第二話――フーガのチカラ



「――探したよ、お母さん」


 星明かりに照らされる死神はそう言った。


 お母さん? 何を言っているんだ? 全く見当が付かない。だってそもそも、僕は天使で、あいつは死神で、僕と彼は似てないし、生物とかの理屈じゃない存在なんだ僕らは。いやいや、ていうか、親子や家族だなんて概念、天使の間ですら聞かないぞ? そりゃあ、僕らがもしも人間だったなら、僕とフーガは家族とかになるかもしれないし……トガさんだって、祖父とかそんな感じなのかも知れないけど……いや、今そんなことはどうだっていんだ。そうだ、僕の目の前にいるのは死神なんだ。天使を殺せる、死神なんだ。


 そんな風にあたふたとしていると、彼は「はあ……」と溜息をついた。


「やっぱり……記憶は無い、か」


 彼はそう言って僕から外した視線を、足元のフーガへ向けた。


「……っ! フーガ! 起きて! フーガあ!」


 もぞもぞと身を捩り、ルシアはようやく寝袋から出て立ち上がる。


「無駄だよ。こいつはもう起きない。眠らせたからね」


「フーガから離れろ死神!」


「やだね、こっちだって仕事なんだ。それより逃げたらどう? この鎌はおまえを簡単に殺せるからさ」


 死神は大鎌を僕に差し向けてそう言った。

 確かにその通りだ。天使は死神に手も足も出ないだろう。その大鎌が僕という存在を貫くだろうから。もし僕に翼があったなら飛んで逃げることも可能だろう。しかし翼は中級天使以上の存在でなければ使えない。下級天使は走るしかない。それにそんな提案、最初から聞き入れるつもりは無い。何故なら――、


「フーガを置いて逃げることは出来ないよ!」


「あー、泣かせるねー。まあ安心しなよ。別に天使を殺しに来たんじゃないからさ」


 手をふらふらと、頭をやれやれといった様子で死神はつまらなそうに言った。


「じ、じゃあ、何が目的で……」


「はいはい、じゃあ教えてやるよ。なんとなんと、この寝坊助野郎を攫いに来ましたー」


 彼は大仰に手を広げ、まるで「ジャジャーン!」とでも言いそうなポーズで、どうでも良さそうに言ってのけた。


「な……! フーガを!? 何のために!」


「ぷふ、バカじゃん。言うわけ無いじゃん。そんな……う、あ……あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!」


 唐突に彼は頭を抑え、ごろごろとその場で転がり大鎌を落としてしまう。


「え、なんで……いや、今の内に……!」


 死神が悶え苦しんでいる隙を狙い、ルシアは未だ眠り続けるフーガの元へ駆け寄る。しかし、その手が届くことは無かった。


「いやいや、させるわけ無いでしょ」


 背中からぶつけられた強い衝撃に、ルシアは地面へと叩き付けられる。そうして背中から跨られる形でルシアは死神に抑えつけられる。


「ああもう、お前と話してるとなんか変な感じする。よし決めた。お前は殺す」


 そう決めた死神はその手に握り締めた大鎌を振り上げる。そして今、振り下ろされるそれを止めるものは何も無い。その凶刃は目にも止まらぬ速さでルシアの後頭部へと一直線に――。


 ルシアは思う。


 ああ、もう消えちゃうのか。フーガはちゃんと一人でやって行けるのかな。いや、このまま僕が消えたらやって行けるとかじゃ無くない? 無事じゃすまないのかなあ。あんまし役に立てなかった気がするなあ。


 ルシアは走馬灯に浸っている。


 もっとフーガの芝居見てみたかったなあ。あの時の、トリマーを依頼したら石鹸の擦り付けすぎで飼い犬を殺された恨みの復讐に燃える老人の芝居は凄かった。あんな見た目だから悪い役が大分ハマるんだよなあ。設定はもうちょっと練ってほしいけど。なんだろう、石鹸の擦り付けすぎって。犬弱くない? それもう石鹸無くなって素手じゃない? むしろトリマーさんの執念じゃん。


