第四話――悪魔の生まれた日



「――静寂が煩くて」


 グラスを叩きつけた。割とイケてるグラスだった。壁に投げつけた。破片がまあまあ飛び散った。少し頬に刺さった。痛い。しかし叩きつけたとは言わないかもしれない。投げたから。でも気持ち的には叩きつけたつもりだ。遠距離攻撃だ。だから叩きつけたと言いたい。休日にまあまあ人通りの多い大通りにある人気の少ない店で一目惚れして買った。あの通りはだいぶ騒がしかった。煩くは無かった。店の中は静寂で、煩かった。


「静寂が煩いんだ」


 皿を叩きつけた。割とサラッとしたデザインの皿だ。皿だけにね。という駄洒落を皿を見るたびに思い浮かべた思い出が蘇る。笑ったのは僕だけだった。この素っ気ないデザインも好きだった。休日にまあまあ人通りの多い大通りにある人気の少ない店で一目惚れ。というかグラスを買った店で一緒に買った。今度はちゃんと叩きつけた。部屋にある木製の机に叩きつけた。皿は意外と丈夫だった。切り取るのを失敗したピザくらいにしか割れていなかった。しかも木製の机は案外弾力があったみたいで、反動が右の手首に来た。頬の次は手首が痛い。きっと後からもっと痛くなるタイプの怪我だ。後悔するだろうな。


「静寂が煩いんだよ」


 これは独り言だ。そして言い訳だ。ずっとやってきた事だ。僕が僕である為に、僕は僕に言い訳をする。


「静寂が煩い」


 どうしようも無くて、仕方が無かった。僕はお前になんて言えばいいかな。


「煩い」


 そうだな。「ごめんなさい」って言えばいいかな。いや、それじゃ足りないだろうな。


「黙れ」


 土下座なんかで足りるのかな。僕は頭がわるいからな。許してもらえないだろうな。


「黙れって言ってるんだ」


 黙らないよ。君には言い訳が必要だろう?


「静寂の中でしかお前は現れない。だから静寂が嫌いなんだ」


 皿とグラスが勿体無いな。お気に入りだったのに。


「お前が割ったんだ」


 そろそろ認めていいんじゃないか?


「やめろ。喋るな。それ以上何もするな」


 全部君だ。


「全部お前だろ」


 全部僕だけど、全部君さ。


「もう黙っていてくれ」


 そうだね。もう寝るといい。そうしてくれた方が僕も楽だ。


 目を瞑る。君は吸い込まれる様に眠る。君はまだ逃げている。言い訳を続けている。もう疲れただろう。でも気付いていない。君は馬鹿だから。



 * * *



 気がつくと、俺はそこに居た。ただ見ていた。見ることしか出来なかった。知らない記憶だ。だが胸が締め付けられる思いだ。なんとなく、しかし確かに、俺はこの男が嫌いだ。理由は分からないが、一目見た時からこいつは嫌いだと思った。ただ見ることしか出来ない映像のようなものに文句をつけていると、場面が変わった。



 * * *



「なあ、人の命を奪った罪ってさあ、どうやったら償えると思う?」


 目の前の彼は驚く程フランクで、その調子に似つかわしくない言葉を口にする。


「知るかよ、そんなの」


 俺の返事は極めて淡白なものだった。それもそうだ。なんせこの男は、どういう訳か意識の無い俺を攫ってこの場所で椅子に縛り付けた男なんだから。そうで無いにしろ、起き抜け一発目、しばらく無言でいた男にいきなりそんなことを聞かれて、スラスラと答えられる人間がいるとも思えない。


「はあ……あのさあ? 僕は今、退屈してる。君という人間が一緒にいながら、どうして、五分もの間、君と会話の一つもせず黙していたと思う? それはね、考えていたんだよ。何をって? そりゃあ、君との会話実にエキサイトかつうスリリングで文学的なやり取りに出来る画期的な話題というやつをだよ。そうして導き出した僕の答えに対して、君は今とてつもなく残酷な返答をした。『知るかよ、そんなの』じゃ無いんだよ! どういうことか分かるか? 君は! 今! 僕の努力やら気遣いやた労力やらを無駄にした。僕の徒労を生み出してしまった。なあ、どうしてくれる! 返せよ!僕のシナプス! 僕の時間!」


