第三話――僕らは夢を視る



「ねえフーガ〜」


「ああ? あんだあ〜?」


「太陽って、こうやって浴びるといいもんだね〜」


「だなあ〜。お天道様をこんなゆっくり浴びんのは〜、初めてかも知んねえなあ〜」


 ルルティア様は、ペテロア様とチェルヨナ様を訪ねる為に天界を離れた。ルルティア様が自ら動くというのも大分思い切った対応だが、死神が天界に足を踏み入れるのは世界が始まって以来の出来事のようで、これがまた結構な一大事。それだけの事態だということだと、ベルにくどくどと説明された。

 そして僕らはといえば、神殿にてルルティア様の帰りを待つ日々が続いていた。基本的にベルとハガは、神殿内での雑事やポチの世話が主だった仕事らしい。魂の回収は行なっていないという。

 ポチというのは、僕らが散々撫で回した犬のことで、実はルルティア様が自ら創り出した依代であるらしい。ルルティア様が憑依している時は人懐っこく、尻尾も忙しないが、普段は大人しい無愛想な犬だ。そして天使同様、死ぬことも無い。死神に出会わない限りは。


 そんなこんなでルルティア様の帰りを待つ日々の中、僕らはとてつもなくまったりしていた。


「あ、フーガ〜あそこ見てよ〜。鳥が二羽飛んでるよ〜。つがいかなあ〜」


「こんなきれぇな空ぁ二羽で独占ってえ、どんだけ幸せもんだよなあ〜」


「僕らもいつか飛べるかなあ〜」


「中級になれりゃな〜。お前ならその内飛べんじゃねぇか〜?」


「あ〜、フーガの隣の花、てんとう虫が飛びそうだよ〜」


「んあ〜? おーおーうまく飛べよな〜。俺の顔に乗ったらあ、喰っちまうからなあ〜」


「フーガ〜物騒だよ〜」


「そうだな〜、わりぃなあ〜」


「あはは〜」


「へへへ〜」


「おい、いつまでもグダグダいちゃついてねえで、仕事の手伝いでもしてくれたらどうだ?」


 庭で寝っ転がり、空やら花やら見ていた僕らを見下ろす影。ベルだ。彼はこの数日ずっと、普段の雑事に加えて僕らの世話までしてくれている。「ほとんど僕らの家政婦みたいなものだ」


「誰が家政婦だ」


「あいたっ」


 声に出てしまった。ベルの鋭いツッコミがおでこに刺さる。

 まったりしすぎて頭がパーにになってしまったかも知れない。


「おいおい、これ以上うちのルシアが頭パーになっちまったらどうしてくれんだよ」


 すると隣からフーガの援護射撃が飛ぶ。いや、援護射撃なのか? これ……。


「それだとお前のバディ元から頭パーだけどそれでいいのかよ……」


 なぜか喝を入れにきたはずのベルが僕を擁護する形になってしまった。だけど、僕らもここに置いてもらっている身だ。なんなら死神から守ってもらっている立場でもある。フーガの様子見も兼ね、しばらくはお手伝いも避けていたが、そろそろいいだろう。体も鈍ってきたところだし、いっちょやってやりますか。人間の間では働かざる者食うべからずなんて言うらしいし。


