第20話 心が苦しくて
翼は、叫び声と共に駆け出していた。
怒っていてもゼレクトを殴るなどと考えている訳ではなく、ただプリムを守ることだけを考えて――
だが現実は甘くない、ゼレクトの目の前まで来ると、翼は息ができない程に苦しいのに気が付いた。
ゼレクトの拳が、翼の腹にめり込んでいたのだ。更に、顔面に衝撃があったかと思った時には、既に3メートルほど吹き飛んでいるのだった。
「てめぇ、自分の身分も判ってねぇみたいだな。おぅ、とことん躾してやろうか?」
何が起きたのか理解が追いつかない······朦朧とする頭で立ち上がると、翼はゼレクトを睨みつける。これが、今できる翼の精一杯であった。
「ゼレクト、もう止めろ。ヴァリアン様の顔に泥を塗る気か」
階級の差があったとしても、招待しておいて酷い仕打ちをしては、団長だけでなく第4騎士団事態に悪い噂が立つかもしれない。
案内を任されたザンは、立場上ゼレクトを止めるしかなかった。
「ちっ、分かったよ。おい異世界人、この国はそんなに甘くねぇからな」
一言だけ残して、ゼレクトは立ち去って行く。それを見て、翼もプリムも何も言わずに立ち尽くすのだった。
「ふぅ、今あったことは他言しないでくれよ。誰かに言った所で、お互い良いことはないからな」
この後は、ザンに門の所まで送られると、第4騎士団の拠点を出て2人は足早に歩き出す。
拠点が見えない所まで進むと、翼が一度足を止めた。
「ごめんっ、僕の考えが甘かったせいだ。本当に、ごめん」
一瞬何で謝られたのか分からなかったが、一息つくと頬が痛い、それが謝られた理由なのだとプリムは気付く。
「翼様が謝ることなんてないです。それに、翼様は性格の悪い奴はどこにでも居るって、事前に教えてくれてたじゃないですか」
「そんなの考えてるうちに入らないよ······」
「············まぁ、とりあえず帰りましょう。私が美味しいご飯作りますから、元気を出してください」
プリムは、そこまで傷付いている訳ではなかった。ヴァリアンは怖かったし、ゼレクトは最悪だったが、嬉しいこともあったのだ。翼が自分を助けるために動いてくれたこと――
それは『奴隷』だと思わない、そう言ってくれたことの証明みたいなものなのだから。
「············」
プリムに励まされても、翼は頷くだけで次の言葉が出てこなかった。
帰り道、翼はひたすら考え事に浸ってしまう。時折、ぶつぶつと何かを言う姿がプリムを怖がらせているのにも気づかずに。
(つ、翼様? 大丈夫ですよね、おかしくなったりしませんよね······)
異世界人の悪い噂が頭を過る。
もし、翼が変わってしまったとしたら、それは自分のせいなのではないかと、プリムは考えてしまうのであった。
(この気持ちはどういうことなんだろう······叩かれた頬より、心の方が痛く感じます)
家までの道のりが長く感じる。殆ど会話もないまま歩くと、やっと2人の家が見えてきた。
「あの、私は夕食の支度をしますね。翼様はゆっくりしてください」
「うん、ありがとう。でも、ゆっくりなんてしてられないからさ······庭で日課の訓練をしてくるよ」
庭で1人になった翼は、日課である身体強化の訓練に取り掛かかった。
全身に魔力を巡らせ、それが上手くできたら体を動かす。これがいつもの訓練であったのだが······上手くできない。集中しているつもりでも、頭の中で別のことを考えてしまう。
(強くならなきゃ守れないのに、くそっ。上手くできないじゃないか······)
今日の出来事が悔しくて、翼は焦ってしまう。その焦りは、何も良い方向へは進ませてくれない······それがまた悔しくて、気持ちを高ぶらせた翼は、涙を抑えきれなくなってしまった。
「ゔ、ゔん、はぁ。はぁ」
深呼吸をして、落ち着かせる。冷静になろう、冷静になろうと自分に言い聞かせて訓練は中断した。
(考えをまとめよう、こんな状態で訓練したって意味ないや)
まず最初に考えたことは、プリムを人と会う場所に連れていかないことだ。特に、階級の高い人が居る場所には絶対に連れて行かないと決める。
(意外とプリムって人が居る場所に行きたがるんだよな、若いから好奇心が旺盛なのかな? それでも、ダメなものはダメってちゃんと言えるようにならなきゃ)
次に考えたのは、翼自身が強くなること。訓練の時間を増やして、判らないことはビスディオ先生にちゃんと聞こうと誓う。
(今できるのは基礎をしっかりと学ぶことだよな、それと体力づくりは絶対だな)
ビスディオから武術を学ぶことよりも、身体強化をいつでもできるようになる。
この世界で、初めて殴られて思うこともあった。あの時にしっかりと身体強化ができていれば、防御ぐらいはできたのにと。
(ふぅ、やることが見えてきたら少しは落ち着けたかな······)
翼の悩む姿を、プリムが窓から覗いていた。夕食の支度ができたことを伝えたかったのだが、声を掛けられる雰囲気ではなかったのだ。
(どうしよう、声を掛けた方がいいのかな。それとも1人にしてあげた方がいいの······)
「男の人の気持ちってどうなのかな。もうっ······解らないですよ」
プリムは悩んだ結果、声を掛けるのは諦める。椅子へ座り、翼が来るのを待つことにしたのだった。
――夕食も冷めてしまった頃に、翼がリビングへと入って来た。
「ちょっと遅くなっちゃったかな。ご飯、凄く美味しそうだね」
「腕によりをかけて作りましたからね、それでは、食べましょう」
(翼様、目が赤いです。泣いてたのかな······)
「んっ、冷めちゃってる······ごめん、待たせてたんだね」
色々と考えているうちに、思ったよりも時間が経過していた。冷めた夕食を口にして、そのことに翼は初めて気付くのだった。
「そんなに気にしないでください、冷めても美味しいですよ。ほら、食べましょう」
(もう、謝らないでください。ごめんって聞く度に、なんだか心が苦しいんです)
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