第53話 君が教えてくれたこと⑧変化
「ポーションだな、150Gだ」
は? あまりの安さに思考が止まった。
「おじさん、ポーションは400Gでしょ?」
そんなこと言う奴は、実際のわたしより若いけどおじさん呼びで十分だ。
「いつも200Gでしたよね?」
アルスが言う。200G? それだって適正価格の半額だ。
「聖女さまの聖水にみんな飛びついているから、ポーションの在庫が残ってしょうがねーんだ。だから今は300G、お前のは150Gだ」
なにそれ!
「300Gは仕方がないにしても、なんで彼のが150Gになるんですか? ちゃんと鑑定してください。これはとてもよくできています」
「スラムのガキが作った物なんか、いい物なわけないだろう?」
本気だ。この人、本当にそう思ってるんだ。
「ランディ、いいよ。お願いします」
職員は鼻で笑った。
「20本だから、3000Gだ」
銀貨を3枚、アルスの手の上に置く。
「アルス、いつもあんなに買い叩かれるの?」
「スラム出身だからね、仕方ないよ」
「ポーションはどこ出身だって関係ないだろう?」
アルスは首を縦に振らない。スラムの子ってわからないところで売れば?といえば、仕事をしていないと構成員でなくなってしまうので、ギルドの仕事として時々ポーションを売っているのだと。
それにしても、冒険者を支援するための機関であるはずなのに、出身で差別するなんて。でも、一番悔しくて、一番嫌な思いをしているのはアルスだ。そのアルスが我慢しているのだから、わたしがヤイヤイいうのも変な話で。
わたしが今まで行ったギルドもそうだったのかなぁ。わたしが見えてないだけなのか?
でも、ギルマスさんやツグミお姉さんは違う気がする。だってギルドの仕事に誇りを持っていたもの。自分たちのサポートで冒険者は成り立っているって、人々は救われるんだって気概があったもん。
なんか許せないぞ、ここのギルド。
「おーーい」
待ち合わせ場所でチャーリーが手を振っている。一緒にいるのはソレイユとトーマスだ。今日は市場に行くのだ。仕事の終わりの時間に合わせて、待ち合わせをした。少し早めにアジトを出たら途中でアルスに会ったので、そのままポーションをおろすのについて行った。スラムの人間だと、はっきり差別を受けているのを見たのは初めてだ。あれは、良くない。
アルスなんか嫌な思いをしたのに、もういつものように優しい笑みを浮かべている。人間ができてるな。
なに、この盛り上がりぶりは。夕方前だというのに、そこは人でごった返していた。トントが結構大きな街だからだろうか、市場はかなりの賑わいだ。野菜などの値段を見ると、他の街と同じような価格なのでほっとする。
チャーリーともレシピを話し合いながら、これが使える、あれはどうだ?と楽しい買い物タイムだ。
え?
嘘、ソイジーだ。ハットンだ。
なんとトントは結構大きな街の上、港町に近いので、イースターの支部があった。わたしは大興奮だ。ソイジーとハットンを買っていいか、トーマスに尋ねる。調味料はわからないというので、昨日のピザや大根おろしのタレにかかっていたというと、みんな即、買って、と。ライズもあったよ。これにはみんなの反対にあったが、絶対おいしいからと押し切った。だって、小麦粉よりも安いんだもん。これで腹持ちがいいんだから、良い食材だ。
アグレシ、サイもどきとトラジカが高額で売れたこともあって、食費に回していいお金も結構もらえた。ほとんどは小麦粉にするはずだったけれど、もしみんなの口に合えばお米の方が安く済むので、こちらを多めに買った。買ったものは、ちょっと横道に入ってバッグに入れる。重たいまま歩かなくてすむ、これも素晴らしい。
少し前のことは忘れかなり機嫌よく市場を歩いていると、聖女の聖水を売っているお店があった。
ひとつ5万Gもするのに、飛ぶように売れている。
なんとはなしに見ていると、ひとりの少女が駆け寄ってきた。若草色のワンピースを着ている。
「お願いです。どんな怪我でも治るんですよね。弟の怪我がひどいんです。今はこれしか持ち合わせがありませんが、給金が出たら絶対にお支払いします。譲ってください」
