第5話 親友



「はあ、テスト初日が終わっちゃった……行きたい大学があるから、これ以上成績を落としたくないのに……」


「行きたい大学?」

 

 教室で私がふと漏らした呟きを、相智あいち秋斗あきとが拾った。


 隣に座っていることを忘れていた。


「ねぇ、リア。行きたい大学ってどこ?」


「えっと……まだ迷い中なんだ」


「じゃあ、決まったら教えて?」 


 秋斗が小首を傾げると、赤茶色の髪がさらりと揺れる。


 アーモンドの瞳はどちらかと言えば綺麗系なのに、笑うと可愛い感じがした。


 そのあざとい笑顔に、不覚にもきゅんとした私は、反射的に答えそうになるもの、喉元まで出かけていた大学名を飲み込んだ。


 クラスメイトたちに頼んで私を孤立させるような人だし、言うわけにはいかなかった。

 

「……わ、わかった。そのうち、ね」


「それとパンケーキの店だけど」


「パンケーキはいいよ。私の料理くらいで、申し訳ないし」


「そんなわけにはいかないよ。僕が彼氏なら、手料理をもらっても問題ないけど。僕はリアの彼氏じゃないから、こういうのはちゃんと返しておきたいんだ」


 えっと……どういう理屈?


 秋斗の言うことはよくわからなかったけど、『彼氏じゃない』という言葉に安堵した私は、お礼を受け入れることにした。



***



南人みなと兄さん!」


 テスト初日の放課後。


 窓から陽が差し込む廊下で、私は新しい担任の背中に声をかけた。


 深い緑の髪が目立つスーツのその人は、振り返ると切れ長の三白眼を細めた。


「こらこら、学校では先生ですよ」


「大手企業に勤めてた兄さんが、どうしてうちの学校に?」


「仕事に飽きたから」


「飽きた? そんな理由で?」


「もっと面白いものを見つけたから、思い切って転職したんですよ。仮想通貨と株で金は腐るほどあるから」


「兄さん……その頭脳、社会のために使いなよ」


「教師という職種も社会貢献度が高いですよ」


「本気で先生してくれるなら、いいと思うけど……兄さんが教師とか、大丈夫なのかな」


「あれ? リア、先生と何を話してるの?」


「……秋斗」

 

 廊下で立ち話をしていると、秋斗が通りかかる。


 すると、心なしか兄さんの背筋が伸びたように見えた。


「先生と仲良さそうだね」


 ここで嘘をついても仕方がないので、私は正直に説明した。


「実はこの先生、隣に住んでる、いとこのお兄さんなんだ」


「そうなんだ? こんにちは、小金こがね先生」 


「おお、君は学年主席の相智あいちくんじゃないですか」


「先生、わざとらしいですよ。もうちょっと控えめにお願いします」


「そうですか、わかりました。学年トップの相智くん」


「いやだな先生、リアの身近でいたいから、そういう言い方してほしくないんだけどな」


「今から良いところを見せておいてこそ、ですよ」


「先生、ちょっと恋愛のかけひきについて勉強してくださいよ」


「それは先生の得意分野ですよ」


「余計なことはしないでくださいね」


「相智くんはもっとアピールしたほうがいいですよ」


「リアをそこらへんの女子と一緒にしないでください」


「二人とも……何言ってるの? 知り合ったばかりとは思えないくらい仲いいよね」


 兄さんと秋斗の気さくなやりとりに、私が目を丸くしていると、秋斗は心外だとばかりにため息をついた。


「そんなことないよ──そういうわけで、先生。これからよろしくお願いしますね」


「あなたみたいな人がリアの彼氏になってくれたら私も嬉しいです」


「え? 彼氏……?」


 兄さんの言葉に血の気が引いた。


 どういうことだろう。


 私が青ざめていると、秋斗が兄さんを鋭く睨みつける。


「その発言はまだ時期尚早です」


 秋斗のいつになく低い声を聞いて、兄さんは慌てて訂正する。


「間違えました、二人は良い友達ですね」


 兄さんの言葉に私がほっとしていると、秋斗は困った顔で笑った。



***



「どれでも好きなのを選んでいいからね、リア」


「う、うん」


 テスト最終日の放課後。私は秋斗あきととお洒落なカフェにいた。


 私が手料理をふるまったお返しとして、秋斗がパンケーキを奢ってくれるらしい。


 ありあわせで作った料理のお返しにしては、豪華すぎる気がするけど、秋斗がどうしてもと言うので、ありがたく奢ってもらうことにした。


 ……けど、


 ここのパンケーキ、美味しそうだけど高いよ!

