第1章

第9話:ランナウェイ

「……いいわ、手を動かしてみて」


 後ろからエリィに肩を叩かれ、俺は座り込んだまま、恐る恐る右腕を動かす。慎重に肘を持ち上げ、関節を伸ばし、手のひらを握って、開く。突然暴れだす気配はない。思い切って肩をぐるぐる回してみても、腕が吹き飛んでいくことはなかった。


「脚はどう?」


「ああ、こっちも問題なさそうだ」


 その場で膝を曲げ伸ばししてみても、無意味に空気を蹴破ったりはしない。


「右腕と両脚のサイバーウェアに、出力の制限をかけた。リミッターを外さない限りは、並の成人男性程度の筋力しか発揮されないから、普通に活動できるはず」


 首筋のソケットからプラグが抜かれると、左目の網膜から接続されていたメンテナンスキットの表示が消え、代わりにいくつかの論理スイッチが表示される。


「助かったよ、あのままじゃロクに動けなかった。しかし、なんでいきなり制御が利かなくなったんだか」


「EXPストレージの経験情報を丸ごと失ったからでしょうね。経験情報には知識や技術だけじゃない、その時々の体験や感覚に基づいた、身体の動かし方まで含まれている。その参照元が突然空っぽになった挙句、常人を遥かに超える出力のサイバーウェアなんか積んでいるから」


「ドライバを失ってハードウェアが暴走した、ってわけか」


「リミッターは段階的に操作できるようにしたから、徐々に慣らしていけばまた自然に使えるようになるはずよ」


「ご丁寧にどうも。しかし、メディテックの真似事までできるなんてな。レベル256なだけあって、戦闘スキルばかりじゃないってわけだ」


 今度こそ跳ね上がることもなく立ち上がると、片付けたメンテナンスキットを持って立つエリィの頭は、俺の胸元ほどまでしかない。


 つくづく、想像していた人物像を裏切られる。キャッスル・サンドリヨンのアンデッドたちの元締めと聞いて、果たしてどんな化け物が待ち受けているのかと考えていたのだ。電子ドラッグで自我をなくし、襲った相手の血を啜る痩身の女とか、そんな感じのを。


 ところが待っていたのは、線は細く生き血は吸うが、華奢で、物静かで上品な物腰で、極めて理性的、かつ言葉の端々から知性の高さを窺わせる、ドレス姿の少女だ。そのうえレベル256で、恐ろしく強い。スキル習熟度の総計で測られるレベルが256に達しているエリィの、そのニューロデッキの中にどんな知識や技術が詰まっているのか、到底計り知れたものではない。


「別に……気付いたら出来るようになってただけ。そんなことより、さっさとここを離れましょう」


 歩きだすエリィに倣い、蹴り落されてきたリフトと着ぐるみボットの山から離れ、ホールの中を進んで行く。


 暗くだだっ広いの中、サイバーアイのナイトビジョンを起動して改めて見回してみると、城館の地下はホールというよりも、巨大な格納庫のように見える。壁際に並んでいる黒々とした機械の塊は、やはりフロート車だ。上で予想した通り、ここからリフトで城館に上がり、パレードがスタートしていたのであろう。


 エリィはフロートの間を足早に進んで行く。ふと浮かんだ疑問を、その背中に投げかけてみた。


「あのさ、承諾しておいて言うのもなんだけど、なんでわざわざ俺と行動しようとするんだ? あんた……エリィは、アンデッドたちの、キャッスル・サンドリヨンのボスなんだろ。ユーリたちを探すのなんて、連中を使えばいくらでも手数で攻められるんじゃないのか。いや、むしろひとりでだって」


「悪いけど後にして。いまはとにかく、一刻も早くここを出るわ」


 だがエリィは、振り返ることもなく歩いていく。なにをそんなに急いでいるんだ?


 やがてその足が、ひとつの影の前で止まる。並んでいるフロート車よりずっと小さく、布を被った塊だ。丈は身長より低いが、縦横に幅のある扁平な形をしている。見たところ車両のようだが、このフォルムは。


 エリィが無造作に布を取り払う。出てきた威容に、俺は言葉を失った。


 空気力学に則った流線形のシルエットを、ウルトラマリンのスモークメッキで妖しく彩ったいかついボディ。低い車高に大ぶりなホイール。トランクではリアスポイラーが翼を広げている。四連マフラーを備え、ボンネットのエアインテークから繋がったターボエンジンは、780馬力を奮う暴れ馬だ。流麗さと凶暴さを併せ持つ、チバシティの都心でだってなかなか見かけない、ニッタ自動車の国産スーパーカー。


「ナイトウィング……!? なんでこんなもんが!?」


「早く乗って」


 ぎょっとして、当たり前のように生体認証キーを解除し扉を開けるエリィを見つめる。


「なに、その顔」


「い、いや……」


 そりゃ、まあ、見た目通りの年齢ではないだろうと思ってはいたが。ゴシックドレスの少女にナイトウィング。なにもかも現実離れした組み合わせに、もはやなにを驚けばいいのかもわからなくなってくる。


 生まれて初めて足を踏み入れるスーパーカーというものに、おっかなびっくり乗り込むと、エリィは慣れ切った表情でハンドルを握り、エンジンを唸らせる。車内のメーターやディスプレイがほの明るく光った。