 ルシアはまだまだ走馬灯に浸る。


 そういえば、フーガにはトガさんに謝らせなきゃだなあ。寝ていたトガさんの髪の毛を殆ど剃って、パソコンの中身を半分消されて復讐に燃えるヒョロガリロン毛ニートオタク男の芝居の小道具に使ったこと、まだ謝ってないんだろうな。「どうせ消すなら全部消せー!」とか叫んでた。そこじゃ無いじゃん。トガさんのセリフだよ。どうせ剃るなら全部剃れって感じだよ。……そうだ、もし消えずにいられたら、一緒に設定を練ろうって話もしたいな。


 ルシアは長い走馬灯に浸って……あれ、長くない?


「――お前、眠らせたはずなんだけどなあ」


 そんな苛立ちを孕む声が聞こえ、ルシアは走馬灯から帰ってくる。未だ背中に死神の重みを感じながらルシアは顔を上げる。


 そこは開けた草原が月明かりに照らされている。フーガ特製ボロい壁の一枚が無くなっていた。


 風に波立つ月明かりの草原では、その背丈を超える大鎌を持ち、いっぱいに手を広げて星空を仰ぐ人影があった。


「僕はね、夜空が好きなんだ。例えばこんな雲の無い、星々の煌めく夜空がね!」


 ――そこに立っていたのはフーガ。しかしその口調からはフーガを微塵も感じ取れなかった。



 * * *



眠らされたはずのフーガはそこに立っていた。


「やあやあやあ、今日は良い日だね。僕の誕生日と言ってもいい日だ」


「……お前は誰だ? その体の中にいたのか? いつから?」


 彼は明らかに狼狽えていた。二人の言っていることはさっぱり分からないが、一つわかることがある。フーガは今芝居をしている。あの感じの芝居を見たことはなかったが、フーガは悪役が上手いんだ。悪役には悪役をぶつけるなんてことも、フーガの考えそうなことだ。フーガがこれからどうするのか分からないが、おそらく時間稼ぎか、隙をついて逃げるつもりだろう。そのタイミングを逃さないように、僕も隙を窺おう。


 するとフーガはこれまた憎たらしい声と顔で喋り出す。


「おいおいおいおいおーい、質問は一つずつがマナーってもんだろう? 君はそんなこともままならないお子様なのかい? ええ? それとも何か? 僕に大人な対応でも期待していたのかい? それは残念だったね。僕は老若男女分け隔て無くぶん殴れる、とんでもない悪魔なんだぜ?」


 フーガは煩いほどの身振り手振りを織り交ぜながら憎たらしい嫌味を口にする。フーガらしくない口上には驚かされたが、効果覿面ナイスグッジョブ。背中にのしかかる彼のイラつきはよく感じ取れる。主に痛みとして。僕を押さえつける足が力み、背中に食い込む。あんまり煽らないであげて欲しいな。フーガさーん?


「あーあーあー、ごめんごめん。君は見た目からしてお子様だ。なんだいその厨二病全開の服装は。あれ? この鎌、かっこいいじゃないか。なんだ、君の趣味か? 死神はみんなこんなの持っているのかい? なんだいなんだい、仲がいいじゃないか。ええ? うわ、まだ持っているのかい? 見せてくれよ! 君の思う『カッコいい』ってやつをさあ。ハハハ!」


「……お前、俺の鎌返せよ。天使のお前が持っててもしょうがないだろ」


 背中で未だ感じられる苛立ちとは裏腹に、彼の言葉は平坦そのものだった。そんな返しに、フーガは「ええええ……」なんて言いながらしゃがみ込む程に肩を落として落胆する。


「はあ、なに、つまんないな。もっと怒ろうぜ若いもんはさあ……。ていうか、そっか、君死神だもんな。感情とか無いんだっけ? あーそうかいそうかい。笑っちゃうね。笑っちゃうよ」


 フーガさん? フーガさん? この方怒ってます。背中の形変わりそうです。死神に変えられた背中の形ってちゃんと戻るのかな? ねえ、フーガさん?


