第3話 友達の手料理



「なんだか嬉しいな。こうやってリアと一緒に帰ることができるなんて」


 黄昏に染まる住宅街。


 車がすれ違えるほどの広小路を歩いていると、ご機嫌な学園の王子こと相智あいち秋斗あきとは、嬉しそうに目を細める。


 けど、そんな秋斗と並んで歩く私、大塚おおつかリアは気が気じゃなかった。


「だって、一緒に帰る約束したし。それより、あの……手」


「手がどうかした?」


「どうして手を繋ぐの?」


「もちろん、リアに何かあった時のためだよ」


「私のため?」


「この道は自転車もよく通るし、何かあったらすぐに手を引けるでしょ?」


「でも……恥ずかしいよ」


「大丈夫、誰も見てないって」


 ていうか、王子ファンに見られたら怖いんだけど。


 私は周囲を必死で確認する。


 今のところ、亜麻色の制服ブレザーは見かけなかった。


「誰も見てない……かな?」


「リアは考えすぎだよ。せっかく友達になったんだし、気楽に一緒にいてよ」


「考えすぎなの……?」


「それはそうと、リアは部活動とかやらないの?」


「部活? ええっと……ちょっと前まで調理部に入ってたんだけど、家でも学校でも料理するのが面倒になって、やめたんだ」


「リアは料理が好きなんだ?」


「苦手克服のために入ったんだ……親の帰りが遅いから、自炊しなきゃいけないし」


「……いいな。リアの手料理、食べてみたいな」


「自炊って言っても、あまり上手じゃないよ」


「リアが作るものなら、なんでも美味しいと思うよ」


「そんなことはないと思うけど……良かったら夜ご飯食べてく?」


「え? いいの?」


「大したものは作れないけど」


「嬉しいな。せっかくだからお邪魔させてもらおうかな」


 可愛い笑顔で喜ぶ秋斗に、その時の私はすっかり油断していた。




 ファミリーマンションの五階に住む私は、十畳ほどあるリビングのテーブルセットに秋斗を座らせる。


「すぐ作るから、ちょっと待っててね」


 着替えるのも面倒で、制服の上からエプロンをつけると、いつもより少しだけ張り切ってキッチンに立った。


 けど、カウンターごしに秋斗がこちらを見ていて、なんだか落ち着かなかった。


 ……なんで私、この人を家に上げたんだろう。


「僕にも何か手伝うことない?」


「大丈夫だから、秋斗は座ってて」


「まさかこんなにも早くリアの家に上がれるとは思わなかったな」


「え? なんか言った?」


 包丁の手を止めて訊ねると、秋斗は複雑そうに眉間を寄せた。


「……リアは、男友達を簡単に家に入れるんだね」


「男の子の友達は、秋斗が初めてだよ」


「僕が初めて……良い響きだ」


「あ、痛っ」


「どうしたの?」


「うっかり包丁で指切っちゃった」


「大丈夫?」


「小さな傷だけど……絆創膏あったかな」


「その前に消毒だね」


「水洗いでいいかな」


 リビングの棚を探る間、秋斗はじっと私を見ていた。


 やっぱり緊張して、その視線から逃げるようにキッチンに戻ると、秋斗がこちらにやってくる。 


「絆創膏、つけるの手伝うよ」


 その眩しくも可愛い笑顔に気圧されて、私が指を差し出すと、秋斗は丁寧に絆創膏を巻いてくれた。


 こういう時、あの王子様だったら、なめて消毒するとか言うんだろうな……しかも私が嫌だって言ったら、余計にやろうとするし。

 

 私が前世の王子様を思い出して苦笑すると、秋斗は不思議そうに首を傾げる。


「どうかした?」


「ううん。ちょっと昔のことを思い出して──それより、段取りが悪くてごめんね。すぐにご飯作るからね」


「慌てなくていいよ。遅くなっても大丈夫だから」


「……うん」


 それから三十分ほどで出来た食事をテーブルに並べると、秋斗はまるで宝物でも見るかのように顔を輝かせた。


「親子丼にサラダに豚汁……どれも美味しそうだね。いただきます」


 秋斗が幸せをかみしめるように、親子丼を食べる姿を見て、私はなんだか照れ臭くなってしまう。


「口に合うかわからないけど」


「うん、すごくおいしいよ。親子丼が甘すぎなくて僕好みかも」


「そう? 良かった」


「リアは料理上手だね。ご両親の分も作るの?」


「そういう時もあるけど……今日は二人とも出張中だから、私と秋斗の分だけだよ」


「え? 出張ちゅう……」


 私が両親のことを話した途端、秋斗は箸をポロリと落とした。


「ちょっと待って、リアは明日までこのマンションに一人ってこと?」


「うん、そうだよ」 


「無防備すぎるよ」 


「なにが?」


「リアのことが心配なんだ」


「大丈夫だよ、いとこのお兄さんが隣に住んでるから、何かあってもすぐに駆け付けてくれるよ」


「いとこのお兄さん?」


 呟きながら、秋斗は表情を消した。


 その顔は前世の王子様がヤキモチを妬く時の顔に似ていた。


「そのいとこのお兄さんとは仲いいの?」


 腕を組んでじっと見つめてくる秋斗。


 私はなんとなく視線をそらす。


「特別仲がいいってわけでもないけど……普通かな?」


「へぇ、今度挨拶しておかないとね」


「どうして秋斗が挨拶するの?」


「君のことが心配だからだよ。何かあってからでは遅いからね」


「何かって?」


「ほら、変な事件も多いし」


「秋斗はお母さんみたいだね。でも大丈夫だよ。昔からよく知ってる人だし」


「だってほら、こんな風に近づく男だって世の中にはいるんだからね」


「……え?」


 秋斗は椅子から立ち上がると、テーブルをぐるりと回って私に近づいてくる。


 思わず私も立ち上がって後ずさると──秋斗は、私の顔をじっと見つめながら距離を詰めてきた。


 蛇に睨まれたカエルみたく動けなくなった私は、視線をうろうろさせる。


 ──ていうかこれ、デジャヴかも。


 王子様との恋人時代をぼんやりと思い出していると、秋斗は「可愛いね」と、私の耳元で囁いた。


「わわ、わ」


「そんなだから、心配になるんだよ」

 