「んっしょ。そうだね、そろそろ、僕らもお手伝いしないとだよね」


 ルシアはすっくと立ち上がり伸びをすると、今度はフーガの腕を引く。


「フーガー、起きてー。そろそろ僕らも働こうよー」


「んあ〜、ルシアまでやる気になっちまったらもうダラダラ出来ねぇじゃねえかよお……っとと」


 フーガもやれやれといった様子で立ち上がる。しかし立ち眩んだのか、フーガは少しよろけた。わりと長時間寝転がっていたから、そういうこともある。


「ま、流石にダラつきすぎたかもしんねぇなあ。そろそろやっかあ」


 フーガはそう言って、ゆるりと肩を回し、コキコキと音を立てる。腰も捻って骨を鳴らした。天使にも人間臭いところはあるものだ。


「じゃあとりあえず、何からやってもらうかな……。あ、そうだ。取り敢えずお前らの部屋周辺の掃除からやってくれよ。教えるから着いて来てくれ」


 そう言って歩き出すベルに僕らも付いて歩き出す。



 * * *



 きゅっ

「ねえ、フーガの中の奴、あれからなんか言ってきた?」


 きゅきゅっ

「あー、あれ以来出てこねぇなあ。ルルティアさんはしばらく眠ってるっつってたけんど、なんでわかんだろうなあ」


 きゅっきゅきゅっきゅ


「そりゃあ……神格っていうくらいだし、なんか感じ取れたりするんじゃないの?」


 じゃじゃー

「ルシアってよお、きっちりしてる感出してるけんど、まあまあな頻度で適当ってーか頭緩くなるよな」


 ぎゅっぎゅっ

「ええ、ひどいなあ。ここぞという時に頑張るんだよ? ずっとは疲れちゃうからね」


 ばさっばさっ

「そんならぱぱっとここの掃除も終わらせちまおうぜ。俺も手伝うからよお」


「もう、手伝うんじゃなくて一緒にやるんでしょ! 僕らおんなじところ担当なんだから。次はお風呂場の掃除だったよね、早く行こ」


 この神殿に滞在してから五日目の朝、僕らはベルに教えてもらった仕事をこなしていた。関係無い雑談もあるが、ちゃんと手は動かしているので無問題。ポチは鬱陶しそうな目で見てくるが、あまり気にしない。それにしても、ルルティア様の憑依している状態とは全く印象が変わる。これもこれで可愛いけど、ポチは近づいたら噛まれそう。撫でられないのが悔やまれるところ。


 お風呂場へ向かう途中、香ばしい香りが鼻腔を刺激した。通りがかったのは、ベルとハガが朝食を調理しているであろう厨房だ。中からはいい匂いと共にトントンしゃきしゃきと聞こえてくる。

 覗き込むとこちらに気付いたベルが「おう、ルシア」と手をあげる。


「これから風呂掃除か。終わったら食卓に来い。朝飯だ」


「はーい、美味しそうな匂い!」


「いつにもましていい匂いすんなあ。新作かあ?」


 厨房ではベルが鍋に向かい、長いお玉のようなもので中身をグルグルとかき混ぜている。更にその奥では、ハガが目にも止まらぬ手捌きで食材を捌いている。包丁二本持ちだ。ホント、この二人は何でも出来るな。


「いいところに気付いたな。今日は二人の好みに合わせた新しい味付けを試してる。楽しみにしとけよ」


「本当に? 楽しみ!」


「おいおいマジかよ……!」


 本当によく出来た家政婦さんだ。こうなっては急がなくてはならない。居ても立っても居られなくなった僕らは走り出した。


「お風呂掃除ぱぱっとやってくるね!」


「ちょ、おい! 手抜いたら飯抜きだからなー!?」


「わかってるよー!」


「余裕だぜこの野郎!」


 * * *


 神殿のお風呂場は広い。お風呂場というより浴場ぐらいの感覚だ。入って体を洗う空間を通り過ぎると、床をくり抜いたような浴槽が目に入る。浴槽は軽く泳げるくらいの広さだが、ベル達やポチが入るには十分過ぎるし、そもそもルルティア様は入らない。権威とか見栄とか、そんな理由百パーの建築なのだ。しかしそれでも、トガさん家のお風呂を借りてる僕らからすればそれより一回りあるくらいの大きさで、天使長クラスのサイズ感というのも、考えてみれば庶民的なのかも知れない。あれ、結局どうなんだ? わからなくなってきた。


 お風呂場の掃除はフーガと僕で担当を分けている。浴槽の中をフーガ、外を僕。そして早く終わったほうがもう片方を手伝うといった感じだ。一昨日ベルに教えてもらってから三日目の浅い連携である。


「俺らってよお、こうやってベルとハガの手伝いしながらルルティア様の帰りを待ってるわけだろ?」


 掃除の最中、大抵どちらからともなく会話が始まる。今回はフーガからだ。


「そうだね」


「もう五日目になるけんどよ、いつになりゃ帰ってくんだろうなあ。こんままじゃあ、ベルとハガのお手伝いさんとして一人前になっちまうぜ」


 ルルティア様はどのくらいで帰ってくるのかは教えてくれなかった。確かに時間にかんしては気になる。神格の時間感覚がどんなものかわからないけれど、まさかこれから気の遠くなるような時間はかからないと思いたい。流石の天使も神格レベルの感覚でルーズにされると待ちくたびれるというものだ。歳も取らないのにトガさんみたくなってしまう。だけど……こんな生活も悪くないと思い始めている。


