五 顔晒し編
その夜、村中の女性達がお寺に集められ、男達もその監視と村内の巡回警備のために借り出された……誰が取り憑かれているかわからないので、そうして全員を監視下に置いて炙り出そうというのである。
麗音、美柑、佐奈子の三人も、きっとお寺に行っているはずだ。なので、逆に言えば大勢の大人達に見守られているわけだし、まあ心配はいらないだろう。
一方、そんなことで爺ちゃんも婆ちゃんも出かけてしまい、家には俺一人残されて留守番である……なんとも心細いが、あの〝御前さま除け〟の力を信じるしかあるまい。
「爺ちゃん達、帰ってくるのは日が昇ってからかあ……早く夜明けにならないかなあ……」
特にやることもないというか、やることがあっても何も手につかず、ただただそわそわしながら夜の明けるのを待っていた時のこと。
急にドン、ドン、ドン、ドン…! と、玄関の戸が激しくノックされた。
「誰だ? 爺ちゃん達か?」
こんな夜中に…しかも、こんな状況の中でお客さんが来るわけないと思うが、爺ちゃん達が予定より早く帰って来たのだろうか?
でも、鍵は持ってるはずだけど……もしかして、鍵忘れたか?
「はーい! どちらさまですかあ〜?」
「敬二くん! わたしだよ! 麗音だよ! ここ開けてくれないかな?」
玄関の戸の前まで行き、念のために一応尋ねてみると、一枚戸を隔てた向こう側からは、そんな聞き慣れた声が返ってくる。
「麗音? あれ、お寺行ってたんじゃなかったのかよ?」
「うん。行ったんだけどね。退屈だから抜け出して来ちゃった。ねえ、一緒に遊ぼうよ。早くここ開けて?」
怪訝に思い、俺がそう尋ねてみると、この大変な状況下の中でなんとも暢気なことを彼女は言っている。
「退屈だからって……美柑や佐奈子はどうしたんだよ?」
「二人は来ないって言うから置いてきちゃった。それより早くここ開けて? あたしと一緒に遊ぼうよお」
莉奈ちゃんと太志が殺されたっていうのになんとも不謹慎であるが、まあ、麗音にはちょっとそんなところもある。
「にしたって、一人で出歩くのは危ないだろ? ったくしょうがないやつだな。よし。今、開けてやるから待ってろ……」
ともかくも、夜叉御前さまに狙われている身で外にいるのは大変危険だ。俺はそう断りを入れると、玄関の鍵を開けて引戸を開くのだったが。
「ありがとう、敬二くん……さ、一緒にこれで遊ぼう?」
そこに立つ麗音の手には、大きな鉈というか、枝木の伐採に使う山刀が握られている……それにその眼は、夜の闇の中で妖しく真っ赤に輝いている。
「え……?」
明らかに異常だ……山刀を手に、薄ら寒い笑みを浮かべる麗音の表情に、今朝、爺ちゃんの言っていた言葉が脳裏に蘇る……。
〝こちらが招き入れない限り、夜叉御前さまの取り憑いた者は家の中に入れん〟
……そうか。御前さま除けの結界を無効化するために、こんな小芝居を打って俺に戸を開けさせたんだ……。
しまった…と思い、俺が一歩、無意識に家の中へ後退りした瞬間、シュ…と俺の首元で何かが風を切る……麗音が横薙ぎに山刀を振り抜き、紙一重で俺はそれを避けていたのである。
「う、うわああああーっ…!」
咄嗟に踵を返した俺は、絶叫しながら家の奥へと逃げ出した。
「待ってよ、敬二くん。あたしと一緒に遊ぼうよお?」
そんな俺の背中を、場違いな調子でそう誘いながら、麗音も追いかけて屋内へ侵入してくる。
「た、助けて……」
「逃げちゃダメだよ、敬二くん。逃げたら首が綺麗に斬れないじゃん」
咄嗟に俺はトイレへ駆け込み、慌ててドアを閉めて鍵をかけるが、その前まで迫った麗音はなんとも残忍なことを愉しげに口走っている……今回、夜叉御前さまに取り憑かれ、そして、莉奈ちゃんや太志を殺したのは麗音だったのだ!
