第31話 一緒にいるために



「ねぇ、秋斗あきと。今日は顔色悪くない?」


「そうかな? 昨日は少し眠れなかったから、そのせいじゃないかな」


「本当に大丈夫?」


「リアは心配しすぎだよ」


「でも」


「今日は早めに切り上げる予定だから、大丈夫だよ。じゃあ、僕は先に行くから、また休憩時間にね」


「……うん」


 土曜日の昼下がり。


 メルヘンチックなカフェでバイトを始めて二週間が過ぎた。


 ホールスタッフの仕事にもすっかり慣れた私──リアだけど、ずっと秋斗の様子が気になって仕方なかった。


 もともと細い秋斗なのに、目に見えて痩せてるし、顔色もあまり良くなかった。

 

 それでも本人が認めないので、ただ見守ることしか出来ないし……。


 けど、少しでも手助けしたくて、秋斗と同じテーブルを片付けていると、まーくんが肉まんのワゴンを引いてやってくる。


「リア、今日も猫耳可愛いね」


「……仕事中だろ。こっちを見るな」


「リア、なんだか調子悪そう」


「……うるさい……うっ」


 まーくんが話しかけるなり、秋斗がふらついて──そのままテーブルの下に倒れた。


 ガシャンと食器がぶつかり合う音が響く中、秋斗は顔を歪ませてうめいた。


「秋斗!」


 やっぱり、無理してたんだ。


 意識のない秋斗を見て私が泣きそうになっていると、まーくんが秋斗を抱えようとして手を広げた。

 

