辺獄、愛欲


 五代ダンジョン“地獄への門ヘルゲート”。


 それはあまりにも無慈悲で、それはあまりにも初見殺し。


 このダンジョンの情報を持ち帰ろうとしても、殺されてしまっては意味が無い。アケローン川を渡れば、全ての罪を乗り越えなければならないのだ。


 しかし、それに必要なのは最低九人の人員が必要。広大な南米の土地を徒歩で歩きつつ、なおかつその中で生存できる者が九人。そして、全ての罪に打ち勝てる強さを持たなければならない。


 一人でも罪に敗れれば、彼らが帰ることもない。


 結果、初見殺しは生き続ける。


 それが、このダンジョンの最も凶悪なところなのだ。


「フォッフォッフォ。困ったのぉ。主達とはぐれた........否、転移させられたとでも言うべきか。儂、あまりにこのダンジョンについて調べてないから、何が出てくるのかわからんわい」


 生きた伝説にして、500年以上もの歴史を歩んだ老人、上泉吾郎。


 裏社会でその名を知らぬ者はおらず、そして今となっては愛国心に溢れたただのおじいちゃんである。


 意外にもエルフやダークエルフ等と言った、かつての宿敵である者たちからの人気が高く、子供達と遊ぶことも多い。


 そんな生きた伝説が送られた罪は“辺獄”であった。


 第一圏“辺獄”。


 ダンテ神曲によれば、受けなかった者が、呵責こそないが希望もないまま永遠に時を過ごす。


 地獄の入口では、冥府の裁判官ミーノスが死者の行くべき地獄を割り当てている。


 との記述がある。


 ここはいつかの物語をモチーフに作られた、物語とは異なる世界。


 流石に永遠の時を過ごすことは無い。


「審判の時来たれり。地へと落ちし者よ。その罪を数えるがいい」

「む?何者じゃ貴様」


 そこに現れたのは、冥府の裁判官ミーノス。


 ゼウスとエウローペーの子であり、ミノタウロスの生みの親。つまるところ、空想上の神。


 白く、そして何も無い空間において現れた神は、吾郎の質問に答えることなく動き出す。


「天罰よ」

「フォッフォッフォ。人の話を聞けぃ。童が」


 白い空間の空から降ってきたのは、裁判官の槌。


 ジャッジガルとも呼ばれるそれは、吾郎の頭をかち割ろうとするが、相手はこのダンジョンができるよりも前からこの世界で生きてきた正真正銘の化け物。


 まだ普通の人間であった頃から、彼は戦場で剣を振り回し、そして全てを斬り伏せてきた。


 音速を超える銃弾も。時としては戦車に突撃し、肉薄して破壊すらやってのけた。


 そんな元々の人間としてイカれている化け物に、審判が下ろうとも意味は無い。


 空から振り下ろされた槌が、一瞬にして真っ二つに切り裂かれた。


「裁きは須らく、その身に受けるべきだ」

「ゴチャゴチャ言っとらんではよかかってこんか。とは言えど、もう右腕は使い物にならんじゃろうがの」

「........?........?!」


 吾郎の言葉に首を傾げ、自分の右腕を見たミーノス。


 そして、愕然とした。


 ミーノスの右腕がいつの間にか切り飛ばされている。


 血は流れていない。神として作られた神話の生命に、流れる血など持っていない。


 しかし、しかしである。


 仮にも神であるその存在に牙を向けるどころか、その腕を切り飛ばすとは何たる不敬。


 ミーノスが怒る。


「死ね」

ねや童」


 神vs人類。


 その戦いは人の目で追うにはあまりにも早すぎた。


 無数の斬撃が、振り下ろされる裁きが、世界を揺るがして世界に死を告げる。


 真っ白な空間に響き渡る衝撃が空間を揺らして破壊を試みる。


 互角にも思えるその攻防。しかし、優位に立っていたのは吾郎であった。


「フォッフォッフォ。周囲に気を使わなくて良いのは助かるのぉ。お陰でやっぱが振りやすいわい」

「........!!」


 神速の一撃。


 人間を辞め、魔力を手にした吾郎が500年もの歳月をかけて磨き上げた身体強化。


 魔力によって肉体の強度とその力を限界まで引き上げ、ただ一振に全てを込める。


 人間の500年は、作られた神をも超える。


 ミーノスの体には無数の傷跡。


 ただの人間が、神の首に剣を突き立てているのだ。


「人間がァ........!!」

「怒りは最も戦いにおいて判断を鈍らせる材料じゃぞ。主はよく使っておったのぉ。もう眠れ。儂の敵では無いわ」


 人が神に勝つことなどあってはならない。


 ミーノスは怒りに任せて吾郎に突っ込んだ。


 故に、その斬撃を見切れることは無い。


 否、冷静であっても無理だろう。この一撃は、吾郎の人生の中で最も最高の一振だったのだから。


「儂はただの斬撃に名をつけることはせぬが、一つだけ名をつけたものがある。滅多に使わんし、腰が痛くなるのでのぉ」


 刹那、ミーノスの視界に亀裂が走り、視界が斜めにずり落ちる。


 何が起きたのか一瞬分からなかったミーノスだが、それが斬撃であった事に気がついた時には既に遅かった。


「日の本の栄光に切り刻まれて死ぬがよい。“日刀本斬”」