 一人で勝手に盛り上がるな。出来てるじゃないか。エキサイトでスリリング。


「まあなんだ。端的に言うと『暇だからなんか話そうよ』ということだよ。これは質問や尋問の類ではない。会話だ。もっと言えば雑談だ。建設的な意見が聞きたい訳ではない。僕は今有り余る退屈に抗うべく、君との共同戦線を張ろうと言うのだ。だから、分からないは禁止だよ。分からないにしても何か適当な戯言でもいい。ほら、何か言ってみろ。流石の君も猿では無いのだ。十数年生きてきた人間なのだから、何も返せないとは言うまいな?」


「猿って……」


 今度は突然落ち着き払ってこちらを諭すような物言いだ。なんだこいつは。怖い。こういう人間は信用してはいけない。お母さんが言っていた。ような気がする。


「罪を償うんなら、法で定められた刑罰をちゃんと受ければいいだろ」


「つまらない人間がつまらないことを言っているな。それは他者を納得させる為、ないしは犯罪の抑止力としての建前に過ぎない。本当にそれで罪を償ったと言えるのか?」


「何が言いたい」


「ここで重要なことが一つある。それはね、罪の在処だ」


「罪の在処?」


「馬鹿みたいな復唱ありがとう。そう、罪の在処。果たして、罪は何処で生まれ、何処で消えるものなのか。考えたことはあるか?」


「いちいちお前は一言多いな。それにそんなこと知らねぇよ。法を犯したら罪が生まれる。これ以上他に何があるんだ」


「馬鹿だな君は。罪はね、心だよ。そしてそれは悪というものにも繋がる。心に罪が生まれる行為があくの所以だよ。ほら、言うだろう? 罪悪感って。罪悪感を孕む心はつまり罪が住んでいるのさ。罪を背負う行為、即ち悪行。罪とは、あくを為した者の心に背負わされる枷のようなものだ。その枷は君の言う刑罰を終えた程度で本当に外れるものなのか? 罪は何処で消える? 罪はどうやったら償える? 償おうなんて考えること自体が恥知らずだとは思わないのか? 傲慢だとは思わないのか? 許しは乞うものじゃないだろう?」


「……質問が多いんだよ。お前は、どうやったら償えると思うんだ?」


「おおっとすまない。君の頭では処理し切れなかったか。だけど頑張って着いて来てくれ。馬鹿の為に留まる気は無い。罪の償い方はね、罪の対象に向けて誠実に己の背負った罪を示すんだよ。それを最も簡易的にした行為が謝罪だね。ごめんなさいって頭を下げることだ。そこから先はその存在次第。幾ら謝っても、どれだけ誠実に行動で示したとしても許されないこともある。まあそれは仕方ないね。それだけその罪が重かったんだ。それを自覚できずに示し切れないそいつが馬鹿なだけさ。しかしまあ、この世には悪を為しても悪びれない嫌〜な奴もいる。そいつは罪を背負わないのかって? そんなことは無いさ。そいつらも罪を背負う。ただ、さっきも言ったように自覚出来ていないだけさ。馬鹿な方が生きやすいって言われるように、罪に気付かないほどの馬鹿の方が生きやすいってのもあながち間違いではないのかも知れないね」


 こいつは一人でペラペラとよく喋る。ただ、これでは会話になっていない。


「お前が色々考えて生きているのは分かったよ。ところでよぉ、お前は会話がしたいんだよな? これじゃただの説法だ」


「はあ……君はこれ以上どうしたらその足りない頭を回すことが出来るんだ? 君はまだ気付いていないのか? 本当に? 君は本当にそこまで馬鹿なのか?」


 こいつはどれだけ俺を馬鹿にすれば気が済むんだ。今の彼は既に最初のフランクさを欠片も残さない、石のような表情だった。


「なんだよ、人のこと馬鹿にしやがって」


 すると彼は悲しそうな表情を作り、肩を竦めて更に言う。


「ああ、話に聞く馬鹿とは君のことだったか。確かに君ならあるいはって感じだね。どうだい、この世界は。さぞかし生きやすいだろうな? 君にはどんなお花畑に見えているのかな?」


「……まるで、俺が背負った罪に気付かない馬鹿って言いたそうな顔だ。どういうことだ? 俺は罪を背負った覚えは無い」


「あっはっはっは! ようやく気付いた! と思ったらまだ分からないって? なぁんて愉快な奴だ!面白すぎるだろうが! ……え? あれ? あれれれれ? もしかして君はまだ、僕が君との雑談を楽しみたいだけの純情純朴エロゲ主人公だとでも思っているのかい? だとしたら君は幸か不幸かピュアな馬鹿なのだな。もっと人を疑った方がいいだろう。手始めに僕で練習するといいよ。僕の発言を思い返して。ハイ、三、二、一、さあ答え合わせだ。僕の吐いた嘘はね、退屈だってことさ。なんてったって、目の前にこんな馬鹿がいるんだ。そんなに罪を背負いながらそれを知りもせずにのうのうと僕に悪態をつく馬鹿がね!」


