第2話:チバシティ

 ゴブリンたちのダンジョンを出た俺たちは、ゴーリーの運転するワンボックスに揺られ、シティの中心へと向け夜のケイヨーハイウェイを進んでいく。


 避けるように後方に飛び去って行く電灯や看板、その向こうで威圧的に聳える、メガコーポの巨大なビル群を眺めているうち、ハイウェイの周囲にもけばけばしく光るネオン看板が増え始める。


 市街地に近づきつつある。俺は息を吐いて、背もたれに深く身体を預けた。


 チバシティ。先の電脳戦争の折、核攻撃で崩壊したトーキョーに隔たれ本土から分断された陸の孤島であり、終戦以来鎖国を続ける日本の唯一の出島にして、どこよりも人と金と物の集まる最大の経済特区。周囲を国から放棄された無法地帯ホットゾーンに囲まれたカントー平野で、かろうじて治安が保たれている、ビジネスとテクノロジーのオアシス。


 街の外は、右も左も危険地帯だ。シティの中でさえ、シスイのようなホットゾーンに接する外郭地区は治安が悪く、都心に近づいて行ってようやく一息つくことができる。とはいえ、街の中心が安全な場所かと言えば、とても首を縦に振ることは出来ないのだが。シティ・セントラルに近づくほど、コーポやヤクザの目がどこに光っているかわからない、伏魔殿に早変わりする。チバシティ警察CCPDやコーポの私兵のおかげで、アウターギャングの不意の襲撃を警戒しなくていい、その程度の安心感だ。


 2068年の今、ボーソー半島北西部に位置するここは、欲望と暴力次第ですべてが叶う、危険に満ち溢れた街だ。


 そんな街で、俺たちは生きている。


「もうすぐ着くっすね。もう、セッション終わりの一杯が楽しみで仕方ないっすよ!」


 そわそわとしたキッカの逸る気持ちに押されるように、ワンボックスはハイウェイを下り、繁華街へと進入していく。


 途端に視界は、人々の購買意欲を引き立てようと必死な、びかびかと明滅するネオン看板に取り囲まれる。『カラオケ』『釣り具』『家系』『強さ』『わかもと』『パチンコ』『大特価』『HOTEL』。どれもこれも自己主張を繰り返し、やかましく光って目に刺さる。ひと際大きな街頭モニターからは、メガコーポのCMキャラクターを務める人気Vtuberのアニメチックな高い声。


『新発売、トヨシバ・アームズの電磁加速ライフル、ツラヌキマル! 青く光って綺麗! これで憎いあいつをヘッドショットしよ! 姫宮アルカでした!』


 マクハリ地区。トーキョーベイの際にあるこの一角では、ガンショップからカーディーラーまで、大小さまざまなショップが軒を連ね、居並ぶビルが幹線道路の視界を埋めんばかりに看板を出し、客たちを取り合っている。ほかにも、サイバネメーカーの見本市と化したスポーツイベントを行うスタジアム球場や、ホログラムアバターを被ったアイドルたちが覇を競うイベントホール。そしてなにより、チバシティ最大のショッピングモールにしてブラックマーケット、ジャストコモールが、眠ることなくネオンを光らせ、老若男女と貧富の差とを問わず、シティ中から人を集めている。マクハリは、チバシティの中で最も人が集まるまさしく街の心臓部だ。


 人が集まれば、当然依頼も集まってくる。つまり、俺たちのような輩も集まるというわけだ。


 ワンボックスは繁華街を進み、チバシティ・モノレールのシーサイド・マクハリ・ステーション前ロータリーに入って停車する。車を下りれば、目の前でステーションの高架下に居を構える黒い建物が、電光眩いスライドドアの上にネオン看板を掲げている。『シルバーブレット』。駅前一等地に陣取る人気のバーだ。


 入口の前に立つバウンサーに片手を上げると、向こうもひとつ頷いて返し、脇に退いて道を空ける。扉をくぐった途端、空調を効かせた冷たい空気と薄暗く照らすブラックライト、やたらに低音が腹に響くロックナンバーに、客たちのざわめきが押し寄せてくる。同時に、俺をスキャンするいくつもの視線。


「見ろよ、ケイのパーティだ」「あいつがこの店のトップ?」「今更ゴブリン退治程度じゃ死なねえか」「まだレベルは上がってないらしいな」


 内耳の鋭敏な聴覚センサーが、店内BGMに紛れた客同士の会話を拾ってくる。妬みや僻みを孕んだ囁き声は、どれも腕に覚えのありそうな、物々しい気配を纏う男や女たちから発せられている。


 彼らはみな、同業者だ。


 バー『シルバーブレット』は人気の酒場であると同時に、寝ても覚めてもトラブルの絶えないこの街で、問題を抱えた住民が解決手段を求めて駆け込む店だ。つまり彼らの提示する報酬次第で、ホットゾーンだろうがダンジョンだろうが飛び込んでは、人探しでも届け物でもギャング退治でもロストテクノロジーの発掘でも請け負う、荒事の得意ななんでも屋が、俺たち冒険者が集まる店であることを意味している。


 シルバーブレットは、依頼の斡旋、情報の交換、パーティメンバー探し、あるいはセッションの打ち上げまで、冒険者の根拠地となる店。いわゆる冒険者ギルドなのだ。


 同業者にして商売敵に物々しい目線を向ける客たちの間をすり抜け、バーキャビネットを背負ったカウンターに向かう。ライトに照らされたカウンターの中では、近づいてくる俺たちを見て、両腕にクロムメッキの機構部を剥き出しにしたサイバーアームを着けた、大柄で筋骨たくましい男が相好を崩した。


