りんねに帰る

jigoq

第一部

第一話――少年は泣いている



 ――これは失われた物語。


 ――僕らはかつて天使だった。

 ――僕らはかつて死神だった。

 ――僕らはかつて人間だった。

 ――誰もがきっと悪魔だった。


 ――この世界のお話だけど、

 ――はるか遠くの世界のお話。


 ――星々の輝きに魅せられた。

 ――そんな僕らの塗り重ねられた神話。



 * * *



 虫を潰した。気持ち悪かった。だから、足元を這っていた虫を潰した。やっぱり虫は生きていても死んでいても気持ち悪い。ていうかこの虫、なんて名前だっけな。なんだか思い出せそうにない。まだあまり歳は取ってないはずなんだけどな。もう物忘れか。


「ゔ〜ゔぁん! ゔぁん!」


 今日は飼い犬のコロがよく吠える日だ。そもそも、あまり懐かれては居ないらしいから、いつものことと言えばいつものことだ。なんにせよ、虫の死骸を早く拭き取ってしまわないと、カーペットのシミになってしまう。

 そう思い、腰を上げた瞬間だった。男の声がしたのは。


「――俺を殺したのはお前か」


 酷く嗄れた声だった。


「輪廻ってなあ、巡ってんだぜ。数え切れない生涯を幾重も恨みで塗り重ねてようやく来たぜこの野郎」


 それは半裸の男だった。あまりに痩せこけた、黒い斑点模様の目立つ体だった。軋んだ灰色の頭髪は肩の辺りで乱雑に切られ、継ぎ接ぎや薄汚れが目立つ白の布を纏っている。そんな男は生気の無い瞳でこちらを睨め付けてくる。

 彼は椅子の上に膝を抱えて座っていた。虫を潰す直前、僕が座ろうとしていた椅子だ。


 こんな場面では、いったい何を言えば正解なのだろうか。どんなに聡い人が考えてみても、正解などわかりはしないだろう。それどころか、この問いに正解なんて無かったはずだ。何せこの状況自体、間違いに間違いを重ねた末に陥ってしまった状況なのだ。聡い人間はそもそもこうはならない。何はともあれ、愚かしい人間である僕が次に積み重ねてしまった間違いはこれだ。

 一歩引いて、転ぶ。


「おいおいおいおいおい、まぁた俺を潰したなあ? お次はしっかりケツで広範囲ってかあ?」


 わからない。彼が何のことを言っているのかわからない。“俺”って何のことだ。“俺を潰す”って一体……。


「あ、あの、あなたは……?」


「そうだよなあ、もっとはやくにそれを聞くべきだったよなあ? それが常識ってえやつだよなあ?」


 男は膝を抱えるのもやっとじゃないかってぐらいの細い手と指で、自分と僕とを交互に示して言った。


「俺は、お前に潰された虫、ムカデだ」


 それは呪いに満ちた声だった。


 僕に……潰された? 何を言っているんだこいつは。何か、そう、薬のキメすぎで頭がおかしくなってしまったんだ。そういえば肌の色もだいぶイってしまっている。病気も一つや二つじゃきかないだろう。……ていうか、そもそもこいつ、いつ部屋に入った? 僕がしゃがんで、虫を潰して、その一瞬しかなかったはずなのに。それと、あと……輪廻。そうだ輪廻を巡ってとかなんとか言っていた。ああ、くそ、何がどうなってんだ。そんでコロはどこに行った? 変な男が現れてから吠えていない。こんな時こそ守ってほしかった。ちくしょう。


「えっと、殺されたというのは……」


 色々言いたい放題の心中とは打って変わり、ビビり散らかす僕の態度はクレーム対応のスタッフの如く平身低頭。そんな態度に彼はといえば、


「だからよお……だからよお!! 何度も言わせんなよなあ!! イラつかせんなよなあ!! ……いいかあ? よく聞け。そして噛み締めて悔い改めて死んじまえ。 お前、さっき虫を潰したろ」