「お前、いい加減にしろよ。何がしたいんだ」


「あっはー! なんてことだいなんてことだい! おめでとう、君を天然記念物に認定してあげよう! こんな知能でこの歳まで生きられたなんて、君はなんて運のいい奴なんだ! はーっはっはっは! ……なぁんて言っては見るものの、君が罪を自覚しなければこの話はいつまで経っても平行線のままだ。さて、今から君に退屈な話をしよう。ああ、いや、この退屈というのは嘘では無い。なんせ罪の独白を、罪を背負う本人にするなんて冗談でもつまらないだろ? ああ、早く終わらせてしまおう。そう、あれは満月の夜だった」


 そこから、彼の言葉は言葉にならず、音にすらなっていなかった。しかし頭に流れ込むのを感じる。と言うより、在るべきものが在るべき場所へ帰って行くような――。

 動くだけの彼の口元をみながら、感じていた。急そくに世界から引き剥がされていく感覚を。世界僕を拒絶にも似た暴力で遠ざける。そうして世界を抜け出た先で、僕の左頬は重みを感じていた。


 ――なんてね。



 * * *



 男が二人いた。片方は先程の男。しかしもう片方はよく見えない。というより、認識が出来ない。ただ嫌味な奴だ。でも、先に見た映像の男よりは嫌いと思わなかった。それでも嫌いは嫌いだ。嫌味な男は時折こちらをみているような気がした。また場面が変わる。



 * * *



「今日は……空気が重いな」


 目が覚めたのは自宅の居室だった。


 僕は四人がけの机に向かい、椅子の背もたれにもたれ、肘掛けに左の肘を立て、その手に顔をもたげさせて座っていた。

 机には割れた皿とその破片が置かれていた。そして暗い。部屋の電気が着いていない。日の光も無い。そうか、今は夜なんだ。やけに疲れを感じる。何をしていたんだっけな。どのくらい寝ていたんだろうか。もういつ寝たのかも覚えていない。ただ、肩の居心地が悪い感覚がある。軽く肩を回しコキコキと音を立てる。腰もだな。腰も同じように捻って骨を鳴らす。うん、少しスッキリした。体に限っては、だが。

 あいも変わらず部屋は暗いままだ。しかし部屋の明かりを点ける気にはならないかった。心が暗い時は、明るい場所は居心地が悪く感じるものだ。単純に自分の生来の性分なだけかもしれないけど。


「――いつまで目を背けるんだ」


 その声は唐突に響いてきた。何処からかは分からない。しかし聞き覚えのある声だ。お前か? お前なのか? でも、お前はもう――、


「――いつまで目を背けるんだ」


 再び響いたその声は、一度目と同じ文言で、またしても僕の耳朶を静かに、しかし強く打つ。それと同時に気付く。

 ああ、なんだ、僕だ。僕の声だ。僕が、僕に訴えかけている。


「目を逸らすな、背けるな。おい天然記念物。いつまで馬鹿で居続けるつもりだ? お前は分かっているはずだ。一番分かっているはずだ。自分が何をしでかしたのか。なあ、記憶に蓋をするのは止めろよ。もう取り返しはつかないはずだ。いつまで善人面して生きているんだ? もうお前は超えてしまったんだよ。超えちゃいけない一線を」


 これでもかと僕は僕を捲し立てる。流れるように単調に。しかし、分かる。これは怒りの濁流だ。どうして、なんて言い訳をするつもりも無い。そうだよな、お前の言う通りだ。目を背けていても、どうせすぐに気付かざるを得ないよな。そろそろ向き合おうか。

 そう決めた僕は、手首の痛みに気付く。いつからだったろうか、目を手のひらで覆い、椅子の上で蹲っていた。腕を下ろすことで視界を確保し、椅子から足を降ろす。立ち上がる。そうして振り返り、歩き、戸を開け、庭へ出る。そうして目を向けた先にあるのは――、


 井戸だ。それに向き合った瞬間、空気が重くなったのを感じた。ああ、億劫だな。それの前に立つだけで、僕の心は激しく暴れ出しそうになる。その衝動を億劫と表現する事で押さえ付けた。僕は別段、井戸恐怖症という訳では無い。ただ、僕の衝動の理由は、井戸と向き合っているからでは無い。その中身と向き合っているからだ。


