第20話 平凡とは


「……はあ、初めて学校サボっちゃった」


 秋斗あきとが王子様の生まれ変わりと知ってから、なんだか顔を合わせづらくて、朝から仮病を使ってお休みをした。


「やっぱり粘着質なのは相変わらずだよね。生まれ変わっても私にこだわるなんて……不思議」


 ずっと好きで心に残ってる人だけど、巡り合いたくなかった。


 何かしていないと秋斗のことばかり考えそうになって、私は滅多にしないゲームをすることにした。


「あ、これ……インストールしたままやってないリズムゲーム」


 ジャージにボサボサの髪で、リビングソファに寝転びながらスマホをいじる。


 きっと今の私の姿を見たら、秋斗は幻滅するんじゃないかな……なんて思いながら寝そべっていたその時──インターホンが鳴った。


「まさか秋斗じゃないよね……って、まーくん!?」


 インターホンのモニターを確認すると、そこには制服ブレザー姿の田橋たはしまさきくんの姿があった。


 手にたくさんの袋を下げたまーくんは、ハート型のメガネをしていて、見た瞬間に吹き出してしまった。


 私はフーディとジーンズに素早く着替えると、玄関のドアをおそるおそる開ける。

 ハートのメガネを間近で見て、もう一度吹き出した。


「おはよう、リア」


「まーくん……よくこの部屋がわかったね。今日はちゃんとメガネしてるし。ハートだけど……」


「いつの間にか、僕の顔にメガネがついていたんだ」


「へー? 良かったね」


「あと、いつの間にか果物をたくさん持ってたから、あげる」


「これってもしかして……」


 秋斗がまーくんにメガネと果物を持たせたことはすぐにわかった。


 きっと私が会いたくないと思ってること、わかってるから……気を遣ってくれたんだと思う。


「でもどうしてまーくんが?」


「それはもちろん、リアに会いたかったからだよ」


「面と向かって言われると恥ずかしいよ」


「僕はいつもリアに向かって言ってるよ」


「それ電柱か秋斗だけどね……それで、秋斗は……」


 どうしてる? と言いかけて、私は言葉を切った。


 秋斗のことをまーくんに聞いても仕方ないよね。


 それに拒絶しておいて心配するのもおかしいし。


「あいつなら、学校にいたよ。お通夜みたいな顔してたけど」


「そっか……まーくんも人の顔色がわかるようになったんだね」


「このメガネがあれば、なんでもよく見えるんだ」


「絶対失くさないでね、そのメガネ……でも、やっぱりおかしいね」


 私が噴き出すと、まーくんは不思議そうに私を見ていた。


 まーくんのメガネの意味、なんとなくわかった。


 秋斗は私に笑ってほしいんだね。


 そういうところは、前世と変わってない。


 前世の王子様とは一度だけ喧嘩したことがあったけど、彼は私を笑わせようと必死になっていたっけ。


『──君の笑う顔が見たいんだ』


 そんな風に言われたら、怒っていられなくなって、私も折れたんだよね。

 

 前世を懐かしく思いながら笑っていた私だけど、ふと見るとまーくんのハートメガネが真っ黒なサングラスに変わっていて、私は目を瞬かせる。


「あれ? まーくん……さっきのハートメガネはどうしたの?」


「え? メガネ?」


「サングラスに変わってるみたいだけど」


「それは私がすりかえたからですよ」


南人みなと兄さん!?」

 

 どこからか声が聞こえたかと思えば、まーくんの後ろに南人兄さんがいた。


 スーツに身を包んだ兄さんは、まーくんに厳しい目を向ける。


「あなたは大塚おおつかさんを五分以上見てはいけません」


「リアってブラックホールみたいだね」


「透過率がゼロのサングラスなんだね。さぞかし真っ暗だろうね」


「ではそろそろ帰りましょうか、田橋くん」


「いやだ。僕はもっとリアといるんだ」


「本来なら相智あいちくんがここにいるべきなのです。いっそあなたを生贄いけにえにして相智くんを召喚しましょうか」


「南人兄さん、生贄って何!? 秋斗を召喚って……そもそも授業は大丈夫なの!?」


 南人兄さんは胸ポケットから指示棒しじぼうを取り出すと、その先でくるくると弧を描いた。


「待っていてください、大塚さん。はぁああああ!」


 すると、バスケットボール大の黒いもやが現れて、掃除機みたいに周りの空気を吸い込み始めた。


 風が吹き荒れるマンションの廊下で、吸い込まれそうになるのを必死で耐える中、まーくんが靄に吸い込まれてしまって──


「あ~れ~」


「まーくん!」


 もやはまーくんを飲み込んだかと思えば、かわりに白い学校ジャージの男の子をペッと吐き出して──消えた。


 靄の中から出てきたのは、秋斗だった。

 

「……え? ええ? ……ここどこ?」


「秋斗!?」


「召喚は成功したみたいですね……やはり科学の力はすごいですね。あとは二人でゆっくり話し合ってください」


「えええ!?」


「……僕はなぜここに?」

 

