第12話 愛を誓ったオトモダチ?


「うわぁ、素敵な眺めだね」


 イングリッシュガーデンと呼ぶのは簡単だけど、手入れの行き届いたその広大な庭園は、ホテルのものとは思えない規模だった。


 背の高い生垣に囲まれた庭園の中心には天使が立つ噴水があって、庭の奥には西洋貴族が休んでいそうな東屋ガゼボもある。


 まるで異国に迷いこんだような、そんな景色だけど──前世の王子様と密会していた場所に似ていた。


 私は前世を思い出しながら東屋の冷たい柱に触れる。ブッフェ目的でやってきたホテルのレストランだけど、庭園の美しさにも胸が躍った。


「このホテル、見た目よりも広いんだね。裏にこんな庭があるなんて」


 言って、丸首のセーターにジーンズという軽装でも元気な秋斗あきとが、驚いた顔で庭園を見回した。


 私はロングコートの袖から出た手をポケットにしまう。


「でも本当に良かったのかな? 全部秋斗に出してもらっちゃって……」


「まだ言ってるの? ジャンケンで負けた方がごちそうするって、決めたのはリアだよね?」


「まさか私が勝つとは思わなかったから」


「あんなに弱いのに、よくそんな自信が……小金こがね先生の言う通りだったけど」


「え?」


 ぼそぼそと喋る秋斗に耳を寄せると、「なんでもないよ」と笑顔で返された。


「あ、雨……」


「やむまでここで待とう」


「なんだか寒いね」

 

 霧のような雨が降る中、私と秋斗は東屋の奥に入った。

 