「今持ち金がねぇんなら、売れるわけないだろう。とっとと行きやがれ」
まぁ、それはそうだろうなぁとは思ったが、その後がいけない。
まだ10代だろう女の子を足蹴にしたのだ。立ち上がれない少女を、もう一度蹴ろうとするから、
「何するんだよ」
男を突き飛ば……したつもりが、力が及ばず、逆に手を取られた。
「あー、スラムのガキか? スラムのガキが汚ねぇ手で俺に触ったのか?」
男はわたしの腕を強く握った。うっと小さく呻いてしまう。
「近頃のスラムのガキは小綺麗だって聞いたぞ」
どうでもいい情報が飛んで出て、男が顔を近づけてくる。
「ほんとだ。臭くねぇ。というより、いい匂いがするし、ガキってこんな……。ん? 震えてんのか。なんだよ怖いくせに飛び出してきたのか?」
何がどうなったのかわからないが、次の瞬間には、蹴られた少女はアルスが手を貸して立ち上がっていて、わたしは男から距離をとり、ソレイユとトーマスにかばわれるようにして立っていた。
男は舌打ちをする。
「スラムにかかわるとせっかくの聖女様のご利益が落ちる。さっさとあっちに行け!」
手を引かれて、その場から去る。
少し歩いたところで、少女の怪我をアルスが見る。なぜかわたしはお説教タイムだ。主にソレイユ。ソレイユの圧は結構怖い。
「僕、言ったよね。感情のまま動かないようにって。それで、君、わかったって言ったよね?」
「だって」
「だってじゃないだろ。あれでさ、君が怪我でも負った場合、僕たちが黙っていられると思う? 僕たちも巻き込むことになるよね? スラムのみんなを巻き込むことにもなるんだよ。スラムのみんなにはチビたちも含まれるんだよ、わかってる?」
あ。確かに。わたしひとりでは解決できない。解決できなかったら、みんな助けようとしてくれるだろう。それはわたしだけでなく、みんなを危険に巻き込むことになるんだ。メイたちも危険にさらすことになるんだ。
「ごめんなさい」
トーマスからは一言もない。すっごい怒っている感じだ。アルスもあの顔は怒っている、確実に。
チャーリーに頭を撫でられた。チャーリー以外みんな怖いので、おとなしくしておく。
元の世界のことを思い出した。
会社の先輩たちと飲みに行った時だ。一人の女の先輩が隣のテーブルの人たちに絡まれた。先輩が酔っていたのも手伝って、突っかかるようなことも言っちゃって。そうなると、こちらの男性たちも出動しないわけには行かなくなり、結果的には、まーまーまーと収めて、友好的に終わらせたのだが。
わたしの隣に座った女性の先輩が、それをすっごく怒ってたんだよね。自分で解決できないことに人を巻き込むな、と。特に女性がそういうことに巻き込まれ、敵対する相手が男性だった場合、一緒にいる男性はなし崩しに巻き込まれることになる。わたしはどちらの先輩の言い分もわかる気がするし、ただ、何事もなく終わってよかったと思うだけだった。
わたしは未だ答えが出せずにいる。
自分で解決できることだけにしか、想いを抱くべきではないのだろうか。
でもそうするとさ、能力の高い人はいいけれど、わたしみたいに何もできないのは、本当に何もできなくなってしまうんだよ。かかわれなくなってしまうんだ。独りよがりのジレンマなのは百も承知だけど。
だけど、いやだったんだ。10代の女の子がまた蹴られるのをただ見ているだけなんて。あんな痛い思いをまた誰かがするなんて。
「ありがとうございました」
16歳ぐらいだろうか。少女がわたしにも頭を下げる。落ち着いた金色の髪に榛色の瞳を持つ。愛嬌のある女の子だった。
「うーうん、何もできなかったし」
いいえ、と少女がわたしの手を取る。
「かばってくれて、とっても嬉しかったわ」
ホワッと空気まで軽くなるような笑顔をくれた。釣られてこっちもこわばっていた気持ちがほぐれた。
「弟さん、怪我したんですか?」
一気に表情が曇る。
「冒険者なんだけど、採集に行って足を怪我してしまったの」
「なんでポーションではなく聖水を買いに?」
