第37話

 がっしゃーん!!

「またこけた……最悪だ」

 我ながらよくもまあ毎日こけるもんだ。

 夏休みが本格的に始まり、とーるの誕生日がやってきた。自転車でとーるの家に向かう途中、もはや恒例であるかのように俺はこけた。

 もうこけた要因などどうでもいいというか、頭が痛くて記憶にない。

 立ち上がり、痛みに顔を歪めたところでぞっとする。視界が半分、赤く滲んでいた。

 嫌な予感がして手をやろうとしたところで、頬をつうっと何かが伝う感覚。涙にしてはねっとりとしたそれは赤かった。

 また頭に怪我かよ。

 とりあえず、坂の終わりは近かったので下りきり、学校の木陰に座る。ハンカチで傷とおぼしきところを圧迫止血、傷の大きさを見た。結構でかい。大きめの絆創膏を貼り付け、自転車を漕ぎ始めた。


「こんにちは」

 とーるの家の"新田"の表札にやはり違和感を持ちながら呼び鈴を鳴らす。すぐに佳代さんが出てきた。

「あら、海道くん、いらっしゃい。通くんはまだ出かけてるけど、園崎さんは来ていますよ」

「ありがとうございます」

 スリッパを出してくれた佳代さんに軽く頭を下げる。

「あら、どうしたの? その怪我」

 佳代さんが俺の頭の怪我に気づく。

「えっと、来る途中で転んじゃって。よくやるんですよ」

「あらあら。大丈夫? 頭の怪我でしょう? お医者さんに診てもらった方がいいんじゃないかしら」

「いや、本当平気なんで。変だったら後で行きますし。今日はまず、とーるの誕生日なので……」

「そうね。ありがとう。でも、無理はしないでくださいね」

「はい」

 元を正せば他人なのに、こんなに心配してくれるなんて、やはりいい人なんだな、と思いつつ、とーるの部屋に向かう。勿論本人は不在だった。

 扉を開けると、リンが足を崩して座っていた。

「遅いぞ、みーくん」

 文庫本を読みながら随分と寛いでいた様子のリンだが、俺が入るとじとっとした目で見上げてきた。

「悪い」

「いいけどさ。早めに出るからうちの車に乗れないって断ったのは誰でしたっけ?」

「だからごめんって。こっちもアクシデントがあったんだよ」

 納得いかなさそうに俺を見上げるリン。しかし、俺の頭を見、はっと息を飲む。

「また転んだの?」

「ん? まあ」

「何があったの? 頭に怪我なんてして」

「んー、よく覚えてねぇんだ。ま、いいだろ、別に」

 俺は少し気まずくて、会話をさっさと終わらせようと持ってきた袋を示す。今日は台所を借りてリンと一緒にケーキを作る予定になっていたのだ。

 時間もかかるので、リンはしぶしぶといった体で頷き、立った。


 かっかっかっかっかっかっかっかっ

「みーくん、これ、いつまで泡立ててればいいの?」

「つのが立つまで」

「全然立たないわよ〜?」

「って、氷水から離したら意味ないんだって。だからつのが立たないんだよ。貸せ」

 そんなやりとりをしながらリンと二人でケーキを作る。

 リンの料理の腕前なんて考えたことがなかったが、見たところ姉貴よりはましといった程度だ。あまりポカはやらかさないが、時折ベタなミスをする。

「私は何をすればいい?」

「オーブンが鳴ったら教えてくれ」

「りょーかい!」

 ノリが軽い。

 かかかかか

 先程より小気味よい泡立ての音が響く。その最中、玄関の方で物音がした。とーるが帰ってきたようだ。

「ただいま」

「おかえりなさい、通くん。今日はいつもより遅かったのね」

「うん……色々あって」

 なんだかとーるの歯切れが悪い。何かあったようだ。

「それより、園崎さんとうみくんが来てるの? 靴があるけど」

「そうよ」

「台所かな? 明かりが点いてる」

 お、やばい。出来上がりまでとーるにはケーキのことはばれたくないのだが。

 一旦動きを止めて様子を窺うことにした。リンも心持ち緊張している。

「あ、通くん、だめよ」

 台所に近づくとーるを佳代さんが止める。

「今日は台所、男子禁制なのよ」

 ……何を言い出すかと思えば。

「佳代さん、うみくんは男子だよ」

「あ」

 ごもっとも。とんだお茶目さんだ。

 仕方ない、と俺はエプロンを脱ぎ、台所を出る。

「よ、とーる」

「こんにちは、うみくん」

「悪いな、今日は俺の頼みで台所借りてるんだ。しばらく待ってくれ」

「わかった。園崎さんは?」

「リンにも手伝ってもらっている。ちょっと待ってろ」

 とーるは物分かりがよくて助かる。俺は台所に戻り、リンに声をかけて作業を再開した。

 ほどなくして、クリームにつのが立ち、ちょうどいいタイミングでオーブンが鳴った。ケーキ型に流し込んだ生地を入れ、焼く。

 あとはほとんど焼き上がるまで待つだけ。クリームのボウルにラップをかけ、俺も一旦台所を後にした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る