 ……こうしていると、王子様と一緒に雨宿りしたことを思い出すかも。


 庭園をぼんやり眺めていた私は、そのうち目を閉じて遠い記憶を辿った。




 ——遠い昔。


 とある国の王城の庭には王子様のためだけに作られた東屋があって、平民の私はそこで王子様とこっそり会っていた。


「──大丈夫? 寒くない?」


 金糸の髪が雨に濡れていっそう輝きを増していた。その美しさに見とれていると、藍の瞳が心配そうにこちらを見る。


 だけどそのうち、私が見とれていることに気づいたのだろう。王子様は眩しそうに笑った。


「どうしたの? 物欲しそうな顔して。イチゴじゃ足りなかった?」


「ち、違います! 私、そんな食いしん坊じゃありません」


「それは嘘だね。リアは今日イチゴのケーキを何個食べたと思う?」


「……今日は特別です」


「リアは好きなものは山ほど食べるけど、普段はあまり食べないもんね」


「よくご存じで」


「僕がリアのことで知らないことがあると思う?」


「どうして私にこだわるんですか」


「どうしてだろうね。僕にとって世界はリアとそれ以外で構成されているんだよ」


「それはあなたが私以外の女性を知らないからじゃないですか?」


「またそんなことを言うんだね。僕を怒らせてどうするつもり?」


「だって私みたいな平凡な人間を選ぶなんて……おかしいじゃないですか」


「平凡なんかじゃないよ、僕以外の誰かが君を見つけたらと思うと……気が気じゃないよ」


「私が王子様以外を好きなるなんて、あるわけないじゃないですか」


「それこそ疑問だね。だからたくさん、君に僕のものだという印をつけておかないと」


「……王子様」


「リア」


 少しずつ近づいてくる唇に触れるか触れないかのところで、カサカサと草が揺れる音がして──我に返る。


「……あれ? 王子様? ……じゃなくて、秋斗? もしかして、今の会話……全部現実?」


「近づいても逃げないと思ったら、夢でも見てたの?」


 ……私、てっきり過去の記憶だと思ってた。


 少しだけ湿気った赤茶色の髪の下で、アーモンドの瞳が不思議そうにこちらを見ていた。


 私はいつの間にか秋斗に王子様の姿を重ねていたらしい。


 先ほどの会話が現実だとわかった途端、血の気が引いた。


「でもリアの気持ちはよくわかったよ。他の人に目移りしないくらいリアを見てればいいんだよね?」


「ちょっと待って! 今の会話はなかったことにして」


「どうして? リアは僕以外を好きになるなんてありえないんでしょ? 嬉しいな。今日はここに来れて良かったよ。リアの気持ちを聞くことができて」


 夢から覚めたばかりで混乱する私に、秋斗は甘くささやく。


「大丈夫、僕はリアだけを見てるからね」


 そう言って、寄せてくる唇を回避しようと腰を引けば、秋斗に背中と後頭部を押さえられて、逃げることはできなかった。


 深く重なる唇。


 弱いところをつけこまれて足元をふらつかせていると、そんな私を秋斗が抱きしめた。


 ぼんやりした顔で見上げると、どこか物欲しそうな顔が見下ろしていた。


「ここではさすがにこれ以上は無理だよね」


「……どこでも無理です」


「リアの家に行ってもいい?」


 掠れた声で誘われて、思わず頷きそうになった私は慌てて首を振る。


「ダメ、絶対ダメ……ひゃっ」


 耳を甘噛みされて、変な声を出してしまった。


 私が秋斗を睨みつけると、秋斗は幸せいっぱいの顔で笑った。




 帰り道、結局私はいつも通り秋斗に家まで送ってもらうことになった。


 また変質者が出たら怖いし……と言っても、秋斗のほうが危ない気もするけど、二人のほうが心強かったから。


「今日はお母さんたちがいるから、夜ご飯に招待できないからね」


「リア……あれだけ食べておいて、夜ご飯も食べるんだ?」


「え? 秋斗は食べないの?」


「僕はしばらくイチゴが見たくないよ」


「秋斗は食が細いよね」


「普通だと思うよ」


「だって……実際、細いし」


「言ったね? これでもリアをお姫様だっこするくらいの力はあるよ」


「お姫様だっこはやめてください」


 そんな風に夜の広小路を談笑しながら歩いていると、


「リア!」 

 

 私が住むマンションの前で、見知らぬ少年が待ち構えていた。

 

「リア、リアだよね?」


 さらりとした黒髪に、大きなうさぎのような瞳。けど愛らしい顔に反して、学ランに包まれた体は成長期の男の子の中でも立派だった。


 嬉しそうに駆け寄ってくるその姿に、私は目を瞬かせる。


「えっと……誰だっけ?」


「ようやく会えた!」


「もしかして……まーくん?」


「リア! 会いたかった!」

 

 そう言って、黒髪の少年が抱きついた相手は──秋斗だった。


 凍りついた秋斗を見て、私は慌てて黒髪の少年に指摘する。


「まーくん、違う違う!」


 全身から怒りを発する秋斗に私が一人で慌てる中、黒髪の少年はメガネをかけて秋斗を凝視した。


「ムム、君は誰だ」


「お前こそ誰だよ」


「僕はリアの大事な友達だ」


「……へぇ、リア。良ければ紹介してくれないかな?」


 こちらを見る秋斗の目が、笑っていなかった。


 これまでにないくらい怒っているのがわかる。


 肌にまとわりつく空気がビリビリした。


「う、うん、紹介するね。以前、ご近所さんだった子で……田橋たはしまさきくんって言うんだけど……」


「ご近所さんだなんて、寂しい言い方やめてよ。僕らは親友でしょ?」


 まさきくん──通称まーくんは、子供の頃と変わらない幼い笑みを浮かべた。


 秋斗は不機嫌を隠さずに私を見る。 


「へぇ、親友なの? 男女で親友なんてありえるの?」


「そ、それは秋斗だって同じでしょ?」


「違うよ、僕らは最初から恋人だから」


 サクッと言い切った秋斗に、開いた口がふさがらなかった。


 今までさんざん親友だって言ってたのに、秋斗にはそんなつもりはなかったらしい。


 私はこの人の何を信じていたのだろう。


 まんまと罠にハマった私は、もう後戻りができないことを痛感する。


 私がポカンとしていると、まーくんは大袈裟にのけぞって動揺する。


「こここ、恋人!? そんな馬鹿な! リアに恋人なんて……」


「──そこまでですよ、田橋くん」


 興奮する黒髪の少年になんて説明するか悩んでいると、今度は南人みなと兄さんが現れる。


 すると、まーくんは南人兄さんにビシッと指をつきつけて叫んだ。

 

