第11話 甘い誘惑



 空が暗い色に染まった頃。


 放課後に制服ブレザーのまま私の家にやってきた秋斗あきとは、慣れたようにダイニングテーブルに座る。


 不審者から助けてもらったお礼に秋斗を晩御飯に誘った私は、素早くエプロンをつけるとキッチンに入った。


 ──気軽に誘ったのはいいけど、秋斗がいると緊張する……。


 それはさっき、帰り道に変なことを言われたからで。


 秋斗に「可愛いって言ったらキスする」なんて冗談を言われたせいで、ずっとそわそわしていた。


 映画の帰りにキスされたこともあるから、冗談とも思えなくて。


 しかも秋斗がカウンターごしに私の様子をじっと見ていて、余計に落ち着かなかった。 


 そんな風に調理しながら秋斗のことばかり気にしていると、ふいに秋斗が話しかけてくる。


「今日もリアは一人なの?」


「……そ、そうだよ」


「うちと同じだね」


「じゃあさ、泊まってく?」


「……え?」


「冗談だよ」


「リアがそんな冗談を言うなんて、意外だな」


「さっきのお返し。すごくドキドキさせられたから」


「リアのそれってわざと?」


「何が?」


「リアは小悪魔だね」


「あ、私……変なこと言ったかも」

 

 思わずドキドキしたなんて言っちゃったけど、友達にドキドキなんておかしいよね。


 咄嗟に出てしまった言葉に私自身が動揺していた。


 何も考えてなかったけど、私を好きだと言う人に言うべきじゃなかったかもしれない。


 だってほら、秋斗がすごく嬉しそうな顔をしてる。


「今のは聞かなかったことにして」


「無理だよ。もう聞いちゃったから」


「意地悪だね」


「リアはそうやって僕を煽るよね」


「ご、ご飯作るから、ちょっと待ってて」


 私は秋斗の視線から逃げるようにフライパンを持つ手元に集中する。


 ご飯を作っている間は静かだったけど、秋斗がずっとこっちを見ているような気がした。


「──できたよ。簡単な炒め物だけど」


「いい匂いだね」


「そう? すぐに持っていくから、ちょっと待っててね」


 私がお盆で食事を運ぶと、秋斗も一緒に並べてくれた。 


 ママが作り置きしてくれた茄子の副菜と、メインの野菜炒め。


 あとは味噌汁やだし巻き卵を用意した。


「これだけ作れるなら、もっと自信持てばいいのに」


「私のご飯って、混ぜて焼くだけとかが多くて……凝った料理は作れないから」


「僕から見れば、じゅうぶんだと思うけど」


「秋斗はきっと……他を知らないんじゃない? 他の女の子が作った料理を食べたら、また感想が変わるかも」


「……」


 私が自嘲すると、秋斗は黙り込んだ。


 何か変なこと言ったかな?


 短い沈黙のあと、秋斗は椅子から立ち上がる。


 そしてお皿を並べ終えた私の手を掴むと、少し怒ったように早口で言った。


「それは聞き捨てならないね。僕に他の人の料理を食べてほしいってこと?」


「そういうわけじゃ……」


「リアは僕を試してるの?」


「試すなんて……そんなこと」


 言葉以上の意味なんてないけど、失言だったのかもしれない。


 秋斗の様子がいつもと違っていた。


 掴まれた手が熱い。 


 ……どうしよう、秋斗がめちゃくちゃ怒ってる。


「僕を遠ざけたいなら、さっきのは逆効果だよ」


「あの……秋斗、たとえ話だよ?」


「たとえ話? ていのいい、振り文句じゃなくて?」


 何もかも見透かすように見つめられて、私は動けなくなる。


「わ、私は秋斗の友達だし、他の友達のご飯を食べることだってあるでしょ?」


 友達という言葉を強調すると、秋斗は綺麗な笑顔を作る。けど、刺すような視線が、怒りを物語っていた。


 ――これは本気で怒ってる?