「えぇっとぉ〜……」


「やったろって聞いてんだよお!! ああ!?」


「は、はい! やりっ……やりました……」


「だよなあ! 輪廻はなあ! 巡ってっからなあ! 俺はまたここに返り咲いちまったんだよなあ!? なあ!!」


 どうしろというんだ。無茶苦茶だ。無茶苦茶が過ぎて、段々落ち着いてきてすらいる。詰まるところ、僕に潰されたことへの復讐をしに来たということか。それも輪廻とやらを巡ったりなんかして。本当ならば、とてつもない恨みだ。僕はここで殺されてしまうのだろうか。


「となると……ふ、復讐に?」


 恐る恐るの質問に彼は「ああ」と冷たく返す。


「復讐だ。命の代償はやっぱ命。当たり前だよなあ?」


 ともかく、こいつが異常者なのは間違いない。無茶苦茶なことを言っている。輪廻云々を置いておいても、虫を一匹潰した程度でどうして殺されなきゃならない。そのくらい誰だってやっているはずだ。どうして僕だけなんだ。逃げなきゃ。まだ僕は死にたくない。やりたいこともまだあったはずだ。勝ち目はあるように思う。こいつはみたところ凶器を持っていない。それにあんな細腕なら力くらべでも負けはしない。早いところ、警察を呼んで――、


「――手間かけさせんなよ、人間」


 そんな言葉に気を取られ、椅子の上に立つ彼と目が合う。それは僕を見下した視線で、人間では到底抗えない存在だと、本能が理解した。僕はここで死ぬ。

 最後、何かの物音と男の声が聞こえた。しかしそれもプツリと途切れる。


 ――そこから先の世界に僕はいなかった。



 * * *



 そこは多くの声が飛び交い賑わう天界レストラン。さして装飾のされた訳でも無い内装はそこにいる天使達の気を緩め、より一層、日々の仕事で溜まるストレスからの解放の場ともなっている。

 そんな解放の場でさえ、隅っこにて寄り添う者達はいる。向き合ってスープを装う彼らもそんな日陰者である。


 目の前でかちゃかちゃと音を立てて食事をする彼に声をかけた。


「……ねえ」


「んああ?」


「仕事の前に変な芝居するの……やめにしない?」


「なあんでだよ、かっけえだろが」


「う、うん……いや、かっこいいんだけどさ。もうちょっと練った内容をさあ……。何なの、輪廻を巡った虫って。適当すぎない?」


「んなこたねえだろ。だってよ、あいつが丁度潰した虫がよ、時間なんて飛び越えられる輪廻を超えて復讐に来たんだぜ? 肝っ玉も震え上がるってもんだろーが」


 彼は銀色のスプーンをシュビっとこちらへ向け、そんなことを言ってのける。行儀の悪さは天下一品だ。


「それ、今考えたでしょ」


「……さあな」


 そう言った彼はそそくさと目を背ける。そんでもってすぐに食事に戻る辺り、やはり図太い。


「そもそも、フーガは芝居の設定も作戦も杜撰なんだよ。何でムカデが輪廻を何度も巡って復讐に来るの? 人間でも無いのに復讐なんて考えないよ! ただでさえ輪廻を通って記憶が残る訳も無いのに……」


「ターゲットがちょうど虫殺してたから都合が良かったんだよ! ……んまあ、あとは、流れでえ? みたいな?」


「みたいな? じゃないよ! もう……そんなことやってモタモタしてるから死神にターゲットを取られそうになるんだよ? 下級天使の僕らじゃどうしようも無い相手で、僕が咄嗟に飛び込んで無かったら、今頃天使長にどやされてるんだから!」


「わあったわあったって! でも、ルシアだってあの瞬間、俺が割って入らなきゃよ、それこそ無事だったかもわかんねえんだぞ? もうちょい自分の身も顧みてくれよ。おめえ以外に俺と組んでくれるやつなんていないんだから、おめえに死なれると困る。死神の鎌は、天使を殺せる唯一の道具なんだからな」


「うぅ……それは、ごめん」


 ……あれ、なんか謝っちゃったけど、僕が悪いんだっけ?