「ハッ! あなたはリアのいとこのお兄さん!」


「恐れていたことが……とうとうこの日が来てしまったようですね」


「リアのお兄さん、いつも僕の邪魔ばかりして……今日の再会も邪魔するつもりですか!?」


「悪いですが、あなたが入る隙はどこにもないのですよ」


「リアの恋人を名乗る男がいても、お兄さんは平気なんですか!?」


「私が唯一認めるのは、王子だけです」


「王子? そういえばこの人……お兄さんの祭壇にある絵姿に似ていますね」


「おい、祭壇の絵姿ってなんだ?」


 説明を求めるように視線を送る秋斗に、兄さんじゃなくてまーくんが答えた。


「知らないんですか? リアのいとこのお兄さんは、王子という人の絵を祀っているんですよ」


「今すぐその祭壇を撤去してくれ、気持ち悪い」


 心底嫌そうな秋斗に、兄さんはウィンクする。


「大丈夫です、今は写真ですから」


「何が大丈夫なんだ」


「それよりも今は田橋くんを追い返すほうが先でしょう」


「お前、リアに虫がつかないように見張っていたんじゃなかったのか?」


「ええ。ですから田橋くんのお父様を転勤させて戻ってこられないようにしたはずなんですが……」


「ねぇ、なんの話? 虫がつかないようにとか、転勤させたとか……」


 秋斗と兄さんの会話に割り込むと、兄さんは何も知らないとばかりに視線を泳がせる。


「大人の事情ですよ」


「ずっとおかしいと思ってたんだけど……兄さんは秋斗といつから知り合いなの?」


「なんのことでしょうか?」


「なんかすごく怪しいんだけど」


「それより、リア。ご両親が心配すると思うし、リアはすぐに帰ったほうがいいと思うよ」


「え、でも……まーくんがいるし」


「まーくん? 愛称で呼ぶくらい仲がいいんだね」


 その棘のある口調に私が肩をすくめていると、まーくんは胸を張って言った。

 

「当たり前だ。僕たちは愛を誓った親友なんだ」


「まーくん……愛を誓った覚えはないんだけど」


「ねぇリア、覚えてる? 一緒に公園で遊んだ日のこと」


「いや、覚えてないけど」


「ちょっとリア、せめて最後まで言わせてよ」


「だってまーくんと遊んだのって、小学校四年生くらいの話でしょ? 顔だってぼんやりとしか覚えてなかったのに、遊んだ内容まで覚えてないよ」


 私が正直に言うと、まーくんは大袈裟に泣き始める。


「わーん……リアが今いる男子の中で一番好きって言ってくれたのに」


「残念だったね、男子の数は更新されたんだよ」


 秋斗は勝ち誇った顔で笑うけど、まーくんはすぐに泣くのをやめた。


「まあ、いいや。やっと一人暮らしの許可がおりたし、来週からよろしくねリア」


「来週から? この近くに引っ越してくるの?」


「リアの高校に転入試験で受かったんだ。だからこの近くに住むことになったよ」


 子供のように無邪気に喜ぶまーくんの傍ら、秋斗は無表情で告げる。


「リアと同じマンションじゃなくて良かったよ」


「ふん! ちょっとリアと恋人だからって──」


「リア、じゃあまた明日ね」


 まーくんの言葉を遮った秋斗が、不意打ちで私にキスをする。


 あまりの素早さに抵抗することもできなかった私だけど、見ていたまーくんが目を剥いたまま倒れた。


「ちょ、ちょっと! まーくん!?」


「田橋くんには刺激が強かったみたいですね」


 気絶するまーくんに私が狼狽える中、秋斗は「ふん」と腕を組んで鼻を高くあげた。





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