第2話『カルナは変』

「ガチャ、」

小部屋に入る。衛兵は扉を閉じた。

暗がりがいっそう強まる。


小卓の蝋燭ろうそく

わずかな灯火ともしびが簡素な調度の輪郭をすくい出す。


その中に一人の大男。


「やあ、カルナ」

部屋に入った浅黒い少年は、

その小部屋の中にいた、

極短髪の大男に、

『カルナ』と下の名前で話しかけられた。


大男の目元は優しい。

とても大柄なのに、威圧感を全く感じさせない。

穏やかな大型犬を思わせた。


その大男も浅黒の青年カルナと同じ格好だ。

きっと彼も《ヘルメスの鳥》なのだろう。


「久しぶりだな、『テッサイ』。」

カルナの言葉。

そこからテッサイと呼ばれた大男とカルナの会話がはじまる。


「お頭、元気?」

「王宮の美人局で忙しい。」

「後宮で要らなくなったお姫様がお頭に当てがわれるなんて嘘みたいだね、嘘みたいな話だ。歳はいくつ?」

「若えよ。歳は忘れたけど。《武辺王女ぶへんこうじょ》と同い年らしい。なんでも自分と同い年のその側室が、父の後宮に入ることを嫌って、王様も手出しができなかったんだと。後宮で無用の長物になっていた面倒くさい女を、新興勢力の俺たちに押し付けたんだろ。俺たちに首環をつけたつもりになってんじゃね。で、このガキが話に聞いた例のガキだな。」


カルナの向かう先、

椅子に座るひょっこりとした麻布あさの山。

その麻布あさから、少女の顔が持ち上がる。

入り口からカルナは歩みを止めない。


怯まず強気な口調で喋り出す、

その麻布あさの山。

しかも、

カルナが自分の間合いに入ってくるのを待ってから。


「私はただの商家の娘よ。子飼いの商人に父がめられて、私は奴隷商に売り飛ばされた。連れ立ちの剣奴けんど商い品わたしの護衛。奴隷商が私を粗末に扱わないために、父をめた商人が付けた。私が宝石を隠し持っていたのは、向こうの市で着飾るための元手。その方がいい値段で私は売れるし、私もいい条件で買ってもらえる。私を売った商人もそれぐらいの情けはかけてくれた。剣奴けんどではなく私が宝石を持っていたのは・・・・」


「『剣奴が奴隷商と結託しないためにするため』とか言うんだろ、どうせ」

「え?」

「宝石を隠し持っていることは剣奴けんども奴隷商も知らない。向こうに着いたら宝石含めて自分の身空は自分で売る。その方が奴隷商がさばくよりもいい値段がつく。剣奴けんどはお前の商売を奴隷商に邪魔されないように言いつけられていて、もちろんその時、剣奴けんどに宝石をカスられる危険もあるが、この取引をつつがなく収めたら、剣奴は解放され晴れて自由の身分。だったら余計な危険は冒さないし、そもそもあの剣奴けんどは今の主人からそれなりに信用されている、ってところか。」

「は?」


驚いた麻布あさぬのの娘。

蕾のように可憐な顔立ち。

唖然とする。

たかが平民へいみん出の成り上がりらしき国境の用人ようじんが、

私の嘘を見抜いただと。


「お前に一つ、いい間違いを教えてやろう。お前の剣奴の格好なりをみて、奴隷だと思うのは、むしろ極小数の人間だ。」

「え?」

「そもそもお前、商家の出じゃねえだろ。」

「はあ?」

「商人の娘にしては教養がありすぎる。お前と裏切った商人とのただの共益関係を、『情け』という抽象的イデアルな言葉で表すあたりが臭い。お前は商家の娘じゃない。もっと上流。もっと名族。《共和政エルガ》の元老院、そこに末代まで席が用意された、選ばれし世襲貴族パトリキ。お前は、幼いながらも、その末席に連なる正真正銘のエルガ貴族だ。でなければ、この窮地きゅうちひんしてなお、威風いふうを失わない猛禽もうきんのようなお前の有り様を説明できない。だろ?」

その言葉を途中から歯噛みしながら聞いていた少女。


(まあ、ただ吹っ掛けだけどな。そもそも貴人ってのは、同じならわかっちまう。そして、こういうあおりにエルガ貴族ってジャンルの貴人は弱い。)


「そうよ!」

歯噛みするのをやめ、

堂々、顔を差し向けた少女。


「私は共和政エルガ、属州ガリア総督、《ガイウス・ユリウス・カエサル》が娘、《ガイウス・ユリウス・オクタヴィア》!!」


属州総督の娘だって?

なんでそんなトンデモないのがこんな辺境の国境にご足労願ってんだよ。

カルナは驚きを隠しながら、暗闇に横目を向ける。


【ガイウス・ユリウス・カエサル】

・ガリア征服をしながら、なぜか船舶について出資(他人の金)を重ねている。傭兵は使わない。


嘘ならもう少しマシな嘘つくだろうし、

これはこの餓鬼がきが親父をネタにして、

こちらと取り引きをしようとしているんだろう。

チッ、この餓鬼がき、商家の子供でもねえくせに目端が利きやがる。


「ああ、そうかい。んで目的は?」

「世界各地を回り、政治、宗教、医学、法学、哲学、算術、天文学、建築学、測量術、ありとあらゆる学問を修めて、来るべき父の覇道の継承をするの。訳あってジッセンはニガテだから、従者のアグリッパに修めさせるわ。サンドラ亡命はその事始め。密使とか、政体をひっくり返すような権謀術数けんぼうじゅっすうは今はしないわ。さあ、分かったらなるべく早く裏を取って、とっとと私を解放しなさい。もちろんアグリッパを引き渡してからね。」