「わかりゃあいいやな。んなことよりほら、早く食っちまおうぜ」


 フーガはそう言うと、残ったスープを皿ごと持ち上げて一気に飲み干そうとする。


「もう……」


 ごっくごっくと喉を鳴らしてスープを飲むフーガ。それを見て、ふと不思議に思うことがあった。


「にしても、フーガってよく食べるのにどうしてそんなにガリガリなんだろうね?」


 フーガはあおった皿から滴る最後の一滴をペロっと舐め取り「ハッ」と鼻で笑う。


「知らね。でもまあ、こうやって仕事はちゃあんとできてんだ。いいんじゃねえの」


「……フーガに友達出来ないのって、絶対そういうとこだよね」


 フーガはそんな言葉を聞き流した様子で立ち上がる。


「明日もまた仕事なんだ。とっとと帰って寝るぞルシア」


「あ、ちょっと待ってよ!」


 僕も残ったスープを何とか飲み干し、レストランの入り口に向かおうとするフーガを追いかけて走る。


 レストランから出たところの大通りの真ん中をずかずかと歩いて行くフーガ。


「おい、あれって……」

「あれが悪魔って噂の……?」

「聞いた通りの穢らわしさだな……」


 フーガの行く道は、大抵の天使が避けて通る。フーガはその風体からちょっとした噂が広まっていた。どれだけ食べても肥えない体。その体に広がる、黒く大きな斑点模様。喉が潰されているような嗄れ声。軋んだ髪。乱雑な切り方は単純にフーガの性格だ。巷では悪魔だの呪われているだのと噂されている。娯楽の少ない天使達にとっては、そんな噂も娯楽の一つなのだ。


「おいルシアー! チンタラしてっと置いてくぞー!」


「あ、待って!」


 しかしフーガはそんなことを気にしている様子は一つもなかった。どうしてあそこまで言われても頓着しないのか、僕はまだ知らない。どうしてそれについて聞かないのかと言われれば、特に理由がある訳でもない。まあ、本人も気に留めないどころか他人事みたいな感じだから、何となくそのままだ。

 フーガの体は生まれた時からあんな風だったらしい。噂によると体の黒い斑点模様は、生まれた時よりも広がっているとかいないとか。その真偽の程はよく分からない。どうせフーガを嫌ってる奴らのでっち上げがいいところだろう。


「フーガってさ、生まれた時からそんな体なんでしょ?」


 何となく聞いていなかったことを何となく聞いてみた。やはり気になるものは気になる。仕方の無いことだ。

 僕のこんな質問に「んあ〜」と気怠げな声を上げるフーガ。


「そうらしいな。でも詳しいことはわかんね」


「生まれた時のこと覚えてないの?」


「そぉれが覚えてねぇんだよなあ。あれだろ? 天使は皆、神殿にあるっていう光の渦から生まれるって話だろ? 俺は生まれてすぐにその場で倒れたらしいし、こんな体だったからそりゃもう大騒ぎだったんだろうなあ」


「そんな他人事みたいに……でも、そうだね。天使は誰だって、最初は光の渦から生まれる。っていうのも、光の渦が繋がってるのは死神達が住んでる終界で、そこで輪廻を巡りきった魂が選別されて死神と天使に分けられるんだもんね」


 この世界には人界を主とし、それとは時間の流れや次元も異なる世界、天界と終界がある。人界には人間が、天界には天使が、終界には死神が住んでいる。死神は輪廻を巡り終えた魂を回収し、終界にあるという光の渦の入り口に落とす。その魂が光の渦でなんやかんやと選別されて、天使もしくは死神として生まれ変わる。


 天使も死神も、役目は魂の回収。しかしそれにも分担があり、死神が輪廻を巡り終えた魂なら、天使は回収した魂を再び輪廻に乗せる。簡単に言えば、魂を導き輪廻を巡らせるのが天使の役目だ。


「んでもよ、その死神さんがどうしてだか最近、輪廻を回りきってない人間の魂を無理矢理回収していっちまってんだろ? どうしちまったんだろーな、死神を管理してるはずのオルケノアさんはよ。それに、とうとう俺らも今日の仕事で死神と鉢合わせしちまった。一体どうなってんだかな」


 そうだ。僕らは今日、魂の回収で死神と鉢合わせた。フーガが長々としていた芝居を終えようとしたその時、彼は現れた。



 * * *



「――手間かけさせんなよ、人間」


 フーガが天使の力を行使しようとしたその時、僕は気付いた。フーガとターゲットの相対する部屋、その隅。

 黒くツギハギの目立つぼろのローブ、自身の背丈を越える程の大鎌、ローブのフードを深く被り隠した顔。死神だ。最近は死神の間で不穏な動きがあることは天界でも噂になっている。その内容は、主に天使のターゲットを横取りするというものが多い。

