第6話 悪魔でも慎重に


 空が深い紫と赤焼けで彩られる閑静な住宅街。


 人気ひとけのない道で、私リアは隣を歩く秋斗あきとの顔をうかがう。


 白い肌に夕焼けを映した少年は、穏やかな笑みを浮かべていた。


 今日はお洒落なカフェでパンケーキを奢ってくれた秋斗だけど、さらに帰りは私を送ってくれた。


 途中から道が違うし、なんだか申し訳なくて断っても、秋斗は大丈夫と言って聞かなかった。


 ──私、あんなこと言ったのに……。


 私が孤立するよう裏で仕向けていた秋斗。


 そのことがショックで、カフェでは思わず「秋斗のことが信じられない」と言ってしまった。


 それからはずっとギスギスした雰囲気を引きずっていたけど。


 ふいに秋斗が静けさを破って口を開いた。

 

「……ねぇ、リア」


 突然声をかけられて、思わず肩をびくりとさせた私は、動揺しながらも笑顔を返した。


「な、なに?」


「君のことだから……僕の気持ちに気づいているんだよね?」


「え」


 ぎこちない空気の中、さらに動揺を誘う言葉に絶句していると、秋斗はため息混じりに告げる。


「気づかないふりをしなくていいよ」


「……えっと」


「大丈夫……僕は君の友達であり続けるから、心配しなくていいよ」


「……ご、ごめんなさい!」


 秋斗の告白に、なんて返せばいいのかわからなくて、思わず謝ると──秋斗はふいに足を止めた。


 そしてゆっくりと隣にいる私と向かい合うと、少し泣きそうな顔で私を見下ろした。


「……お願いがあるんだ」


「……え?」


「一度だけ、ハグしてもいいかな?」


「えぇ!?」


 答えを待つことなく、秋斗は私のことを優しく両手で包み込んだ。


 ドサッと何かが地面にぶつかる音が聞こえる。秋斗の鞄だと思う。


 私が固まる中、秋斗は小さく息を吐く。


 男の人に抱きしめられるのは、父親を除けば前世以来だった。

 

 ──細く見えても私とは全然違うんだ。


 その骨ばった感触に驚いていると、耳元で笑い声が聞こえた。


「これは友達としてのハグ、だからね」


 ……えっと……友達ってハグするものだっけ?


 ひそかに狼狽えながらも、心地よい香りに包まれて、私は不覚にもうっとりしてしまう。


 優しさに満ちたハグは、なんだかとても安心した。それは前世の王子様とは違うハグだった。


 だからか、私が自然に身を任せていると、そのうち秋斗はゆっくりと離れていった。


「ごめんね、いきなり」


 少しだけ目を泳がせて謝る秋斗に、私はかぶりを振る。


「ううん。秋斗の優しさが伝わってきたよ。私、秋斗のことを誤解してたかも」


 前世の記憶のせいで秋斗を警戒しすぎたのかもしれない。

 

 秋斗は前世の王子様じゃない。そのことが、優しいハグでわかった。


 気持ちを押し付けたりしない人だと知って、安心した私は──ようやく自然に笑うことができた。


 そんな私の変化に気づいたのだろう、秋斗も優しい笑みを浮かべた。


「僕は君に自分の気持ちを押し付けたりしないから、これからも良い友達でいて」


「わかった。親友だもんね」


 そしてお互い微笑みあったあと、清々しい気持ちで解散した。




***




 ──リア、リア、リア……!


 秋斗は真っ暗な自室に入るなり、持っていた鞄を床に投げつけた。


 本当はもっと触れたかった。強く抱きしめたい衝動を必死でこらえた秋斗は、リアの前でひたすら紳士であろうとした。


「よくもまあ、我慢したよね」


 秋斗は自嘲する。


(触れて抱きしめてキスをして、それから……)


 抱きしめている間は、気が狂いそうだった。それでも今のリアが無防備でいるのは、秋斗が大切にしているからだ。


 急げばそれも水の泡になる。一生手に入らなくなることを恐れた秋斗は、友達でいるしかなかった。


(──焦っちゃダメだ。けど、ハグは許してくれた……)


 クラスメイトと共謀する姿を見られた時は、動揺を隠すので精一杯だった。


 それから「信用できない」と言われて、焦った秋斗はリアを抱きしめることで彼女の気持ちを確認した。


 嫌いなら、突き飛ばせば良い。そんな風に投げやりになっていた秋斗だが。


 意外にもリアは受け入れてくれた。


(──まだ大丈夫)


 志望大学を聞くことはできなかったが、それも時間の問題だろう。


 出会った時よりも確実に心を開いていることがわかって、秋斗は心底ほっとしていた。


 ふとベッド脇にある小窓に視線をやると、そこにはかつて彼女が好きだった甘い顔立ちが映る。


 この顔のせいで警戒されているため、前世とは雰囲気を変える努力をしていた。


 その甲斐あって、リアは無防備だった。


 腕の中にいた彼女は、姿が変わっても愛しさの塊だった。


「ハグの次はキスだよね?」


 そう呟いた秋斗は、暗がりで一人、悪魔の笑みを浮かべた。

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