第38話

 リンはちゃっかりとーるの部屋に戻っていた。談笑している。

「みーくんってなんでこう、毎日こけられるのかしらねー」

 って、俺のことを笑い話にしてやがる。

 少しいらっとしながら、中に入った。

「俺がどうしたって?」

「わ、みーくん、いつから」

「いつからじゃねーよ、ど阿呆。仕度は大体済んだからいいが」

「あっ、ごめ〜ん!」

 ごめんじゃないやい。そう心中でツッコみつつ、隣に座る。

「あれ? うみくんまた怪我?」

 早々にとーるが俺の頭の絆創膏に気づいたらしく声を上げる。なんとなく気まずくて、言葉を濁した。

「また頭……今日は何があったの?」

「う、それが……よく覚えてないんだよ」

「それってまずくない?」

 とーるの発言にリンは怪訝そうに眉をひそめる。

 とーるは続けた。

「頭の怪我で、怪我したときのことを覚えてないってことは、記憶が飛んでる……つまりちょっと意識がなかった可能性があると思うんだ。大事になる前に病院に行った方がいいよ」

「そうよ、みーくん。脳の障害なんてなったらどうするの」

 障害、は考えすぎだと思うが。

 リンもとーるも本気で心配しているらしいことが眼差しから伝わってきたので、頷いておく。

「ところでとーる、今日なんかあったのか? 佳代さんがいつもより遅いって言ってたけど」

「聞いてたの?」

「まあな」

 言うととーるは少し俯き、考えてからゆっくり口を開く。

「……写真部の先輩に、会ったんだ」

「!? 何かされなかったか!? あいつら今度はどういう目的で」

「う、うみくん、何もなかったから落ち着いて」

 とーるに宥められるが、腹の虫はそう簡単に収まってくれない。

 傍らでリンが短く息を吐き、俺に問う。

「写真部の先輩って、前に揉めたっていう?」

「ん、ああ」

 そういえばこいつは花畑に行ったときに会っているんだった。

 その問いで一旦頭が落ち着く。それを見計らってとーるは続けた。

「先輩たちとは揉めたりしなかったよ。話すときも前より穏やかだったし。今日はただ……一緒に写真を撮らないかって、誘われただけ」

 驚いた。あいつらがとーるとの和解を諦めていなかったこともそうだが。

「一緒に、撮ってきたのか?」

「うん」

 その事実が意外だった。こいつは以前、あいつらからの写真部入部の誘いを断ったはずだ。まだ写真を他人に見せることにも躊躇いがあるのに。

「いつまでもくよくよしてるわけにもいかないからね」

 見ると、そこには前向きな笑みが閃いていた。

 とーるは前に進んでいる。自分から一歩踏み出したのだ。

 あれはいらなかったかもな──鞄の中のリストバンドに思いを馳せる。必要がないならその方がいい。傷を隠すためのものなんて。


 それからしばらくは写真についての雑談をしていた。興味本位で見せてと詰め寄るリンに、とーるは少々困った表情をしながらも今日撮った写真を見せていた。

「さわくんって写真撮るの上手いのねー。腕前は確実にみーくんより上よ」

「五月蝿い。わかってるっつの」

「いやいやそんな。うみくんの写真だって綺麗だよ」

 盛り上がる傍らで、リンが密かに表情を曇らせたのを俺は見た。悲しげな表情。何故……?

 そんな俺の疑問を知ってか知らずかリンが言う。

「さわくんって、絵みたいな写真撮るのね」

 その一言に俺は引っ掛かりを感じた。違和感といってもいい。


「写真はありのままの姿を映すもの、絵は心を映すもの」


 リンが常々言っている信条が脳裏をよぎる。

 絵みたいな写真って──

「海道くん、オーブン鳴ってるわよー」

 俺の思考を遮ったのは、佳代さんの呼ぶ声だった。俺は慌てて出ていく。瞬時に直前まで抱いていた疑問も立ち消えた。


 ここで疑問を追及していれば、この夏はもっと違ったものになっていたはずだ。きっと、その先も……



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