「ハハ、友達……か。両想いで一緒にいて、それで友達? そんなわけないよね?」


「え……?」


 ──両想い?


 秋斗に指摘されて、私は固唾を飲んだ。


 否定したいのになぜか即答できなくて、大きくなる鼓動が耳についた。


 私は今、どんな顔をしているだろう。


 早く言わなきゃいけないのに、焦るばかりで何も言えない……。 


「図星だね。ダメだよ、リア。僕に気持ちが傾いているなら、もう逃がさないよ」


 壁に追い詰められて、私は動けなくなる。


 否定したいのに、どうして言えないのだろう。


 『秋斗なんて好きじゃない』って、それだけの言葉が。


 嘘を吐くのが苦手な性分が、こんなところで墓穴を掘った。


 この空気をなんとかしたいのに、何も言えない。


 まっすぐ突き刺さる秋斗の視線に、心地良さすら感じていた。


 そんな私の気持ちを見抜いたのだろうか。


 秋斗はさらに私を追い詰める。


「何を思って僕を遠ざけようとしているのかはわからないけど、リアの気持ちを捕まえた以上、僕はもう手加減しないからね」


 ……怖い。


 それなのに、突き放すことができない。


「リアは僕が怖い?」


 私が黙って俯いていると、秋斗は私の顎を持ち上げた。


「大丈夫……優しくするから」


 そう秋斗は囁いて、私の震える唇に自分の唇を重ねた。


 彼が宣言した通り、その口づけは優しかった。


 私が肩を震わせていると、秋斗はそんな私を宥めるように私の髪を撫でた。


 触れた唇からは、秋斗の優しさが伝わってきて──私はその場で脱力してしまう。


 けど、秋斗の唇が首筋を辿った瞬間、私は咄嗟に秋斗を突き飛ばしていた。


「……ッ」


「ご、ごめん」


 床に倒れこんだ秋斗に思わず謝ると、秋斗は苦笑する。


 ……ていうか、なんで私が謝ってるんだろ。


「僕こそごめん……気が早かったね」


「気が早いっていうか……こういうのはダメだよ」


「これでも友達って言える?」


「……言える」


 私があくまで友達を貫こうとすると、秋斗が変な顔をする。


「往生際が悪いね……でも、リアが僕のことを好きだと知れて良かったよ」


 秋斗はさっきとは違って、本当に嬉しそうだった。


 ──もしかして、カマを……かけられた?