「来たぞ、モクレン」


「あらァ、無事戻ったのね、ケイもシズルも! 首尾は上々って感じかしら?」


 ついでに、やたらと化粧が濃い。いまどき、金さえあれば性転換などいくらでも可能だろうに、モクレンは前世時代的なオカマスタイルを貫く、このバー兼ギルドのマスターだ。これでチバシティ中の裏社会を渡り歩いてきた、生え抜きのフィクサーである。レベルは85だが、情報網の広さやこの街での渡世術に関しては、一生適う気がしない相手だ。


「現場のデータは送っただろ。あの建物にはもう死体しか残ってない」


「ンもう! そういうこと聞いてるんじゃないワよ! キッカとゴーリーはどうだったの? 紹介したのワタシなんだから、足引っ張ってたら困るでしょ!」


 ああ、そういえばそうか。


 俺とシズルはこれまで、二人で組んでセッションに臨むことが多かった。だが次の大仕事に向け面子を補充しようという運びになり、モクレンから紹介を受けたのがこの二人だったのだ。


 振り返ると、キッカが得意げに大きな胸を張り、ゴーリーは照れ臭そうに頬を掻いている。


「モクレンが見立てただけあって、堂に入った仕事ぶりだったよ。この店じゃまだルーキーかもしれないが、すぐに名を売れるんじゃないか?」


 シルバーブレットは腕利き冒険者とのコネクションを売りにしたギルドだけあって、ここで依頼を請けるためには、レベル50以上かつ白兵戦系統あるいは電脳戦系統スキルをアデプト以上で保有していなければならないという条件がある。条件に満たない人間は、野良でホットゾーンやダンジョンに潜り、アウターギャングを相手にレベルを上げるか、あるいは自分の足を使って依頼を探すしかない。


 実のところキッカもゴーリーも、今回のゴブリン退治がシルバーブレットでの初仕事だったらしいのだが、チバシティ全体の冒険者のうち、八割がレベル50以下だと言われているこの業界だ。この店に出入りしている時点で、十分すぎるほどの実力は持っていた。


「どうっすかマスター! ケイ先輩のお墨付きっすよ!」


「な、なれるかな、ケイさんみたいな冒険者に」


 俺の返答にはしゃぐ二人を眺め、モクレンはシズルを一瞥する。


「シズルちゃん的には?」


「ま、そうね。基本は出来てるけどそんなの当たり前。キッカは呪文の組み方が甘いし、ICEもガバガバ。私なら秒で破れるわ。ゴーリーは判断が遅いし、リロードのタイミングも雑よ」


「だ、そうだワよ」


 後方から戦況を見守るハッカーらしく、容赦のない評を下して、シズルは肩をすくめる。相変わらず優しさのない女だ。


「う、す、すみません、気を付けます……」


「いや厳し過ぎっすよ! シズル先輩に対抗できるハッカーなんて、この街に何人いるっすか!」


「つまり、私レベルのウィザードがいたら死ぬってことだけど、わかってるのかしら?」


 キッカもゴーリーも押し黙ってしまう。


 そりゃまあ、俺たちはこの店のトップランカーだが、同レベル以上の実力者を企業やヤクザが抱えているという話はよく聞くし、ホットゾーンにはどんな化け物が潜んでいるかわからない。隙は見つけた端から埋めなければ死ぬというのは真理ではあるが……少なくともいまここでする話じゃない。


「シズル、悪い癖出てるぞ」


「ケイが甘すぎるのよ」


「よせって。二人とも今日のセッションは危なげなかったし、生き残ってるんだから、いまはそれでいいだろ。反省はそれぞれしたらいいさ」


 キッカの頭を、ゴーリーの背中を叩いて慰めながら、懐から緑のカードを取り出してカウンターに差し出す。


「とりあえず、報酬を振り込んでくれ」


「はァい」


 モクレンがカードをカウンターの内側の端末にかざすと、すぐに網膜に信用通貨素子パスモの振り込み情報がポップアップする。100万パスモ。正直、大した額ではない。個人報酬ならともかく、これは"5人"分の報酬だ。頭割りでひとり20万パスモ。使った弾薬の補充や、サイバーウェアのメンテナンス代を差っ引けば、手元には半分も残らないだろう。ここから日々の食費やセーフハウスの維持費を出すと考えると……もちろんいくらか貯金はあるが、今月はまだ楽はできそうにない。


 とはいえ、収入は収入だ。


「よし、ともかく打ち上げと、改めて二人の歓迎会だ。ここは奢るから、好きなもん頼んでいいぞ」


「マジっすか! やったー!」


「あ、ありがとうございます! な、なににしようかな」


「じゃあ私はシャンディガフね」


「お前は自分で出せよ!」


 俺はいつも通り、一番安いフィフス・ビールでも頼むか。そう考えていると、モクレンが店の奥を指さす。


「あァ、それと、ユーリならもう来てるワよ。奥の3番ボックス」


 そう言ったモクレンに頷いて返し、それぞれにオーダーを告げると、俺たちは示されたボックス席へと歩き出す。我らが5人目のパーティメンバーと合流するために。

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