第9話 祖母・千尋
家に帰ると、祖母の
「お腹空いてない? 何か食べたの?」
「うん。食べたよ」
伊藤とチョコレートケーキをシェアしたことや、二人の男性から告白されたことが思い出され、つい顔が赤くなる。
「あら、沙羅ちゃん。何かあったの?」
何かを察したのか、祖母が微笑みながら言った。沙羅は急いで首を振ると、
「何にもないよ」
「そう。何かいいことでもあったのかと思って。沙羅ちゃん。お夕飯、何がいい?」
「何でもいいよ」
そんな話をしていると、玄関のドアの開く音がして、「ただいま」と妹の
「おばあちゃん。お腹空いた」
世羅の言葉に祖母が笑う。
「はいはい。じゃあ、何か作りましょうか」
「私も手伝う」
「じゃ、世羅ちゃんも一緒に作りましょう」
「手、洗ってくる」
世羅が部屋を出て、洗面所に向かった。沙羅は、「ちょっと部屋に行ってくる」と言って、自分の部屋に戻った。料理を率先して手伝うのは、いつも世羅だ。沙羅は、あまり得意ではない。
ベッドに横たわると、目を閉じた。今朝見た夢を思う。同僚から言われた言葉から始まった、退職までの日々。それが、映画か何かのように、繰り返し夢の中で再生される。そして、嫌な汗をかいて目を覚ます。
(仕事は好きだったのに、どうしてあんなことになったんだろう。私なんかが人を好きになったりするから……)
そう考えた時、ハッとした。また自分のことを、「なんか」と言ってしまったと気が付いたのだ。普段穏やかな伊藤が、あの時は怒っていた。自分に価値がないみたいな言い方は、今後 慎もう、と心から思った。
翌週の月曜日、夜の十時頃、伊藤から電話が掛かってきた。
「ごめん。こんな時間になって。仕事がなかなか終わらなくて」
「いいよ、別に。それで、明日どうしようか」
沙羅が問うと、
「十一時に駅前でどうかな。バラ園見た後、一緒に食事しようよ」
「あ。うん。わかった。じゃ、明日ね」
「え。もう電話切るの? 仕方ないか、この時間じゃ。それじゃ、三上さん。また明日ね」
伊藤の言葉に、見えないと知りながら頷くと、「おやすみ」と言って通話を切った。たったそれだけの会話なのに、沙羅の心は温かくなっていた。
バラ園に行く日の朝、下におりていくと、祖母が振り返り、
「おはよう、沙羅ちゃん。ちょうど今、朝ごはんの準備が出来た所よ」
祖母がテーブルに器を並べていると、世羅が入ってきて、「おはよう」と言った。まだ眠そうな顔をしている。
「お姉ちゃん。今日、出かけるの? 昨日、靴を磨いてたよね」
「うん。ちょっとね」
「どこ行くの? 誰と行くの?」
「いいでしょ、別に」
「あやしい。男の人とデートでしょ? 図星?」
沙羅は、妹の言葉には答えず、「頂きます」と手を合わせながら言った。世羅は、頬杖をつくと、
「黙ったっていうのは、認めたのと同じよ、お姉ちゃん」
それにも返事せず、黙々と食事をしていた。その内、世羅も諦めたのか、箸を手にして食べ始めた。祖母は、沙羅と世羅を交互に見てから、手を合わせて食べ始めた。
部屋に戻ると、沙羅はクローゼットの扉を開けた。昨夜のうちに決めておいた洋服を手に取った。姿鏡の前に立って、その服を当ててみる。が、これでいいのか迷う。もっと別の服にした方がいいだろうか。ゆうに三十分は悩んでいた。が、結局は最初に選んだ服を着ることにした。
支度が整ってリビングを覗くと、世羅と祖母がテレビを観ながら談笑している。
「行ってくるね」
二人に言って玄関に向かおうとした時、祖母が、
「どこまで行くの? 遅くなる?」
「どうかな。わからない。行くのは、ここから三駅先にあるバラ園だよ」
沙羅がそう伝えると、祖母の顔が強張った。が、それはほんの少しの間のことだった。すぐにいつもの優しい笑顔を見せると祖母は、「気を付けて行ってらっしゃい」と言って送り出してくれた。沙羅は、祖母のそんな様子を見て首を傾げたが、「ま、いっか」と小さく呟いた後、駅へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます