第57話 君に伝えたいこと③守らせて
火の日が来た。初の勉強の日だ。
シスター達が無駄のない丁寧な所作で埃を払っていた。あちこちの細工物にも隙なく。厳かに光の降り注ぐ空間は、ぱっと見、物がなくてスッキリ見えるのに、光の屈折が大事かというように凸凹が案外激しくある。それを毎日……。
信仰もそうだけど、その埃を払う作業だけでも十分頭が下がる思いだ。わたしたちは礼拝堂の中を掃き清める。水を絞った綺麗な布で清め、乾拭きし。
掃除が終わるとベルンは中へ。うっすら頰を紅潮させ興奮している。
クリスとメイとわたしは、教会の庭で待たせてもらうことにした。
メイと手遊び歌で遊んでいると
「お前が、スラムの新入りか?」
なんかめんどくさそうなの来た。ひとりを先頭に、馬鹿にしたような笑い顔を隠さない子供たちが後ろについている。
新入りを名指しということは、対象はあくまでわたしみたいだ。
「そうだけど、何?」
見上げると、この辺りでは珍しそうなオシャレな服を着ている。家が裕福なんだろう。
「お前、親もいないくせに、何で教会に来るんだよ?」
「親がいないと、教会に来ちゃいけないって決まりがあるの?」
「ないけど、スラムのヤツが出入りしていると『格』が落ちるだろ」
「格って何のことかわかって言ってる?」
親の言葉そのまま使ってるんだろうなと思いつつ聞いてみる。
クリスがわたしの服を引っ張っている。
「格は格だよ」
真っ赤になって怒りへと発展している。知らないんだな。
「格もわからないで親の言葉をそのまま真似て使っている子供と、スラムの子供の何が違うの?」
最初はニヤニヤ笑いながら、偉そうな金髪の坊ちゃんの後ろについていた子供たちも、成り行きに不安が出てきたようだ。
「何が違うのさ?」
詰めて聞いてやると癇癪が爆発する。
「何っていろいろだ。服だって汚いし」
「洗っているから汚くない」
「継ぎ接ぎだらけで汚い」
「継ぎ接ぎだらけは汚いわけじゃないだろ。そういうのは見目が悪いっていうんだ」
あまり言い返されたことがないのだろう、言葉に詰まっている。
「君、その服、自分で働いて買ったの?」
「そんなことあるわけないだろう? 親が買うんだ」
「わたしたちは自分たちで働いて、自分たちで用意している。
その継ぎ接ぎのない綺麗な服は君が買えたわけじゃなく〝親〟が用意したんだよね。自分で用意できないから、〝親〟のスネかじっているだけで、君はただの子供だよね。親、のいないわたしたちは、買ってくれる〝親〟はいないけど、ただの子供でも自分たちで用意できるけどな」
大人げはないが、勝ったと思った。
やばっ。葉っぱ色の瞳に涙が溜まっている。
「泣くぐらいなら、最初から仕掛けるな」
タオルを出して顔を拭いてやる。驚いたんだろう。まん丸の目でわたしを見て固まって、顔を赤くする。
「何だよ、泣いてなんかない!」
「つまるところ、君たちは、わたしたちが気に入らないだけだよね?」
みんな、うっと言葉に詰まっている。
「それはわかるけど、こっちも学びたいから、はいそうですかって引き下がれないんだ。だからさ、勝負しない?」
「勝負?」
「君、何歳?」
「9歳」
「奇遇だね。わたしと一緒だ。じゃぁ、わたしと1対1の勝負をしよう。わたしが負けたら教会には来ないよ。
君が負けたら、スラム出身なことで、これから永遠に一切言いがかりつけないで」
ごくんと金髪くんの喉がなった。子供は〝永遠〟とか〝一切〟とか行き着いた言葉に弱い。
「ランディ!」
メイの手を引いて心配そうなクリスが、わたしの服を引っ張る。
ごめんね、クリス。無視する。ここは畳み掛けないとね。
