第8話:ブラッディ・プリンセス

 立ち上がるかどうするか、一瞬考えた。いままでだったら状況に合わせて、勝手に身体が動いてたっていうのに。


「つまり、あなたは私を狙ってここに来た。そういうことでいいのね?」


 聞こえてきた声に、凍り付く。一瞬。ほんのまばたきにも満たない間だったはずだ。だって言うのに、吸血姫は、すぐ後ろにいる。すぐ後ろで、俺の腰にあったはずのハンドグレネードを、もてあそんでいる。


 いくら経験値を吸われて感覚が愚鈍になっていたとしても、理解できる。できてしまう。こちらの意識の隙と、視界の隙を完膚なきまでに突いた動き。高速移動をものともしない機動性。これが、レベル256。スキャンによって表示されるレベルは、社会的ステータスだ。故にそれをごまかすことは出来ない。だとしたら。


 レベル256という数字が、こちらのエラー表示ではないのだとしたら。


 彼女は、強い。文字通り、桁外れに。


「冗談じゃね、だぉあ……ッ!?」


 咄嗟に立ち上がって距離を取る、つもりだった。


 何故か俺の身体は、地面と水平に吹き飛ばされ、受け身も取れずにごろごろとホールの床を転がっている。


「い、ってぇ……」


「……なにしてるの」


 こっちが聞きたい。


 別に彼女がなにかしたわけじゃなかった。俺が、立ち上がろうとしただけだ。なのに俺の両脚が、トヨシバのサイバーレッグ、グラスホッパーが、ばねのように弾けて俺を吹き飛ばしたのだ。


「なん、だ、こ……おわぁ!?」


 今度は右腕が、地面に手を突こうとしただけなのに、まったく無関係に跳ね上がる。


 なんだこれ、いったいどうなってる。レベル256の吸血姫、キャッスル・サンドリヨンのアンデッドたちを束ねる3億パスモの賞金首の前だというのに、俺は立ち上がることもままならない。吹き飛んで跡形もないのは左腕と右眼だけのはずなのに。


「さっきからひとりで、なに勝手に盛り上がってるの」


「俺だって好きで暴れてるわけじゃないんだ……ぐおっ!」


 腕を下ろそうとしただけなのに、拳が地面に叩きつけられ、アルミ板の床板がひしゃげた。


 だんだんわかってきた。慎重に、慎重に腕を伸ばし、ゆっくりと床に手をつく。割れ物を扱うように脚を立て、どうにか膝立ちまで持ってきた。それだけで今日一番に神経を使った気がする。


「なんだってんだ、クソ」


「一応言っておくけれど、私はなにもしてないからね」


「わかってるよ! 俺の問題だ。サイバネの制御が、できなくなってる」


 装着しているハイグレード・サイバーウェアの出力が、意志と無関係に発揮されているんだ。正確には、力加減がさっぱり分からなくなっているというべきか。1の力で構わないのに、軽くアクセルに触っただけのつもりが、いきなり100の力を奮ってしまっている。


「……ふうん?」


「んなっ」


 まただ。ほんの一瞬目を離した隙に、吸血姫が目の前にいる。顎を掴み上げ、朱い眼で俺を覗き込んでいる。頭の中まで見透かすような眼差しで。


「そんな有様で、どうやってここまで入り込んできたのか知らないけれど」


 身体が、浮いた。


「がァ……ッ!」


「もうおしまいにしてあげるから」


 次の瞬間には、背中から床に叩きつけられていた。少女の、細腕ひとつでだ。


 笑ってしまうような実力差。


 どんな出力のサイバーウェアを入れているのか知らないが、その性能に頼った動きではなかった。出力の調整、人工筋肉の張り、肩から指先までのすべての関節の動き。どれをとっても無駄がない。今朝までの俺よりも、この少女はずっと強い。


 レベル99で現役最強になれる冒険者なんて、おままごとみたいなもんじゃないか。


 火花が散ったように白黒と瞬く視界の中で、吸血姫は俺の胸元に馬乗りになる。ずっしりとして、けれど圧迫感を覚えるほどではない少女の体重が、胸にのしかかる。


「おい、なにを……いづッ!?」


 そして、あろうことか俺の首筋に顔をうずめ、牙を立てた。ウソだろ、本当に血を吸うのかよ。


 吸血姫の犬歯は、アンダースキンアーマーが入っているはずの皮膚をあっさりと貫き、高硬度カーボン製の人工血管に容易く到達する。血の気が引くってこういうことか。身体を機械に置き換えてからというもの、物理的な意味で体感することなんていままでなかった。脈打つ鼓動と、首筋に食らいついた少女の体温を、やけに強く感じる。


