第33話

「よ、半澤」

「あ、海道くん」

 終業式を終え、簡単なホームルームが終わると、俺はすぐさま保健室に向かった。半澤が頭に氷袋を乗せ、ベッドで休んでいた。

 顔がぽやっと赤らんでいる気がする。暑さにやられたみたい、と半澤が苦笑して言う。

「そんなこったろうと思ったよ。ほれ」

「わ、冷たい」

 購買で買ってきたペットボトルを手渡す。当たり前の反応が少し大袈裟に返ってきた。

「それ、今くらい脱いだらどうだ?」

 半澤のカーディガンを示す。半澤はそれを見下ろし「そうだね」と呟くが、脱ごうとはしない。

 俺は目を細め、その左手を捕らえた。半澤がえ、と声を上げ振り払おうとするが、その手は力なく、成す術なく半澤の手は捕まった。

「痛いよ、海道くん」

「……」

「痛いって」

 俺は無言でカーディガンの袖を上げる。下には長袖シャツ。随分と徹底しているようだ。そのシャツも袖のボタンを外し、捲る。

 真っ白な包帯が一巻き。

「やめてよ、海道くん」

「まだ、お前は」

 その続きは言葉にならない。俺と半澤は睨み合った。

 不意に半澤が動く。

「えい」

「痛っ」

 鼻の傷を細い指でつついてきた。またひりっと鋭い痛みが走る。

「よくもやったな?」

「仕返しだよ」

「このやろっ」

 そう返しはしたものの、左手を捕らえた俺の手にそれ以上力がこもることはなかった。

「やっぱり、痛いのか……」

 確認のように呟く。それに対し、半澤はくしゃりと泣きそうな顔になった。

「海道くんは、酷いや」

「え?」

「酷い」

 何を根拠に、と訊き返そうとしたが、やめた。半澤の目からぽろぽろと、きらきらしたものが零れ落ちていたのだ。

「何が、あったんだよ?」

 代わりに訊く。「何もないよ」と半澤にしては珍しく、ぞんざいに答えた。

「そういえば、海道くん、またうちに来るって? 佳代さんに聞いたよ」

「ああ、佳代さん話したのか。うん、リンと一緒にな」

「そう」

 リン、と口にしたところで、半澤が一瞬、悲しげに眉をひそめた気がした。

「海道くんと園崎さんって仲いいよね。お互い渾名呼びでさ」

「腐れ縁だからな。渾名呼び、治らねーんだよ」

「羨ましい」

 そうか? と訝しむと、笑顔で頷かれた。ちょっと傷ついたような笑顔に何か引っ掛かる。

「なら、お前も好きな呼び方すればいい」

 ふと、思いつきで提案する。半澤が大きな目を見開いた。

「いいの?」

「おう。変なのじゃなきゃな。ちなみにみんなは俺の苗字をもじって"かいと"、リンは美好をもじって"みーくん"なんだぜ」

「へぇ」

 じゃあ僕は……と少し考え、半澤は告げた。

「うみくん、でどうかな?」

 さわり、と心地よい風が抜けた気がした。

 爽やかな笑みで言ったのは、爽やかな呼び名。暑さを忘れるような涼やかさが全身を駆け巡る。

「あれ? だめだった?」

 無反応な俺に半澤が不安げな面差しを向けてくる。俺は慌てて首を横に振った。

「とんでもない。ぜひそれで」

「よかった」

 その笑顔を見ながら、半澤が寸分違いなく爽やかくんであることを実感していた。

「そういや、お前は渾名とかないの?」

「渾名がたくさんあるうみくんの方が珍しいって。でも女の子たちからは"さわくん"って呼ばれてる」

 それはよく聞く。

「じゃあ、そうだな。俺はこれから"とーる"って呼ぶことにする」

「ただの呼び捨てじゃん」

「嫌か?」

「嬉しいよ」


 少しだけ、距離が縮まった。

 けれど、半澤が──とーるがこのときどう思っていたのかは、わからない。



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