「何の勝負にする? 畑を耕す? 水汲み? 種まき? 収穫?」
わざと体力勝負を持ちかける。頷かれたら、やばいんだが。
「そ、そんなのお前に有利すぎるだろ。そうだな。頭を使うことでどうだ? 計算の勝負は?」
ひっかかった。
「誰に審判をしてもらう? 勝ち負けをうやむやにされたら、たまらないからな」
「し、シスターでどうだ?」
それならいいだろうと頷く。
クリスに強く引っ張られた。
「ラスタは商人の息子だよ。計算は得意なはずだ。あんな約束しちゃってどうするんだよ、ランディ」
わたしはクリスの手を取った。ぎゅっと握る。
「心配かけて、ごめんね。でも、見てて」
得意な計算で勝負を持ちかけてくるから、汚い手を使ってきたら嫌だなと思ったけど、ラスタはそこまで汚れていたり、頭を使う派でないらしく、ただわたしと計算の勝負をしたいと言って、シスターに問題を作ってもらい、審判をしてもらうまでを取り付けてきた。
「ランディ、あの子は計算が得意なのですよ。いいのですか?」
灰色の瞳で心配そうに問われた。
「お心遣い感謝します。大丈夫です」
義務教育にひたすら感謝だ。
みんなに見守られる中、小さな黒板を裏返しに置かれる。
シスターが同じ問題を書いてくれてるみたいだ。
「問題は10問です。できたら、挙手を」
「ラスタ、確認するよ。正解率でいいよね、勝負は」
ラスタが頷く。
「同点なら、計算をし終えた速さで。どう?」
「いいだろう」
シスターとみんなが見守る中、わたしたちは席につく。
「用意、始め」
シスターの掛け声と同時にわたしたちは黒板を裏返した。
足し算、引き算、掛け算、割り算までだ。
流石に因数分解きたら、覚えてるかな公式?と思っていたけれど、これなら大丈夫だ。
ん? 因数分解って習うの中学だったっけ? あまりに昔のことすぎて、曖昧だ。
一応見直しまでして挙手をする。
みんなが息をのむ。ラスタもだ。
ざわっとしたのをシスターが手を叩いて制する。
「勝負は正解率なのでしょう?」
わたしの黒板を引き上げる。
ラスタが焦りながら、問題と格闘をする。
そして挙手。
シスターがチェック。
結果はわたしは全問正解で、ラスタは9問だ。
ラスタ、めっちゃ悔しそうだ。
シスターにお礼を言って、庭に場所を移す。
「男に二言はないよね?」
「ない。教会は来ていいし、もう誰にも永遠に一切スラム出身だってことでいいがかりはつけさせない。けど、お前、また、俺と勝負しろ」
悪い子じゃないけど、めんどくさいやつだった。
「やだよ」
「何でだよ」
「何で勝負なんかしなくちゃいけないんだよ。めんどくさい」
「何だよ、勝ち逃げなんて、ずるいぞ」
「ずるくて結構」
「ランディ、いつの間にラスタと仲良くなったの?」
神父様からの特別授業が終わってやってきたんだろうベルンの問いかけに、わたしたちは見事にハモった。
「「仲良くなってない」」
それが、ベルンの祝うべき、初・学びの日となった。
お昼は今日も玄米おにぎりだ。これが評判良かったんだよね。
手応えがあるんじゃないかと思っていただけに、ドンピシャでわたしも満足だ。おにぎりだと中身を変えれば毎日いけるし、お漬物も野菜を変えれば変わった感じになるしね。
玄米おにぎりは力が湧いてくるらしい。力仕事でも疲れ方が違うとか言っている。毎日、これがいいとのことなので、お弁当は毎日おにぎりに決定した。
江戸時代なんか、これで飛脚とかがスゴイ距離を走っていたり、籠屋が活躍していたわけだからね。パワーフードなのは知っていた。