 死神は大鎌を振りかぶり、フーガへ向けて飛び掛かった。だから僕はフーガの口上も待たず、咄嗟に飛び出した。


「フーガ!」


 天使が魂を刈り取るには、直接魂に触れ、体から引っ張り出す。そしてその魂を一時的に自分の体に取り込むことで運搬する。天使の体は魂を入れる箱でもあるのだ。しかし死神が魂を刈り取る方法は、あの大鎌で魂を串刺しにして、無理矢理体から引き剥がす。


「ばっかやろう!」


 当然、そこに飛び込む形になる僕には、天使を殺す唯一の方法と言われる死神の大鎌が襲い掛かる訳で、さらにそこに飛び込んだのはフーガだった。


「……っ!」


 振り下ろされる凶刃はフーガの体を無抵抗に等しい軽さで真っ二つに――、


「……なぁんのつもりだあ? おめえ」


 やや怒気を孕むフーガの声が聞こえた。死人ならぬ死天使の声に、何が起きたのかと思い、僕は顔を上げる。

 ――フーガは死んじゃいなかった。死神と僕の間に割って入ったフーガ。その肩では大鎌が紙一重で止まっている。


「な、なんで……」


 そんな状況に困惑しつつも安堵した僕は少しだけ、しかし確実に気を緩めてしまった。それがいけなかったのかも知れない。初めて聞くはずの、しかしどこか懐かしい声が僕の耳朶を打った。

 その涙声は確かに、死神の声だった。


「……どうして……そんなはず……」


 彼は震える声でそう言った。

 フーガの脇から覗く死神の顔を見上げる。

 僕は状況を忘れ、そんな彼に声を掛けてしまった。


「あの……大丈夫ですか?」


「おいルシア、騙されんじゃねえ。死神に感情は無い。ただの芝居だ」


 そう言って僕と死神の間を遮るように立ちはだかるフーガ。もう彼の顔は見えない。


「ま、まって!」


 立ち塞がるフーガを押すようにして彼の顔をもう一度覗こうとする。しかし、既に死神は再び部屋の隅に立っていた。もうフードの奥の表情は影で塗り潰されてしまっている。


「ん……今の……あれ、なんでお前こんなとこにいるんだよ」


 死神は驚くほど軽い調子でそう言った。その問いかけは僕ではなく、フーガに投げたものらしい。死神が僕を見ていないことは、その表情を伺えずとも分かった。


「んああ? 話す義理なんざひとっつもねえなあ。こちとら天使様だぜああ? つうか知り合いっぽく話かけんじゃねーよ。誰だよおめえよお。死神の仕事なんざここにはねえ」


「なんだよつれないな。まあいいや、確かに、ここに用事は無いみたいだ」


「ねえみてえだあ? てめえ何を……って、はあ?」


 ひらひらと手を振る死神は闇に包まれるようにして消えていった。


「あの死神は一体……」


「……おい、んなへたり込んでる暇ねーぞ。またいつ死神が戻って来るかわかんねえ。とっとと天界に戻ろうぜ」


 フーガの声がようやく僕を現状に引き戻した。張り詰めていた空気が無くなっていることに気付き、急いで立ち上がる。死神を前にして無防備なものだ、と自分を叱る。


「う、うん、ごめん……。ターゲットは回収したから帰ろう。でも、あの死神はなんだったんだろう……」


「……さあな。とりあえず帰って天使長に報告しようぜ。俺らに限らず、天使にとっちゃ死神なんてわかんねえことだらけだかんな。ここで考えてもしょうがねえよ」


「そう、だね……」


 後になって思えば、自分を殺そうとした相手を前にして、『心配してしまう』だなんていくらなんでもおかしな話だ。でも、それでも、彼が――死神であるはずの彼が、あまりにも哀れに思えてしまった。僕を見下ろす彼の……幼い顔を伝うのは、まるで迷子の子供のような滂沱の涙だった。



