第9話
半澤通。通称さわくん。爽やかな雰囲気が女子に評判。時折陰のある顔も見せるがそれがまた乙だとか。
家族構成は父親母親弟との四人暮らし。趣味は花の世話だという。毎朝密かに学校の花壇に水やりをしているというのは小学校のときからずっと続いている習慣のようだ。
花を愛でるときに浮かべる笑顔がまた爽やかで、その虜となった女子でファンクラブのようなものが結成されつつあるという噂も。とにかく花と笑顔の似合う爽やかイケメン。それが半澤通である。
……というのを女子から聞いた。家族構成の下りなんかは少し冷や汗たらりな心地がしたが、趣味の中に写真の話が出てこなかったあたりが噂らしくてほっとした。
ざっと振り返るとほとんどが女子の間での評判なわけだが、所々は頷ける。爽やか、というのは俺が抱いた第一印象でもあるし、花好きなのも本人が言っていた。昨日撮っていた写真も大半は花だったようだし。
見てないようで見ているもんだな、と思ったのは時折見せる陰という部分だ。会って一日だが、半澤が何かを抱えているのはわかった。何を抱えているかはさっぱりだが。
そもそも、だ。自分で調べておいて言うのもなんだが、何故半澤のことを気にするのだろうか。たかだか昨日、怪我したところを助けられただけじゃないか。その礼だって、朝に済ませた。半澤は違うクラスだし、関わることはもうないはずだ。それなのに、どうしてこうも気にかかるのだろうか。
「こんなに痛むなんて、予想してなかったんだ」
「僕は、そう、本当に自殺志願者みたいなものなんだ。さっきも、飛び込んだら死ねるかなって、一歩。うん、死ねないかもって知ってた。でも、試してみたかったんだ。けど、わかった。わかったよ。そうだよね。噂だって、時折現実だ。確かめられて、気が済んだ。ごめんね。会ったばかりでおかしなことに付き合わせちゃって。僕ってやっぱり変かな? 変だよね、こんなの」
ふと蘇ったのは信号前での一幕。半澤が陰の片鱗を見せたあの独白だった。
あれを見てなんとなく、危ないような気がしたんだ。それで放っておけなかった。何か、取り返しがつかなくなる前に、繋ぎ止めておかなきゃと、そう思った。
妙に胸騒ぎがする。
落ち着きなく天井を見上げると、白地に黒い斑模様の天井がある。
「ちょっとどうしたの? みーくん。心ここにあらずって感じだけど」
その声にはっと我に返る。声の主に目を戻せは、、キャンバス越しに覗く見慣れた顔。リンが口をへの字に曲げてこちらを見ていた。
そういえば今はリンの部活動に付き合っていたんだっけ、とリンの吊り下がった口端のほくろを見てぼんやり思い出した。リンは美術部に所属している。小さい頃から絵を描くのが好きだったこいつは、時折俺をモデルにして絵を描く。今日は放課後になるなり美術室に連れ去られて今に至るわけだ。
「んあ、悪い。考え事してた」
「もう。モデルが上の空じゃ描けるものも描けないわよ」
絵の方面には興味がないのでさっぱりだが、リンにはリンなりのこだわりがあるようだ。言葉で明確に表すことはできないが、リンの絵には他とは何かが違うこだわりが込められている。
「写真と違って絵は心を映すものなんだから。モデルが魂抜けてちゃだめなの」
これはリンが常々言っていることだ。「写真はありのままの姿を映すもの、絵は心を映すもの」と。それがリンのこだわりらしいが、正直、よくわからない。
わからないが、リンの描く絵は嫌いじゃない。だからこうして付き合っているのだ。
「けどさ」
「ん?」
「俺描いてどうすんの?」
そんな疑問が零れた。
リンは何かにつけて俺を描く。気がつくと俺ばかり描いているように思う。もちろん、俺の見ていない間に別な何かを描いているのかもしれないが、それにしても、だ。
「人なんて、他にも色々いるだろう? 今朝話してたうちのクラスの女子とか、美術部の人とか、自分のクラスの男子とかさ」
提案のつもりで柔らかく言うと、リンは手にしていた鉛筆を口元に当て少し考える。
「んー、考えたことなかったわ。例えば?」
軽い調子で問いが返ってきた。まさか問い返されるとは思っていなかったので、咄嗟に浮かんだ名を口にする。
「半澤、とか?」
爽やかな笑みを浮かべた半澤の顔を思い浮かべる。女子間であれだけ噂が立つくらいだし、俺の目から見ても、充分絵になる顔だと思うのだが。
そう思いながらリンを見やると、何故か寂しげに微笑んでいた。
「さわくん、ね。まあ、顔は悪くないけど、やっぱり私、描くならみーくんがいいな」
「……そーか?」
やはりそのこだわりはよくわからなかった。
「ところで、さっきは何考えてたの? もしかしてそのさわくんのこと?」
話題転換にリンが口にした問いがあまりにも図星を差していたので、俺は返答に窮する。そんな俺を見てリンが噴く。確かに我ながらわかりやすすぎたとは思うが、腹を抱えて笑うのはあんまりだ。
「あんまり笑うと帰るぞ」
「く、くくっ、ごめん」
どうにか笑いを収めたリンが真顔になり、言う。
「いや、さわくんかあ。なんか、みーくんとは一番縁遠そうな子だと思ってた」
「え、なんで?」
放たれた言葉に驚き、問う。するとリンはふい、と俺から視線を外した。俯いて呟く。
「さわくんはさ、なんか別の世界の人みたいだよ。壁が、ある感じ。毎日こけてばっかの普通の男の子なみーくんとは全然違う世界を見ている人──のような気がする」
そうだろうか?
確かに半澤は俺では計りきれないものを抱えているようにも思えるが、別世界、というほど遠い存在には思えなかった。
写真が趣味で、撮り始めると我を忘れてしまうあたりとか、なんだかんだで気が利いているところとかに俺は親しみを感じてけれど。
とはいえ、俺は会って一日だ。きっと同じクラスのリンの方がわかっていることは多いだろう。
そう思って納得することにした。それでもリンの向けてくる不安そうな眼差しが妙に引っ掛かったが。
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