 意を決した。井戸の蓋を開く。


 中の物に目を向ける。いや、合わせる。


 それは確かに、しかし虚に、僕を見ていた。


 ああ、お前はやはり――。


 そこにあったのは、人間の生首。


 僕が殺した、僕の親友だ。



 * * *



 男は一人で何やら喋っていた。見れば見るほど馬鹿のように思えてくる。そして男の居た部屋は、家は酷く懐かしく感じる。井戸の底にある物も、見る前から知っていた。この男の罪を俺は知っていた。この男が誰なのか、俺は知っていた。俺の理解がそれを拒んだ。そこまで思考した時、抗えない力に引かれるのを感じた。世界が俺を追い出そうとしているのだとわかった。抗うつもりも無く身を任せようとしたその時、男が何かに気付いた様子で振り返る。世界から弾かれる寸前、それを見た。男の後ろに立っていたのは、死神――。



 * * *



 ――。


 ――……。


 ……あれ、俺、どうしたんだっけ。記憶が曖昧な感じがする。というか、さみぃな。それに暗い。ん? ああ、そうか瞼を閉じたままだ。とにかく、ここが何処なのか――。


「……はあ? なんだ、これ」


 おもったい瞼をこじ開けた。

 そこに広がるのは日が登ろうする空。橙の滲む朝焼け。そんな中に立ち尽くしていた。だがそれは今の彼にはなんら案ずるに値しないものだった。


「ここは……俺ん家……な訳ねぇもんなぁ……」


 相当大きな建造物であったろう瓦礫が、そこら一面に雑多に積み重なっている。恐らく崩れてそのまま。その瓦礫の中では鳥が二羽、折り重なるように潰されている。ここに住んでいたつがいだろうか。見覚えの無い鳥の死骸や建造物の瓦礫なんて何の感慨も湧かない。しかしどうしたことだろう。この胸の訴えかけてくるような痛みは。

 見渡す限りの瓦礫の中に人影を見つける。


「……んお、誰かいるなぁ」


 瓦礫の隙間から上半身を投げ出すようにして倒れる天使。瓦礫に挟まり動けない様子だ。……待てよ? 瓦礫の下に誰かいるってことは、ここはつい最近まで立派な建物だったってことか? とにかく、あいつを助けて話を聞くしかねぇな。

 そう思い、歩き出そうとした時、重みのある何かを蹴った。それと同時に、自らが何かを抱えていることに気付いた。それが何であるのか。彼は未だ気付いていない。だが胸の早鐘は危険信号を報せている。「見てはいけない」と本能が訴えかけている。しかしそれは矮小な好奇心だったのかもしれない。ただそれを見ずにはいられなかった。


「はあ?」


 目を合わせたのは親友の首。


「おい、起きろよぉ」


 そして彼は背負う。


「ルシアぁあ゙……!」


 償いようの無い罪を。



 * * *



 歩いた。ひたすら歩き続けた。足が棒のようになるまで歩いた。それでも歩いた。それを抱えたまま歩いた。宝物のように抱えて歩いた。夢のことを考えていた。押入れの向こうにあった首を思い出す。まさに今の自分だと思った。どんな道を歩いていたかは分からない。何度か天使とすれ違ったと思う。しかし声をかけてくる者はいなかった。だからきっと妄想か幻覚だったのだと思う。もう声は出なかった。出なくなるほどに声を上げ続けたのだと思う。泣いていたかも分からない。だが頬の引き攣る感覚を思うに、枯れるほど泣いていたのだと思う。視界も朧げだ。明るかった景色が、少しずつ暗がりになって、黒くなって、もうほとんど見えなくなった。そして歩き続ければ当然来る限界にも気付かなかった。限界を越えるつもりも無く越えたその瞬間、さして凹凸も無いはずの地面に爪先を取られて転んだ。この日初めて歩みを止めたそこは大穴の空く草原。一枚の板が立つ小高い丘。そこは確かに、二人で過ごした二人の『家』だった。


「ルシアぁ……」


 名前を呼んだ。ここにいる時は必ずと言っていいほど隣にいた者の名前。今なお抱える親友の名前。ここでなら返事があるような気がした。しかし抱えるそれから返事が返ってくることは無かった。


 夜空を見上げていた。バディを組んだ日もこんな夜空だった。オリオン座という星座を教えた。「強くなれ」と言った。それ以来ルシアは何のつもりか一人称を変えた。あの頃に戻れれば、何かが変わるんじゃないかと思ってみる。「らしくねぇや」という音が喉を掠る。