 このまま身体中の血を吸いつくされるのだろうか。今度こそ死を覚悟したが、10秒も経たないうち、彼女はさっさと口を離した。


「あなた、思ってたよりもずいぶん……」


 口元を汚す赤い雫もそのままに、わずかに目を細めて俺を見下ろしている。まるで、思っていたよりも強い酒を口にしたみたいに、頬を紅潮させながら。地肌が白い分に余計に赤みが目立った。


 俺を見下ろす朱い光彩が、数回明滅する。スキャンされているな、と思った瞬間、その瞳が大きく見開かれた。


「まさか……あり得ない。どういうこと? あなた、いったいなに?」


「なにって、なにが」


「レベル0なんてあり得ないって言ってるの。本当のレベルは80? 90? いいえ、ともかくどうやってステータスを誤魔化してるの」


「誤魔化してなんかない! そりゃ、確かにさっきまではレベル99だったけど……なんでそんなことわかるんだ」


「聞いてるのは私。答えないなら、このまま干からびるまで血を吸ってあげる。そもそも選択権があると思わないで。自分を狙ってきた相手をただで帰すほど、私は能天気じゃないから」


 ああ、まあ、そりゃあそうだろうな。


 俺はまぎれもなく冒険者で、今はこいつの賞金を狙って返り討ちにされた、負け犬の賞金稼ぎだ。どの道最後には始末されて終わりだろう。もう諦める、なんて言いたくはないが、足掻こうにも手も足も制御が利かない。


 チャンスがあるとすれば、こいつの質問に答えてやりながら、どうにか打開策を練るくらいだ。レベル256に勝てる方法なんて、万全の状態でも見つかるかわからないが。


「わかった、わかったよ! 話すから、せめて退いてくれないか」


 血を流したからか、腹を括ったからか、冷静になって目の前の状況を俯瞰すると、年端も行かない(少なくとも見た目は)少女に跨られ、端正な顔を間近に寄せられたままというのは、少し話しづらい。


「……いいわ。でも、余計なことをするつもりなら、まずもう片方の眼をつぶすから」


「おっかないな」


 吸血姫は胸の上から退いた……と思いきや、そのまま俺の後ろに回り込み、首筋に鋭利な爪の付いた指を当ててくる。リパーネイル。超高度カーボンブレードの爪だ。まったく、いちいちそれらしい。


「さ、話して」


「ああ……先に言っておくけど、俺もよくわかってないからな。ざっくりまとめちまえば、仲間に裏切られたって話なんだが」


 俺はずっと仲間と組んでチバシティで冒険者をやっていたこと。


 幼馴染の提案で、3億の懸賞金がかかった吸血姫を狩りに来たこと。


 その最中、仲間の裏切りに遭い、テロへの加担を持ちかけられたが断ったこと。


 すると、妙なデバイスで経験値を吸いだされたこと。


「妙なデバイス?」


「ああ。シズルは、裏切ったウィザードはソウルイーターとか呼んでたな。相手の経験値を吸いだして、たぶんだけど、他人に書き込むことが出来るみたいな口ぶりだった」


「それで、経験値を吸われて、あなたはレベル0になった……?」


「ああ。あとは用済みだからって、穴に落とされてここに至る」


 経緯を話し終えると、吸血姫はなにを考えこんでいるのか、沈黙を返してくる。


 俺も俺で、わが身の情けなさにほとほと呆れかえっていた。シズルとは10年、ユーリに至っては、20年以上の付き合いだった。いろんなピンチを、一緒に乗り越えてきた。金がなくて飢えそうになることもあれば、ギャングに囲まれて弾が尽きたこともあった。


 腹の底だって打ち明けてきたつもりだ。この街でビッグになるんだとか、大金を稼いで、みんなを助けられるヒーローになるんだとか、バカみたいな夢を語りあった。衝突することもあったけれど、この先も一緒にセッションを重ねていくんだと、疑ったことはなかった。


 それが、どうだ。


 いつからあの二人は、反体制思想のテロリストなんかに成り下がっていたんだ。メガコーポに鉄槌を食らわせようなんて息巻いたヤツなんて、いくらでもいた。そんな連中の顛末を、知らないはずがないだろうに。


 ただ、ソウルイーター。あの力は。


「そう……経験値を吸うデバイス、ね」


「ウソはついてないからな。少なくとも、俺の認識で起きた出来事は、全部話した」


「話だけなら信じなかったけれど、あなたのレベルと肉体は、あなたの話を裏付けてる。EXPストレージの中身を吸い出すなにかがあるのは、確かみたいね」


 朱い瞳が、かすかに光った。


「それがあれば、私も……あなたは、これからどうするつもり」


 不意に声を掛けられ、危うく間抜けな声を漏らすところだった。


「どう、って……どうもこうもない、こっちは経験値すっからかんのレベル0で、サイバネもまともに動かせない赤ん坊以下だぞ。どうやってあんたを出し抜いてやろうかって考えるつもりだったけど……手詰まりもいいところだ」


「そうじゃなくて。仮にここから生きて出られたら、あなたはそれからどうする?」


 生きて出られたら? 


