第15話 電話

 それからしばらく、火曜日の休みがなかった。たまに伊藤いとうから電話が掛かってくると話をしたが、祖母のことが何となく気になって、ぼんやりしがちだった。


三上みかみさん。何か気になることがあるの?」

「えっと。うん。あるよ」


 つい本当のことを言ってしまった。が、伊藤は深く追求して来ず、「そうなんだ。それでさ」と別の話を始めた。


「あのさ、いとーちゃん」


 伊藤の話をろくに聞かずに、いきなり遮った。伊藤は、戸惑ったように、「え? 何?」と言って、先を促してきた。沙羅は覚悟を決めて、


「お願いがあるんだけど」

「お願い?」

「そう。また一緒にバラ園に行ってくれないかな」

「いいよ。それが気になってたこと?」


 沙羅は、見えないと承知で首を振った。


「違う。気になってるのは、おばあちゃんのこと」

「三上さんのおばあさん?」

「おばあちゃん、バラ園を知ってるんだ。あそこに住んでいた、川野辺かわのべ氏のもとで働いていたみたい。『旦那様』って言ってたから。おばあちゃん、昔、言ってた。『私は、ここから逃げたのよ』って。何があったのか、教えてくれないし、だけど、気になるし。だから、おばあちゃんも一緒にあの場所に来てもらおうと思って」


 少しの静寂の後、伊藤がはーっと息を吐いたのが聞こえた。それを聞いて、沙羅は胸がドキッとした。


「行くのは構わないよ。でも、いいのかな。おばあさんは、それを望んでる?」


 そう言われる気はしていた。


「おばあさんが望んでいるなら、オレは喜んで一緒に行くよ。訊いてみてよ」

「わかった。今訊いてみる。切らないでね」

「切らないよ」


 沙羅は、部屋のドアを開けると、階段を駆け下りた。


「今、階段を下りてる」

「うん。聞こえてるよ」


 その言葉が、笑いを含んでいるように聞こえ、沙羅は少し恥ずかしくなった。が、何でもないように、実況を続けた。


「はい。今、おばあちゃんの部屋に到着。中に入ります」


 ドアをノックして、「どうぞ」と言われてから中に入った。祖母は、窓際に立って、外を見ていた様子だ。沙羅が祖母を見ると笑顔になり、


「どうしたの、沙羅ちゃん。慌ててるみたいね」

「おばあちゃん。今、いとーちゃん……伊藤くんと話してるんだけど。今度の火曜日、一緒にバラ園に行ってくれないかな? 伊藤くんは、それをおばあちゃんが望んでるのか確認してって言ってる。どうかな」

「行って……どうしたいの?」


 言葉に詰まった。沙羅は、自分のこの混乱をどうにかしたいだけだ。それによって、祖母は傷つくのかもしれない。わかってはいたが、このままにはしておけなかった。


 祖母は、少しの間考えるように目を閉じていたが、目を開けるとはっきりと言った。


「いいわよ。一緒に行きましょう。それで、あの日に話したこと、もう一度話してあげるわ。今度は、話せばわかるわよね。だけど、私が話すことは、家族の誰にも言わないでほしいの。知らない振りをしていてほしいの。約束してくれる?」


 沙羅は、祖母をじっと見つめてから、「わかった」と言った。祖母は笑顔になると、


「ねえ、沙羅ちゃん。伊藤くんと話してもいい?」


 思いがけない祖母の発言に、沙羅は、「え?」と小さく言ったが、電話を渡した。祖母は、「ありがとう」と言ってから、


「もしもし。伊藤くん? わたくし、沙羅の祖母の千尋ちひろと申します。初めまして」


 沙羅は、祖母のすぐそばに立ち、耳をそばだてた。伊藤は、


「え? 千尋さん? あのバラと同じ名前なんで、びっくりしました。すみません」


 祖母は、ふふっと笑うと、


「今度、あのバラにまつわるお話を、どうぞ聞いてやって下さい」

「あ。じゃあ、よろしいんですか?」

「ええ。二人に、正直に話すわ」

「それでは、駅前に十一時でよろしいですか?」

「結構よ。楽しみにしています」

「あ。こちらこそ」


 大抵落ち着いて何でもこなす伊藤が、珍しく緊張しているような声で話している。それが、妙におかしくて、つい笑ってしまった。祖母に電話を渡されると、


「それじゃ、火曜日の十一時に」

「三上さん。何がおかしいのさ」

「え。別におかしくないよ」


 そう言いながら、また笑ってしまった。


 伊藤と「おやすみ」を言い合ってから電話を切ると、祖母の部屋を出た。部屋に戻ると大きく伸びをして、ベッドに横になった。

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