 そんな時だった。


「――めっちゃお前らしいじゃん」


 その声の方に顔を向ける。少し離れた場所。そこに座り込むのは黒い影。死神は夜空を見上げていた。


「……なんだよおめぇ。また来たのかよ。


 ああ、なんだ、また死神か。もう興味を示す為の気力が無い。興味も無い。死神から視線を外し、また夜空を見上げる。


 それに面食らったのか、死神は口を開いた。


「やっぱりお前はつれないな。天界に死神が現れるなんて一大事なんだぜ?」


「らしいな。そんならきっと、天界に悪魔がいるってのも一大事だろうぜ」


「はあ? あくまぁ?」


「俺は悪魔みてぇだってずっと言われてきた。それが思いの外当たってたみてぇでな」


 フーガを照らす光は既に失われている。抱えるルシアを持ち上げ、その顔を覗く。


 ああ、泣き跡がこんなに。苦しかったのだろうか。そんなに酷い最後だったのだろうか。手に掛かる髪の毛が少しくすぐったい。そんな髪の毛を指で梳いてみる。……ルシアって案外、髪の毛サラサラなんだな……。


「……お前、今結構キモいぞ?」


 そんな声に打たれ死神を見ると、この上なく引き攣った表情でこちらを見ていた。そういえば、レストランで初めて会った時のルシアもそんな表情をしていた。何かが頬を伝う感触にくすぐったさを覚える。まだ枯れていなかったのか。夜空を見上げる間に再充填が済んだのか。


「へへへ、ほんっとうだなあ。俺、きめぇなぁ」


「うっわあ……」


 死神の表情は更に引き攣る。流石にルシアもそこまでじゃなかった。そしてようやく、フーガは今更な疑問に至る。


「……んあ、そういやぁおめぇ、何しに来やがった」


「おっそ……何回殺せたか分かんないぞ……」


「んだよ、殺しに来たんならとっととやっちまえよ。もういいんだぁ、どうでもよぉ」


 そうだ、こいつの狙いが俺なら、このままやられちまえばいいじゃねぇか。それが、せめてもの償いに――。


「いいや? 殺すだなんてとんでもない」


 その願いは素っ気無く打ち払われた。


「……んじゃあなんだよ。わざわざ境界を超えてまでベラベラお喋りしに来やがったのかよ」


 死神の考えることは全く分からない。


「まあ、言っちまえばそうだな」


 まさかの正解だった。


「は? 俺らぁいつからそんな親友になっちまったんだぁ?」


「……死神の神格オルケノアを裏切ってここに来た。それに実は俺、死神じゃないんだ」


「はあ!? おま、なんで! いや、訳わかんねぇぞ……!」


 フーガは弾かれたように死神を――彼を見た。唐突に打ち明けられたそれは、到底受け止められない言葉。動揺し、咄嗟に身を起こす。


「そもそもおめぇが死神じゃねぇってどういう――「まあ聞けよ。黙ってさ」


 彼の牽制にフーガは唖然。立ち上がる彼を見上げるしか出来ない。


「お前は天使の神格ルルティアの神殿を破壊し、そこにいたルルティアの依代と配下二人、そしてお母さ……その、抱き抱えている天使を殺した」


 彼はこちらへ歩み寄る。


「正直言って、お前は天界に居て良い存在じゃない。そして俺ももう、終界に居て良い訳が無い」


 彼はその鎌を肩に担ぎ、未だ立ち上がれずにいるフーガの傍に立つ。


「俺らは今、死神でも天使でも居られない半端者だ」


 フーガの喉元に鎌が突き付けられる。しかしそんなことに気を向ける隙は無かった。


「なあ……なんていうか、こういうの、言いづらいんだけどさ」


 言いづらそうにする彼は、どこか重なる風景を呼び起こす。

 そうか、懐かしいな。確かあの日も、こんな――、


「……バディって言うの? 俺と組まないか?」


 その提案は恐る恐る。


「んー……。ん? ……はあ!?」


 その反応は驚天動地。


「お前は、一体……」


 もう後戻りは許されない。


「言ったろ、半端者って」


 光を失った天使は、その言葉を向けられた。


「だからお前を誘いに来た」


 風がその言葉を届けるように吹き去った。

 天使はその誘惑に魅入られる。


「俺の名はディラン」


 彼の背後で星々が燦めく。まるでこの出会いを喝采するように。二人に願いを乗せるように。


「俺とお前で、悪魔になるんだ」


 その中で一際強く燦めく星が見えた気がした。それが歓喜か嘆きかは分からない。ただ彼は、そんな星空に指を差し向け、嘲笑うようにして言ったのだ。


「こんな世界――ぶっ壊してやろうぜ」


 ――そんな誓いなど露知らず、遥か無数の喝采が、悪魔の誕生を祝福するのだった。



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