「天使はその昔、ルルティアの寵愛によって感情と自我を授かりました。死神はその昔、オルケノアの寵愛によってぼろっぼろの厨二服と厨二鎌を授かりました。はい、おもしろおもしろ。ほんと、笑っちゃう」


 途端に早口かつ語り口調になるフーガは、やはり相手の神経を逆撫でするように話を締める。

 ていうか、なんか、フーガの演技……おかしいような……、


 ルシアがフーガの様子に違和感を感じたその瞬間、途端に背中の重みと痛みが消失した。その代わり、視界に新たな人影をみた。


「ほんっと、君は面白みの無い……おや?」


 フーガの更に奥。そこでは死神が既にあの大鎌を振り上げていた。


「フーガ! 後ろ!」


 ――人間には咄嗟の瞬間、時の流れがゆっくりに感じることがあるらしい。しかし天使の間でそんな話は聞いたことが無かった。だから、友達の天使と話を、そんな現象はある派と無い派に分かれてしたことがあった。僕を含め少数がある派で、だいぶ劣勢だったことを覚えている。けっこう前の話で申し訳ない。だけど、それは今証明された。


 皆、僕らの勝ちだ。


「――は?」


 死神の、間抜けた声が草原に響く。


 僕には見えていた。

 死神が大鎌を薙ぐ。それは、握っていた大鎌の消えた右手を見ているフーガを完全に捉えていた。その細い体が無惨にも切り裂かれるまで後数ミリと言うところで、フーガは消えた。死神の大鎌とは、そこまで天使に効果を発揮するのかと、絶望しかけた。しかしそれは勘違いだとすぐに分かった。死神の真上、地上数十メートルはあるその宙空に、フーガは浮いていた。


 ――無いはずの翼を広げて。


「お前、下級じゃ無かったか? なんで飛べんだよ」


「そんなこと、考え無くたってわかるだろ? そんな危ないものを振り回してるお子様がいるんだぜ? 飛べるなら飛ぶさ! 死にたくは、無いからね! アハハ! アッハハハハハハ!!」


 そこから先、僕には何も見えていなかった。こればかりはどんなに時の流れが悠長になってとしても意味が無い。だって、全てを染める程の光が、僕らを飲み込んだのだから。



 * * *



 ぺちっ


「う〜ん……」


 ぺちっ


「ん、んん〜〜……」


 べちんっ!


