第40話

「悔しかったらよしも友達と遊べばいいじゃない」

 デートから帰ってご機嫌の姉貴が言う。舌好調のようだ。

「ほいほいと遊びに行けるわけじゃねーよ。あっちにだってあっちの都合があんだ」

「……れ? よしってば、もしかして爽やかくんのこと言ってる?」

 姉貴が首を傾げる。首を傾げたいのはこっちだ。それ以外に誰がいるというのだ。

 きっぱり肯定すると、姉貴はムムムと眉間に皺を寄せる。

「つまりよし的にはリンちゃんはノーマーク、と」

「リンに何のマークつけるんだよ?」

「ちょっとあんたそれ本気で言ってる?」

 ぽかんとする俺を見て姉貴は深々と溜め息を吐く。

「あーあ、リンちゃん可哀想。なんでったってこんなのに……ねぇ?」

「いや、同意を求められても」

 訳がわからない。

「あんたが答えないと、リンちゃん他の奴にとられるわよ」

「のしつけて贈ってやらぁ」

「まじ最低」

 気にしない気にしない。

 姉貴の戯れ言を聞いている暇があったら晩飯作ろう、と俺は台所に去った。


 俺とリンの恋仲説は幾度となく流れた。放っておくとリンが悪のりして話をでかくするので、俺は即座に否定することに決めている。その度にああだこうだと言われるが、知ったことか。

 お前は園崎の気持ちをわかっていない──よく言われる台詞だ。わかるわけない。奴が言わなきゃ奴自身の気持ちなんて他人にわかるはずがないのだ。俺はエスパーでもなければ、一卵性双生児でもないんだ。全部見通せる奴がいたらおかしい。

 たとえある程度予測ができたとしてもだ。結局、本人が打ち明けるまで真実など解せるはずもない。噂の立つ理由の筆頭格──"園崎花隣は海道美好のことが好き"という推測もリンが違うといえばただの邪推でしかない。

 俺は邪推が嫌いだ。時にそれは人を傷つけることさえある。言い換えれば邪推とは第三者の思い込みなのだから。

 自らの思い込みでも人は傷つく。とーるがいい例だ。写真部の先輩方が自分の写真を貶したから、先輩方の中にあるのが嫉妬や嫌悪だけだと思い込み、しばらく先輩方の意外な態度に戸惑い、苦しんだ。

 もしかしたら、新田家の中でもそういう事態が起こっているのかもしれない。とーるが新田一家に、新田一家がとーるに勝手に壁を感じているだけかもしれないのだ。

 という、俺の想像もまた言うなれば邪推で思い込みだ。だから俺は本人の口から出た言葉を一番に信じる。

 リンが何も言わないから、俺はリンが俺のことをどう思っているかなんて想像もしない。知ったところで幼なじみであることはきっと変わらないだろう。


「美好ー、電話! 花隣ちゃんからよ」

 噂をすれば、だ。

「お電話かわりました」

「やっほ、みーくん」

「どういったご用でしょうか」

「えらく他人行儀ね」

 電話の向こうでリンが小さく溜め息を吐く。それから続けた。

「悩みがあるの。相談乗ってくれない?」

「いいけど、もしか、絵のことか?」

「あら。みーくんにしては聡いじゃない」

「いつも俺が鈍いみたいに言うな」

 向こうから返ってきた笑いは乾いていた。その声に、なんとなくもどかしさが伝わってきて、胸が痛む。

「絵が……全然描けないの」

 スランプというのがあるのくらいはさすがに知っている。どうやら夏の始め辺りからずっとそれが続いているらしい。

 芸術方面の作り手には特にスランプが多いと聞くから仕方のないことだとは思うが。

「でも、もうすぐだったよな、コンクールの〆日」

「そう、なの」

 美術部でリンが出品しようとしているコンクールは、八月の末頃が期日だったように思う。七月末の今の段階で全く手がついていないという状況は芳しくないのではないか。

 それでも、スランプというのはなりたくてなるものでもないのだ、とリンから聞いているからリンを責めることなどできない。

「どうしたらいいだろう?」

 正直、俺に訊かれても困る。しかし、自分ではどうしようもないのだから俺に相談しているわけで、それをあっさりぽんと投げ捨てるわけにもいかない。

 とはいえ、気の利いた一言などすぐには出てこない。何年やってもこればっかりは上手くならない。

「リン……俺にできることがあれば」

「うん。じゃあ」

 少し躊躇った後、リンはこう口にした。

「みーくん、好きだよ」



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