貪食、貪欲


 第一園、第二園の攻略が開始された頃。


 リーズヘルト・グリニアもまた、地獄にて裁きを受けることとなっていた。


 全てを喰らう大食の罪。


 数多の魔物の細胞をその身に宿し、最早人間では無い人の形をしたなにかにとって最もふさわしい罰と言えるだろう。


 何故ならば、彼女は魔物をある意味では喰らっているのだから。


 全てを食らいつくし、己が糧にしてきた。そして、地獄はその罪を見逃さない。


「瓦礫の山に、燃え上がる炎。そこまで暑くは無いけど、じんわりと汗をかくねぇ。所で、グレイちゃん達を知らない?私、早くみんなと合流しないといけないんだけど」

「グルル........」


 リーズヘルトは目の前にいた魔物に声をかける。


 三つ頭の犬にして、地獄の番犬として恐れられる魔物ケルベロス。


 第三圏“貪食”の万人にして、大食の罪を犯したものを貪り食う化け物。


 普段ならば、この場所に来た瞬間に相手を噛み砕いて殺していた事だろう。しかし、今回ばかりは、地獄の番犬と言えど呑気に喰らい尽くすような真似はできない。


「グルっ........」


 強い。


 目の前にいる自分よりも遥かに小さな生命に、決して宿ってはならない程のエネルギーを感じる。


 そう。それはまるで竜を見たかのように。


 ケルベロスは、リーズヘルトの中にあるエンシェントドラゴンの欠片を見ているのだ。


 地球上に現れた魔物の中で最も強いとすら言われた、古の竜。


 そんな竜の欠片を持った少女に、不用意に攻撃を繰り出してはならない。


 否応にも本能でわかる。そして、否応にでも体が反応する。


 この場から逃げ出したいと。


「クゥーン........」

「ん?お?何何?急にどうしたの?」


 やる気満々でこの場に来たリーズヘルト出会ったが、ケルベロスの姿を見て困惑するしかない。


 ケルベロスは地面に背中をつけて服従のポーズをしたのである。


 さすがのリーズヘルトとは言えど、これには頭の上に?マークを浮かべる。


 何せ、地獄の番犬として恐れられているあの伝説の魔物が、戦いもせずに降伏のポーズを取っているのだから。


「実力差を理解して、即座に負けを認めたのかな?ダンジョンを守る守護者としてはありえない姿だねぇ........まぁ、やり合わなくて済むならそれに越したことは無いんだけど、先に進む道がどこにあるのか案内してくれる?」

「ワン!!」


 闘志をなくし、服従をアピールしてきた魔物に対して、リーズヘルトも攻撃を仕掛けることは無い。


 リーズヘルトは見てきたのだ。人を、魔物を、そして時としてはこの世に存在してはならない何かを、その手の中に収めて自分の糧としてしまうような真の化け物を。


 彼は決して強くない。


 彼は決して弱くない。


 仲間を増やし、味方を増やすことで身につく力もあるのだ。


 特に、友好関係によって築かれた魔物と人の絆は、思っていたよりも深くそして途切れない。


「ねぇ、ウチに来る?日本に来たら、きっと楽しいよ。君と同じような魔物が沢山いるからね」

「クゥーン?」

「そうそう。命の危険も少ないし、なにより自由でのんびりで楽しいよ。最初は少し恐れられるかもしれないけど、グレイちゃんには直ぐに懐くでしょ」

「クゥーン!!」


 行きたいと言わんばかりに、ケルベロスはペロペロとリーズヘルトの頬を舐める。


 それはまるで、飼い犬が主人に甘える時のような微笑ましさがあった。


 リーズヘルトはケルベロスの頬を優しく撫で、そして笑う。


 かつて自分が見てきたあの男がやったように、魔物に対して親切に、そして親密に手を差し伸べた。


「あはは!!もう私に懐いたの?チョロいねぇ。それなら、行こうか。君を閉じ込めた牢獄を破壊しに」

「クゥーン!!」


 結果として、これはケルベロスの新たな人生の出発点となる。


 相手との力量差を正確に把握し、自分が助かるように本能で動いたことが正解となったのだ。


 なんとも伝説の魔物にしてはみっともない姿であるが、本来魔物とは本能のままに生きる生物。


 人間のように恐怖を無理に押さえつけて、種族の生存のために命を賭けるものでは無い。


 これが魔物として、生物として正しい姿。そして、さらにその上があることをケルベロスはまだ知らない。


「ふふっ、昔なら考えられなかったなぁ。こうして魔物を手懐けるなんて。グレイちゃんに出会って、色々なことを経験して、私も少しは変われたのかな?ねぇ、ルーベルト。好きな男に影響される女はどう思う?」


 かつて、死の淵から救ってくれた一人の男と、その手伝いをして天へと還った一人の男。


 この2人が今のリーズヘルトを生かしている。


 1人は隣で、1人は天で見守ってくれているのだ。


 そして、天へ語りかけても答えは帰ってこない。しかし、リーズヘルトは満足そうに頷くと、ニッコリと笑うのであった。


「あはは!!私はやっぱり幸せ者だよ!!」


 死の淵をさまよい、世界を敵に回した男に拾われた人らの少女は、実験体からただの強いだけの少女に成り上がる。


 リーズヘルトの人生は、まだ始まったばかりなのだ。




【ケルベロス】

 ギリシア神話に登場する犬の怪物。ハーデースが支配する冥界の番犬である。ラテン語読みはケルベルス、英語読みはサーベラス。テューポーンとエキドナの子。その名は「底無し穴の霊」を意味する。

