桟橋屋タイプ・ゼロ再び その1

「お客さんですか? いらっしゃいませ、桟橋屋タイプ・ゼロへ」

 桟橋屋の店員はペンとノートを乱雑に机に放り出して、ニコニコと微笑んでみせる。

 どうもその作業が嫌だったようで、リジーが現れたことで手放せるとでも思ったのだろう。

 それにしても、帳簿を付けていたようだが、机の上にあったソロバンに一切触っていなかったような気がしたが……

「輸送ですか? それとも遊覧飛行ですか?」

 テリブルが居ないのなら、ここに居ても仕方がない。だけれど、何も言わずに出て行って、変な人と思われるのはリジーの気に障る。

「あッ、道を……」

「道案内ですか? ごめんなさい。わたし、まだこの街に来たばかりであまり詳しくないです」

「そう……。それならいいわ。気になさらないでね」

 早く退散しよう……そうしたかったが、たまたま下を向いた途端、帳簿の中身を見てしまった。

 いけないことだ。

 人の店の収入やら何やら見るなんて、失礼になるだろう。だけど、数字が頭の中に入ってくる。

 数字を足したり、引いたり……あれ?

「あの、そちら間違ってません?」

「何がですか?」

「ここの数値。間違っていますよ」

 言ったそばで、余計なことを口にしてしまったと、後悔した。

 桟橋屋の店員は不思議そうな顔をして帳簿を見る。が、よく分かっていないようだ。

「ですから、ここ……」

 指を指して教えたが、まだ分かっていないらしい。

 頭の上に「?」がいっぱい浮かんでいそうな顔をしている。

 そして、ほかの数値を見ていくと間違いだらけだ。

 リジーはだんだんイライラしてくる。

 ひょっとして、この人は体は大きい――もちろん、自分より――が、かなり年齢が低いのではと思えてきた。飛行服も格好だけ付けているだけかもしれない、と……。

「なんで八と七を足して、十五になるんですの」

「えっと……」

 と、指を出して数え始めた。

「ソロバンを使いなさいよッ! というか、それぐらい暗算で……あッ、ごめんなさい」

 レディーとして声を上げるなんて、母親が見ていたらまた小言を言われるだろう。

 それに、 店員はキョトンとした顔で見てきている。

 リジーにはそもそも関係ない話だ。

 この桟橋屋の経理がこんなポンコツがやっていることなど……。

「スゴいですねッ! 感心しました。で、ほかにどこが違っているんですか?」

 と、ソロバンを押しつけてきた。

(帰りたい……)

 突っ返して帰ればいい話だ。だが、相手は救い主が現れた、とばかりに目を輝かせている。

 大方、朝からできない経理をさせられていたのだろう。

 かわいそうになり、一瞬救いの手を差しのばそうか、と考えたがここに来た目的を思い出した。

 彼の姿を見たからだ。奥の海……桟橋の方から彼が現れた。

「テリーさんどうでしたか?」

 店員にそう言われて、彼は首を振った。

「今日はダメだね。そちらは?」

 珍しく客がいるためか、リジーにはすぐに気がついたようだ。

「えっと、私の救世主です」

 そうじゃないだろッ! といつもだったら突っ込んでいたリジーだが、彼の前で緊張して口が回らない。

「冗談です。道をお尋ねとか……えっと、どこでしたっけ?」

「あっ、えっと……オっ、オリバー=スミスさんのお宅……」

 あがってしまって、あまり頭が回っていない。

 そもそも適当に道を聞こうとしていたのだ。そのあたりのところを決めるのを忘れていた。

 適当な名前。

 とっさに、『オリバー=スミス』なんて言ってしまったが……

「オリバー=スミス?」

 彼、テリーは眉間にしわを寄せながら考え込み始める。

 適当に考えた名前だが、ホントに居たりして。それはそれで「ごめんなさい、間違えましたわ」で済ませばいいか……。

「この辺には居ないな?」

「そッ、そうですか。オホホホホホォ……では、失礼させてもら……」

 今回は笑ってごまかそう。と、逃げようとした。

 リジーは笑ってはいるが、心の中では恥ずかしいのでいっぱいだ。

 自分で自分を制御できない。顔から火が噴きそうになっているのだが、服の裾を引っ張る手が現れた。

「帰っちゃうんですか……」

 あの店員が涙目でいる。

(悪いけどホント帰らせて、これ以上持たない)