「あいたあ!」


「おい起きろ。ルシアだろ、お前」


「ん……あれ、あなたは……」


「俺は下級天使のベル。あっちにいるのが同じく下級天使のハガ」


 ルシアを見下ろす天使はそう名乗った。起き上がり、「あっち」と言われた方を見ると緑の髪の天使がえっさほいさといった風に走り回っている。あれがハガだろうか。


 そして気付いたが、既に日が昇り、もうすぐ真上に来ようかという頃。なんだっけ。なにしてたんだっけ。頭がぼうっとする……。そうだ、この天使たちは一体……。


「えっと、何かご用……ですか?」


 まじまじと顔を覗いてくる天使――ベルに問いかけてみる。意識が混濁していて、言葉も上手く出ない。


「どうしたもこうしたもねぇよ。一体何があったんだよ。天使長も心労はんぱねえってコレ」


 “コレ”と言ってベルの視線を追った。


「なに、コレ……」


 ルシアの眼前には、底の見えない大穴が広がっていた。



 * * *



 そこは暗闇。

 実態なんて見せない癖に、彼は満足気な表情を浮かべていた。ニタニタとした表情が相も変わらず憎たらしくて仕方ない。


「あーあ、逃げられちゃった。もっと話したかったんだけどなあ」


「……何が話してえだ。馬鹿にしてばっかだったじゃねえか」


 そんな言葉に彼は頬を膨らませて不満気な表情。


「だってさ、奴はガキだ。遊びがいがあるじゃないか」


「そんなんだから、おめえは嫌われる」


 すると彼は不思議そうな顔をする。


「でもちゃんと君は話をしてくれるじゃないか」


「この場所でおめえを無視しようたって無理な話だろ」


 彼のいやらしい笑顔が弾ける。


「あっははは! なんてね。それもそうだね」


 この暗闇で彼はこちらの顔を覗き込んでくる。いつもこの暗闇では好き勝手に喋る。それも相手を馬鹿にしたような憎たらしい笑顔と声でペラペラと。

 そしてそんな彼が次に言ったことはこんなことだった。


「やっぱり、僕には力が使えたね。君には到底無理なようだけれど」


「なんだ、あの力は」


「天使の力さ。君だって知っているはずだろう? あの光がどういう力なのか」


「あれは、上級天使しか使えない『光』だ。俺に使えるもんじゃねえ」


「ああそうさ。僕が使った。君じゃない」


「おめえ……知ってること全部話せよ。じゃねえと――」


 暗闇に向かって、彼を睨む。その顔を覗き込む彼はやはり、笑っている。


「じゃないと……なにさ?」


 ――その時だった。


「……! ……!」


 暗闇に何かが響き渡る。くぐもった声だ。


「……ガ! ……て!」


「ああなんだい。もうお呼ばれか」


 彼はつまらなそうに言う。


「……きて!」


「まあいいさ。機会はいくらでもある。言っておいでよ。お友達が呼んでるよ」


「……ガ! ……来て! フーガ!」


 暗闇は滲むような光に塗りつぶされ、突如世界から弾き出されるように……僕は……また消えて――。



 * * *




「フーガ! 起きて!」


 少し眉を顰めた。


「フーガ! 起きてよ!」


 少しの身じろぎ。


「フーガ! 起きて! フーガ!」


 少し目が開いた。ことにルシアは気付かない。


「フーガ!! 起きなさあい!!」


 ぱあんっ!!


 よく響く、乾いた音だった。



 * * *



「……」


「その、ごめんね……? 起きてたの気付いてなくって……」


 左頬を赤く腫らすフーガは、だいぶ開放的になったフーガ特製ボロい壁――もとい小高い丘に刺さった木の板にもたれ、膝を抱えて座り込んでいた。その隣で僕も膝を抱え座っている。

 僕らの家は、光の力に巻き込まれて板一枚しか残らなかった。見晴らしが良くなったものだ。そんな益体の無いことを考えていると、隣でフーガが口を開く。


「あの死神は、お前を知ってたな」


「……みたいだね。僕からしたら初めましてのはずなんだけどね」


 フーガは起き抜けに叩かれてから、ずっとこうやって考え込んでいる。まあ、ベルに「ここに居ろよな」って言われちゃったからそうするしか無いんだけど。

 少し離れた場所では、ベルとハガが大穴の周囲を走り回り、調査をしている。二人にも事の顛末を話した。ベルは「現場を調べたい。詳しい話は後で聞くから、ここで待っててくれ」と言っていた。詳しいことを聞くなんて言われても、正直なところ僕だって何がなんだかわかったもんじゃないんだよな。なんにせよ、せっかく助かったんだ。今はゆっくりしてよ。あ、そういえば、


「そういえばフーガ、今回はどういう設定だったの?」


「……は? 何がだよ」


「何がって、死神から鎌を奪った時のフーガ、何か芝居してたでしょ? あれってどういう――」


「あれは、俺じゃない」


 僕の言葉を遮ったフーガは、自分の手の平を見つめぐっぱぐっぱさせている。

 あのフーガは、確かにどこか違った。言葉にはしづらい感覚だけど、あれはいつものとは違った。


「じゃあ、あのフーガは一体何だったの?」


 僕の問いかけに、フーガは顎に手をやって考える。


「なんてーか……偶に夢に出て来る奴なんだよ、あいつ」


「夢で? それを真似してたってこと?」


 まさか、今までの芝居は全部夢の中の登場人物……?