 悲鳴をあげる間も無く、神は人間によって切り刻まれる。


 絶対的なその斬撃は、遂に神をも斬る死の斬撃となったのだ。


「フォッフォッフォ........あー腰痛い。少し休むかの。何やら道ができたみたいじゃぁ、後で行くとしよう。全く、老人には堪えるわい」


 神殺しを実演した吾郎はそう言うと、第九圏へと続く道を眺めながら少しの間座り腰を労るのであった。




【ミーノス】

 またはミーノース。ギリシア神話に登場するクレーテー島の王である。冥界の審判官の一人。長母音を省略してミノスとも表記される。

 ミーノースはクノーソスの都を創設し、宮殿を築いてエーゲ海を支配したとされる。ミーノーア文明という名称はミーノースに由来している。ヘーロドトスやトゥーキューディデースはミーノースを実在の人物と考え、プルータルコスはミーノースの子ミーノータウロスを怪物ではなく将軍の一人だとする解釈を示している。




 同刻。第二圏“愛欲”の罪を受けたマリー・ローズ・ゴリアテは、その景色を眺めていた。


 あらくる暴風と砂漠。砂をまきあげながら吹き続けるその風邪は、あまりにも煩い。


「みんなとはぐれたわねん。早く合流しなきゃ」


 父の死を確認し、自分の旅にも終わりを告げるには丁度いい場所だ。


 このダンジョンの攻略が終われば、マリーは純粋な好意でこの組織に居続けることになるだろう。


「それにしても、煩い風ねん。お肌が荒れちゃうわん」


 否。そんなものでは無い。


 ローズの肉体があまりにも頑丈すぎて無力化しているだけで、この荒れ狂う暴風は人間を吹き飛ばし、そしてその中に紛れた砂は人々の皮膚すらも切り裂くのだ。


 しかし、ローズの肉体はそれを弾き返し、何故か暴風の中を平然と立つ。


 ダンジョンに意思があれば、間違いなく目を丸くしていただろう。


 何だこの化け物?!(見た目も含めて)と。


「荒れ狂う暴風........となれば、あれねん。第二圏“愛欲”かしらん?私じゃなくてミルラちゃんの方がお似合いだと思うのだけれど........ね!!」


 ローズはそう言いながら、後ろに向かって拳を突き出す。


 暴風の中を突き抜けた極みの一撃は、周囲のものを吹き飛ばしながらある影を捉える。


 影は、悲鳴をあげる間も無く弾け飛んだ。


「フゥ。ここでは確か、肉欲に溺れた者が暴風に晒されるとかそんな感じの罪だったわよねん。となると、敵は出てこないのかしらん?」


 ローズはそう言うと、地面を強く拳め叩きつける。


 ローズの能力“反響定位エコーロケーション”。


 音の跳ね返りによって周囲の状況を把握できる補助的な能力。


 戦闘においては攻撃手段となり得ないが、何かと便利な能力だ。


 ローズは地面を強く殴ることで、その音の跳ね返りを聞こうとしたのである。


 そして気がつく。この荒れ狂う暴風の中に見えた影の音がないと。


「........あぁ。なるほど?確か、アリカちゃんの実験に付き合った時と似た症状って事ねん」


 そしてローズは理解する。


 ローズはその屈強な肉体から、度々アリカの実験に付き合わされていた。もちろん、ローズはただの人間であり、そこまで強い薬を使われてはいないが、かつて似たような症状を引き起こす薬を盛られたことがある。


 幻覚剤。


 幻覚を引き起こすその薬をアリカに盛られ、結果としてローズはそこにはいないはずの何かを見た。


 しかし、能力はその幻覚や幻聴に対してかなり効果を持つ。


 音の跳ね返りがないから、わかるのだ。そこに存在がないのだと。


 こうして、ローズはあっさりと幻覚の見分け方を覚えた。


 まさか、こんなところで役に立つとは欠片も思っていなかっただろう。


「ふぅん。なら、精神統一でもすればいいわねん。体内の毒は気功でなんとでもなるんだし、気功で何とかすればいいわん」


 困った時は気功術。


 実に脳筋思考なやり方だが、これが最も有効的なのだ。


 精神を守り、肉体を守る。


 気功術に敵は無し。


「........」


 ローズば瞑想状態へと入り、しばらくの間静かに周囲の音すらもかき消す。


 それから5分後。暴風は止み、そこには階段が用意されていた。


「やっぱり幻覚だったようねん。それにしても、アリカちゃんがあれこれみんなで実験するから、毒や幻覚などに対する耐性が着いているとは思わなかったわん。意外と有用なのねん........いやでも、それを正当化する気にはならないけども」


 実験によって、幻覚に対する対処法を身につけていたローズ。


 まさかアリカの実験がこんなところで役にたつとは思っていなかったローズは、後でアリカの我儘に幾らか付き合ってあげようと心に決めると、階段を降りていく。


 愛欲を克服するのではなく、そもそもの幻覚そのものを見抜いて強引にねじふせる。


 ダンジョンもまさか、こんな方法で攻略されるとは思ってもみなかったことだろう。

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