第7話 油断大敵


 思えば王子様は面倒くさいお方でした。


 病気知らずの王子様ですが、何かと仮病を使って私を心配させてくれました。


 愛の言葉を百回囁かないと治らないなんて言う王子様もどうかしていますが、それを鵜呑うのみにして、百回愛を囁く私もそうとうなバカでした。




 ***




「今日は秋斗あきと遅いな……渡したい物があったのに」

 

 早起きして作ったチョコブラウニーの紙袋を、私は机の上で握りしめる。


 いつも誰よりも早く登校する秋斗が、珍しくギリギリになっても来なかった。


 隣の机をじっと見ていると、昨日のハグが頭に浮かんだ。


 友達のハグだと言って抱きしめてきた秋斗は、前世の王子様とは何もかもが違っていた。


 気持ちを押し付けないと言ったこともそうだけど、まるで壊れ物を扱うように包まれたことに、安心感さえ覚えた。


 そしてそんな風に思い出すたび、自然と笑みがこぼれた。


 これはどういう感情だろう。


 秋斗のことを考えると嬉しくなってしまう。


「ショートホームルームを始めます。今日のお休みは……相智あいちくんだけみたいですね」

 

 秋斗を待つうち、小金こがね南人みなと先生が出欠を取り始める。


「え? 秋斗休みなの?」


 秋斗が休みと聞いて目を丸くしていると、南人兄さんが二列目端の私の席にやってくる。


「ではリアさん、今すぐこのプリントを相智くんに届けてください」


「ええ!? 今すぐですか?」


「はい、今すぐです。今日一日の授業は私がノートにまとめてあげますから、あなたは相智くんの看病に徹してください」


「放課後にポストじゃダメなんですか? 風邪がうつったら大変じゃないですか」


「うつるようなことをしても大丈夫ですよ」


「うつるようなことってなんですか!? 全然大丈夫じゃないです」


「ああ……相智くんは今頃一人で辛い思いをしているでしょうね。可哀相に」


 先生が嘘泣きを始めると、なぜか周囲からも「可哀相」とすすり泣く声が聞こえた。


 これはいったい、どういう状況なのだろう。


 そんなに私をクラスから追い出したいのだろうか。


 なんとなく居たたまれなくなった私は、しぶしぶプリントを受け取った。


 ただの課外授業のお知らせだった。


「わ、わかりました……なんだかよくわからないけど、あき──相智くんの家に行ってきます」


「ありがとうございます、リアさん。これで相智くんも報われることでしょう」


「どうでもいいですが、先生は相智くんの保護者か何かですか?」


「いえ、赤の他人です」


 ドヤ顔の南人兄さんに、私は何も言うことができなかった。




 ***




「……ええっと、秋斗の家はこっち……かな?」

 

 本来なら授業を受けている時間に、私は住宅街を歩いていた。


 秋斗の家には行ったことがなかったので、何度も迷っては立ち止まった。スマホの地図アプリを見ているのに、どうしてこんなに迷うのだろう。


 地図を読むのが苦手な私は、もう何度目かの分かれ道でため息をつく。


 自分の情けなさにうんざりしながら歩く私だけど、ふいに前からやってきた銀縁メガネのサラリーマンと目があった。

 

 深い緑の髪に切れ上がった三白眼。

 

 どこかで見たことのあるスーツのその人は、突然立ち止まると、仁王立ちで私を見下ろした。


「ちょっとそこのお嬢さん。何を探しているのですか?」


「え?  南人兄さん?」


「違います。道に迷っているのではないですか?」


「……そうですけど」


「あなたが探している家はここをまっすぐ左ですよ」


「ありがとうございます。……えっと、あなたは」


「通りすがりの会計士です」


 通りすがりの自称会計士さんのおかげで、私は地図を中盤までクリアすることができた。


 けど、さらに難題にぶつかった。


 スマホを逆さまにしてもわからない分かれ道に苦戦していると、今度は黄色いジャンバーにジーンズを着た猫耳の男の人が現れる。


 深い緑の髪に切れ上がった三白眼。どこかで見たその人は、仁王立ちで私を見下ろした。


「お嬢さん、お困りですか?」


「え? 猫耳?」


「あなたが探している道はそのまま真っ直ぐですよ」


「ありがとうございます……えっと、なんで私が探してる道がわかったんでしょうか」


「猫又の勘です」


「……はあ」


 ──南人兄さんって、実は三つ子なのかな。


 なんてことを考えながら歩くうち、ようやく目的地にたどり着いた。


 迷路のように込み入った狭道には、大きな家ばかりが立ち並んでいて、なかでもひときわ大きな邸宅いえに〝相智〟の表札を見つけた。


「やっとついた! って、大きな家」


 近代的な邸宅だった。


 大きな門扉を仰いだあと、その脇に小さな出入り口を見つけて、私はモニター付きのインターホンを鳴らした。


 すると、少しして耳馴染みの声が響いた。


「はい……どちら様で――え? リア!?」


「プリントを届けに来たよ」


「ちょ、ちょっと待ってて」


 無理しなくていいよ、と言う前にインターホンを切った秋斗は、一分もかからずに扉を開いた。


 フーディにジーンズ姿の秋斗は、新鮮だったけど、マスクの顔は真っ赤だった。


「リア!」


「起きて大丈夫なの?」


「ああ、リアが来てくれたおかげで元気になったみたいだ」


「とかいって、顔赤いよ?」


「リアこそ、なんでこんな時間に来たの? 学校は?」


「担任が今すぐ行ったほうがいいって」


「あの人は……」


「それより、ご飯は食べてる?」


「いや……食欲がなくて」


「じゃあ、私が何か作ろうか?」


「ええ! ――ゴホッ……ありがたいけど、風邪うつすと申し訳ないからいいよ」


「大丈夫だよ。ご飯作ったらすぐ帰るから」


「……じゃあ、お言葉に甘えてもいいかな」


 門の出入り口を抜けて、家の玄関に入ると中は外観以上に広く感じた。


 光を取り込みやすい構造になっているのだろう。無数のガラス窓に囲まれた廊下の奥に、独立したキッチンが現れる。道だけじゃなくて、家の中でも迷子になりそうだった。

 