 しかし、その手はなかなか離してくれない。

「エリナちゃん。彼女が困っているだろ」

 様子がおかしいのを彼が察知してくれたのだろう。

「あッ、ごめんなさい」

 エリナと呼ばれた店員はようやく手を離してくれた。

「申し訳ない。この子はいろいろと抜けているところがあるが、飛行機の操縦はうまいよ」

「何ですか、抜けているなんてひどい」

 と、エリナはコロコロと笑った。

 それをリジーはうらやましくなった。

 なんでそんな気になったのか、自分では分からない。

 その結論が出る前に、突然テリーがバーカウンターの後ろに走り出し身を隠した。

 リジーが何事か? と、あっけにとらわれていると、店の前に車が止まったようだ。

「こんにちは」

 男が入ってきた。ホワイト・エリオン族の男だ。

 彼女の認識では彼らは長身でスマートな感じなのだが、耳が尖っていなければ、ヒューリアン族の小太りで人の良さそうなおじさんといった感じだ。

「レジスターさん、こんにちは。お仕事ですか?」

 エリナとは顔見知りらしい。

 レジスターと呼ばれた男はうなずくと、店の中を見渡した。

 そして、リジーを見ると微笑んで見せたが、ほかに何か探しているようだ。

 その時、バーカウンターの奥のドアがひとりでに開いた。ゆっくりと……。

「テリー君が居たようだが……」

 レジスターがバーカウンターの方へ近づいていく。だが、誰も居なさそうな顔をこちらに向けた。

 確か、テリーが隠れたはずなのに……。

(確か居たはずなのに?)

 リジーが不思議に思うのもつかの間、すっと風が目の前を通り過ぎていった。桟橋へつながっているドアが開いていたから、そこから風が入り込んだのだろうか?

 レジスターは続けて、奥のドアを開けてみたが、やはり居ないようだ。

「テリーさんはここしばらく見ていません。ねぇ」

 と、エリナに相づちを促される。

 リジーの方は、状況がつかめていないので苦笑するしかない。

「そうかね。一般市民としては、彼を見かけたら義務を果たさなければならないだろ」

「賞賛ですか? あのフランクリン島の……」

 リジーはそのために今ここに居るようなものだ。だが、レジスターの反応は違っていて、不思議そうな顔をする。

「何を言っている。警察に通報するに決まっているだろ」

「警察に通報?」

「アナフィラキシーの彼を放っておくのは、一般市民として義務を果たさなければ」

「アナフィラキシー!?」

 リジーは声を上げてしまった。

 彼女の中でテリーのことを計りかねていた。

 普通のホーネットだと思っていたからだ。あの時、助けてくれた腕の立つホーネットだと。

 それが暗殺を専門としているアナフィラキシーだなんて……でも、そんなお尋ね者アナフィラキシーが、真っ昼間に堂々と街中を歩いているわけがない……はずだ。

 とはいっても、あの時期にフランクリン島にいたのはなぜか?

 という疑問が湧いてきてきたが、簡単な答えがすぐに出てきた。

 シーズンオフだから目立たないため。

 そして、ニュース映画に映ったとき、すぐに隠れたのは顔がばれるのを隠すためた。照れ隠しではなく、マズイと思って笑ったのだ。

 リジーはどっと疲れた。

 自分が一喜一憂していたのは何だったのだろうと……。

「大丈夫かね? さあここに座って……」

 急にふらついた彼女を心配して、レジスターが椅子を勧める。

 エリナの方も慌てて立ち上がると、彼女に寄り添い「何か飲まれますか?」と声をかけてきた。

(アナフィラキシーだからといって、アタシは……)

 興味も、、一時の気の迷いだ……そう思っていれば済む話だ。

「さあ、これを飲んで落ち着いてください」

 エリナがガラスのコップを渡してくる。

 何が入っているのか確認せずに飲んだ。

「ぐっふぇ……なッ、何これ!? ゴフォッ、ゴフォッ……」

 一口飲んだところで、リジーはこぼしてしまった。

 ひどく咳き込む。喉が熱い。

「気付け薬です」

「ゴフォッ……気付け薬って、ブランデーじゃないの!?」

 琥珀色の液体が目に入ってきた。匂いもきつい。

「ゴフォッ、ゴフォッ……おッ、お水ちょうだい!」

 今度はちゃんと水を持ってきた。

 とにかく喉が熱い。一気にその水を飲み干す。

 それでようやく落ち着いた。まだ喉が熱いし、額に汗が沸いている。

「大丈夫かね?」

「はい。なんとか……」

 ハンカチで汗を拭き、もう一杯水を頼んだ。

 先ほどこぼしたために、お気に入りのブラウスにもシミが付いているようだ。

 ハンカチでそれも拭いてみたが……洗わないと取れないかもしれない。

「しかし、君は誰だね?」

 レジスターの質問は、当然な質問だ。

 見ず知らずの女性が、不似合いの桟橋屋にいて、卒倒しそうになっているのだ。

 そして面倒をかけたのだ。

 名乗らないわけにはいかなくなっていた。

「わたくしは……」

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