。わし特製の煎餅を!」
トガは煎餅を焼くのが得意だった。
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