「これはお姫様だっこだね」


「お姫様だっこって……細いけど、秋斗は男の子だよ? まーくん一人で抱えられる?」


「大丈夫、58キロのリアなら余裕だよ」


「え……秋斗って58キロなの?」


「待ちなさい、田橋たはしくん。お姫様だっこなら私がしますから、あなたは仕事に戻ってください」


「僕はそろそろ退勤だから大丈夫だよ」


「田橋くんにお姫様だっこされたとわかったら、相智あいちくんが泣きますよ」


「リアだって、お姫様だっこされるなら僕がいいに決まってるし」


「思い込みの激しい人ですね。私のほうが喜ばれるに決まってますよ」


「どっちにお姫様だっこされても秋斗は怒ると思うよ?」


 お姫様、もとい秋斗を取り合うまーくんと南人みなと兄さんを見て、私が少し苛立っていると、そのうち目を覚ました秋斗が自力で身を起こす。


「……う」


「あ、秋斗……大丈夫?」


「ああ、少しめまいはするけど、大丈夫だよ」


「全然大丈夫じゃないよ! 今から病院に行こう?」


「でもまだ仕事が残ってるし」


「これ以上ムリするなら、私がお姫様だっこするからね」


「リア……なにを……?」


「秋斗のことが心配だから言ってるの!」


大塚おおつかさんがお姫様だっこ……それは絵になりますね」


「リアがリアをお姫様だっこ」


「まーくんと南人兄さんは邪魔だから、あっちに行って!」


 それから私は秋斗に肩を貸しながら、タクシーで近くの総合病院に向かった。




 病院で診察を受けて、すぐに点滴をしてもらうことになった秋斗は、空いているベッドに寝かされて安静にさせられた。


 しばらくして点滴で顔色が良くなった秋斗を見て、なんとなくホッとした私は、その頬にそっと触れる。


 すると秋斗はくすぐったそうに笑った。


「秋斗、過労だって?」


「……うん」


「だからムリしないでって言ったのに……もうバイトは辞めよう」


「どうして? リアは楽しいんでしょ?」


「秋斗が無理するから、心配でバイトなんかしてられないよ」


「僕は……ずっとリアのそばにいたかったんだ」


「その気持ちは嬉しいけど……だからって、いつまでもずっと一緒にはいられないよ? 大学だって別だし」


「だからこそ、今はなるべく一緒にいたいんだ。いつか離れるなら、せめて今だけでも……」


「……だったら、私がバイトを辞めるしかないよ」


「僕なら大丈夫だから、続けなよ」


「こんな秋斗を見て、続けられるわけがないよ。とりあえず、シフトは変更してもらうからね」


「リア」


「そんなにまーくんたちにお姫様だっこしてもらいたいの?」


「お姫様だっこってなんの話?」


「倒れた秋斗をお姫様だっこしたいって、まーくんと南人兄さんが争ってたよ」


「……仕事を減らすよ」


「そうしたほうがいいよ」


「……リア、ごめん。せっかくバイト楽しんでたのに、水を差すようなことになって」


「いいよ。私は秋斗がいたから心強かったし。それに秋斗も楽しかったでしょ?」


「まあ、それなりに」


「私、店長に掛け合ってみるよ。猫耳を終了できないか」


「……ありがとう、リア」




 ***




「え? 猫耳を辞めたい? それは困りましたね……秋斗くんのように猫耳が似合う人はそういませんしね」


 秋斗を連れてバイト先に戻ってきた私は、さっそく猫耳の件で店長と掛け合うことにしたけど──店長は簡単には首を縦には振らなかった。


「でも過労で倒れたんですよ?」


 私が怒り気味に詰め寄ると、店長は「ひい」と情けない声を出して後ずさった。


 けど、ここで引くわけにもいかないし、強気で前に出ると、南人兄さんも店長に鋭い目を向けた。 


「そうですね。倒れるほど仕事をさせるなんて、私はあなたを見損ないましたよ」


「君も秋斗くんの猫耳を誇らしげに見ていたじゃないか」


「私もまさか、そんなに働いているとは思いませんでしたから。私の監督不行き届きでもあります」


「とにかく、猫耳と仕事量を減らしてもらえないなら、私も秋斗もここを辞めます」


 私がそう断言すると、店長は諦めたようにため息をついた。




 バイトから帰る頃には、けっこう遅い時間になっていた。


 今日は私が秋斗のことを家に送り届ける予定だったけど、心配だからと言われて、結局私が送ってもらっていた。


「どうしたの、秋斗。今日はニコニコしてるね」


「めずらしく、リアに愛されてる実感があるからね」


「なんの話?」


「僕のことをあんなに一生懸命訴えてくれるなんて──嬉しくて」


 暗い広小路で、秋斗がいきなり私を抱きしめる。


 点滴のおかげですっかり元気になった秋斗は、私の肩で匂いを嗅ぐような仕草をする。 


「ちょっと! ここは公共の場だよ?」


「ごめん、思い出すと嬉しくて、つい」


「つい、じゃないよ」


「あ、またリアがリアを抱きしめてる」


「だから、いいところで邪魔するなよ」


 いつの間にかついてきたまーくんのおかげで、変な雰囲気にならなくてホッとしていると、秋斗が舌打ちした。


 元気になった途端、これなんだから……。


「それより、まーくん……その猫耳どうしたの?」


 黒のジャケットにジーンズのまーくんが、猫耳をつけているのを不思議に思っていると、まーくんは笑顔で猫耳カチューシャを外した。


「リアが大変そうだから、店長に頼んで僕がかわりに猫耳担当になったんだ」


「え、本当に? まーくん、ありがとう!」


「どう? 僕も似合う?」


「うん、似合う似合う」


「……」


 私がまーくんのことを褒めて手を叩くと、秋斗は見るからに不機嫌になる。


 秋斗の負担が少なくなるなら、いいことだと思うけど、まーくんに負けたくないのだろう。不服そうな秋斗に、私は仕方なく提案をする。


「ねぇ、秋斗……良かったら、このあとうちでご飯食べる?」


「え? リアの家で?」


「うん。今日も秋斗の家は誰もいないんでしょ? だったら、うちで食べていくといいよ」


 私が言うなり、秋斗の顔が明るくなる──けど、私はまーくんがいることを忘れていた。


「ほんと? リアのご飯が食べられるの?」


「私はピーマンがなければなんでも大丈夫です」


 どこから湧いてきたのか、南人兄さんも加わって、秋斗の機嫌が再び悪くなる。


「お前たち……どうしてそう、僕の邪魔をするんだ?」


「ごめんね、まーくんと南人兄さん。今日は材料がそんなにないから、みんなの分は作れないよ」


「そうなの? じゃあ、材料買って帰る?」


「田橋くん、空気を読んでください。大塚さんが珍しく相智くんと二人になりたいと言っているのです」


「リアとリアが二人になるの? なんだか危険な香りがするよ」


「お前のほうがよほど危険な人間だよ」


 空気を読んでくれたのは嬉しいけど、目が合うなり親指を立てる兄さんのせいで、なんだか恥ずかしくなった。




 ***




「リアのほうから誘ってくれるなんて、珍しいよね」


「う、うん……今回は私がバイトしたいって言ったから、こんなことになっちゃったわけだし……お詫びに何かできないかと思って」


「田橋と小金先生を帰すということは、期待してもいいのかな?」


「……ほんのちょっとだけ」


「ほんのちょっと? どこまでならいいの?」


「ほんのちょっとって言ったら、ほんのちょっと……」


 自宅に連れてきておいてなんだけど、リビングで既に私は逃げ腰だった。


 そんな私を宥めるように優しく抱きしめる秋斗。


 なんとか覚悟を決めた私はゆっくりとその背中に腕を回した。


「秋斗、けっこう痩せたよね? ちゃんと食べなきゃだめだよ」


「……わかってるんだけどね。忙しいとつい食事がおろそかになるよね」


「また今回みたいなことが起きたら、別れるからね」


「それは怖いな……」


「本気だよ? 秋斗は私のせいで倒れたんだから……私なんていないほうがいいかもしれないよ」


「そんなこと言わないで。本当に反省してるから……もう二度とリアに迷惑かけたりしないよ」


「迷惑とかそういうことじゃないの。秋斗には自分を大切にしてほしいんだよ」


「……努力するよ」


 ゆっくりと唇を寄せてくる秋斗に、私はぎゅっと目を瞑る……けど、いつまで経っても触れてこない秋斗に、痺れを切らして目を開けると──


「だからなんでお前たちがいるんだよ」


 私と秋斗のすぐ隣にまーくんと南人兄さんの顔があった。


「鍋の材料買ってきたよー、みんなで鍋パーティしようよ」


「それは良い考えですね」


「お前たち……帰ったんじゃなかったのか?」


「すみません……食材を買う田橋くんを止めることができませんでした」


「リアとリアは慣れないバイトで疲れてるみたいだから、今日は僕が作ってあげるよ」


「僕はもうすっかり元気だから帰れよ」


 不貞腐れた顔をする秋斗が可愛くて思わず笑うと、秋斗がこっそり私の耳元にキスをする。


 驚いて秋斗の方を見ると、彼は小さく舌を出してみせた。


 そんな秋斗を可愛いと思ってしまう私は、重症だろうか。


 そしてその日はなぜか兄さんもまーくんもテンションが高くて、鍋パーティは夜遅くまで続いたのだった。










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