「いんや、俺は死神に眠らされてた。その間にあいつが俺の体を乗っ取ったんだ」


「え、夢の中で会ってた人が、実際にフーガの中にいたってこと? それで、さっきはホントに出てきちゃったの?」


 なんてことだ。びっくりにも程がある。だけど、死神も確か言っていた。「その体の中にいたのか?」って。


「らしいな。さっきお前にひっぱたかれるまで夢にいたんだ。散々嫌味言って消えやがった。上級天使の力を使ったのかって聞いたら、『ああそうさ。僕が使った。君じゃない』って言ってやがった」


「あー、言いそう……頼もしいけど嫌な奴だった……て、え? 上級天使の力って?」


「なんかあいつ、俺の体で上級天使の力を使えるみてえだ。理屈は知らねえけんど」


「ええ……めっちゃすごいじゃん……適当過ぎでしょ……」


 フーガの適当さと当事者意識の無さに呆れていると、近づく足音に気付く。


「悪い、待たせたな二人とも」


 そこに居たのはベルとハガ。調査をひと段落させたらしい。ハガは口数が少ないらしいが、その分視界に訴えかけて来るようだ。膝に手をつき、肩を大きく上下させるほど息をあげている。何でも無いように歩くベルとはえらい差だ。ずっと走り回ってたもんなあ。お疲れ様です……。


「それじゃあ行こうか」


 座り込む僕らに手を差し出しながらそんなことを言うベル。僕は聞き返す。


「あ、はい! ところで、行くってどこに行くの?」


 それに帰ってきた言葉は――、


「ルルティア様がお呼びだ」


 ――天使の神格ルルティア。世界創世の折、神が生み出したとされる七柱の管理者。その内の一柱であった。



 * * *



「おーよしよしよしよし」

「なあんだおめえ、迷子かあ?」


「わん!」


「おーよしよしよしよしゃあしゃあ」

「んなとこ来ちゃダメだぞ〜。喰われちまうぞ〜?」


「わんわん! ハッ、ハッ、ハッ」


 僕とフーガは、ベル達に連れられ、天使の神格であるルルティア様の住まわれる神殿に来ていた。神殿は、一般的な天使が住む家とは比べ物にならないほど大きく、その建築様式は荘厳で、人間のデザインした神殿を真似て造っているらしい。


「いないないばあー! いないない〜……ばああ!」

「ばっかおめえ、そりゃ人間の赤子にやる奴だろが。そんなんで喜びゃしねえだろ」


「わん! わおん!」


「おーおーおーそうかあ楽しいかあ」

「べろべろべろばあー!」


「あおーーん!!」


 ベルは現在、先に一人でルルティア様の元へ報告に向かっている。僕らは神殿の空き室でそんなベルを待っている状態だ。ちなみに、ハガは走り回ったせいで汗だくになってしまったため、お風呂に行ってしまった。


「わしゃわしゃわしゃあー」

「ばっかおめえ、そんなにわしゃったら嫌がんだろうが」


「わおん! わんわん!」


「おーおーおーおーそうだなあ気持ちいいかあ」

「わちゃちゃちゃちゃあー」


 にしてもだ。ベルはここを空き部屋だとか言っていたがとんでもない。こんな可愛い生き物を何処から連れて来たのか。人界で仕事中に何度か見かけたことがある。お犬様だ。僕は可愛いものは大好きだ。フーガだって最初は「はっ、そんなんどこが可愛いんだよ。おい、噛んでくっかも知んねえ。ルシアも離れとけ」なんて言ってたくせにこの有様だ。“可愛い”は“強い”のだ。……にしてもベル、遅いな。何か手間取ることでもしてるのかな。