 アーモンドの綺麗な瞳を瞬かせる秋斗に、私は頭を抱えるしかなかった。




 南人兄さんのよくわからない科学技術? でやってきた秋斗を、そのまま帰すのも申し訳ない気がした私は──なんとなく秋斗を部屋に入れて、リビングのソファに座ってもらった。


 秋斗はまだ動揺しているみたいで、視線をうろうろさせて落ち着かない様子だった。


 私はため息混じりにお茶を出す。すると、秋斗は肩を竦めた。


「……えっと……なんだかわからないけど、ごめん……リア」


「ううん……南人兄さんのせいだから」


「またあいつか」


 それから長い沈黙が続いた。


 私は身の置き場がわからなくて、ソファの向かいに立ったまま秋斗を見おろした。


 いつもなら私を楽しませようとお喋りする秋斗が、困ったように顔を伏せていた。


「えっと……僕は帰る……よ」


 いつもの勢いがない秋斗に拍子抜けしていると、秋斗は苦笑する。


「だから、そんな風に無防備にならないでよ」


「え」


「諦められなくなるじゃないか」


「……秋斗」


「今度こそ友達に……戻る?」


 別れを告げたのは私からなのに、〝友達〟という言葉を聞くと胸が痛んだ。


「うん、友達ならいいよ」

 

 けど、私は平気なふりをして笑ってみせる。


 ……私も王子様を卒業しないといけないよね。


 前世のように強い私は、もういないんだから。


「友達としてよろしくね、リア」 


「うん、よろし──」


「――なんて言うと思った?」


「え!?」 


 突然立ち上がった秋斗に、ギュッと抱き竦められて、私は大きく見開く。


 一瞬、秋斗の怖い言葉を思い出して震えてしまったけど──秋斗はそんな私を見て腕の力を弱めた。


「ごめん。でも君がどんなに僕のことを嫌いでも、僕は絶対諦めないから」


「秋斗……でも私……」


「友達? そんなものに今更なれるわけがないよ! 僕にある選択肢は、リアとともに生きるか、それとも一人でちるか、しかないんだから」


「でも、私たちのことをよく思わない人もきっといるはずだし」


「確かに、そういう人たちがこの先出ないとも限らないけど……僕はもう王子様でもなんでもないんだよ。国を背負う責任もなければ、恋愛の自由もあるんだ」


「……私は平凡な恋がしたいの」


「リアの言う平凡って何? どんな恋も平凡なんかじゃないよ」


「でも、秋斗は学校でも王子様で人気だし……」


「学校で人気? そんなの卒業したら終わりだよ」


「でもきっと、秋斗なら社会人になっても変わらないと思うから」


「リア、君だって君が思うほど平凡な子じゃないと思うよ?」


「……どういう意味?」


「誰よりも可愛いってことだよ」


「私は真面目に話してるんだよ?」


「僕も真面目に言ってるんだけど?」


「もう……秋斗のせいで調子が狂うよ」


「昔はさ、こんな風に会いたい時にいつでも会えるわけじゃなかったけど……今は会いたい時に会えるんだよ……こんなに贅沢な環境なのに、何を迷う必要があるの? 平凡じゃないから? だったら、僕が平凡になればいいの?」


「秋斗が平凡になんて……なれないでしょ」


「いいや、僕だって平凡になれるよ」


「なれないよ」


「わかった……そこまで言うなら、僕は明日から平凡になってみせるから! 覚悟しておいて」


「……はあ?」


 平凡になる、そう言って私を離した秋斗は、どんな花よりも綺麗な顔で笑っていた。




 ***




 担任の小金南人こがね みなとのせいで、リアの元に強制召喚された秋斗は、リアに思いを告げるだけ告げると、そのまま学校に戻った。

 

 すると秋斗のクラスはすでに体育の授業が終わっており、クラスメイトたちは次の授業の準備を始めていた。


「王子くん、今までどこにいたの?」


 秋斗が教室に入るなり、前髪が野暮ったいメガネの男子生徒が、秋斗に心配そうな顔を向けた。


 秋斗は腕を組んで少し考えた後、真面目な顔で告げる。


「……君の名前は覚えてないけど……君みたいになるには、僕はどうすればいいと思う?」


 その言葉を聞いたクラスメイトたちが、いっせいに秋斗を振り返る。


 メガネの男子生徒は最初驚いた顔をしていたが、秋斗の至って真面目な様子を見て本気だとわかったのだろう。


 メガネの男子生徒は固唾を飲んで秋斗に訊ねる。


「僕みたいに? どうして?」


「いけません、王子。何をお考えなのかはわかりませんが……その生徒モブをお手本にするなど」


 クラスメイトの一人が、秋斗を止めに入った。


 秋斗はかぶりを振ると、クラスメイトたちに笑顔を向ける。


「心配してくれてありがとう。けど、僕も彼女を手に入れるために、なりふり構ってられなくなったんだ。だから今は黙っててくれないかな?」


「王子……なんと健気なことでしょう」


 涙するクラスメイトを横目に、秋斗はメガネの男子生徒に向き直る。


 メガネの男子生徒は、困惑気味に秋斗を見ていた。


「ぼ、僕になりたいって……本当に?」


「ああ、だから君になるにはどうすればいい?」


「じゃあ、まずは服装だけど……」


 その日秋斗は、生まれ変わることを決めた。





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