第2話 友達の好き


「おはよう、リア」


「お、おはようございます」


 教室に入るなり笑顔で迎えたのは、例の〝王子〟だった。


 ……王子に挨拶されたのはいいけど、呼び捨てって……。


 つい先日、前世の記憶を取り戻した私は、今度こそ平凡に生きようと心に決めていた──はずだったのに。


 なぜか登校早々、不幸の元凶が私の席で待ち構えていた。


「あれからアロマスプレーは使ってる?」


 私が自分の席に着くと、王子も前の席に座った。もちろん、他人の席だけど。


「あ……うん。その節はありがとうございます。おかげ様でよく眠れるようになりました」


 アロマスプレーのおかげで前世の恋人が夜の夢にも出るようになったとは、言えるはずもなくて。


 適当に言葉を濁していると、椅子の背もたれを抱きしめた王子が小首を傾げた。


「なんで敬語なの?」


 そのあざとさに油断しそうになるけど、これ以上親しくなるのが怖くて、私は咄嗟に切り返した。


「私とあなた様では立場が違いますので」


 私は王子と喋りながら、しきりに周囲を気にしていた。


 アロマスプレーの一件以来、王子はよく喋りかけてきた。おかげで友達がいなくなった私は、周囲の反応に怯える日々を送っていた。


 今もほら、「調子に乗るな」とか「王子の下僕ちゃん」なんて話し声が聞こえてくる。


 けどそんなことを知らない王子は、不思議そうな顔をする。


「立場が違うってどういうこと? 僕たちは同じ学校のクラスメイトだよね?」 


「同じ学校でも、王子はカースト上位にいますから」


「いつからこの学校はカースト制度を導入したの?」


「いえ、自然とできたものです。ですから王子は私みたいなカースト下位の人間に話しかけないほうがいいですよ」


「それは遠まわしに、僕とは話したくないってこと?」


 王子が切れ長の目を潤ませながらこちらを見る。


 すると、周囲のざわつきが一層激しくなって、「何様?」という声が響いた。


 もはや何をしてもダメらしい。


 私の平凡な高校生活はどこに行ってしまったのだろう。


「いえ、その……王子と話したくないわけではないです」


「だったら、普通にしてよ。せっかく友達になったのに、君だけ敬語なんて寂しいよ」


 いつの間に私たちは友達になったのだろう。


 クラスで唯一の友達が王子とか、破滅フラグしかないし。


 けど、王子の涙の威力は絶大で、私の良心をダイレクトに攻撃してきた。


「わ……わかったよ。敬語はやめるから、そんな顔しないで」


「良かった。君に嫌われてしまったのかと思った」


「……嫌いではないです」


 仕方なく私が折れると、王子は無邪気に破顔する。


「じゃあ、好き?」


「ええ、す……好き?」


「なんでそんなに驚くの? 嫌いじゃないなら、好きでいいんだよね?」


「えっと……それはもちろん、友達として好きです」


そう告げると、一瞬王子の顔から表情が消えた──気がした。


「あの、王子」


「僕の名前は王子じゃないよ。相智あいち秋斗あきとだから、秋斗って呼んでよ」


「秋斗さん」


「秋斗」


 笑顔でかぶせてきた王子に、歯向かえない強さを感じた。


「……あ、秋斗は、どうして私のところに来るの? 秋斗なら、友達たくさんいるよね?」


「実は僕……友達がいないんだ」


「ええ! 嘘」


「嘘じゃないよ。僕の友達はリアだけだ」


 考えてみると、ここ最近の秋斗は、いつも一人だった。


 女子の視線は変わらず痛いけど、秋斗に声をかける人がいないのは不思議だった。


「ところで、せっかく友達になったんだし、今日からは一緒にお昼ごはん食べない?」


「ええ! 秋斗と一緒に?」


 ただでさえ秋斗といる時間が一番長いのに、お昼も一緒だなんて、ファンの人たちに殺してくれと言ってるようなものだよね……。


 どんどん距離を詰めてくる秋斗をどうするか悩んでいると、またもや彼は泣きそうな顔で訴えてくる。


「……嫌なの? そうだよね……僕なんかとお昼食べるのは嫌だよね」


「ちょっと、お願いだからそんな顔しないで」


 案の定、秋斗が悲しそうな顔をすると、周囲から強烈な殺意が飛んでくる。


 秋斗から離れようとすればするほど、悪い方向に向かっているような気がした。


 私にどうしろって言うのよ……。


「さっきは僕のことを好きって言ってくれたのに」


「わ、わかった。わかったから! お昼は一緒に食べよう! ――ね?」


「……いいの?」


「もちろん、友達だし」


「嬉しいな。リアはお弁当の人? それとも食堂派?」


