第39話

 がっしゃーん!! ずごっ、がさがさがさ

「っー! また、こけた。最悪だー」

 最近、上りのくせに暴走気味な速度で走ってくる車が多くて困る。何度目だろうか、このパターン。避けようとして、道路際で倒れ、少し脇の林に落ちた。

 木々に覆われているためか、地面はじめじめしている。朝から服は土まみれ、おまけに頭も鈍く痛む。自転車タイヤのからからと空回る音が虚しさをいっそう引き立てた。

 溜め息を一つ、自転車を立て直し、俺は再びそろそろと歩き始める。対向車が来ないことを確認しながら進むのに、やたら元気な蝉の声が五月蝿くて仕方なかった。

 憂鬱だ。何が悲しくて俺は夏休みまで行く必要のない学校への下り坂を歩いているのだろうか。私服ではあるが学校を通り抜け、目指すはスーパー。おつかいである。

 本日は皆それぞれに用事がある。父は平日だから仕事で、母は友人の結婚式で昨日からいない。一番暇そうな姉貴は──彼氏とデートだとか。両親は仕方ないとして、姉貴はなんかむかつく。

 けれど結局、誰がいたところで買い物に行くのは俺だ。台所に何があって何がないのか最も把握しているのは、毎日立っている俺なのだから。

 それに、学校を通らなければならないのも、悪いことではない。朝ならいつも、あいつがいるから。

 坂が終わり、右に曲がった先。花壇が見えてくる。春の花が散り花の姿がなくなったことでいささか寂しい気のする花壇を整えている人物がいた。胸元にはゆらゆらとデジカメがぶら下がっている。

「よ、とーる」

「おはよう、うみくん」

 朗らかに挨拶を交わすと、とーるの笑みに苦いものが混じる。

「今日は土まみれ?」

「ん? あー、最近暴走車が多くてな。いい迷惑だよ」

「危ないね。事故に遭わないよう気をつけないと。っていうか、うみくんが遭ってるの、ほぼほぼ事故じゃないかな」

 そうなのか。……そうかもしれない。次からは車のナンバーを覚えるなり何なり、対応を考えておくべきだ。

「そういえば、もうじき月が変わるね。するとなんだかんだですぐお盆だ」

「本当に十五にしてよかったのか?」

 とーるが切り出した話題が何に繋がるのか察し、訊ねる。

 花畑に行くなら、十五日がいい、ととーると話し合って決めた。しかし、八月の十五といえば、盆の真っ只中である。海道家では墓参りは十三に行くからいいのだが。

「その、お前は」

 訊こうとして言い淀む。

 ゆらゆら揺れるとーるのカメラ。それを目の前にして、とーるの父親のことを言うのは憚られた。

 幸い、とーるは察してくれて「ああ」と頷く。

「僕、お盆はお墓参りに行かないことにしてるんだ。父方も母方も、親戚と鉢合わせちゃうと気まずいだろうから」

 僕を引き取らなかったことに負い目を感じているみたい──他人事のように言うが、とーるとて複雑な心境だろう。

 新田さん一家は一応親戚らしいが、遠いそうだ。

「ま、お前の都合がいいんなら別にこれ以上気にしないけどな。んじゃ、またな」

 気まずい沈黙が流れ出す前に立ち去ろうと俺はとーるに背を向けた。途端に「うみくん!?」と大声で呼ばれる。ぎょっとすると同時、酷く頭に響いた。

「どうした?」

「頭から血が……とにかく座って!」

「え? お、おう」

 とーるの尋常ならざる様子と"頭から血"という単語を聞き、俺は素直に座った。

 とーるが桜色のハンカチを取り出し、俺の後頭部に当てる。鋭い痛みが突き抜けた。

「血は止まってるみたい」

「出てたのか」

「そのチェックくらいはしようよ」

 全くそのとおり。

 言いながらとーるはいつの間にやら手にしていた包帯をぐるぐると俺の頭に巻き始める。手際よく、それなりにきちっと、されどきつすぎず、といった具合に真っ白い包帯が巻かれた。

「あー、びっくりした」

「俺も」

「うみくんは本人だからいいけど、こっちは寿命が縮んだよ。フードが血まみれだから、後で着替えた方がいいよ」

「ん、さんきゅ」

 立ち上がり、一瞬くらっとしたのを押し隠して自転車に取りつく。とーるにもう一度礼を言うと「本当に気をつけてね」と言われた。



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