 

 学校から二駅ほどの繁華街にあるそのお店は、けっこうなお値段のするカフェで、メニューの金額に目玉が飛び出るかと思った。


 私が内心冷や汗をかく中、向かいに座る秋斗は涼しい顔でメニューを閉じる。


「リア、決まった?」


「うん。私はシンプルなのがいいな」


「わかった。すみません、店員さん!」


「はい。ご注文をどうぞ」


 黒いエプロンをつけた男の子が注文を取りにくると、秋斗は軽い口調でオーダーした。


「イチゴとチョコのパンケーキを2つお願いします」


「え」


「かしこまりました。イチゴとチョコのパンケーキ2つですね」


「ちょちょちょ、ちょっと……」


「どうしたの、リア?」


「私はシンプルなパンケーキがいいって言ったのに」


「でも、リアはイチゴとチョコが好きでしょ?」


 全てお見通しと言わんばかりに笑顔を向けられて、私は絶句してしまう。 


 確かにイチゴとチョコが好きだけど、その情報はどこから仕入れたのだろう。 


「もしかして……そんなにイチゴが食べたそうに見えたかな?」


「リアは可愛いね。打算のない本物の天然ぶりがツボだよ」


「可愛い? 可愛いのは秋斗のほうだよ。こんなにパンケーキが似合う男の子はいないと思うよ」


「うーん、それは褒められてるのかな」


「秋斗はこのカフェによく来るの?」


「いや、今日が初めてだよ。いつかリアを誘いたいと思ってたんだ」


「お待たせしました」


「え? は?」


 十分も経たずに、パンケーキがやってきた。


 しかもパンケーキを並べる店員さんの顔はどう見ても──


「み、南人みなと兄さん?」


「人違いです。さあ、イチゴとチョコのパンケーキをどうぞ」


「わあ、凄い……こんなに食べられないよ」


 パンケーキは圧巻の六枚重ねだった。


 やや厚めのパンケーキには、たっぷりの生クリームと薄切りのイチゴ、それにチョコレートシロップがトッピングされており──その迫力に唖然としていると、秋斗が可愛い笑顔で店員さんを見上げた。 


「店員さん、美味しく食べられる量に変更をお願いします」


「人間は食事中リラックスしますので、商談にもってこいですよ」


「店員さん、ビジネスで来たように見えますか?」


「ご武運を」


 兄さんにそっくりな店員さんはウインクすると、どこか満足気な様子で去っていった。 


「あいつ、何がしたかったんだ」


「どうしよう、残すのはもったいないよね」


「残りはテイクアウトできるか聞いてみようか」


「そうだね」


 お店の人にお願いして、半分テイクアウトで持ち帰ることにした私たちは、生クリームが溶けかけたパンケーキをようやくいただいた。 


「すごい、ふわっふわで甘くとろける」


「その笑顔で僕もとけそうだよ」


「美味しいパンケーキをありがとう。秋斗がいなかったら、たぶんこのお店で食べる機会もなかったと思うし」


「それだけ喜んでもらえたら、僕も誘った甲斐があるよ。それより、話は変わるけど……」


「なに?」


「結局、リアはどこの大学を目指してるの?」


 大学、と言われて私はピタリとフォークの手を止めた。


 友達なら志望大学くらい言ってもいいと思うけど、秋斗に教えていいものか私には判断できなかった。


 早朝の教室での変な打ち合わせを聞いちゃったし、秋斗が万が一私のことが好き……だったら、やっぱり言わないほうが身のためなのかもしれない。


「うーん……自意識過剰なのかな」


「どうしたの?」


「ん、なんでもないよ。志望大学だよね? B大学かな」


 とりあえず私は第二志望の大学を伝えた。本命ではないけど、志望大学には違いないし。


「B大学? リアならもっと上目指せるよね?」


「そ、そうかな……」


「じゃあ、志望大学が変わったらまた教えてくれる? 僕たち親友だし」


「し、親友?」


「これだけ一緒にいるんだし、親友だよね? それとも僕と親友なんて嫌?」


 瞳を揺らしながら切なそうにこちらを見る秋斗に、私は動揺してしまう。


 捨てられた子犬みたいな目で言われると、私の良心がうずいた。


 けど、ここで受け入れたら……。


「そんな、嫌なんかじゃないよ……でも」


「でも?」


「ごめん……秋斗のこと、信じられないんだ」


「……リア」


 思い切って内心を打ち明けた私は、残りのパンケーキをかきこんだ。


 最初あれだけ美味しく感じたパンケーキが、なんだか飲み込みづらかった。






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