「うちは両親が忙しいから、いつも食堂なんだ。毎日お弁当とか面倒だし」


「……へぇ、ご両親、忙しいんだ?」


 いつの間にか機嫌を良くした秋斗は、含みのある笑みを浮かべた。




 ***




「お腹いっぱいだね」


 お昼休み。食堂で私の向かいに座る秋斗あきとが満足そうに息を吐いた。


「うん、秋斗が教えてくれた裏メニュー、凄いボリュームだったね。秋斗って物知りだよね」


「こういう情報収集は楽しいから」


「どこからそんな情報見つけてくるの?」


 訊ねると、秋斗はゆっくりと人差し指で口元を押さえる。


「それは企業秘密だから」


 不敵に笑う秋斗に、私は大きく見開く。


 秋斗の笑顔が前世の王子様と重なって見えて、慌てて目をそらした。


 秋斗は時々、あの王子様みたいな仕草をするよね。なんだかドキドキする。


「どうしたの? リア」


「……なんでもないよ」


「それはそうと、今日の帰りだけど……良かったら一緒に帰らない?」


「え……ええ?」


「どうしてそんなに驚くの? 友達だったら普通だよね。それともリアはやっぱり僕のことを友達と認められないの?」


 王子と一緒だと、食堂でも周囲の反応は凄まじかった。


 何度目かの「何様?」の文字が私の後頭部を直撃した。


 どれだけ人気なのと、ツッコミたい気持ちをおさえて私は苦笑する。


「いえ、そんなことはないです。あなた様は友達です」


「なら、一緒に帰ろう」


「……喜んで」


 思えば前世でもこんな感じで王子様に主導権を握られていたけど、我が校のカリスマ王子を止める術を私は持っていなかった。


(こんな風に毎日一緒だったら、身がもたないよ……)


「そもそも秋斗は、どうして私と友達になりたいと思ったの?」


 溜め息混じりに訊ねると、秋斗は輝く笑顔で即答した。


「もちろん、君が好きだからだよ」


 その『好き』はもちろん、友達の好きだよね? とは聞けず、私はやや狼狽えながら周囲を見回した。


 けど誰も秋斗の言葉を聞いていなかったみたいで、周囲は何事もないように談笑していた。


 周囲の平和な様子を見て、私がほっとしていると、秋斗はさらに問題発言を投下する。


「ねぇ、リアも僕のこと好きだよね?」


「へ?」


「リアの言葉でも聞きたいな」


「何を?」


「僕のこと、好き……って言ってほしい」


 ──どんな小悪魔だよ。


 思わず心の中で呟いた私は、引きつった笑みを浮かべることしかできなかった。


「と、友達として、好きです」 


「友達として、っていうのはこの際外してみようよ」


「なんで!」


「友達っていうのはもうわかりきってることだから、好きだけ聞きたい」


「どういう理屈なの!」


「僕のこと、嫌いじゃないんだよね?」


「それは……」


「じゃあ、言ってみてよ」


 神様……いったい、これはどういう罰ゲームなのでしょうか。


 私が軽く青ざめていると、秋斗はテーブルに身を乗り出して小さく耳打ちしてくる。


「早く言わないと、大声で好きって言っちゃうよ」


「ええ!」


 ──どういう脅し?


 周囲を逆なでしてほしくない私は、少しだけ考えた後、秋斗の耳にそっと囁いた。


『好きだよ』


 言ったそばから恥ずかしくなって、秋斗から顔を背けるけど、秋斗はというと、しばらく同じ体勢で固まっていた。


「ヤバい……理性が飛びそう」


「秋斗?」


「なんでそんなに可愛いの? こんなことで舞い上がってたら、身がもたないよ」


「あの、もしもし? いったい」


「でも嬉しいな。リアが僕のことを好きって言ってくれるなんて」


 私の顔を覗き込んでくる秋斗から離れようとしても、後ろの席が近くて下がれなかった。


「近いよ」


「僕は目が悪いから、このくらいの距離がちょうどいいんだよ。どうせなら、このまま──」


 秋斗の囁きが、チャイムの音でかき消された。


 周囲の人たちが移動するのを見て、私も慌てて立ち上がる。


「もうすぐ午後の授業が始まるから、早く行かなきゃ」


「ああ、もうそんな時間?」


「秋斗、早く」


「ちょっと待って、最後に『好き』のおかえしだけさせて」


「え?」


 秋斗は食器トレーを手に椅子から立ち上がる。すると、すれ違いざま、私の耳にそっと息を吹き込んだ。


 そして何食わぬ顔で去る秋斗の背中を、私はぎょっとした顔で見つめる。


「な、なに……今の……」


 食堂に一人残された私は、呆然と立ち尽くしたのだった。

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