第27話

 自転車を学校に置いたまま帰ったので、今日は徒歩登校だ。

 昨日は夕方、半澤とリンが一緒に見舞いに来てくれたらしい。俺がずっと寝ていたので、顔だけ見て帰っていったという。ということはつまり、夢現で聞いた二人の声は本物だったのか。会話の内容は覚えていないが、悪いことをした。

 そんなことを考えながら歩いていると、後ろからゆっくりと接近してくる車があった。振り向くと、窓が開く。中からリンが顔を覗かせた。

「みーくん、今日は自転車、学校でしょ? 乗ってきなよ」

「ああ、じゃあ今日はお言葉に甘えて」

 他に車が来ないことを確認し、乗り込んだ。運転席のリンの父親に軽く会釈し、リンを見た。

「昨日はごめんな」

「ん?」

 リンが首を傾げる。「寝てたからさ」と付け足すと、「いーよ」と手を顔の前でひらひらと振った。

「いい絵描けたし」

「おう、そうか」

 リンがそっと胸を撫で下ろしているのが疑問だったが、「そういえば」とリンが切り出したので、そちらに耳を傾ける。

「さわくんもうすぐ誕生日らしいね」

「そうなのか?」

「ふふふ、女子の情報網、舐めない方がいいわよ?」

 女子怖い、と若干引きつつ、「いつなんだよ?」と返す。

「夏休みの始めよ。旧い海の日」

「へぇ、誕生日まで爽やかでやんの」

「そう。それで女子の間では評判になってるの。でも、残念ながら夏休み中だから、会えないのよね。たくさんの女子が泣くわ。罪な男よねぇ」

 それにはコメントしかねるが。

「そうか。もうすぐ夏休みで、もうすぐ半澤の誕生日なのか」

「そ。ねね、みーくん。せっかくだからさ、サプライズでさわくんの誕生日、お祝いしない?」

「ああ、いいな」

 あいつ、他人に誕生日祝ってもらったことなさそうだし、喜ぶだろう。

 すると、何かプレゼントを用意しないとな。

 リンとその誕生日の計画を話し合いながら、頭の片隅で考えていた。よぎるのは、左手首の包帯。

 あいつがカーディガンを羽織るのは、あれを隠すため──それを見続けるのは辛い。

 救えないならせめて、その傷を覆い隠してやりたい。傷口が風に触れて、痛まないように。

 俺は学校に着くまで、考え続けていた。


 明くる休日。

 俺は半澤の家を訪れていた。

「ごめんなさいね。通くん、今学校に行っちゃってて」

「いいんです。半澤がいないうちに来たかったんで」

 そう言うと、佳代さんが訝しげに俺を見る。

「通くんと何かあったの?」

「あ、いえ。そういうことではなく」

 どうやら余計な心配をさせてしまったらしい。俺は慌てて否定し、本題を告げる。

「あの、今度ここで、半澤の誕生会、やらせてもらえませんか?」

 それはリンと話し合って出した結論だ。何を半澤が喜ぶか、どうしたらよりサプライズにできるか、色々吟味した。最初はリンの「いっそさわくん家に突撃訪問とかどう?」なんて軽いノリだったが、話しているうちにそれもありだな、ということになったのだ。

 俺も個人的に気になることがあった。半澤の家庭環境は上手くいっているのか、とか、佳代さんたちから見た半澤はどんななのか、とか。

 半澤に一歩ずつ迫ってみたいのだ。知れば、何か力になれることが見えてくるはず。そう信じて。

 誕生会の件は二つ返事で了承を得た。佳代さんはすごく喜んでいた。

「そういうことを考えてくれる友達ができて、安心しました。通くんは、自分からはあまり話してくれないから」

 まだ遠慮があるのかしらね、と佳代さんは寂しそうに笑う。俺には否定することはできなかった。

 実際、半澤は遠慮しているのだろう。見たところ、半澤のリストカットのことをこの人は気づいていないようだし、半澤自身、話すつもりもないだろう。以前、少しだけ半澤の部屋を見せてもらったが、リストカットをしていた痕跡など全く見当たらなかった。念入りに片付けているから、と本人はこっそり語っていた。

 余計なお世話なのかもしれないが、少しでも半澤と新田さん一家の距離を縮められれば、と思っている。

「半澤、家での様子はどうですか?」

「お友達ができてからは前より明るくなりましたよ。女の子の友達もできたって聞きました」

 リンのことか。

「で、この間その子と一緒に出かけてくるなんて言うからデートかしら、なんて思ったけど。話を聞いたら、海道くん、あなた怪我したんだって?」

「あ……まあ、いつもどこかしら怪我するんで」

 思いがけず、先日の騒動の話になり、恥ずかしくなる。「やんちゃなのね」と微笑まれ、ますます赤くなった。

「自分から出かけるなんて、学校の花壇の水やりくらいしかなかったから。外に出るようになったのはいい傾向だと思うの。ありがとね」

「いえいえ」

 佳代さんを見て、思う。

 半澤、お前は自分で思っている以上に、周りから思われているぞ。少しは心を開いてやれよ。

 声に出さないのだから、意味のない呟きだった。きっと、面と向かっては言えないのだろうな。半澤には半澤なりの葛藤があるのもわかるから。

 それがあのリストカット痕なのだと思うと、やりきれないが。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る