「えーと、アグリッパっていうのは。」

「彼女の言った連れ立ちの剣奴けんどだね。年は大体13ぐらいの男の子。別室にいるよ。」

後ろのテッサイが応えた。

「そんな餓鬼タレ連れて餓鬼がきが亡命を企てんのかよ。なんていう清水の舞台からの飛び降り方だよ、エルガ貴族は。いくらなんでも哲学が先走りすぎだろ。ストア派のアスケーシス(大雑把に禁欲生活の意)といい、プラトンのパイドンからついてけんぜ、俺は。」

「にしてもすごいねこの子。この歳でとっても親孝行だよ。はは、俺とは大違い。で、どうする?僕としては、この子に遊学してもらいたいんだけど。」

「身柄は本部こっちで引き取る。こいつにはサンドラへの当てがあるだろうし、そこからの連絡を待ちながらこいつから詳しく事情徴収した方が確実だ。密使の可能性は別にねーだろ。でもとりあえず身ぐるみ全部引っぺがせ。書類に書かなきゃいけねえからな。」

「え!」

「大丈夫だよー。ここにはサンドラ貴族みたいな危険な人はいないからー。」

「え、あ、ちょ、ちょっと!」

そう言いながら美少女の服を脱がしにかかる大男のテッサイ。

カルナはといえば小さい子供が大好きなテッサイとは違って、

餓鬼がきのお着替えになんて興味がなかったから、

背を向けて、大男と美少女だけが残る部屋を後にする。


控えて様子を見ていた案内の警備兵も早足で続いた。

気になって、カルナに話しかける。

「いいんですか?あの娘の話が本当なら父親は属州総督ですよ。女手は一応あるし、そちらに任せた方が・・・」

「ああ?いいよ、めんどくせえ。」

カルナの言葉。


「国境警備の仕事だしな、一応テッサイがやらんと。女中を叩き起こすもの申し訳ないし、まさか属州総督の父上さまが赴任地のガリアからで攻めてくるわけでもない。」

「あ、いや、それはそうかもうしれませんが・・・・(流石『ヘルメスの鳥』、虎狼ころうの類いと言われるだけのことはある。)」

「んなことよりもアグリッパだ。確か話によると男らしいな。奴隷だし、今度は手加減なく締め上げていいだろ。まあ、あのガキみたく賢けりゃいいな。苦痛を与える手間が省けていい。」

「まあ、ただの子供の奴隷ですしね。向こうもこうなったが最後だと思ってますよ。もう他の兵士が痛めつけてるかもしれません。そのほうが手っ取り早くていいでしょう?」

それを聞いてカルナは足を止めた。

「はあ?誰の指示だ?」

「え、あ、いや。不味かったですか?」

「いや・・・・別に構わない。」


だがその言葉とは裏腹に、カルナは立ち止まり、下を向いてブツブツと呟き始めた。兵士の目から見て、その様子はあまりに奇怪だった。


聞きなれない言葉が聞こえる。


ブツブツブツブツ・・・その前に世界の全ては分類できるとしたアリストテレスの説は本当だろうか?世界を破綻のない一冊の字引きにすることは可能か?だが現実に存在する字引きにある言葉によって、字引きの言葉を説明することは出来ない。ならば一体人間はいかにして規則を形成しているのか?循環論法が弁証法になりえる可能性だと?だが、循環するだけでは、いずれ均衡に行き着くだけで、諸々の現象が動的に変化していくことが説明できない。お互いにメッセージを送りあう二相が相互出入力を通して、お互いの様相を変化させている?そしてその運動によって言語規則が形成されている?それじゃ、まるで子供の遊びじゃないか。その場合、質料と形相の区別はどうなる?言葉を枠と中身に分けよう。ならば詩と散文の違いを考える必要があるのか?トポスプシュケーの関係を考えなければ。なぜ人間は川へ洗濯をしに行く時以外も、川へ洗濯をしに行くことを考えるのか?想起を貯蔵している?言語によって?詩と場は密接な繋がりがある。場と魂が切り離されるのと、散文が意味を貯蔵するのは、どちらが先か。場は大地の産物だ。なぜ果てしない夜空を見上げる時、いつも足元には大地があるのか?端的な贈与?だがそんな根源を想定しながら、その根源に至ろうとしない人間精神はいかにして可能か?体が一つであることと、魂が一つであることは、上下左右、つまり大地の認識を通して、繋がっている?ブツブツブツ・・・・魂のためには、やはり肉体がひつようだ。


その呟きは、もっと長い間続いた。

だが急に呟きが止まった

すると、ふむ、と独り合点。

そしてまた歩み出したカルナ。

彼は言った。


「子供は我らにとって貴重な宝であり未来だ。これからはたとえ奴隷の捕虜であったとしても丁重に扱うように。さて、」


ここが独房か。おい、お前ら、その当たりにしておけ。今度は俺が代わる。だが、まずは飯だ。子供に飯を食べさせる必要がある。女中をおこせ!誰か台所くりやに案内しろ!この俺様が夕食のあまりがあるかどうか見にいく!


はあ?一体なんなんだ?俺たちは『エルガ市民の少年』に『花札』教えてただけだぞ。

と廊下で兵士はいぶかる。

(女中にバレたら困る。強いやつがいて、)


「ったく、わけのわからない虎狼どもだ。」

そのわけのわからない虎狼様を台所くりやに案内するために、兵士もまた独房へと入っていった。



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2024年11月16日 06:00 毎週 土曜日 06:00

賊の嫁。 畦道 伊椀 @kakuyomenai30

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