「こんなに広いのに、秋斗の家静かだね」


「今日は家族が誰もいないんだ」


「そっか」


 私はキッチンを借りて、卵のお粥を作った。


 こんなこともあろうかと、コンビニでご飯と卵を買っておいて良かった。


 綺麗すぎるキッチンは怖かったけど、調味料の配置が計算しつくされていて、さすが秋斗の家だと思った。


「すごい! 美味しいよ、リア」


「良かった」


 秋斗の部屋は、驚くほど何もない部屋だった。ベッド脇にある小さなテーブルでお粥を口にした秋斗は、満面の笑みを浮かべる。


 簡単なお粥なのに、本当に美味しそうに食べてくれる秋斗を見ていると、少しだけキュンとくるものがあった。


 そういえば前世の王子様も、私が作ったものならなんでも美味しそうに食べてくれたんだよね。そういうところは、すごく好きだったな。


 私が昔を思い出しながら秋斗を見ていると、秋斗は不思議そうな顔をする。


「どうかした?」


「ううん、なんでもないよ」


「リア、すごく嬉しそうな顔してる」


「秋斗を見てると、昔のことを思い出すんだ。秋斗みたいに、とっても美味しそうに私の料理を食べてくれる人がいたから」


「昔? 誰、それ」


「秋斗によく似てる人」


「ふうん」


 さっきまで嬉しそうに食べていた秋斗が、たちまち不機嫌な顔になった。


 そんな顔も、前世の王子様によく似てると思うけど、秋斗はあの人ほど強引でもないし、比べるのが申し訳ない気がした。


「じゃあ、そろそろ帰ろうかな」


「そうだね……リアは早く帰ったほうがいいよ」


「そうだ、忘れるところだった」


「どうしたの?」


「この間のパンケーキのお礼にチョコブラウニーを作ったんだ」


「嬉しいけど……いいのに」


「やっぱり、私の料理のお礼が、あんな豪華なパンケーキだなんて、絶対見合わないと思うんだ」


「そんなことないよ。それより今日のお粥のお礼もしたいんだけど」


「そういう話は、秋斗が風邪を治してからにしよう。秋斗、食べたら寝たほうがいいよ。顔が真っ赤だよ?」


「そうだね。リアが帰ったら眠ることにするよ……(リアの前ではだらしない姿を見せたくないし)」


「じゃあ、私はこれで……」


 私が立ち上がると、一緒に秋斗も立ち上がろうとしてよろめいた。


 慌てて秋斗を支えると、秋斗は私から離れようとして床に倒れ込む。


「大丈夫? 秋斗」


「大丈夫だから……あまり近づかないほうがいいよ」


「秋斗の体熱いね。熱高いんじゃない?」


「……ごめん」


 しおらしい秋斗が珍しいせいか、なんだか母性本能をくすぐられる感じがした。


 秋斗を支えられながらベッドに移動すると、再びよろめいた秋斗が私を押し倒して──覆いかぶさるようにして倒れた。


「……あ」


「ご、ごめん」


 動揺して視線をうろうろさせる秋斗に、私は噴き出しそうになる。いつもと違って、気弱な秋斗がなんだか可愛くて、思わずその頭を撫でてしまった。


「大丈夫だから、秋斗はゆっくり休みなよ。それからまた学校で会おうね」


「見送ることもできなくてごめん」


 熱のせいか、耳まで真っ赤な秋斗は悔しそうにこぼした。


 そんな秋斗がどこか愛おしく感じて、再びその柔らかい赤茶色の髪を撫でると、秋斗は困った顔で笑った。




***



 

 ──翌日、登校すると教室にはすでに秋斗の姿があった。


 秋斗は私を見るなり椅子から立ち上がると、いつもの可愛い笑みを浮かべる。


「おはようリア」


「おはよう秋斗、もう体は大丈夫なの?」


「ああ、おかげさまで、すっかり元気になったよ」


 元に戻った秋斗は、嬉しそうな顔をして私に近づいてくる。


「今日はいつものよそよそしい感じがないね」


「え?」


「なんだかリアがぐっと近くなった気がするよ」


「そうかな?」


「それで、お粥のお礼の話だけど」


「もう、いいよ。お礼とか、キリがないし」


「そう? じゃあ、簡単でいいかな?」


「いいよいいよ、簡単でいいよ」


 私が適当に相槌を打つ中、秋斗は私の額に唇を寄せた。


「ありがとう」


「!?」


 突然のことに、私は思わず鞄を落とす。


 熱で弱った姿を見たせいか、秋斗に対する警戒心もなかったし、まさかそんなことをされるとは思わなくて──。


 周囲を見回せば、クラスメイトはいっせいにそっぽを向いていた。


 ……これはあれだ、見てないよアピール……。


「ちょっと秋斗、何するの!?」


「簡単なお礼でいいって言ったから」


「だからって──」


 クスクス笑う秋斗に呆然としていると、教壇にいる南人先生が……親指を立てた。





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