「確かに僕らいつまでこのままなんだろうね。……けど、僕、死神に追い回されるよりも、フーガと、ベル達と一緒にこんな生活するのも悪くない気もするけどな」


「……ルシアは、天使の仕事よりもお偉いさんのお世話のがいいのか?」


「そういうんじゃないけどさ……でも、今も楽しいし……。フーガは楽しくない?」


「……わかんねぇんだ。俺はこんな体に、こんな性格だからよお。何も考えねぇで、一人で仕事してたんだ。けんどルシアと組んでからは、仕事も、なんてーか、多分、楽しいって言やあいいかなあ。だから、おめえと仕事する時間は、よかったんだ」


 フーガはルシアとの日々を思い返す。そうして訥々とこぼれ出てくるそれは、無愛想を纏ったフーガの心の内だった。


「今やってるこれは、天使としての仕事じゃねえから、最初は早く仕事に戻りてぇって思ってた。でも、おかしいんだ。俺はおめえと仕事やってるのが楽しいんだと思ってた。けど、これも悪くねえ。おめえと仕事してたのとおんなじみてぇに、お前とこうやってベル達の手伝いやってんのが、多分楽しいんだ。だからよお、わかんねぇんだ。もしかすりゃあ、俺はおめえがいりゃあそれでいいのかも知んねえなあ」


 フーガのそれはフーガらしくない口調で、フーガらしくない想いに感じた。しかしルシアは思い返す。フーガは長い間一人だった。天使はみんなフーガを気味悪がって遠ざけた。フーガの住む近辺では「あいつは悪魔の魂から生まれた」「黒い斑点に侵された体は呪われている」なんておどろおどろしい芝居と共に聞かされたものだ。


 僕らが出会ったその時も、フーガは一人だった。



 * * *



 僕が生まれて間もない頃、バディは決まらず、友達もおらず、臨時で変わるがわるバディを組んで仕事をしていた。仕事終わりにレストランで食事をしようとして立ち寄った時、レストランはある二人組に占領されていた。

 最初入った時は、出入りの少ないレストランなのかと思って気にしなかった。しかし、その日は暴れ者バディのダイスケとキョウヘイが陣取っており、誰も近寄らないということだったのだ。それを知らずのこのことやって来た新米天使僕、恰好の的である。


「あれぇ〜? 君もここに食べに来たんだねえ。ところでそれ、美味しそうだねぇ〜? ちょっと分けてくれよ〜」


 その巨体を一歩一歩震わせながら近づいてくる天使。暴れ者バディの片割れ、ダイスケだ。


「え、でも、これ私の分ですから。自分で厨房に頼めばいいじゃないですか」


 その頃の僕は暴れ者バディなんて知らなかったため、ただのマナーの悪い客としか思わなかった。まあ実際そのままなんだけど、

 ちなみに僕の一人称が違う理由はまた後で。


「はあ〜ん? おまえ〜、俺さまがよこせと言ったらよこすんだよお!」


 ダイスケは机ごと僕のご飯を吹き飛ばすと、僕の首を片手で掴んで持ち上げた。そうして僕とダイスケが同じくらいの目線んい並んだところで、その大きな肩越しにもう一人の巨体が見えた。こちらに寄ってくる。ニタニタと気持ち悪く笑っている。


「ど〜したんだあ! ダイスケが怒るなんて、よお〜っぽどのことがあったんだろう? そうだろう?」


 ダイスケより一回り大きな巨体の天使。暴れ者バディのもう一人、キョウヘイの登場だ。こちらもただマナーの悪い嫌な奴。


「おおキョウヘイ! それがよお〜! 俺様がこんなに丁寧にお願いしてやってるのにこいつ、食べもんのひとっつも分けてくれねぇって言うんだよ〜! ひでえ話だとおもわねぇかあ?」


「なんてことだ! ひでぇ奴だなあ! これはしっかりと反省してもらう必要があるなあ〜? う〜ん、そうだあ! 俺らの仕事、しばらく変わってくれよお〜! ちゃんと理由もあんだぜ? しばらくは怠くて寝てたい気分だからよお〜!」


 彼らはめちゃくちゃな欠勤理由を誇らしげにひけらかす。首が絞まって上手く声が出せない。

 ああ、明日から仕事量は二倍になるのだろうか。臨時で組んでもらう天使に申し訳ない。というか、こんな僕と組んでくれる奴、いるのだろうか。


 そんな時だった。


――ズゾゾゾゾゾゾゾオオオッ!