 ケルベロスは冥府の入り口を守護する番犬である。ヘーシオドスは『神統記』の中で、50の首を持ち、青銅の声で吠える恐るべき猛犬として描いているが、普通は「三つの頭を持つ犬」というのがケルベロスの一般像であり、文献によって多少の差異はあるが、主に3つ首で、竜の尾と蛇で構成されたたてがみを持つ巨大な犬や獅子の姿で描かれる。




 同刻、アリカ・シュトラトスは、準備をしていた。


 元はアメリカの超天才児として未来を約束されたはずだったが、子供に大人の汚い世界はあまりにも酷であり、未来ある芽は踏み潰される。


 出る杭は打たれる。そんなちゃちな話ではないが、杭は確かに打たれたのだ。


 そんな彼女は今、実に楽しい人生を送っている。


 杭を打たれ、未来を絶たれたが、それはそれで良かったとすら思っているのだ。


「ここは第四圏か。知識に貪欲な私にはお似合いかな。だが、確かダンテの話では、重たい金貨を背負わされると思っていたのだが........」


 アリカはそう言うと、自分の下に群がるゾンビのような見た目の人々を眺める。


 彼らは自分を狙っている。一体何がどうなっているのかアリカには分からなかった。


 第四圏“貪欲”。


 ここでは、吝嗇と浪費の悪徳を積んだ者が、重い金貨の袋を転がしつつ互いに罵る罰を与えられる。


 しかし、誰も彼もがそんな罰を背負っている訳では無い。


 アリカはお金をあまり使わない節約家であり、さらに言えば悪徳もほぼ積んでないのだ。


 あまりにもその心が綺麗すぎる。


 ダンジョンも“なんでこんなに心が綺麗なヤツが来てんだよ”と悪態を着くぐらいには。


 しかし、地獄に足を踏み入れたからには罪による罰を下さなければならない。


 結果、内容を変えて物理的な罪が現れることとなった。


 これか、ダンテ神曲の話には出てこない罰。


 欲に溺れた者達が、襲ってくるという単純な罰である。


「んー、人間にしてはあまりにも汚すぎるし、あれだな。バイオハザードとに出てくるゾンビに近いな。だが、異形の形はしていない。内部構造は人間と同じか?」


 アリカが飛ばされたて来たのは崖の上。20mほどある崖を昇る力は無いのか、ゾンビ達は下に群がるだけである。


 が、ただのゾンビと侮ってはならない。彼らは例え頭を潰されようとも動き続ける、欲に忠実な地獄のしもべなのだ。


「こっちに登れそうにはないな。なら、実験しても許されそうだな?」


 ただし、今回はあまりにも相手が悪い。


 相手は毒の使い手であり、兎に角知識を欲した知識欲の権化。


 目の前に実験体がいるならば、それを使わない手は無いと嬉々として実験を始める、頭のイカれたマッドサイエンティストなのだ。


「まずは普通の弱めの毒を流してみるか。ほーら、よく味わえよ」


 無造作に投げ捨てられた試験管。


 地面に着いて割れると同時に毒が飛び散るが、流石にこの程度の毒では意味が無い。


「んー、耐えられるな。よし、なら次だ。次は新作の毒だぞ?たんと味わえ。まだ検体による調査すらしてない新薬だ」


 アリカ、再びポイ捨て。


 崖下のゾンビ達も、自分たちが毒の実験台にされるとはまるで思ってもみなかっただろう。


 しかし、事実として毒は空から降ってくる。


 そして、その毒はありとあらゆる種類を用意してあり、気がつけば徐々に徐々に毒に体を侵され、本人も気づかないうちに死に至るのである。


 結果、その場はアリカの実験場となった。


 にっこにこの笑顔で毒を落とし続ける少女と、その毒を受けながら両手をあげて吠えるゾンビ。


 ある意味これはアイドルのコンサートである。


 少なくとも、グレイが見たらそういうに違いない。


 ファンサービス(毒)を受け止めるファン(ゾンビ)。


 そんな世紀末な世界が、この階層では広がっていたのである。


「あはっ!!あはは!!いいなこの実験体。毒への耐性が強いから、色々と試せる!!あー一匹ぐらい持ち帰れないかなぁ。ゆっくりじっくり、実験したいよぉ........」


 狂気に染った科学者の実験は、苛烈さを増していき、やがて1人、また1人とゾンビが死んでゆく。


 アリカはそんな実験体を見て“あー死んじゃった”とだけ言うと、興味をなくして次の実験体で遊び始める。


 純粋なる狂気。


 ダンジョンは見誤った。人類には欲を欲で押さえつけて上回る化け物が存在するのだ。


 しばらくして、毒にまみれたその場所にはゾンビの死体が山となる。


 そして、欲に溺れたはずの人々は皆、1人の欲の塊の実験体となったのであった。


「あー、楽しかった!!ん、なにか新しい道ができてるな。ここを進めばいいのか?」


 好奇心は人を殺す。


 死ぬのは実験体だ。

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