これで梅干しがあれば完璧なのにっ。水魔法がない子には竹筒の水筒を持ってもらっている。ベルンとクリスに仕掛けのときの竹を取ってきてもらった。節ごとでひとつの水筒に見立てる。上にする方にホセから借りたキリで穴を開け、そしてその穴に栓をできるよう器用なマッケンに木を細工してもらった。
アジトに帰ってからベルンは先生だ。
今日は数字と基本文字を習ったそうだ。教える傍ら、自分も覚えるのに一生懸命だ。
わたしも怪しいところはあるが、ベルンと同じところまでは覚えたと思う。必死ですよ。やはり、6歳の子に遅れを取るわけにはいかないと思えて。
クリスには、計算ができるのだから、数字だって読めるのに、なんで書く練習をしているの?と不思議がられた。『基本は大事だから』というと素直に納得してくれた。
夕飯作りにはちょっと早いけれど、畑の様子を見に行こうと外へと飛び出す。
お風呂の周りもいつの間にか整備されて。なかなか良い景観になっている。
堆肥のおかげか、作物の育ちが早い気がする。
畑の様子を見ていると、アルスが帰ってきた。
「お帰り。お疲れさま!」
「ただいま」
わたしが声をかけると、アルスはぎこちない笑みを浮かべる。
「どうかした?」
「あのさ、これ、上手くできたからあげる。お守りなんだ」
おずおずと差し出されたのは手札サイズの木彫りのお守り。板に絵が彫られている。
お花畑の上の空を鳥が飛んでいく。のどかで平和で、心が凪いでいくのを感じる。
「これ、アルスが彫ったの?」
尋ねると、ちょっと顔を赤くして頷く。
「上手だね、すっごい、いい絵だし。本当にもらっていいの?」
「うん、もらってくれると嬉しい」
「わー、ありがとう」
アルスは照れたように笑って、じゃぁ先戻ってるなとアジトへ帰って行った。
アルスってば絵も上手いんだな。そして彫刻も。みんな手が器用で羨ましい。しばらく眺めてから誰もいないのを確かめて、アイテムボックスに大事にしまう。
さて、今日はなんのご飯にしましょうかね。今は土の中に寝かせているジャガモだけだけど。もう少し育ってきたら、畑と相談してご飯ができるようになる。本の一節で読んだんだけど、畑と相談してご飯にしましょうって、すっごい素敵だと思ったんだよね。間引き野菜で、一品作ったりさ。ずっと憧れて、やってみたいことだった。それがこんな形で叶うなんて。
ジャガモを少し掘り出して、土を戻す。ジャガモを籠に入れて立ち上がると、トーマスがいた。
「どうしたの? 畑に何か?」
おっかない顔をしている。
「これ、やる」
木彫りのお守りだ。こちらは剣と自由に羽ばたく鳥が描かれている。
「これはトーマスの手作り?」
「そうだ」
「今日はお守りをあげる日かなんかなの? さっきアルスにももらったんだけど」
「アルスも?」
「うん」
「……これは春のアムステルダンの儀式で、ルードという土地守りの若木の枝を折るというものがあって、その若木でお守りを作って渡すっていう慣習があるんだ。若木は悪しきものから身を守ってくれるからな」
そうなのか。
「こんな素敵なの、わたしがもらっていいの?」
「ああ」
「ありがとう」
贈り物をもらうってとっても嬉しい。いい気分だ。
彫られた絵を眺めていると、籠を持ってくれる。
「あ、大丈夫だよ。それぐらい持てるよ」
籠を持とうとすると、制される。
「ありがとう」
持ってくれたことにお礼をいうとニカッと笑う。
決めた!
わたしも贈ろう、何かを。わたしをこんなに嬉しくしてくれたみたいに、嬉しくなってくれるといいのだけれど。
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