 その汚い吸引音は、僕を持ち上げるダイスケの後ろあたりから聞こえてきた。


「……ん? おいおいおいおい……! なんだこのがきゃあ! きったねえ!」


 最初に反応したのはキョウヘイだ。彼は音のする方を見ると、嫌悪感全開の暴言を吐き捨てた。キョウヘイの反応に釣られたダイスケもそれに続く。


「え? うわぁ……」


 ダイスケは単純に引いていた。しかし、僕が拘束を振り解くには十分な隙だった。ダイスケの手を蹴りあげて首にかかる拘束を振り解く。


「いってえ!」


 ダイスケは痛がるのも束の間、逃げる僕よりも気になったのか、すぐ後ろの『それ』を見た。僕は店の出口に向けて走りながら、二人が見た『それ』を司会に捉えた。

 それは地面に這いつくばり、ダイスケが吹き飛ばした僕のスープを床の溝まで舐め回す天使だった。


「え、うわっ」


 それを見た僕はつい足を止めてしまった。その場にいた三人の誰もが目を離せなかった。そうして静まる空間に汚い音だけが響き渡り、止んだ頃、その天使はゆらりと立ち上がった。乱雑に切られた灰色の軋んだ髪、黒い斑点模様が広がる痩せ細った体。気怠げな目が僕らをゆらりと睥睨している。

 彼は細い腕で拭った口を開く。


「おいおめえらあ、スープがもったいねぇだろうがよお。……んあ、おめえの足、具がちょっと付いてんじゃねぇか」


 そう言って彼の細い指が示した先は――。


「え?」


 僕だった。


 ――それから先はあまり憶えていない。僕はひたすら走った。途中まで先ほどの天使が「せめて! 一口! 一口だけえ!」という大声と共に追いかけて来た。しかし気が付いた頃には、背後から追う者はいなかった。もしかしたら僕は、あまりの恐怖にいつの間にか幻聴から逃げていたのかもしれない。


「はあ゙……はあ゙……」


 あまりの必死さに、乱れた息は聞いたことの無い濁音混じりだった。膝に手をつき息を整える。胸の鼓動はバクバクしていた。この時、僕は思い出していた。この辺りに来て以来、何度も聞いた噂を。


 『ここには悪魔が住んでいる』


 誰か、噂好きな天使が広めただけの戯言だと思っていた。しかし今なら言える。悪魔はいた。何だったんだあれは。正直言って最初の二人よりも怖かった。あいつが急に全速力で追いかけて来るから無我夢中で逃げて来ちゃった。結局あの二人からは逃げられたけど……あれ? 助かった? もしかしてあのあく……天使、私を助けてくれたのかな……。なんて、あの頃の僕はおもっていた。今になってみると、そうでもないかもって思うけど、そう信じ込んでいてよかったと言える。


