第30話 初めてのバイト
「ねぇ、
繁華街にあるカフェのバックヤード。
ホワイトボードと椅子しかない部屋で、私は自分の姿を入念にチェックする。
白いシャツに黒のパンツ、それに
すると同じくカフェの制服に着替えた秋斗が、私の姿を複雑そうに見ていた。
「うん、リアの制服姿、すごくいいと思うよ。それはそうと……どうして僕だけこれなの?」
私と同じ白いシャツに黒のパンツ。それに燕脂色のエプロンを着た秋斗の頭には、猫耳のカチューシャもついていた。
「猫耳、とっても似合ってるよ」
「いや、そういう問題じゃないよ。これでホール担当とか、おかしいよね」
「リアさん、
秋斗が難しい顔をする中、バックヤードにカフェの店長がやってくる。店長は私たちを見るなり手を叩いて嬉しそうな顔を見せた。
「おお、二人ともよく似合ってますね」
……この人、どう見ても夜道で遭遇した変質者にしか見えないんだけど。
青灰色のスーツに黒いサングラスをつけた店長は、住宅街で声をかけてきた変質者にそっくりだった。
けど、バイトを紹介してくれた
「どうかしましたか?」
どうやら考えていることが顔に出てたらしい。
私が少しだけ警戒していると、南人兄さんもやってくる。
「
「だって、どう見たってあの時の変質者にしか……」
「何度も言うように、友人はこのカフェの店長であって、変質者ではありませんよ」
「そんなに似ているのですか?」
「悪いね、店長。うちの生徒が失礼で」
「かまわないよ。僕の顔なんて、どこにでもいるモブ顔だからね」
自虐的に笑う店長に私が顔を引きつらせていると、秋斗が不服そうに手を上げた。
「それはそうと、店長……どうして僕だけ猫耳なんですか?」
「ぬいぐるみも追加したほうが良かったですか?」
「店長……僕は今日ホール担当だと聞いたんですが」
「ですから、ホールでマスコット的キャラクターになってください」
「意味がわかりません。そもそもここはパンケーキ中心のカフェじゃ……」
「この店の目指すところは究極の癒しですから、秋斗くんには究極のホールスタッフさんになっていただきます」
「やっぱりバイト辞めていいですか?」
南人兄さんの友達だけあって、普通じゃない発想の店長に、秋斗が嫌そうな顔をしていると──隣の部屋のドアが開く。
「逃げるの?」
新たに現れたのは、青いボーダーのトレーナーに緑のパンツ、それにバンダナを首に巻きつけたまーくんだった。
「まーくん! どうしてここに?」
「今日はここでワゴン販売を担当するんだ」
「ワゴン販売? カフェで?」
「肉まんを売るんだ」
「カフェで肉まんのワゴン販売とか聞いたことないよ」
まーくんのよくわからないバイト内容を半信半疑で聞いていると、店長は得意げに説明を始めた。
「中には甘いものが苦手なお客様もいらっしゃいますからね。そういう方にも美味しく召し上がっていただくために、肉まんワゴンも用意しました」
「いや、甘い物が苦手だったらパンケーキの店には来ないと思うけど」
すかさずツッコミを入れる秋斗だけど、なぜか南人兄さんが親指を立てた。
「すみません! 肉まんください」
「こっちも肉まん二つ!」
「肉まん六つお願い!」
世の中、何が売れるかわからないものである。
メルヘンチックなカフェで、まーくんがワゴンを出してくるなり注文が殺到するのを見て、私と秋斗は唖然とするしかなかった。
「意外と需要があるんだね、まーくんの肉まん」
「じゃあ、僕は肉まんを売ってくるから、リアも頑張ってね」
ガラガラとワゴンを押すまーくんを見送った後、隣を見れば秋斗が猫耳のカチューシャをつけたり外したりしていた。
「秋斗、もう諦めなよ」
「リアも猫耳つけてくれるなら、僕も頑張るよ」
諦めない秋斗の肩を、店長がポンと叩く。
「残念ながら、猫耳はひとつしかないんですよ」
「それをどうして僕がつけないといけないんですか?」
「それより、開店時間はとっくに過ぎているので、二人ともオーダーをとりに行ってください。ちなみに秋斗くんは語尾を『にゃ』にしてくださいね」
「帰っていいですか?」
不機嫌な秋斗を見て、私は手で顔を隠しながら笑った。
「この店、思った以上に忙しいな」
「そうだね。でも私は初めてのバイト楽しいよ」
「リアは体を動かすのがけっこう好きなんだね」
「そうかも。運動は苦手だけど」
二人でテラス席を片づけていると、そこに買い物帰りらしい
慌てて私と秋斗が会話をやめると、小さな女の子が秋斗を指さす。
「ねぇママ、このお店、猫さんがいるよ!」
「まあ、本当ね。可愛い猫さんね」
「猫さんもおしごとするんだね」
「そうね。珍しいものが見れてよかったわね」
「うん! バイバイ猫さん!」
小さな女の子は秋斗に手を振りながら去っていった。
「秋斗、人気だね」
「まあ、猫になるのもたまにはいいか」
まんざらでもなさそうな秋斗を、私も微笑ましい気持ちで見ていると……。
「王子が猫耳だ」
「王子が」
「あの王子が」
同じ学校のクラスメイトたちがやってきた。