「飛ばすから、ベルトはしてちょうだい」


「な、なあ、なんでそんなに急ぐんだ? ここから出るだけだろ、別にそんなに慌てなくても」


 ナイトウィングがゆっくりと進み出る。ヘッドライトに照らされ、格納庫の闇が色濃くなる。


「さっきの質問だけれど。あなたたちは私をここの支配者かなにかかと思っていたみたいだけど、残念ながら大間違い。私は単に、アンデッドたちと取引をしてここを隠れ家にして、ついでに血を貰っていただけ」


「アンデッド相手に取引って……そっちはなにを差し出してたんだ」


「あいつらの始末」


「あいつら?」


 エリィが指さすのは、さっきまで俺たちがいた昇降リフトのほうだった。リフトには相変わらず、着ぐるみボットの山がうずたかく積もれている。目を凝らしてみても、誰の姿も見当たらない。


「いま、時間は?」


「20時を回ったところだけど……?」


 なんだ? 気のせいだろうか、ボットの山でなにかが動いたような。


 暗い格納庫の中で、リフトは上層からの光でわずかに明るく照らされている。光を浴びて、余計に真っ黒な塊にしか見えないボット山の中で、なにかが……いや、違う。山そのものが、もぞもぞと蠢いている?


 やがて。山から転がり落ちた一体の着ぐるみボットが、ふらふらと立ち上がる。破れた毛皮の中から、無機質で、硬質な頭蓋骨めいたスチールフレームと共に、狂気を灯した真っ赤なカメラアイを覗かせながら。


『…………HAHAッ!』


 エンジンが唸りを上げ、後輪が煙を上げながら地面を蹴りつけ、ナイトウィングが尻を大きくドリフトさせながら急発進する。


 ヘッドライトが闇を引き裂き、地下通路を駆け抜けていく。首をひねって振り返ると、リフトから無数の着ぐるみボットたちが這い出し、ある者は全力疾走で、ある者は四つん這いでこちらを追いかけてきている。それも、とんでもない速さで!


「なんだあれ、マジで、なんだあれ!」


「キャッスル・サンドリヨンの本当の支配者……! このパーク中に張り巡らされた地下バックヤードに潜んで、夜の間だけ動き出す、狂った客寄せボット。おかげでアンデッドたちは、夜になると地下を移動できなくて困ってた……ってわけ!」


 エリィの右手がハンドルを、左手がシフトレバーを忙しなく操作するたび、車体が右に左に回り、身体が振り回される。


 しかし、パーク中に張り巡らされた地下バックヤードとは。つまり昼間俺たちがアンデッドに翻弄されていたのは、この秘密の通路を使っていたからか。


「じゃあエリィは、あのボットたちを掃除して」


「昼の間に見つけ出して、ひと纏めにして破壊する……今日もそうするつもりだったの」


「ところが、俺たちが来ちまったのか。おわっ!」


 横殴りの衝撃に車体が揺れる。窓の外に張り付いたカメラアイと目が合った。


『HAHA、HAHAHAッ!』


 いつからそこにいたのか、壁に張り付いて並走していたボットが、車体に飛びついてきたのだ。クソったれ、細くて入り組んだ道で、こっちが速度を上げきれないうちにもう追いついてきやがった。


「ケイ、引きはがして!」


「引きはがせって、どうやって!」


「ダッシュボード!」


 言われた通りダッシュボードを開けると、拳銃がひとつ鎮座している。クロムテック社のオートマチック9㎜拳銃、通称ヴァンガード。サイボーグ相手ならともかく、着ぐるみボットには十分な火力だ。


 パワーウィンドウを開け、顔を突っ込もうとしたウサギの顔面に一発。ウサギはそれで落ちていったが、まだ周囲の壁をサルやトラが這ってきている。


「屋根をへこませたら許さないから」


「クソったれ、こっちは片腕なんだぞ!」


 肝を冷やしながら窓から身を乗り出すと、こちらに飛び掛かるタイミングを計るボットたちと目が合った。反射的にヴァンガードの銃口を向け、引き金を引く。けれど。


「ああもう、射撃スキルまで消えちまってて全然当たらない……!」


「スキルに頼らないで、自分で狙って」


 なんだよ自分で狙えって。いままでだってそうしてきた。


 いや、そもそも俺は、どうやって狙って撃ってたんだろう。考えるより身体が先に動いていた。けれど今は、すべてを自分で制御しなければいけなくなっている。息を吐き出し、慎重に右腕を伸ばす。生体脳に残っている射撃の知識を必死で漁る。照門と照星を結んだ先に対象を捉え、引き金は絞るように。


 ボットたちが飛びかかってくる。瞬間に、指が二度動いた。ボットたちが弾かれたように、後方に落ちていく。


「あ、当たった……うぉ!」


 気が抜け、身体がずり落ちかける。車内で服を掴まれ、引っ張り込まれた。


「気を付けて、まったく」


「わ、悪い、助かった……」


 安堵の息を吐きながら、直感する。俺はこの先、当面彼女には頭が上がらなくなりそうだ。


 ナイトウィングはただひたすら、闇の中を駆け抜けていった。

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