トレイン イン ハンズアップ

タヌキング

ハンズアップ

「井上さん少し急ぎましょう!!」


「は、はい!!先輩!!」


駆け足気味に私達は地下鉄の電車に乗り込みました。

先輩も商談に向かう為にタクシーで向かおうとしたのですが、今日に限ってタクシーが捕まらず、仕方が無いので地下鉄の電車を使うことにしたのです。

あっ、失礼しました。私の名前は井上 薫(いのうえ かおる)。自分の容姿を説明するのは不得意ですが、仲の良い友達からは背が高くて(173センチ)ムチムチしてると、よく言われます。


「ふぅー、どうにか間に合いましたね。」


「そ、そうですね先輩。こんなに走ったのは高校以来です。」


私の先輩は荒井 弘和(あらい ひろかず)さんといい、スポーツ刈りの似合う筋肉隆々の逞しい男の先輩です。先輩は後輩の私にも敬語で喋ってくれるますし、レディーファーストでとっても紳士的なんですよ♪


「あっ、電車が動きますね。井上さん吊り革を待った方が良いですよ。」


「はい。」


荒井先輩の言う通り、私は右手で電車の吊り革を掴みました。

すると荒井先輩は私が掴んだのを見届けたあと、両手を上げて、両手で吊り革を掴みました。

筋肉隆々の先輩が吊り革を両手で掴むと、新体操でも始まりそうです。


「荒井先輩。片方の手だけで宜しいのでは?」


「い、いえ、両手を上げておかないと、電車が揺れた時にバランスを崩して、手が他のお客さんの体に触れてしまう恐れがありますので、こうしてないと落ち着かないんです。」


「でも、お客さんも少ないですし、その危険はほぼ無いかと。」


「ま、万が一ということもありますので!!」


顔を赤くして非常に可愛らしい荒井先輩。

電車で両手を上げている先輩を見ると、昔を思い出してしまいます。

実は私は高校生の時に荒井先輩と出会っているのです。


〜5年前〜


井上 薫です。高校生の私には、とある悩みがあります。

それは通っている高校が遠くにあるので、少しの間ですが、満員電車に揺られながら移動しないといけないということです。

満員電車は勿論男の人も乗ってきますので、揺れた時に男の人の手が、私の体が触れたりすると悲鳴の一つでも上げたくなるのです。

毎朝、憂鬱な気持ちを抱えたまま電車に乗り込みます。それが原因で少しノイローゼ気味になっていた私なのですが、そんな時、あと人に出会ったんです。

筋肉隆々、スポーツ刈り、スーツを着たサラリーマン風の男の人。

見かけだけでも目立つ彼ですが、緊張した顔で両手を挙げている姿が妙におかしくて、最初は少し笑ってしまいました。

それから自然と朝の電車の車内で彼を探すようになり、見かける度に両手上げしている彼を見る度に心が和み、満員電車の不快感が少し和らぎました。

一度近くにいた時、電車が揺れて私の肩が彼の体に触れてしまい、彼は顔を真っ赤にして「すいません!!すいません!!」と平謝りしていました。くすっ、別に彼は悪くないのに。

そんな日々が続いたある日のこと。


その日はいつもより電車が満員で、まさにスシヅメ状態であります。

私の近くに両手上げの彼がおり、彼もいつも以上に困った顔でした。彼が近くに居るだけで多少は安心できましたが、本当にお客同士の体と体が触れ合うぐらいの満員具合で、凄い圧迫感があり、ガタゴトと電車が揺れる度に緊張感が走ります。

早く、駅に着かないかな?

そんなことばかり考えていると、ある出来事が起こったのです。


"ムギュ"


「えっ?」


思わず私から声が漏れます。私のお尻が誰かに鷲掴みにされたのです。スカートの上からですが不快な感覚が私の全身に伝わり、私は怖くてガタガタと震えました。俗に言う痴漢ということでしょうか?まさか自分が痴漢される日が来るなんて思いもしませんでした。

そして恐る恐る、誰が私のお尻を鷲掴みにしているのか?と思い、後ろを私が振り向くとそこには普段両手を挙げている、あの人の姿がありました。いつも手を上げている筈なのに手を下げており、顔も目付きが鋭くとても怖いです。

えっ?この人が私のお尻を触っているの?誠実そうな態度を取っていたのに、あれは嘘だったの?