 呆れたように白い目で見下ろす秋斗に、私はなぜか言い返せなかった。


「そ、そんなこと言ったって……って、近い近い! 顔が近いよ!」


「いい? こうやって近づく人も世の中にはいるんだから、僕以外の男を家にいれちゃダメだよ」


「わ、わかったから離れて」


「我慢するのも大変だな」


 秋斗はブツブツ言いながら、名残惜しそうに離れていった。




「……今日はありがとう」


 マンションのエントランスまで私が見送ると、秋斗は「ここでいいよ」と笑った。 


 食事のあと映画の話で盛り上がったこともあって、秋斗が帰る頃にはすっかり夜も遅くなっていた。


「お粗末さまでした」


「次は僕がごちそうするね」


「ええ? 秋斗も料理するの?」


「いや、今度美味しいパンケーキの店でごちそうするよ」


「そんな、悪いよ」


「遠慮しないで。リアの手料理にはそれ以上の価値があるから」


「大袈裟だよ。でも、いつも一人でご飯食べてたから今日は楽しかったよ」


「……リア」


「一人は慣れてるから、そんな顔しないで」


「僕なんかでよければ、いつでも一緒に食べよう」


「ありがとう。友達っていいね」


 友達だったらこのくらいは当たり前なのかな? なんて、秋斗の基準で物事を考えるようになっていることに気づかず。私はへらへら笑いながら秋斗に手を振った。




***




「はあ……今日もリアは可愛かったな。早く恋人になればいいのに」


 リアのマンションを出たところで、秋斗あきとはたまらず幸せを噛みしめるが、


「……ダメだ、焦ってまた他人に逆戻りしちゃいけない」


 咳払いをして表情を整える。


 鈍感なリアが可愛くて仕方ない秋斗だが、我慢に我慢を重ねて食事と会話だけで終わらせた。


 まだ気持ちが未発達のリアに、これ以上近づくことはできなかった。


(──前世の恋人だというのに、キスすらできないなんて)


 高校に入学したての頃、再会しても気づかないリアには絶望した。


 それでも彼女を想い続けて二年になり。


 教室で居眠りをするリアが、寝言で秋斗の前世の名を呟いた時は歓喜に震えた。


 それからは必死だった。


 彼女に接近するためにクラスの空気すら変えた。


 そして彼女の人の良さを利用し、なんとか丸めこんでここまできたのだが。


「リアには男のいとこがいるのか……どんな人間だろう」


 などと呟きながら、エントランスを出た──その時、


「……殿下?」 


「ん?」


 スーツに身を包んだ男が、秋斗を凝視した。


 深い緑の髪に、切れ上がった三白眼。


 秋斗よりもあきらかに年上だったが、その顔には見覚えがあった。


 そして相手も秋斗の正体を知っているのだろう。


 次の言葉が出た時、秋斗は確信した。


「王子殿下ではありませんか?」


「お前はまさか……」


「ナルムートでございます。我が崇高なる王子殿下! お会いしとうございました」


「宰相のナルムか。わかった、わかったから……往来で叫ぶのはやめろ、恥ずかしい」


「ああ、こうしてお会いできたのも運命でございます」


「おい、僕に触るな」

 

 抱きついてきた男を、秋斗は鬱陶しげに押し返す。 

 

「申し訳ありません、嬉しさのあまりつい……」


「お前もこのマンションに住んでいるのか?」


「お前も、と申しますと……殿下もこのマンションにお住まいなのですか?」


「いや、前世の恋人が住んでいるんだ」


 秋斗の話を聞いて、男は拳を手のひらにポンと乗せる。


「もしや恋人とはリアのことですか? リアに会いに来るなんて……殿下は相変わらず粘着質ですね」


「僕の恋人を呼び捨てにするな……というか、ナルムート」


「今は小金こがね南人みなとです」


「……お前や僕と違って(前世と)姿が違うのに、どうしてリアが彼女だとわかったんだ? それに、知り合いなのか?」


「リアが殿下の恋人であることは、なんとなく雰囲気でわかりました。長いつきあいですし」


「長いつきあい? なんだと……」


 秋斗は一瞬、嫉妬で瞳を揺らすもの、すぐに事情を察して瞠目した。


「お前まさか……リアのいとこなのか?」


「ええ、そうです」


「なんだ、心配して損したな」


 小金が世界一安全な男だと知っている秋斗は、心の底からほっとする。


 そして小金もまた秋斗の性格を知っているため、ドヤ顔で胸を叩いた。


「殿下、ご安心ください。いつか殿下とお会いできた時のために、悪い虫がつかないよう見張っておきました」


「なんだと! でかしたぞ小金、それは勲章ものの働きだ」


「もったいないお言葉でございます」


「そうか……隣に住んでいるのがお前なら……」


 かつての味方を見つけた秋斗は、不敵に笑った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る