第21話 私のためにしてくれたこと
まだ薄っすらと夜色が混ざった早朝の住宅街。
ズル休みで一日家にいたせいか、外気が尋常じゃなく冷たく感じた。
傷心だからってそう何日も休めないし、覚悟を決めて登校したわけだけど……学校に行くのはまだ憂鬱だった。
『そこまで言うなら、僕は明日から平凡になってみせるから! 覚悟しておいて』
ふと、うちに来た
平凡になるってどういう意味だろう。
けど、私がいくら考えたところで、秋斗のことがわかるわけもなくて……私はそれ以上考えるのをやめて、冷え込んだ住宅街を抜けた。
そういえば、
「リア、今日も可愛いね」
「ありがとう。わかったから、学校に行くよ」
「わ、また誰かが僕の手を引っ張ってる!」
私はまーくんの手を引いて、そのまま登校する。
まーくんをクラスに送り届けた後、自分の教室に移動すると──まだ早い時間なのに、なんだかいつもより騒がしい感じがした。
私は嫌な予感がしながらも教室のドアをスライドさせる。
すると、教室に一歩入るなり、クラスメイトたちが一斉にこちらを向いた。
──なんか、見られてる?
痛いほどの視線を浴びながら移動する私。
けど、教室に秋斗の姿はなかった。
「あれ? 今日は秋斗まだ来てないの?」
私は何気なしに呟いて自分の席に座る。途中、秋斗の席に誰かいたような気がしたけど、何も考えずに鞄の中身を机に広げた。
そんな時、
「おはよう、リア」
いないと思っていた、秋斗の声が聞こえた。
「あ、おはよ──」
一瞬、うちのリビングで秋斗に抱きしめられたことを思い出したけど、平静を装って隣の席を見た──次の瞬間、ぎょっとした。
隣には、いつもそこにいるはずの秋斗の姿はなくて、かわりにぐるぐるメガネをつけた、黒い髪の男の子がいた。
「……もしかして、秋斗?」
驚きのあまり黙る私の傍ら、周囲からはクラスメイトたちのすすり泣く声が聞こえた。
けど、そんな周囲の反応とは裏腹に、秋斗は楽しそうに黒髪をさらりと揺らしながら私に向かって笑顔を作る。
「どう? リアが望む至って平凡な生徒になったよ」
「秋斗!」
「どうしたの、リア?」
「ちょっと一緒に来て」
私は秋斗を立たせると、その手を引いて歩き出す。
クラスメイトたちからの痛いほどの視線を無視して、私は屋上へと続く階段へ移動した。
「リア? どうしたの?」
「……ごめんなさい。私のせいだよね」
「どう? 平凡な僕って」
誰もいない階段の踊り場で、秋斗は誇らしげに胸を張った。
本来なら笑える秋斗の格好を見ても、ちっとも笑えなかった。
「久しぶりに周りの視線が痛かったよ」
「これなら、リアも一緒にいてくれる?」
「……秋斗は秋斗がいいよ」
「でも平凡じゃないと一緒にいてくれないんだよね?」
「今の秋斗は平凡というより……変だよ。そのぐるぐるメガネ、どこで入手したの?」
「メガネ? このメガネはクラスメイトに貰ったんだ」
「……そうなんだ」
「リアのためなら、僕はどんな姿にだってなってみせるよ」
「……もう!」
──どうしてそこまでするの!
