第48話

 今日は朝礼があった。

 退屈な校長の話をたらたらと十五分くらい聞かなければならない定期イベントだ。

 そんな退屈な話の前に、表彰があった。呼ばれたのは、リンだった。

 どうやら夏の終わりに出した絵が表彰されたらしい。スランプに悩んでいたようだが、上手く脱出できたのか。

 しかし水臭いと少々思う。出したんなら教えてくれたっていいじゃないか。一応心配していたんだから。

 けれど受賞したのだから、それを素直に祝おう。スランプの苦しみから脱したのなら、それだけで充分だ。


 放課後、俺はリンに会いに美術室に行った。部活はまだ始まっていないらしく、早々と来ていたリンだけがそこにいた。

「よ、リン」

「みーくん」

 自分からやってきた俺の姿にリンは驚いたようだ。

「おめでとう。夏休みに締切のやつ、間に合ったんだな」

 言うと、リンは複雑な表情で笑った。喜んではいるのだが、その中に寂しさとか悲しさのようなものがない交ぜになったような。

「ありがと」

 詰まった末に無理矢理出したような一言に俺は首を傾げる。

「どうしたんだ? 賞取ったのに、あまり嬉しそうに見えないんだが」

「あ、いや……ね」

 茶を濁すリン。話したくないなら、問い詰めるべきではないだろう、と俺は若干論点をずらすことにした。

「そういや、どんな絵出したんだ? スランプ乗り越えたのだって知らなかったし。まあ締切に間に合ったんなら何よりだけど」

「それね。しばらく学校に飾られるの。今日貼り付けられたはずだから、案内するわ」

 すたすたとこちらに来て、リンは俺の手を取り歩き出した。

 階段を下り職員室の隣の掲示板。普段はなんだかよくわからない広告ばかり貼られているその一面に、今は鮮やかな橙色の光が広がっている。

 俺は息を飲んだ。

「これは」

 鮮やかなオレンジ色の花畑。光射す青空に映えるその花々の中に一人の少年。少年は仄かに笑んで光の加減で様々に輝く花々を眺めていた。

 花一つ一つはそれぞれ違うオレンジに彩られていること、空から射す光のリアリティーなど一枚の絵としての技巧面は素人目でもわかるほどに優れている。これなら賞を取るのも納得だ。

 しかしそれよりも俺が驚く要素がこの絵にはあった。見たことのある景色。こんなに鮮やかなオレンジ色の花を見たことはまだ記憶に新しい。

「とーると行った、花畑……」

「そうよ」

 あっさり首肯するリン。

「確かにとーるはこんな写真を撮ってた。行くなりすぐに俺を。でもなんでそれをお前が?」

 するとリンは制服のポケットから、丁寧に折り畳まれたものを出す。大事そうにゆっくり開いて、俺に見せた。

 中にあったのは、目の前の絵と全く同じ構図の写真。写っている少年は俺だった。

 けれど、まだ理解が及ばない。何故その写真をリンが持っているのか、そもそもこれはとーるが自分の写真を現像したことを示す。自分で撮ったものを見られることさえ躊躇っていたあいつが、何故?

「さわくんがね、くれたの。みーくんから私がスランプだって聞いて、何か力になりたくてって言ってた」

「それで、その写真を絵のモデルに?」

 その問いにリンは黙り込む。見ると、リンの空いている手はぎりぎりと固く握りしめられていた。

「悔し、かったのよ……」

「え?」

「悔しかったのよ!!」

 顔を上げたリンの瞳は潤んでいた。

「なんでさわくんはこんな綺麗なみーくんの笑顔に出会えるの? 何年一緒にいても、私の知るみーくんはいつも仏頂面で、いつもどこかしら怪我してて、こけまくって、不機嫌で。本当に笑うことなんてほとんどなかった。愛想笑いすらしないの。それが私の知ってるみーくんよ。でもさわくんと出会ってからみーくんはどんどん私の知らない表情をするようになった誰かを心配して深刻な表情をしたり、転んでも平気で笑顔だったり……そう、笑顔よ。笑顔……私は見たことなんかなかった……」

 リンは額を押さえて項垂れる。

「前に、さわくんは絵みたいな写真を撮るんだねって言ったでしょう?」

「ああ」

 少し奇妙だと思っていた言葉をリンが口にする。

「あれはね、精いっぱいの侮蔑だったのよ。絵は絵であるべきで、写真みたいな絵って、そこにあるものの形しか写していない駄作だと思ったし、写真も同じように写真であるべきだと思ってた。被写体の心まで写す必要はない。ただの物体であるべきだと私は思っていたの。だから、さわくんの写真は許せなかった」

「なんでだよ?」

「だって、私の絵より上手いんだもの」

 言っていることがさっぱりわからない。だが、リンの浮かべた自嘲の表情を見たら、彼女を責めることはできなかった。

「本当に心の底からみーくんが喜んだり楽しんだりしてるって、わかっちゃったんだ。私が何年みーくんを描いても一度たりとてみーくんが笑っているところなんて描けなかった。それをさわくんは写真で撮って、あろうことかみーくんの心まで写し出したのよ? "写真はありのままの姿を写すもの、絵は心を写すもの"──そんな私の信念がたった一枚の写真で簡単に打ち砕かれた」

 こんなに簡単に砕かれた自分が許せなかったのよ──そうこぼしたリンの声はざわめきの絶えない廊下に妙に響いた。

「辛かった、悲しかった。でも直接さわくんを詰ることなんてできなかった。……好きだっていうのよ? さわくん、私のこと好きだって」

「言ってたな」

 寂しそうに俺に告げたとーるの横顔を思い出す。

 リンを真っ直ぐ見られない。彼女は泣いている。泣いているというのに俺は何もできずにいた。原因の半分くらいは俺にあったから。

「なんだ。知ってたの?」

「とーるが教えてくれた」

「そう……」

 リンが呟くとふらりと倒れる。俺は慌てて受け止めた。

「リン! 大丈夫か!?」

 うっすら目を開け、俺を見上げる。その口元のほくろがゆらりと持ち上がった。

「酷いよ、みーくん。振った相手に優しいなんて、酷い」

「リン」

「わかってる。どうしたって私はもうさわくんには敵わない。だってみーくんはさわくんが好きなんでしょう?」

 目を見開く。即答できなかった。

「そうじゃなきゃ、あんな綺麗な笑顔、撮れないわ」

 リンは手にした写真を見下ろし、自分の描いた絵と見比べた。それからほろ苦く笑う。

「みーくん、笑ってよ」

「え?」

「笑って」

 口端を持ち上げてみる。けれど、リンは笑わなかった。

「やっぱり、みーくんはずるい。酷い。……私、さわくんが嫌いだわ」

「とーるに当たるなよ」

「ほら、やっぱりそういう。みーくんは春からずっとそう。だからさわくんに意地悪なことをたくさん言ったわ。でもさわくんは全然気づかない。みーくんも。虚しく当たり散らす私は、どうすればいいのかしら? それでも、こんなに辛くても」

 リンは俺の腕の中に顔を埋めて言い放つ。

「みーくんを、この写真を、嫌いになるなんてできない……」



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