この道(北原白秋)

こんにちは。この記事を気にかけていただき、ありがとうございます。

今回は北原白秋の『この道』という詩について、解説していきたいと思います。かなり有名な詩であり、童謡として触れたことがある方も、いるのではないでしょうか。



それではまず、詩をお読みください!


この道はいつかきた道

ああ そうだよ

あかしやの花が咲いてる


あの丘はいつか見た丘

ああ そうだよ

ほら 白い時計台だよ


この道はいつかきた道

ああ そうだよ

お母さまと馬車で行ったよ


あの雲はいつか見た雲

ああ そうだよ

山査子の枝も垂れてる



うん。はっきり分かる。やっぱり白秋先生の詩は最高だわ。


この詩は、帰郷してきた人の目線なんでしょうね。いつか来た道、いつか見た丘。離れていたはずの世界に、ようやく帰ってきた懐かしさや胸の温かくなる感覚が、ひしひしと伝わってきます。



それでは、順番に見ていきましょう。


まずは一つ目。アカシアの花は温暖な気候にしか咲きませんから、現代に準えるとすると関東から福岡に帰省してきた感じでしょうか。白秋先生も柳川の出身なので、間違ってはいないはず。


二つ目。時計台?と、時計台…??実在のものを指しているんだったら、一体どこのことなのか。私には分かりませんが、時計台のある丘ってロマンチックですね。私のいる地方には時計台がひとつもないから、ちょっと羨ましいかも。

ーーそういえば、個人的な話なのですが、「時計台のある丘」って、「ときめきメモリアルgirl's side2」というゲームに出てくる「灯台のある丘」を彷彿とさせます。

あのゲームでも、主人公の女の子は以前灯台に赴いた過去があり、それを(ネタバレになるので細かくは言えませんが)カクカクシカジカあって再度灯台に登った際に思い出すのですが、それも「いつか見た丘」。

偶然だとは思いますが、やはり丘の中にひとつ目立つ建物があると、それだけで思い出の場所、記憶に残る場所になりやすいのかな…と感じました。


三つ目。お母さまと馬車で通った道を、今は一人で歩いている。

お母さまが存命かどうかは分かりませんが、きっともう昔のように、「かあさま、あれはなんですか!」なんて、無邪気に指をさしながら共に馬車に乗ることは出来ないはず。

そう考えると、子どもに戻れないってなんだか寂しいことですね。小さい頃は私も「はやく大人になるんだ!」なんて、わやわや言っていたものですが、今考えると子どもの頃の方が良かったんじゃないかとつくづく思います。悲しいかな。


四つ目。雲にフォーカスを当てているのも、幼少時代を懐かしむ気持ちが現れていますね。「ネコの形の雲」「ショベルカーっぽい雲」とか、小さい頃色々準えてたのが、もうかなり前の話かぁ。大人になるにつれ、空なんてほとんど見上げなくなりますから、することも無くなったなあ。

あとはサンザシの花。あえてこうやって具体的な花の名前を出すことで、一つ一つに思い入れがあることが分かります。サンザシは実もなるから、帰り道に拾い食いしたのかもしれませんね。かわいいかよ。



ちなみにアカシアの花の花言葉は『友情』。そしてサンザシは『希望』です。幼少期をここで過ごしたということは、そこには親しくしていた友との青春や、将来のことに期待を膨らませていた学生生活が、しっかりと残っているのでしょう。それを遠回しに表していると考えると、洗練されすぎてませんか。好き。

あ、でも、調べたところによると、サンザシの花言葉には『ただひとつの恋』というものもあるそうな。もしかしたらその地には初恋の甘酸っぱい記憶もあるかもしれませんね。実の味だけにな。私の恋愛脳が発動しちゃうぞ。うきうき。



さて、では今回はここまでにしようかな。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。またお会いしましょう!

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文学はいいぞ りり @drizzlingrain

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