第19話 嘘つき



 前世では、私もほんの少しだけお姫様に憧れた時期があった。


 綺麗なドレスを着て舞踏会で王子様と踊る。そんな風に夢を見たこともあったけど、働いてばかりの節ばった手を見るたび、現実に引き戻された。


 王子様と並ぶとよけいに自分がみじめに思えて、何度も離れようとしたけど、それでも王子様は私がいいと言ってくれたから一緒にいた。


 ……けど、やっぱり幸せな結末なんて待っていなかった。


「嫌な夢見ちゃったな」


 朝からベッドの上で憂鬱な息を吐き出した私は、重い気持ちのまま学校の支度をする。


 昨日、秋斗あきとの本気を知って怖くなった私は、どんな顔をして彼に会えばいいのかわからなかった。


『僕の母さんは、リアくらいの時に僕を産んだんだよ』


 思い出すと、肩が震えた。あんな脅しをするような人だとは思わなかった。


 ……あれは、産ませる覚悟があると言いたかったんだよね?


 前世の王子様でさえ、そんなこと言わなかったのに……やっぱり、秋斗が王子様とは別人だということがハッキリとわかった。と同時に、どうして秋斗のことが好きなのかよくわからなくなっていた。




 自宅マンションがある住宅街を抜けて繁華街を歩くと、電柱を撫で回す田橋たはしまさきくんを発見する。


 ようやくうちの学校の制服ブレザーができたらしい。学ランの印象が強かったので、知らない人だと思って素通りしそうになった。


 けど、まーくんだとわかった以上置いていけなくて、私は仕方なく声をかける。


「おはよう、まーくん」


「おはようリア。今日もすべすべだね」


「そうだね。でもその電柱、昨日犬が……」


「犬が?」


「なんでもないよ。足元だけ注意してね」


「リアの足元には何があるの?」


「……とりあえず学校に行こうか」


「わ! また誰かが僕の腕を引っ張ってる」


「いい加減、ちゃんとメガネしなよ」


 長身で目立つまーくんなので、周囲の視線が痛い。


 私は周りを見ないようにして、まーくんの手を引いて登校した。


 教室には、まだ秋斗の姿はなかった。


 顔を会わせずに済んでホッとする反面、少しだけ秋斗のことが気になった。


 振っておいて、心配するのもどうかと思うけど……。


 ぼんやりと隣の机を眺めていると、いつの間にか南人みなと兄さんが出欠を取り始めていて、私は慌てて教壇に視線を移動させる。


「……今日のお休みは相智あいちくんだけですね」


「え? 秋斗、お休みなの?」


 私が独り言のように言うと、南人兄さんは真面目な顔で頷いた。


「はい。ではショートホームルームを終了します」


「先生……今日は秋斗にプリントを持っていけって言わないんですか?」


「相智くんだって落ち込む日はありますから、そっとしてあげてください。こういう時は一人のほうがいいんです」


 兄さんはない涙をそっと拭った。 


「……先生」


「なんですか?」


「私、秋斗のところに行ってきます」


「大塚さん、さっきの話を聞いていなかったんですか? 今相智くんは落ち込んで寝込んでいるんですよ」


「それ、きっと私のせいですよね」


 まさか休むほど落ち込むなんて。


 心のどこかで疑っていたけど、秋斗は本当に私のことが好き……なんだ。


 そんな人に私は、簡単に『付き合えない』なんて言ってしまって……もっと秋斗の気持ちを考えて言葉を選ぶべきだった。


「大塚さんは、相智くんと向きあう覚悟がありますか?」


 教壇からおりてきた兄さんが、私に真っ直ぐ訊ねた。


 クラスの視線が私に集中するけど、この環境にも慣れつつある私は、周囲を気にすることなく考える。


「秋斗と向き合う覚悟……」


「相智くんは決して軽い気持ちで大塚さんといるわけじゃないんです」


「……それはわかります」


「大塚さんが相智くんを選んでくれるのでしたら、プリントを届けてください。ですが、相智くんを選べないのなら、行くべきではありません」


 兄さんに選択を迫られて、私は思わず唸った。


 秋斗のことは確かに好き……かもしれない。けど、何もかも完璧な王子と私とでは、やっぱり釣り合わないから、この先一緒にいようなんて言えない。


 私は自分の手を見ながら、前世の自分を思い出す。あの頃の節ばった手が、今でもそこにあるような気がした。


「……やっぱり、秋斗のところには行けません」 


「先生に期待させておいて、行かない……ですって?」


「先生は何を期待していたんですか?」


「やはりこういう時は大塚さんから行くと言ってほしかったです」


「一人にしてあげてほしいと言ったのは小金こがね先生ですよね?」


「私が行くように仕向けても、相智くんは喜びませんからね」