……と一瞬の後。ガン…! とドアの向こう側から山刀が打ち付けられ、分厚いその刃が戸板を突き破って俺の目の前に現れる。
「ひぃ……」
「待っててね、敬二くん。こんなドア、すぐに切り刻んでそっち行くから……」
その破壊的行動は一回に終わらない……続け様にガン…ガン…! と何度も山刀が打ち付けられ、その刃が突き破るごとにトイレのドアはボロボロになってゆく……。
「敬二くん、見ぃつけたあ……」
「うひっ…」
縦に裂かれたドアの傷から、不気味に光る麗音の赤い眼が狂気を帯びてこちらを見つめている……。
もう、ダメだ……完全に終わったと思ったその時。
「敬二! 大丈夫か!?」
「おい! もうやめるんだ! その刃物を床に置け!」
そんな大声が聞こえたかと思うと、ドカドカ…と大勢の足音が家の中へ入ってくる。
「なにすんの! 邪魔しないでよね!」
「うわっ…! 手を斬られた! 気をつけろ! まずは刃物を奪うんだ!」
やがて、ガヤガヤと揉める声や騒音が外でしばらく続いた後、ようやく静けさを取り戻した向こう側に俺は用心深く気配を覗う。
「敬二、大丈夫か!? 怪我はしてないか?」
「じ、爺ちゃん……」
次に聞こえて来たのは、興奮気味に荒い息遣いをした爺ちゃんの声だった。
無数に空けられたドアの傷から外を覗き見ると、そこに立つ爺ちゃんの背後では手から血を流すお巡りさんや、他二人の村人達によって麗音が床へ押さえ込まれている。
「た、助かった……ハァ……」
ギリギリのところで命拾いをした俺は、ドッと身体の力が抜けて、安堵の溜息を吐くとともにその場へへたり込んだ──。
翌日、俺は爺ちゃんの軽トラで最寄り駅まで送ってもらい、無事、自分の家へ帰り着くことができた……。
後で聞いた話によると、寺にいるはずの麗音の姿が見えないことに気づき、それでまさかと思って爺ちゃん達が駆けつけたところ、あわや俺が殺されかけていたというわけである。
だが、捕まった麗音はというと、その後、連れて行かれたのは警察所ではなく、とある宗派の本山のお寺なのだという。
なんでも麗音には、犯行時はもちろんのこと、取り憑かれていた期間の記憶もまったく残っていないらしい……表向き修行という名目だが、たぶん、取り憑いた夜叉御前さまのお祓いがその寺で入念にされるのだろう。
昨夜、あの場には交番のお巡りさんも確かにいたのだが、どうやら事情を知るお巡りさんも村人達とはグルであり、莉奈ちゃんと太志のことも事故死として処理されたみたいである。
この村において、それほどまでに〝夜叉御前さま〟の影響は根深く、けして法律や表側のルールでは解決できない問題なのである。
それにしても、なぜ、夜叉御前さまは麗音に取り憑いたのか? その理由はまったくもってわからない……ただ、莉奈ちゃんや太志が容易に命を奪われたのには、相手が麗音だったからという要因も少なからずあるのだろう……なんともやるせない結末である。
ともかくも、この年の夏に経験したことは、俺の世界観を一変させるくらいにあまりにも衝撃的なものだった……。
こんなことがあったし、その翌年からは高校へも進学し、部活やらなんやらで忙しく、すっかりあの村へ足を向けることも久しくなってしまったが、やはりまだ数年に一度くらい、夏の終わりに夜叉御前さまは現れるのだろうか?
橙色に染まる夕暮れ時、ツクツクボウシのうら寂しく鳴く声を聞くと、あの薄布の隙間から覗く淡麗な顔立ちが、今でもはっきりと思い出される……。
(つくつくぼうしのなく頃に 了)
つくつくぼうしのなく頃に 平中なごん @HiranakaNagon
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