一生懸命な秋斗の姿を見ていると、身分差とかバカバカしくなってくる。
秋斗のこの変な格好が、私のせいだと思うとため息しか出なかった。
これはもう、折れるしかないよね。
私の負けだよ……。
「リア? どうしたの?」
「もういいよ。元の秋斗に戻って?」
私がぐるぐるメガネを外すと、秋斗の綺麗なアーモンドの瞳が現れる。
その驚いた可愛い顔を見て、私は思わず秋斗を抱きしめていた。
***
「ねぇ、リア」
秋斗があまりにも一生懸命だから、結局つきあいを再開した私たち。
私がいつもの秋斗がいいと言ってからは、秋斗はすっかり元の秋斗に戻っていた。
「今日はリアの家に行ってもいいかな?」
放課後の住宅街。
秋斗は当然のように言うけど、私は即却下する。
「ダメです」
「どうして? 僕とやり直してくれるんじゃなかったの?」
「秋斗が王子様だとわかったから、うかつに家にあげないことにしたの」
「リアが嫌がることは何もしないから、リアの手料理が食べたいな」
「その手にはもう乗りません」
前世の王子様は、料理が食べたいと言ってうちに来るたび、料理どころじゃなくなるようなことをしたから、私も警戒するようになった。
秋斗が王子様だということは、お互い中身は大人なんだよね。
だから何が起こるかわからないし、私は以前と違って秋斗を信用することができなかった。
「ねぇ、どうして? 昔のように愛し合うのは嫌?」
「嫌とかじゃなくて、まだ早いよ」
「お互い中身は大人なのに?」
「そう言うと思った。でも前世の記憶なんて、夢みたいなものだから、実感がないよ」
「僕がいつでも実感させてあげるよ」
「結構です」
「リアは相変わらずガードが固いね。付き合っても」
「学生の本分は勉強でしょ? 今は将来のために頑張ろうよ」
「学生結婚とか、リアはどう思う?」
「け、結婚!?」
「大丈夫、リアと子供三人くらいなら養えるから」
「学生のうちは学生らしいつきあいをしようよ」
「でもまたリアが心変わりしたら困るんだよね」
「秋斗が変なことを言わなければ大丈夫だよ」
「僕が言うことは、そんなに変なことかな……」
「それより……ひとつ気になってたんだけど……私にも前世の記憶があること、秋斗も知ってたんだよね? いつ気付いたの?」
「授業中に寝言を聞いたんだよ」
「寝言?」
「そう、だからアロマスプレーで試したんだ」
「あのアロマスプレーって、まさか私に記憶があるかどうかを確認するためのものだったの!?」
「香りに対する反応を見て、確信に変わったんだ。過去の香りを再現するのは大変だったけどね」
「見事に再現した秋斗がすごいよ」
「どうしても僕に気づいてほしかったからね」
「だったら、秋斗が王子様だってこと、最初から教えてくれれば良かったんじゃ……」
「言ったらリアが逃げるような気がして」
「確かに、逃げたよね」
「リアが昔の僕に対して複雑な気持ちを抱いていることは知ってたから」
「それってなんか矛盾してない? 言わないのに気づいてほしいって」
「そうかもね。僕はあの頃の幸せな気持ちだけを思い出してほしかったんだ。余計なことは忘れたままで良かったのに」
「そんな都合よく……無理だよ」
「そうだね。でもこうやってまた一緒にいられて、本当に良かった…………って、おい」
ずっと私の隣で喋っていた秋斗だけど、気づくと私たちの間にまーくんが割り込んでいた。
「リア」
「リアじゃないだろ」
「まーくん、ハートメガネはどうしたの?」
「学校にオモチャを持ってくるなって、
「あいつは……」
「ねぇ、リア、前世の記憶って何? それ美味しいの?」
「まーくんは知らなくていいよ」
「でも僕はリアのことをもっとよく知りたいんだ」
「まずは容姿から知ってくれ」
秋斗に接近するまーくんの顔面を、秋斗は
けど、まーくんはそんなことではどかなかった。
「リアが可愛いことは知ってるよ」
「こっちを見てそれを言うな」
「秋斗は可愛いから」
「リアまで何を言うの? 冗談でもやめて」
「冗談じゃなくて、真面目に秋斗は可愛いと思うよ。ねぇ、まーくん」
「うん、リアは可愛い。チューしたい」
「うわ、寄るな! リア……あとで覚えていて」
「あはは……ごめんごめん、二人のやりとりが楽しくてつい」
秋斗はまーくんを押し退けて、私に近づいてくる。
「それより、リア」
「どうしたの?」
「明日の放課後、空いてる?」
「明日? 空いてるよ」
「じゃあ、またホテルのスイーツブッフェにでも行こうか」
「目的はあの庭園でしょ? 秋斗はあの場所が好きだね」
「あそこは落ち着くんだ」
「でもブッフェばかり食べてたら、さすがに太るかも」
「なら、単品でケーキでも頼む?」
「それがいいね」
「ケーキなら、僕も食べる!」
「お前は来るな」
いつも通りの帰り道。いつも通りの幸せな約束で、静かに盛り上がる私たちだけど──まさかこの時は、あんなことが起きるなんて、知る由もなかった。
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