「あの天使に、お礼……言いに行かなきゃ……!」


 そう考えた僕は翌日、今まで聞いた話を元に少しの聞き込みでその悪魔の根城とやらを探し当てた。


「ここが、あの天使のお家……?」


 それはひらけた草原にある小高い丘の上、そこにある小さなボロ小屋……ていうかただの壁。その正面に立った僕は意を決し、おそらく戸であろう木の板を叩いた。


「……」


 物音一つ無い。


「……いないのかな」


 何度か戸を叩いたが彼は現れなかった。しかしお礼はしっかりと伝えなければいけない。そう考えた僕は、その前で待ち伏せすることにした。


 ――それから時は過ぎ。


「何だおめぇ……」


 彼が帰って来たのは夜、夜空が満天の星に彩られる頃だった。


「あ……おはよう……」


 僕は小屋の前で寝袋に入って寝ていた。


「いや、おはようじゃねぇだろ。どちらかと言うまでもなくおやすみの時間だろうが」


「おやすみぃ……」


「だからっておやすみじゃねえよ。人ん家の玄関先で二度寝かますなよ」


 この頃のフーガは案外ツッコミ担当だったかもしれない。寝ぼける僕にキレのあるツッコミで返すフーガは僕を寝袋から引き摺り出す。


「とりあえず起きろおめぇ。一体どこの誰だ……てぇ、おめぇ昨日の……」


 目が覚めてきた僕は、慌てて姿勢を直す。


「……あ、あの、えっと、ここでずっと待ってたの!」


「うお、急に目覚めんなよ。声でけぇな……」


 驚くフーガも今思えば珍しかったな。


「昨日の……あれって助けてくれたんだよね……?」


「はあ? いや、俺は腹が減って……」


「あの、だから、私お礼言いたくて! 来たんだ!」


「お、おお……」


 気圧されるフーガは僕の前に座り、タジタジな様子で話を聞いてくれた。


「昨日はありがとうございました! 正直、君の方が怖かったけど、おかげで助かりました!」


「そうだとしてもお礼言う時くらいは言わんでいいだろ……」


 思えば、ここでフーガから投げられた問いかけが僕らの、二人の物語の始まりだったかもしれない。


「――なあ、ところでおめえ、俺が怖くねえのか」


「え? めちゃくちゃ怖かったよ?」


「こええのかよ……」


「あ! いや! 昨日の話! 今は、全然怖くないよ? ちゃんと話聞いてくれて優しいし、町で聞いてた悪魔の話なんて全部嘘っぱちだったってわかったもん!」


 この時僕は、フーガのことをかっこいいと思っていた。

 僕は物語が好きだ。人間の作った物語は天界で本になって図書館に保管されている。そして僕もそんな物語はたくさん読んでいた。街で聞いた噂、悪魔だの呪いだの。

 これらを聞いた時、僕は正直、心躍っていた。まるで物語の中に出てくるプロローグの一部のように思った。そして僕は、現状をこんな風に考えていた。


 『悪魔と噂される人物が実は優しい心の持ち主。そしてその人物が悪役を演じて、ピンチの自分を助けてくれた』


 多分、僕はこれが物語の始まりなのではないかという予感もしていた。だから、この物語を始めるため、フーガに話を持ち掛けた。


「……ねえ、もしよかったらさ、私とバディ、組まない?」


 その提案は恐る恐る。


「んー……。ん? はあ!?」


 その反応は驚天動地。


「お願い! 君がいいの!」


 生まれた時から、その身体は呪いだった。


「いや、でも……俺は嫌われもんだぞ?」


 悪魔と呼ばれるから、悪魔のように振る舞ってきた。


「私は嫌いじゃない」


 悪魔の殻を纏い心を守った。


「俺は……怖がられてんだぞ?」


 殻を叩く音が聞こえる。


「その怖さで私を助けてくれた」


 殻が崩れ落ちる。


「でも、俺は……」


 悪魔と呼ばれた天使はすでに、目が眩むような光に照らされていた。


「私があなたと組みたいの」


 それは心を照らし出す光。


「君は悪魔じゃない。私と同じ天使だよ」


 この天使の前で、彼は悪魔でいられなかった。



 * * *



 こうして僕らはバディになった。そのままフーガのボロ小屋の前で座り、星空を眺めて話をしていた。


「……あの三つ並んでるやつ、あれがオリオン座って言うらしいぜ。人間の間ではな」


「へえ、フーガって物知りなんだね」


「別に、偶然知ってるだけだから、他のはあんま知んねぇ。それよか、おめぇに話すことがあった」


「え、なに?」


「おめぇ、また昨日みたくつえぇ奴に絡まれたらどうするつもりだ?」


 フーガは僕にそう聞いた。


「え? それは……またフーガが助けてくれるとか……?」


「いんや、だめだ」


「え、助けてくれないの……?」


「……おめぇは俺とつるむんだ。昨日みてぇな絡まれ方、いくらされるかわかんねぇぞ。だから、強くなれ」


 フーガは僕に言った。「強くなれ」と。そう聞いた時、僕はあまりイメージが湧かなかった。


「強くって……天使はトレーニングしたって仕方ないよ?」


「ちげぇよ、そういうんじゃねえ。そんなこと言ったら俺はおめぇにさえ力で勝てねえよ。強くってのは……なんてーか、あれだ、心を強く持つってえか、とにかくそういう感じだ」