 と思ったその時、部屋の戸が開く音がした。


「おーいお前ら、すまんな、待たせちまって。ついでにもう一個申し訳無いんだけど、今ルルティア様がお見えになっていなく……え」


 戸の隙間から顔を出したのはベル。何故だか青い顔をしていた。


「あ、ベル! どうしたの? なんか顔色が優れないみたいだけど。わしゃしゃしゃしゃあー」


「おうベル。なんだあおめえ、腹でもへってんじゃねえかあ? しっかり食べろよなあ。おーおーおー楽しいなあ」


 すると、ベルはこぼすように言うのだった。


「る……」


 それに僕とフーガは聞き返す。


「「る?」」


「る……!」


「「る……!?」」


「ルルティア様ああああああああ!?」


「ええええええええ!?」


「あおーーーーん!?」


 ハガ曰く、その驚嘆は風呂場の湯水を波立てたと言う。



 * * *



「わん!」


「ルルティア様は仰られている。『よく私の神殿に来てくれた』と」


「いや、今更威厳出されてもよ……」


「フーガ、せめて敬語で喋ろうよ……」


 僕らは現在、謁見の間にて、ルルティア様に謁見している。

 ルルティア様は台座に腰掛け――というよりお座りして「ハッ、ハッ、ハッ」と忙しなくしている。その台座の両翼ではハガとベルが控え、ベルがルルティア様の通訳をしている。ここまで案内される中で聞いた話だが、ベルとハガはルルティア様の言葉が分かるからということで、通訳を兼ねて仕えているらしい。それにしても、ルルティア様、可愛い……。


「えっと、ベル、どうしてルルティア様は僕らを呼んだの? 今回の事件の話しを聞くだけなら直接じゃなくても、ベル達が聞いて報告するだけでも良かったんじゃない?」


「そのことだが、ルルティア様が直接見て確認したいことがあるとのことだ。それはフーガ、お前の中身についてだ」


「へ? 俺?」


「の中身だ」


 フーガの中身、というのは、あいつのことだ。フーガ自身も言っていた、夢の中によく出てくる嫌味な誰か。あいつは確かに意思を持って存在していた。あれは異質で異様で、どこか歪に思えた。あいつについてわかることがあるのなら、僕も知りたい。


「わん! わんわん!」


「ルルティア様は仰られている。『フーガ、そなたの中には、そなたとは別な魂が在る。その魂の由来はわからないが、天使としてのそなたを構成する要素として完全に成り立っている。引き剥がせば、フーガという存在は保てなくなる』と」


「俺ん中に別ん魂だあ? なんだってまた」


「それじゃあ、フーガはずっとあいつと一緒ってこと?」


 あいつがまた出てくれば、次は何をするか分からない。なんせ上級天使の力を使える奴だ。性格も最悪。だけど、あいつは死神から僕を助けてくれた。あれはフーガの芝居でも無く、あいつの意思だ。もしかしたら、そんなに悪い奴じゃ無い、のかも……。


「あおん!」


「ルルティア様は仰られている。『そなたの中に在る魂は今は眠っている。何かに押さえ付けられているようだ。しばらくは起きてこない。だが注意は怠らぬように。魂を分離させる方法はこのルルティアとて知らぬが、当てはある』と」


「当てってなんだ? なんか魂に詳しい奴でもいんのか?」


「いるんですか?」


 フーガの敬語を諦め、代わりに敬語で聞き直す。


「わわん! わん!」


「ルルティア様はおっしゃられ……な!? しかし、それは……」


 ベルの顔が曇る。ハガがのけぞって転けそうになる。


「わん! あおん!」


「いえ、こればかりは……だとしても、何もルルティア様自ら……」


 ベルが食い下がる。ハガが転ける。


「わんわわん!」


「う……ですが……いや、ルルティア様がそう仰られるのであれば……」


 どうやらルルティア様が何かとんでもないことを言っている様子だ。最後には折れたベルも、まだ承知し切れていない様子だ。苦虫を噛み潰したような顔でこちらに向き直る。


「おいおい何の話してんだよ。通訳頼むぜベル」


「……ルルティア様は仰られている。『私はこれより、天界の神格ペテロアと魂の神格チェルヨナ。天界を遍く見渡すペテロアと、魂について全てを知るチェルヨナ。この二柱を尋ねれば何かしら知見を得られるだろう』と」