「……放課後まで、ちょっと考えさせてください」


「大塚さん……」




 ***




「失恋で学校を休むなんて、僕は情けないな」


 病気ではないもの、学校に行く気力すらない秋斗は、自宅のリビングソファに寝転びながらリアのことばかり考えていた。


 スポーツウェアに、寝起きのままの赤茶色の髪。


 きっと今の姿をリアが見たら幻滅するだろう。そんなことを思っていると、ふいにインターホンが鳴った。


「まさか……リア?」


 秋斗は慌ててシャツとパンツに着替えると、長い廊下を走り抜けて、玄関のスリッパに足を通す。


 そして庭先にある小門をゆっくり開けると、そこには──


「リア! 大丈夫?」


 なぜか田橋まさきがいた。


「なんでお前が来るんだよ」


「学校にいなかったから、匂いをたどって会いにきたよ」


「いや、リアの匂いくらい覚えろよ」


「リア、ほらケーキ買ってきたから食べよう」


「いらないから、早く帰れ」


「リンゴもあるから、台所借りるね」


「おい、入ってくるなよ」


「リアの家広いね」


 勝手にキッチンでりんごを剥き始めた田橋を見て、秋斗はため息すら出なかった。




 ***




 秋斗を振っておいて、会いに来るとか……やっぱり矛盾してるよね。


 でも……休むと気になるし。


 結局、私は秋斗の家まで来てしまった。


 それから少し悩んだけど、覚悟を決めて姿勢を正した。


 おそるおそる小さな門扉についているインターホンを押すと、すぐに秋斗の声が響いた。


『──はい』


「秋斗、プリント届けにきたよ」


『え!? リア、来てくれたの? 今度こそ本物?』


「うん、本物だよ。体調は……大丈夫?」


『あ、うん。元気になったよ』


「……そっか。良かった……じゃあ、プリントはポストに入れておくから、私行くね」


『ちょっと待って。良かったら、上がっていかない?』


「……」


『田橋がケーキをたくさん買ってきたんだ。良かったら三人で食べよう』


「え? まーくんがいるの?」


『うん。なぜかいるよ』


「じゃあ、お邪魔しようかな」


 ぎこちない空気の中、私は秋斗の家にお邪魔することにした。


 まーくんが一緒なら、きっと気軽に話せるよね。


「リア、誰か来たの?」


「だから僕はリアじゃない」


 秋斗が言っていた通り、秋斗の部屋にはまーくんがいた。


 まるで自分の家のようにスクワットをするまーくんに、ちょっとだけ笑ってしまったけど、秋斗がいることを思い出して、再び緊張してしまう。


「あの……秋斗」


「何?」


「……昨日はごめんね」


「リアが何を謝るの?」


「私自分のことばかりで……秋斗が傷つくことを考えてなかったから」


「じゃあ、昨日の言葉は撤回してくれる?」


「それは出来ないよ」


「どうして? 僕のことが……嫌いになった?」


「そうじゃないよ」


「リアはどうしてそんなに僕から離れたいの? 前世ならまだしも、今の世に身分差なんて、あってないようなものなのに──」


「前世なら?」


「……」


 秋斗の、しまったという顔を私は見逃さなかった。


 前世なんて知らないと言っていたのに、どういうことだろう。


 そんな言葉が出る理由は一つしかない。


「秋斗……まさか」


「聞いて、リア」


「秋斗にも、前世の記憶があるの……?」


「……」


 しかも身分差という単語は、私との前世の繋がりを意味しているのだろう。


 これはもう、秋斗があの王子様であることを認めているようなものだった。

 

「ずっと……私のこと知ってるのに、知らないふりしてたの?」


「……ごめん」


「どうして言わなかったの? 秋斗があの王子様だったなんて……」


 考えるだけ混乱した。別人だと思っていた王子様が秋斗だと知って、私は狼狽えることしかできなかった。


「最初から知ってて近づいたの?」


「……君だって、すぐわかったから」


「私は前世とは顔も違うのに」


「でも僕にはすぐわかったよ。大好きな人だから」


「……ごめん、私……帰るね」


「リア、待って」


「……嘘つき」


「リア!」


 私は秋斗の家を飛び出すと、繁華街を駆け抜けた。


 今日は行くべきじゃなかった。

 

 前世の王子様のこと、本当に好きだったけど……再会なんてしたくなかった。


 嫌な別れ方をしたから? ……それもある。けど……そうじゃなくて。


 平凡でみすぼらしいくせに、王子様に夢を見る自分が一番嫌いだった。








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