 * * *



 神によって創り出されたこの世界には、神より生み出された七柱が存在する。

 その存在は、神の隠れたこの世界で神と同格に扱われる者――神格と呼ばれる。


 天界の神格ペテロア

 天使の神格ルルティア

 終界の神格テテギャ

 死神の神格オルケノア

 人界の神格アミア

 世界の神格

 魂の神格チェルヨナ


 なぜだか世界の神格だけは名前が伝えられていない。一説によると世界自体がその神格であるとか、禁忌を犯して神格としての地位を追われたとか、色々言われている。

 そんな噂にお怒りにならない辺り、神格とは寛大なようだ。


 まあそれは置いておいて、今大事なのは魂の神格チェルヨナと人界の神格アミア。天使や死神の仕事に関してかなり重要な役目を担う二柱だ。

 全ての魂の運命はチェルヨナによって定められる。人間も天使も死神も、全て。そして、その通りに魂を導くのが天使や死神の仕事。

 魂を回収した後、人界には魂の抜け殻、いわゆる死体が残る。人間からしてみれば急にバタバタと死んでいく訳で、原因不明の死は人界を掻き乱す要因となるだろう。そこをなんとかするのがアミアだ。アミアは人界を改変するチカラがある。それを用い、人界に残る死体に何かしら順当な死因を付与する。人間視点では病気や事故、事件に老衰などとして改変される。


 そうやって、神格は世界を管理している。神格というものは、それぞれが世界を維持するための機能としての側面を持っている、なのだ。……別に狙って言ったんじゃないよ?


 場所は移り、そこは天使長の家。


「……詰まるところ、仕事は達成したが、件の死神は何もせずに逃げた、と言うことか」


「とっ捕まえてふんじばってやりゃあよかったぜ」


「……やめておくべきじゃな。死神と戦うなぞ、原初以来現れておらぬ上級天使でもなければ不可能じゃ。我々は、魂を回収するという世界の機能でしかない。不可解なのは、我々と同じ世界の機能でしかなく、自我も無いはずの死神がそのような暴挙に出たというところじゃ」」


「でもよお、こんままやられっぱなしでいいんかよ」


「良いわけなかろうが。じゃが、今は情報が無さ過ぎる。動くにしても、終界との連絡手段から探さねばならん。これからルルティア様に相談する故、今は待つことじゃ」


 フーガと言い合いをしているのは天使長のトガさんだ。

 天使長というのは、天使を総括する立場のことで、仕事の割り振りやその報告を受ける仕事の他、天界での問題について対応したりなんかする。中級天使を集めた比翼隊という集団を持っていて、天界での問題なんかはその比翼隊にあたらせているらしい。


 フーガと僕は死神の一件の後、仕事の報告に合わせて死神が現れたことを報告に来た。しかしフーガとトガさんは報告の度に言い合いを始める。今日も今日とてこの有様である。このまま放置してしまえばフーガはどんどんエスカレートして行く。また暴言が飛び出す前に話を戻さなくては……、


「あ、あの――「待ってる間にこっちがやられるかもしんねえだろクソジジイ!!」


 ……間に合わなかった。しかも下品な枕詞付きだ。トガさんがアイコンタクトで訴えてくる。「そろそろどうにかしてくれんか。このまま暴れられては面倒じゃ」という感じか。確かに、手が付けられる間に手は打つべきだ。若干手遅れではありそうだが、フーガとバディを組む僕の役割の一つを果たすとしよう。フーガを抑えるという役割を。