繁華街にあるカフェなので、こうなることを多少は予想していたけど、まさか大勢で押しかけてくるとは思わなくて、秋斗が
「なんでお前たちがここにいるんだよ」
「
「やっぱり猫耳になんてするんじゃなかった……」
席にもつかずに秋斗をカメラに収めるクラスメイトたちを見て、私もさすがに苦笑いしてしまう。
人気者も大変だね、と囁くと、秋斗はますます嫌な顔をした。
そして秋斗がクラスメイトたちを店内に案内する中、
そんな時、ふいに私の手が誰かに掴まれる。
振り返ると、そこには店長によく似た男の人がいて、見た瞬間にぞわっと総毛立った。
きっとこの人、以前遭遇した変質者だ。
店長に似てるけど、雰囲気が全然違っていた。
「あの、離してください」
「また会ったね。良かったらお兄さんとお話しよう」
「こ、困ります!」
「リア!」
対応に困っていると、私を掴む変質者の腕を秋斗が掴んだ。
「リア、大丈夫? ──って、あなたは店長!?」
「お客さんに対して失礼な猫さんだね……でも君も可愛いね。どうだい? みんなでお茶しないか?」
「今度こそ本物の変質者か!」
秋斗が威嚇しても、変質者はいっこうに手を離さなかった。
でも突然、私を掴む手から力が抜けて、変質者がその場に倒れた。
バタンと大きな音が響いて近くのテーブルが揺れる中、南人兄さんが店の奥からテラスにやってくる。
「
「南人兄さん」
「さあ、この人は私に任せて、2人はお仕事を頑張ってください」
「……」
兄さんが変質者の足を引っ張って回収するのを見て、安心する私の傍ら、秋斗は苦い顔で唇を噛んでいた。
初めてのバイトの帰り道。
暗くなった住宅街の広小路を歩く私と秋斗だけど──どうしてだろう。秋斗はずっと俯いていて、暗い顔をしていた。
「秋斗……どうしたの? 今日はずっと黙ってるね」
「悔しいんだ。同じ場所にいたのに、リアを守ることができなくて」
「あの変質者は仕方ないよ。秋斗のことも気に入ってるみたいだし」
「いざという時に頼りにならないなんて、情けない」
「でも私、可愛い秋斗も好きだよ」
「可愛い僕って……」
「秋斗はちょっとあざといくらいがいいよ」
「リアが好きって言ってくれるのは嬉しいけど……なんだか複雑だな」
「だから明日も猫耳がんばってね」
「リア、もしかして楽しんでる?」
「うん、楽しいよ。働くのは初めてだし」
「リアが楽しいなら、仕方ないね。僕も頑張るしかないかな」
「リアとリア、明日も頑張ろうね」
「ああ、がんば……って、なんでお前がいるんだよ」
さりげなく会話に入ってきたまーくんにツッコミを入れる秋斗だけど、今日はいつもよりやや
***
「お待たせしました、猫さんパンケーキです」
バイトを始めて一週間を過ぎた頃。
猫耳にもようやく抵抗がなくなった秋斗は、店長の読み通りカフェの人気店員として活躍していた。
秋斗に負けないようホールを走り回っていると、バイトの先輩から休憩のサインをもらった私はバックヤードに移動する。
すると、カフェのバックヤードには先客がいて、南人兄さんと店長が談話していた。
「今日も秋斗くんは大人気ですね。このままこの店でずっと働いてくれないかな」
「ダメですよ、相智くんは猫耳で終わるような人ではありませんから」
「今、さりげなく猫耳をディスりましたね」
「猫耳の尊さは確かにわかります。猫耳とはすなわち、平和をもたらす究極の癒しですからね」
「わかっているなら、どうして……」
「相智くんの潜在能力は猫耳に限らないということです」
「小金先生はいったいなんの話をしているんですか」
南人兄さんたちの微妙な会話を聞いていると、私の後ろからやってきた秋斗がため息混じりに口を挟んだ。
「おや、秋斗くん。仕事はどうしました?」
「ソフトクリームの機械が壊れたようなので、知らせにきました」
「ありがとうございます。すぐに行きますので、秋斗くんはホールに戻ってください」
バックヤードを去る店長を見ながら、私は秋斗に耳打ちする。
「さすが南人兄さんの友達だけあって、店長も変人だね」
「リアが猫耳なら良かったのに」
「また言ってる──それより秋斗、大丈夫?」
「なにが?」
「なんだかすごく眠そうだけど、ムリしてない?」
「大丈夫。それを言ったら、リアだって同じじゃないか」
「でも秋斗は通常の仕事に加えて、猫耳写真会とか、サイン会とかやってるから……負担は私よりずっと大きいよね。休み時間だってほとんど確保できてないでしょ?」
「これも社会勉強だよ」
「……」
「それより、リアの今後のシフトはどんな感じ?」
「シフト? 私は週末も入れてるけど……秋斗は休んだほうが……」
「僕もリアがいる日は全部入れるよ」
「本当に大丈夫?」
「これでもリアより体力はあるから、心配しないで」
「秋斗……もし、きつくなった時は言ってね」
秋斗は平気だとばかりに笑うけど、少し痩せたその顔を見ていると、嫌な予感しかしなかった。
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