 フーガの言い方はフワッとしていた。しかし、当時の僕には伝わるものがあったらしい。


「強く……。わかった! 私……ううん、僕、強くなるよ!」


「んああ……? なんか、違う気ぃするけど、まあ、頑張れや」


 こうして僕は僕になった。


 こんな日々がずっと続いていくんだと思っていた。


 だけど、夢というものは、いずれ覚めるもので――。



 * * *



「……なんかあ、らしくねぇこと言っちまったなあ。忘れろよ」


「やだ。僕は嬉しかったよ? 同じこと思っててくれた」


「……そうかよ。じゃあ、忘れなくていいから、しまっとけ」


「うん。忘れない。しまっとく」


 お風呂掃除を終わらせた僕らは、食卓に向かいながらそんなことを話していた。


「お、今ちょうど出来たとこだ。支度してるから座ってろ」


 戸を開けると、ベルが長机の上に食器類を並べているところだった。ハガが厨房から配膳トレーに乗せた料理を運んでくるのが見える。僕らはベルに促されるまま席についた。

 ベルの料理は絶品だ。この五日間、一度もその信頼を裏切ることは無い。ましてや今回は、その中でも僕らの好みに合わせた新作らしい。今から既に期待が溢れて止まない。ベルが皿を運ぶのが見える。そしてそれはやって来る。生まれて初めてだ。嗅覚で幸せを感じるのは。


「おいおいなんだあ、この香りは……ジジイの焼いた煎餅よりもいい匂いしやがる……」


「比べる対象がなんかずれてるよ……でも、確かにこの香りは、あの煎餅もめじゃないね……」


 トガさん、ごめんなさい。僕らは今日、あなたを忘れるかもしれない。


「おーい、トガ天使長を比べてやんなよ」


 呆れた声でベルは言う。


「……流石に、俺らには勝てねえよ」


 もうトガさんに付く者はいない。


「そんなことより、ほれ。おあがりよ」


 ベルはそう言い、香りたつ皿を僕らの前に置く。それを満たすのは光り輝く鶏肉スープだ。あまりに眩しい。二度三度と瞬きをし、目を慣らす。チラとフーガを横目に見る。

 ……っ! 僕の目に映るフーガ。それはまるで、心の底から許しを乞う罪人だった。手を合わせ、天を仰ぐ。これまでの悪行の全てを今、この瞬間に懺悔し、ただ目の前の一皿を味わい尽くすだけの暇を希うその佇まいは、人間がどうしてそうするのかを理解するのに十分なほどの神聖さを帯びていた。そうだ。これこそが原初より伝えられてきた感謝の王様。いや、感謝の神格――。


「「いただきます……」」


 僕らはその名を口にした。スプーンを手に取り、掬い取る。一滴たりとも溢さまいと運ぶそれは、その部屋の何人たりともが息遣いにさえ気をつかう程の真剣さを帯びていた。命懸け。これこそがそう呼ぶにふさわしい瞬間だ。そしてそれは、ついに、億千万の障害を乗り越え辿り着く。ああ、世界よ。今だけは残酷であってくれるなよ…。流し込む。ただ、流し込む。何百年もの間流れ続ける瀧のように洗練された美麗な流線を描き、乾きを訴えるその宇宙を満たす。まさしく……これは!


「ぶっふぉお!」

「まっじい!!」


 まずかった。


「あ〜、やっぱダメかあ〜」


 咽せる僕らを眺めながらヘラヘラとベルは言った。


「ごほっ、けほっ、えぇっ? やっぱりって…?」


「あー、いや、お前らに前好きな食べもん聞いたらいちごっつってたろ? だからお前らがしこたま食ってた昨日の残りと合わせて入れてみたんだよ。いやー、味見はしたけど、やっぱ本人に食わせて感想聞いたほうがいいかと思ってな!」


「「……」」


「あれ? どした?」


「「ふ……」」


「ふ?」


「「ふ……!」」


「ふ……!?」


「「ふざっけんなあああ!!!」」



―――トガさん。やはり僕らには、あなたが必要です。



 * * *



 僕らはバディを組んで以来ずっと隣で寝てきた。ついこの間まではフーガのボロ小屋。しかし、それも今では草原に佇む一枚の板と成り果てた。あんなボロ小屋でも長いこと寝泊まりしていれば多少なり情も湧く。だから少し寂しい気持ちはあるが、神殿での日々も既に五日。フーガも同じ部屋だし、既に慣れて来た節はある。