「フーガ! トガさんになんてこといってんだよ! 僕らにだって何か出来るわけでも無いんだから、今は任せるしかない! ほら、ご飯行こ!」


「ちょ! おい、離せよ! まだ話が!」


 バタバタと抵抗するフーガを羽交締めにして部屋から連れ出す。詳しく言うと引き摺り出す。天使の中でも特に細身で非力のフーガ相手なら、僕でも拘束を解かれることは無い。

 扉から出ようと言うところでトガさんの方を見てみると、親指を立てて「グッ!」。ホッとした様子で僕らを見送る構え。

 しかし実のところ、僕も死神に関しては気になる部分が多かったりする。だから去り際、トガさんに伝えておこう。


「でもトガさん、ルルティア様からのお返事、僕も待ってますから!」


 少し引き攣ったようなトガさんの笑顔を最後に、僕らは天界レストランへと向かうのだった。


「……ルシア、お前も案外そういうとこあるよな」


 フーガの言葉はよく分からなかったので適当に聞き流した。



 * * *



 天使達は仕事をする為に二人でチームを組み、それを『バディ』と呼ぶ。仕事の内容的には大抵一人で事足りることが多いが、天使は死神と違い、人間のような感情や自我を持っている。一人ではどうしても心がダメになる者が多いため、仲の良いものとバディを組んで、楽しく仕事をするというのが天使の神格であるルルティア様の定めた決まりだ。どうしてかは分からないが、天使を人間みたくしたのもルルティア様の意向らしい。

 そんな事情もあり、バディは一緒に住む者が多い。一軒家に二人ということもあれば、何組かで住むことも、またいくつも部屋のあるおっきな家にいくつものバディが部屋を分けて住む者もいる。


 僕とフーガは一軒家に住んでいる。街から離れた小高い丘に建てた一軒家。フーガが自前で建てた一軒家。屋根がなかなかに開放的にデザインがされており、星空しか見えないほど。詰まるところは屋根が無い一軒家。というかもうただのボロい壁だ。

 建築者曰く「暗ぇ天井よりきれぇな星空見て寝る方が百万倍いいに決まってんだろ」ということらしい。だから一度は普通に建てた小屋から屋根を引っぺがしたらしい。無茶苦茶な天使なのだ、フーガは。……でもまあ、星空を見ながら寝落ちしちゃうのも悪くないから別にいいんだけど。


 寝袋に入って星空を見ながら、ふと話しかけてみる。


「結局、あの死神の言ってたことってなんだったんだろうね」


「……まだ言ってんのかあ? 死神に感情は無いってルシアも習ったろ。それが本当かどうかは知らねぇけんど、気にしすぎだ。そんなんじゃ次あいつに会った時なんて一瞬で持ってかれちまうぞ、ルシア」


「そうかなあ……」


 散々言われてしまった。フーガはもう、あの死神のことは気にしていないのだろうか。僕の心の中ではずっと引っかかっていた。どうしてかあの死神には無視してはならない何かがあるような気がする。どうして僕を見て泣いていたのだろう。


「結局、無視しちゃいけない“気がする”だけなのかな」


「ルシアがそんな気にすんのも珍しいけんど、死神とダブルブッキングなんてまず有り得ねえからな。物珍しいってだけだろ」


「それならそれでいいんだけど……」


「もういいだろ、寝ちまえ寝ちまえ。寝ちまえば大抵のことはどうでも良くなっちまうもんだ。とっとと寝て明日も仕事だぜ」


「……うん、わかったよ」


 そこからフーガの声は微かな寝息に変わった。フーガは食べることだけでなく、寝るのも飛び切り早い。今みたいに会話の直後だったとしても、僕より先に寝る。


 フーガとの会話を諦めて星空を見上げた。星はいつも輝いていて綺麗だ。人界には雨というものが降ると本で読んだ記憶がある。けど天界は雲の上だし、人界とは少しズレた次元に存在するから、雨は降らないし人間は認識も接触も出来ないのだ。おかげで空はいつでも綺麗だ。

 そういえば、フーガは少しだけ星のことに詳しかったんだっけ。一度だけ『おりおんざ』という星の話を聞かせてくれたことがある。人間の間では一番有名らしい。意外と博識なところもあるんだよな。粗暴な癖に。

 そうだ、まだ起きてたら星の話をしてもらおう。これならフーガの好きなことだろうし、会話してくれる。多分。


「ねえフーガ、また前みたくさ、星の話、聞かせてよ」


 こっそりと立ってた作戦をいざ実行に移す。反応が無い。いや、フーガは寝息を立て始めてからも少しの間は意識があるんだ。……しかし一向に反応が無い。当てが外れたかな、もう寝てしまったのかな、とフーガの方を見てみる。


 そこには寝袋に包まれ寝息を立てるフーガ。


 フードを外し、その枕元に立つ彼の表情は、やはり迷子の子供のようで――、


「……やっぱり、貴方だった。――探したよ、お母さん」


 ――死神は泣いていた。



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