「これからは恋人としてよろしくね、リア」


「友達、絶対友達だから!」


 いくら主張しても、秋斗の笑顔が曇ることはなかった。


 これは間違いなく、前世と同じパターン。


 どうしてこんなことになったんだろう。


 私は王子という存在から逃げられないのだろうか……いや、まだ諦めるには早い。 


 前世のような悲惨な末路を辿らないよう、今度こそ平凡な恋愛がしたいのに。


 なんで私は厄介な人ばかり好きになってしまうのだろう。


「今日は泊まってもいいかな?」


「ダメだよ」


「パジャマ持ってくれば良かった」


「だから無理なの!」


「いただきます、リア。片付けは僕がやるね」


「ダ──それはお願いします」


 それから秋斗は冷めきったご飯を綺麗にたいらげたあと、後片付けをしてくれて──私はもう何を言っていいのかわからなくなっていた。




 ***




「ねぇ、リア。今日もリアの家に行っていいかな?」


 早朝の教室。 


 授業が始まるまでの騒がしい時間。


 友達が来ないのは相変わらずだけど、いつもと同じようで少し違う空気が、私と秋斗の間には流れていた。 


「なんで?」


「リアが一人で寂しくないように一緒にいるためだよ」


 恋で綺麗になるのは女の子だけじゃないらしい。


 ご機嫌なせいか、いつもよりいっそう美しく見える隣の秋斗あきとは、まるで私の為みたいに言うけど、本音は疑わしかった。


「うちに来たい理由は、それだけじゃないよね?」


「もちろん、恋人同士だからね」


 秋斗は具体的なことを言うのを避けた。


 言えば、私が嫌がることをわかっていて、オブラートに包んでいるのがよくわかる。


 思えば前世の王子様もそうだった。


 私が奥手なことを知っているだけに、肝心なことは言わず、私の料理が食べたいからと、家におしかけてきては……料理を食べるどころじゃなくなるのが常だった。


 ついこの間までは、私に触れることを躊躇ためらっていた秋斗だけど、両想いだと確信した途端、態度が豹変したのである。


 こんなにも目の奥がギラギラした秋斗を、どうして連れ帰ることができるだろうか。


 できればこの間までの秋斗に戻ってほしかった。


 加えて、今の秋斗は前世の王子と同一人物としか思えなかった。


 私が毛を立てた猫のように警戒していると、秋斗はニコニコしながら聞いてくる。


「何を考えてるの?」


「秋斗にどうやって諦めてもらおうかと思って」


「そんなこと無理に決まってるよ」


「言っておくけど、家にはもう入れないからね!」


「そういえば小金こがね先生がリアの家の合鍵を作ってくれたんだ」


「ええ!? あの裏切り者!」


「小金先生はいつでも僕の味方だからね。でもさすがに合鍵は犯罪だと思うから、先生に返したよ」


「それは……どうも」


「リアは素直だね。心配しなくても、何もしないから少しだけリアの側にいさせてほしいな」


「その少しが少しだとは思えないんだけど」


「リアが嫌がるようなことはしないから──まだ」


「まだ!?」


「冗談だよ」


 どこまでも楽しそうな秋斗。


 私がため息をつくと秋斗は微笑ましそうに目を細める。


「それより、リア」


「な、なによ」


「そんなに構えなくても、人前でどうこうしたりしないよ」


 私が疑いの目を向けても、秋斗は表情を崩さなかった。


「実はさ、面白そうな洋館のレストランを見つけたんだ。良かったら今週末にでも行かない?」


「それはデートのお誘いでしょうか」


「そうだよ」


「……私、用事がありますので」


「そっか。残念だな……ケーキブッフェもあるのに」


「ケーキ……ブッフェ?」


「そうだよ。甘くて、ふわっふわのイチゴショートから、ほろ苦いチョコケーキまで……高級レストランのパティシエが作った贅沢なお菓子が食べられるみたいなんだけどな」


「そ、それは……」


 甘いものが大大大好きな私は、秋斗の言葉を聞いて自然とケーキブッフェを想像していた。


 幸せな想像のせいか、それとも間近で聞く秋斗の綺麗な声のせいか、一人でうっとりしていると、秋斗は噴き出した。


「リアは昔も今も変わらないね」


「え? 昔?」


「……いや、幼稚園の時から変わらないんだろうな、と思って」


 秋斗は取り繕うように言って咳払いをする。


 彼の様子に違和感を覚えた私はおそるおそる訊ねた。


「ねぇ、秋斗……もしかして」


「な、何かな?」


「昔って……幼稚園、私と一緒だったの?」


 もしかしてと思った私だけど、秋斗は複雑そうに笑った。

 

「いや、想像だよ。小金先生にリアの幼少期の写真は見せてもらったけど」


「ええ!? いつの間に!」


「それより、ケーキブッフェのことだけど。残念だね……今はリアの好きなイチゴフェア中だったのに」


「い、イチゴフェア?」


「いいよね、イチゴ。僕も食べたかったな……でもフェアは今週までなんだよね」


「そうなの!?」


「イチゴも食べ放題なのに」


「……やっぱり……今週は暇かも」


「じゃあ、何時に待ち合わせする?」


 清々しい笑みを浮かべる秋斗に、私は素直に負けを認めた。





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