「え? エクスポーションみたいに治るんでしょう? 聖水って」
んなわけないだろうな。
わたしたちは森で出会った冒険者の話をした。信仰がないってことで少しも効かずにかえって悪化して大変だったことを。
「弟さん、意識ないんですか?」
「いえ、もう戻りました」
「弟さん、いくつですか?」
「え? 14だけど」
それじゃぁとわたしは中級ポーションを出した。上の等級にいくだけ、生命力や魔力は少く治癒ができるそうだ。13歳以上だったら中級や上級ポーションも使える。13歳まではポーション以上のものを使うと、かえって悪化することがあるらしい。
「これは中級?」
ポーションは等級で色が違う。ポーションは薄い青。水色じゃないんだよ、青なんだ、薄いのに。中級は薄い黄緑。上級はピンクだ。ちなみに最上級は濃いピンクだった。これも持っているが、あんまり上のだと何を言われるかわからないので。
「お支払いできるお金がありません」
あの店では無理を言ってしまったけれど、スラムの子供にすがるのはさすがにというところだろうか。
「失礼ですけど、今どういったことで収入を得られているんですか?」
さっき給金で支払うと言っていた。
少女は虚をつかれた顔をしたけれど。
「髪結い屋で修行中です」
「というと、カットも?」
「かっと?」
「髪を切ったりも?」
「ええ、今は結い仕事よりも、そちらが主流です」
「あの、スラムとかかわるのイヤな人ですか?」
「はい?」
「スラムの子の髪を切るのはイヤですか?」
「え? いえ。とんでもない。そんなことは思いません」
少女は胸の前で手の平をこちらに向けて左右に振った。
思ってもみなかったことを言われたとでもいうように、目は大きくなっている。
「それじゃあ、これと交換で、みんなの髪切ってもらえませんか? 19人います。切ってもらいたい人はそのうちの何人になるかわからないですけど」
髪がうざったかったんだよね、ちょうどいい!
「トーマス、いいよね?」
トーマスは呆れたように、ため息をついて頷いた。
「そういうことでしたら、喜んで!」
交渉成立だ。
「お前、中級なんていいのかよ。5000はするだろう?」
アジトへの帰り道、トーマスに問いかけられる。
そんな高級だったんだ。森で冒険者さんたちにポーション代だともらったけど、色をつけてくれたんだと勝手に思っていた。5000Gか。でも、もう錬金術師とは言えなくて売りにくいからな、いいや。
いつも目をまっすぐに見て話すトーマスが、こちらを見てくれない。
「まだ、怒ってる?」
みんなを危険に巻き込むところだったんだ、トップのトーマスが怒るのは当然だ。
「怒ってない。矛盾について考えていただけだ」
矛盾? 高尚な13歳だ。
「どんな矛盾?」
「外は危険なものでいっぱいだから、閉じ込めてしまいたいぐらいだ」
メイのことかな?
「でも閉じ込めて、自由じゃなくなったら、翼をもぐのと、感情を殺させてしまうのと同じことだろ? 生き生きしていて、何にでも首突っ込んでいくところがいいところなのにさ。立派な矛盾だろ?」
トーマスがやっとわたしを見てくれた。
「閉じ込めないで、トーマスが危険から守ってあげればいいじゃん。どんなことに首突っ込もうとも、それを対処できるぐらいトーマスが強ければ問題ないでしょ?」
「簡単に言ってくれるな」
トーマスが呻く。トーマスなら難しくないと思う。
「それに、もうできてると思うけどな」
トーマスが探るようにわたしを見た。
「そうか?」
と首をかしげるので頷く。
「少なくとも、わたしはいっぱい助けてもらってるよ、トーマスに」
トーマスは破顔した。
なんだかそれが眩しくて、胸がキューっとした。
久しく忘れていた感情を呼び覚まされたようで驚く。
どうした、わたし。
今、ひょっとして、ときめいた? 少年に?
いや、それはないだろう。まずいだろう。きっと気のせいだ、うん。
わたしは若干早く大きく響く胸の音に『勘違いだ』と呪文をかけた。
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