そんな風に考えて、勝手に失望してしまった私ですが、その考えは、あまりに浅はかでした。

私のお尻から手が離れたので、振り向いたまま目線を下に向けると、両手上げの彼が右手で私をお尻を掴んでいた別の右手を捻り上げています。


「痛いぃいいいいい!!」


右手を捻りあげられているのは、人は頭の禿げた五十代くらいの中年男性で、苦痛で顔を歪めていました。


「次の駅で降りますよ。」


いつもの優しそうな顔とは裏腹に、真剣な眼差しで中年男性を睨め付ける両手上げの人。

すると今度は両手上げの人はパッと表情を変え、困ったような顔で私の方を見てきました。


「怖い思いをしましたね。すいませんが駅員さんに事情を説明しないといけないので、アナタも次の駅で降りて貰えると助かるのですが。」


「わ、分かりました。」


確かに怖い思いをしましたが、それとは別に私の胸はキュンキュンと疼きました。

これは所謂……恋というものでしょうか?

そのあと三人で次の駅で降り、私と両手上げの人で駅員さんに詳細を説明し、事態は収まりました。

両手上げの人を好きになった私ですが、そこからの進展は無く、あっという間に高校生活は終わり、両手上げの人とも、めっきり会わなくなってしまいました。

ですが大学を出て食品会社に就職した私は、そこでまさかの再会。私の教育担当の先輩が両手上げの人こと、荒井先輩だったのです。

私の胸は再び高鳴り始めました。



〜現在〜


「荒井先輩は私のこと覚えてないんですか?」


「えっ?」


ガタゴトと揺れる地下鉄の電車の中で、両手上げの荒井先輩に思い切って聞いてみました。

今まで私のことを覚えている素振りを一度もしてなかった荒井先輩なので期待薄いですが、流石に覚えていて欲しい気持ちはあります。


「えっ、あの、その……。」


「わ、私!!あの時、痴漢されてた女子高校生です!!あの時、先輩に助けてもらいました!!」


思わず大きな声を出してしまい、先輩を驚かして、周りの人達の注目を浴びてしまっていますが、ここで言わなければ一生思い出してくれそうになかったので、致し方ありません。

荒井先輩は両手を上げたまま、暫く困ったように笑い。こう私に告げました。


「実は知ってたんです。」


「えっ?」


まさかの反応、荒井先輩が私のことを覚えていたとは思いも寄りませんでした。


「井上さんが入社した時、あの時の女子高生だとすぐに分かりました。でも僕のことなんて覚えてないでしょうし、覚えていたとしても痴漢なんて井上さんには苦い思い出だと思いましたし、名乗り出るつもりは毛頭ありませんでした。ですがそれが裏目になって、井上さんに不快な思いをさせたていたとしたら申し訳ありません。」


深々と頭を下げて謝る荒井先輩。

思いやり深い荒井先輩らしいです。

なんというか……その……キュンってしますね♪


「全然不快じゃないです♪むしろ幸せな気分で♪」


「えっ?……なんでですか?」


私はその問いに答えずに、行動を移すことにしました。電車が揺れたのを利用してと♪


「えいっ♪」


私は荒井さんの胸に飛び込んでみました。両手が上がってて無防備で助かります。


「わっ、ちょっと!!何してんですか!!井上さん!!」


はぁはぁ、荒井先輩の逞しい大胸筋。くんかくんか、何か良い匂いもしますし♪フェロモン出てますよね♪これはフェロモン出てますよね♪


「あわわ……井上さん、胸当たってるんで、そろそろ離れて下さい!!」


当ててるんですよー♪

もうここからは徹底抗戦の構えです。

いつか荒井先輩が上げた両手を下げて、私を抱きしめてくれる日が来ると良いなぁ♪



















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