第50話
「かいとくん、そのちゃんのこと振ったんだって!?」
明くる日のことである。朝教室に入るなりそんなことを訊かれた。
「一体誰から?」
「ただの噂! 昨日かいとくんが職員室のあたりでそのちゃんを泣かせてたって聞いたの。だからもしかしてと思って」
泣かせたのは事実だし、振ってもいるからぐうの音も出ない。
「ああ。つっても、告られたのは昨日じゃないし振ったのも昨日じゃない。昨日は別件」
「え」
「かいとぉっ!!」
ごっ
左頬に鋭い拳が入る。首を後ろにひねりいくらか勢いを削いだが痛いのに変わりはない。
「殴らせろ!」
「……もう殴ってんじゃねぇか」
向き直れば、バスケ部の奴だった。
「ちょっと、殴るのはあんまりだよ」
「うるせぇ。許せることと許せねぇことってのがある」
宥める女子マネを一蹴し、そいつは俺を睨み付けた。
「お前な、振るのが酷いたぁ言わねぇよ。だが、なんで泣かした? 園崎に何か言ったのかよ?」
「何も言ってはいない。昨日は……」
何と説明したらいいだろうか。昨日、リンの絵の前で聞いたこと。リンの本音。答えられなかった問い。
痛みのおかげで頭は冷静だ。……最悪なことに。
「俺は、リンのことを泣かせたかったわけではない。でも涙の
再び拳が飛んでくる。今度は手首を掴んで止めた。じんじんと手が痺れる。
「やめろよ。あんま殴るな。そんなに俺が憎いか? 何故だ?」
そいつに問う。
するとそいつは拳を引いたが、握りしめたままぶるぶると震わせていた。
「おれだってなぁ、冷静でいようと思ったよ。なんでお前がそんなに冷静なんだよ? 誰よりも園崎の傍にいたお前が、何の苦悩もなかったかのように振ったって言えんだよ!?」
俺はニヒルな笑みを浮かべた。
「まるでお前の方がリンのこと、好きみたいだな」
そいつの顔が瞬時にして真っ赤に染まる。激昂のまま、一度納めたはずの拳を突き出した。
衝撃がきたのは顔ではなく胸だった。一瞬息が止まり、直後に咳き込む。
その場に崩れながら思う。リン、お前の言ったとおり、俺は酷い奴らしい。そして鈍く見えるのに聡いらしいぞ。
脇に控える女子マネのために俺はそれ以上は何も言わない。
「すまん。朝こけて全身打ってんだ。これ以上は付き合えん。保健室に行っとく」
「わ、わかった」
おろおろする女子マネにそう言い置いて、俺は鞄を持ったまま教室を出た。
よろよろと階段を下っていく。朝にこけて全身を打ったのは本当だが、慣れているからそんなのはどうってことない。あのパンチは効いた。
あと少しで保健室のある一階──というところで一段踏み外す。そのまま転がり落ちそうになったところを誰かが受け止めた。
「大丈夫? うみくん」
花壇から戻ったとーるだった。その手を借りて体勢を立て直す。
「大丈夫だ」
「何があったの? ぼろぼろだけど」
「痴情のもつれとかいう奴だ。あるいは青春?」
「うみくんあんまり似合ってないよ、それ」
「五月蝿い。わかってる」
とーるに付き添われ、保健室に向かう。一時限目は休むことにした。
手当てをかってでたとーるに軽く事情を説明する。
「殴っていいんだぜ? お前も」
「どうして?」
とーるは至極真面目に言った。
「僕はうみくんを殴ったりしないよ。そりゃ、僕だって園崎さんのことは好きだけどさ。殴っちゃったら振られた八つ当たりでしょ? 振られるのは重々承知だったし、当たって砕けたのは当たりに行った当人の責任だよ」
ぐうの音も出ない正論だった。
けれどとーるは俺以上に冷めているようにも見える。
「なんでそこまで冷静に受け止めてるんだ?」
疑問をそのまま口にすると、とーるは困ったように笑った。
「こんなこと言ったら僕もその人に殴られそうだけど……別に、良かったんだよ。園崎さんが僕を好きじゃなくたって」
寂しいけどね、と言葉を次ぐ。
「きっと、園崎さんがうみくんを好きなのは変えられない。僕も同じなんだ。好きになってもらえないから嫌いになるなんてこと、本当に好きならあり得ない。僕も、園崎さんに大嫌いと言われたって、きっとずっと園崎さんのことが好きだ」
恥ずかしいことを本当にてらいなく言う奴だ。聞いているこちらが恥ずかしくなる。
けれど。
「まあ、それが真実なんだろうな」
……リンも俺を嫌いにはなれないと言っていた。
「きっと俺もそうだ。ずっとこんな感じで変わんないだろ。お前が好きだから」
「……えっ!?」
とーるが慌てふためく。言ってみたはいいが、言葉を反芻するとものすごく恥ずかしいので、すかさず補足する。
「別に、恋愛感情は含まれないぞ! 親友として。親友としてだ」
大事なことなので二回言った。それにとーるは安心したようだ。
伝わったようなので、もう一つの補足を加える。
「俺は、恋愛とかには興味ないんだ。毎日こけて、今を生きるのが精いっぱいなリンの言うところの"普通の男の子"さ。きっとこの先も恋愛より友情の方を俺は優先させるだろう。その方が俺好みだ」
その方がきっと楽だからな。
「そうだね」
とーるも微笑む。
「だから、俺はとーると友達になれてよかったよ」
言うと、とーるもちょっと照れながら頷いた。
「僕もだよ」
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