「決まってる……ユーリとシズルを追う」


「復讐?」


 復讐。そう言われて真っ先に思い浮かんだのは、キッカとゴーリーの顔だ。打算込みだったかもしれないにせよ、俺に懐いてくれていた、二人の後輩。


 落ち着いて考えてみればわかる。吸血姫狩りの話も、下準備として勧誘したあの二人も、すべて俺をここに招くための罠だった。高難度のダンジョンに放り込み、計画とやらに俺を参加させるかどうか、ふるいにかけるためのテストだ。キッカとゴーリーは、そんなことのために死んだ。


 あの二人は、かつての俺だった。セッションの成功に一喜一憂し、順調に転がり始めた冒険者稼業の展望に、目を輝かせていた。その矢先、俺なんかに巻き込まれたせいで命を落とした。


「それもある。それに、あいつらは間違いなくなにかしでかすつもりだ。ソウルイーターとかいうデバイスは、確かになにもかもぶち壊しかねない。どう使うつもりか知らないけど、コーポは目の色を変えるだろうし、本土の連中まで食いついてくるかもしれない」


 そして出来上がるのは、新しい社会なんかじゃない。無数に引かれた死の線フラットラインと、膨大な死体の山だ。きっと放っておけば、この先もまたキッカとゴーリーのような死体が増えていく。


「んなバカげた話、放っておけるか」


「なるほど……ずいぶん情に厚いお人好しみたいね」


 別にそんなつもりはない。そう答えようとして、言葉を呑んだ。静かに吐き出された温かな息が、耳にかかる。いつの間にか、すぐ耳の横に吸血姫の顔があった。


「だったら、ひとつ取引をしましょう」


「な、なんだよ突然、取引?」


「そう。いまあなたの命は私が握ってる。でも、二つ条件を飲むなら、ここから出してあげる」


 囁くような声が離れていく。振り向くと、吸血姫は立ち上がり、静かに俺を見下ろしている。


「ひとつは、その二人を追うのに、私も同行させること。あなたは二人を止めるため、私はソウルイーターを手に入れるため」


 こいつ、256なんてトチ狂ったレベルを持っていながら、まだ他人から経験値を吸いあげたいのか。


「ふざけんな、新しい凶悪テロリストの誕生に手を貸せって? 冗談じゃ……」


 見上げた朱い瞳に浮かんでいるのは、力への渇望ではなかった。羨望。懇願。頼りなく揺れる、藁をもつかむ溺れる者の眼。


「違う。そんなことに使うつもりはない。私は、ただ……」


「ただ?」


「……別に、あなたは知らなくていい。破壊や殺戮のために使わないことだけは、約束する」


 今度は約束ときた。俺を叩きつけたときの高圧な口ぶりとは、まるで別人だ。これは演技か? レベル256もあれば、人を懐柔するスキルだっていくらでも持ってるだろう。俺にそれを判別できるだけの、真意看破スキルはない。


「もうひとつの条件は」


「簡単なこと。定期的にあなたの血を吸わせてくれればいい」


「確かにそっちのほうが、よっぽど吸血姫らしい条件だな」


 おかしな話だ。


 ついさっきまで、いつも通り死線を掻い潜ってダンジョン潜りをしていたというのに。気付けば仲間に裏切られ、後輩を失い、かと思えば、逆立ちしても勝てそうにない少女から取引を持ち掛けられている。


 まるでキャッスル・サンドリヨンそのものだ。走り回るたびに、次から次へと景色を変えていく。俺が迷い込んだ物語は、いったいどれだ?


「……わかった、乗ってやる、その話」


「賢明で助かるわ」


 どうせ断ったところで死ぬだけだ。だったら、死を先延ばしにした方が、逆転の目もあるかもしれない。


「あなた、名前は?」


「ケイ……ケイ・ミヤモリ」


「よろしく、ケイ。私はエリィ。間違っても吸血姫なんて呼ばないで」


 俺は少女に……エリィに差し出された手を握り返す。


 賢明な判断かどうかはわからない。けれど、少しだけ信じてもいい気持ちになっていた。いまはまた、冷徹なまなざしに隠れてしまった、希望を見出した瞳の輝きを。

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