 ベルの口から飛び出した名は、天界の神格ペテロア、そして魂の神格チェルヨナ。これまた世界の管理者の二柱だ。そんなにポンポン出てこられると調子が狂う。それだけの事態ということなのだうか。正直なところ、あまり実感が湧かない。


「そんなら、ルルティア様を待ってる間は、俺はどうすりゃいいんだ? 天使の仕事は?」


「仕事についてはトガ天使長に俺から伝えておく。そしてフーガ、お前には神殿に待機していてもらう」


「あれ? フーガは神格様のところには行かないんですか?」


 そういえば、当事者であるフーガが待機というのはおかしな話じゃなかろうか。

 僕の問いかけを受け、ベルはルルティア様に目配せをする。


「わん!」


「ルルティア様は仰られている。『神格とは特異な存在だ。肉体から離れられないそなた達では簡単に会う事は出来ない。それに、チェルヨナには会う会わないはさして関係無いのだ。故にそなたらを連れて行くことは出来ない』と」


 それはつまり、ルルティア様が直接尋ねてくれるということだ。畏れ多いことだが、頼る他に無いのもホントのこと。しかし、それはそれで疑問に思うことがある。


「あ、あの! 僕はどうすれば……」


 こうなってくると、僕はこの件にあまり関わりが無いような気がする。フーガのことは心配だし、バディとして一緒にいたいけれど……。

 するとルルティア様が吠える。


「わわわん!」


「ルルティア様は仰られている。『ルシア、そなたはこの件がフーガの安全が保証されるまでは他の天使と組み、今まで通り仕事に励め』と」


「そう……ですよね……」


 それもそうか。フーガと離れるのは嫌だけど、仕方の無いことだ。しばらくはフーガの復帰を待つとしよう。


「……はい、了解しまし――」


「あー、ちょっと待った」


 まとまりかけた話に水をかけられたベルの顔が曇る。


「どうした、ルルティア様の言葉に何か異論があるのか? フーガ」


 その声はフーガのものだった。少し驚きフーガを見ると、軽く右手を挙げている。


「や、異論ってーかさ、提案のつもりだけどよ。俺らを襲った死神はルシアのこと知ってるみてえだったぜ。ルシア自身は知んねえって話だけんどよ、多分死神は俺だけじゃなく、ルシアんとこにも現れる。だからルシアをほっとくのも危ねえんじゃねえかなあ」


 フーガの言葉を聞いて、僕も思い出した。死神は僕を「お母さん」と呼んでいた。フーガを心配するあまり忘れてしまっていた。


「それは本当か? さっき話を聞いた時には言ってなかったが……」


「いやさ、死神に感情は無いって話だったろ? 最初はなんかのブラフかと思ったんだけんどよ、明らかに意味のねえタイミングだったもんで、それを今思い出したんだ」


 フーガにしてはちゃんと喋っている。さすがに今回の件はフーガも真剣に向き合おうとしている様子。なんだか、僕だけ着いて行けてない感じだ。


「ふむ……少し待て。ルルティア様、如何なさいますか」


 ベルは口元に手を当て少しの思案の後、ルルティア様に向いて判断を尋ねた。


「ゔ〜……わん」


 ルルティア様は少し唸ってから静かに鳴いた。考える時は唸るのだろうか……。


「はい、承知しました。……ルルティア様は仰られている。『フーガ、そなたの情報は一考に値する。報告漏れには注意するように。そしてルシア、そなたにもフーガ同様、神殿にて待機してもらう。私の帰りを待つのだ』と」


「……っ! 了解しました!」


 こうして僕はフーガと共に、ルルティア様の神殿に滞在することになった。


 もし、僕がもっと早く、フーガの違和感に気付いていれば、僕らの物語はもう少し違ったものになったのかもしれない。


 もっと僕が正しくいられたら。


 そう思わずにはいられない――。



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