 今日もまた、いつもの時間、いつものように就寝しようという時だった。


「うおぉ〜……ベルの野郎、コキ使いやがってよお……」


「あれは仕方無いよ。だってフーガがドジってお皿割るんだもん」


「いやよお、あれはポチが足にぶつかるって来るモンだから……」


「そういえば、ポチが洗い場まで来るなんて珍しいよね。お散歩でもしてたのかな」


「くっそ〜! ついてねぇぜ……」


 晩御飯の後僕らが皿洗いをしていると、ポチがフーガの足にぶつかった。その拍子にフーガは洗い中のお皿を一つ割ってしまったのだ。それがベルにバレた僕らは、追加で廊下の掃除をすることになった。いつもベルとハガが担当してるだけあって、二人の監修の下みっちり扱かれた。あまりの指摘の多さにくたくただ。やはり、あれだ、二人は次元が違う。


「だあー! くそ、寝らんねえ!」


「僕もまだ目が冴えちゃってるよ……」


 ここにきて、ふと思い出す。


「……あ、そういえばフーガ。こないだは死神が来ちゃって話せなかったんだけどさ」


 あの時言い損ねたことをダメもとで言ってみる。


「久しぶりにさ、星の話、聞かせてよ」


「んあ〜、まあ、いいか。そんなら庭行こうぜ。あっこならよく星が見える。家ほどじゃねぇけどよ」


「……っ! うん!」


 月明かりに照る石畳みを渡り、僕らは庭に向かった。


「……確かぁ、あれがベテルギウスっつって、オリオン座の一部だ」


「え? 下にある三つの星がオリオン座じゃなかったっけ?」


「そうだけんど、それも一部で、その周りにあるの含めてオリオン座ってんだよ」


「へぇー! すごい!」


「すごいかぁ……?」


 庭に着いた僕らは芝に腰掛ける。フーガはあの時の続きのように星の話をしてくれた。


 オリオン座というのは、実はあの時教えてくれた三つの星以外にもあるようで、その中でもわりかし有名なのがベテルギウスとかいう星らしい。

 やっぱり人間達は面白いことを考える。あんなに遥か彼方の、届くはずの無いものに名前をつけるなんて。決して届かないと分かっていても手を伸ばしたくなるものなのだろうか。そういえば、そういうものを人間の間では『夢』とか『願い』とか言うらしい。人間はそういうものに縋る。以前の僕にはあまり分からない感情だった。だけど、今なら少し分かる気がする。


「……い。……おい。ルシア? 聞いてんのか?」


「わ! どどど、どうしたの?」


「どうしたのじゃねぇよ。急にぼうっとすんなよ」


「ご、ごめん……」


 いつの間にか考え込んでしまっていた。勿体無い。せっかく星の話をしてもらっているのに。せっかくの今なのに。


「ああ、そうだ。そういえばあの辺、見てみろよ」


 そう言われ、フーガの腕に顔を寄せ、指差す方を見る。それは恐らくあれを示している。


「あれはなに?」


「あれはプレアデス星団。人間の神話に出る七姉妹の名前が付けられてんだ」


 プレアデス星団。

 他より明るい七つのそれは、寄り添う姉妹のようだと言う。個数が同じと言うだけでそんな名前を付けていてはキリがない。人間とは不思議な存在だ。


「七姉妹かあ。そんなに沢山でずっと一緒なら、きっと寂しくは無いんだろうね」


「さあな……でも、みんなずうっと一緒にいてほしいよなあ」


 そう言ったフーガの横顔は、何処か愛おしいものを見つめるようだった。それを見た僕は胸が締め付けられるようで、痛かった。それがどうすればいいものか分からなかった。多分、どんなことをしても正解にはならなかった。だって僕は、間違いを積み重ねた結果、そこにいたんだから。


「次、あっちだ。あのへんに……」


 どうすればいいかわからない。そんな気持ちが、多分、どうにかしなきゃと思わせたんだ。


「……んお? おいルシア? お前、またぼうっとして……」


 口にしてはいけないような気がしていた。


「おい、ルシア? 大丈夫か?」


 本当は口にしたくないだけだった。


「冷えたんか? そんならもう部屋に……」


 これが『夢』というのだろうか。


「……ルシア、なんで、泣いてんだ」


 抱えるだけでこんなに痛いものが『夢』だというのだろうか。


「……なんか言えよ、ルシア」


 せっかくの今なのに。


 せっかくの……こんな――、


「……君、フーガじゃないよね」


 ――今がずっと続けばいいのに。



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