二度も、


 ジルハードは自分たちのボスであるグレイをあまり怖いと思ったことは無い。


 人間離れした洞察力と読みの鋭さは確かに化け物と呼称しても問題ないほどであり、時折わずかながらの恐怖は感じるがその恐怖はあくまでも“ボスすげー”の恐怖である。


 明確にグレイを見て“怖い”と思ったことは無いだろう。


 グダニスクで出会ったあの日から、数多くの事件を引き起こし世界をめちゃくちゃにしてきた大魔神とは言えど、基本はただの青年でしかない。


 あれ程までに無茶苦茶なことをしておいて、未だにただの青年としか見れないその容姿には若干の恐怖を覚えるがそれもまた本能から来る恐怖とは別物である。


 しかし、今日は違った。


 この組織、九芒星エニアグラムに所属するならば誰もが知っている男の名前“ルーベルト”。


 昔話をするならば、必ず言っていいほど出てくるその名前を聞き現状を知った今のグレイの顔はジルハードに本能的な恐怖を呼び起こさせるのに十分なものであった。


 キレている。いや、キレているという言葉だけで形容してはならないほどに、今のグレイは怒りに満ちている。


 地獄の閻魔だってこんな顔はしないだろう。罪人の下を引っこ抜き、その魂を煉獄の炎で焼き払う恐怖の象徴でさえ、ここまで修羅に満ちた表情はしない。


 ぞわりと、背中から悪寒が走る。


 未だ嘗てグレイが明確にキレていたのは、ディズニーのパレードを台無しにされた時ぐらい。


 今回は、それとは比にならないレベルのキレ方であるのは火を見るよりも明らかであった。


 木偶情報屋の言葉に、ホテルの室内の空気が一気に寒くなる。


 誰もが言葉を発しない。否、発してはならない。


 今言葉で発言権が許されているのは、グレイただ一人であった。


「詳しく話せ」

『........経緯まではまだ調べられてないが、ローマに存在する教皇庁の内部では極秘裏に死者蘇生の研究が行われている。簡単に言えば、彼はその実験台となったという訳だ』

「つまり、ルーベルトは生き返ったと?」

『そんなはずがないだろう?生と死の定義は人それぞれだろうが、少なくとも私はあれを蘇生とは呼べないね。感情もなく、体の至る所が機械へと成り代わり、脳はAIが変わりに入っている。要はガワだけがルーベルトという人物であり、中身は完全な別物だ........実際に見ればわかるだろうな』


 ドンと、さらに空気が重くなる。


 吾郎のような強者による圧では無い。グレイはの戦闘力ではそんな圧は出せない。しかし、確実に空気が重い。


 これが居心地の悪さなのかそれとも、グレイ自らの持つ圧なのかはジルハードに判断することは出来なかった。


「その教皇庁ってのは?」

『表向きはローマ教皇やらが属する教会の一つだ。が、裏では随分とあくどいことをやっている。政府とのつながりはもちろん、障害者を意図的に殺して実験台にしたり少なくとも神のお膝元でやるようなことでは無いことを多くやっているな。しかし、それらの研究結果は全て政府に寄与される。つまりは、リーズヘルトが属していたアリス機関と同じように、非人道的な研究を政府の代わりにやっているってことだ』

「........続けろ」

『その中で彼らは自分たちの権威を高めるために、人類にとって最も無理難題であった死者蘇生や不老不死の研究を優先している。権力者はその権力を死によって手放すことを嫌がるもんだ。こうして様々な状態の実験体が送り込まれる。そのほとんどは失敗していたが、最近は機械兵としてなら使えなくは無い死体を作り上げることに成功しているらしい』


 どんどんと空気が重くなっていく。


 そんな誰もが言葉を発することを許されていない中、ジルハードは昔グレイに言われた事を思い出していた。


 かつてグレイとリーズヘルトの命を救ったと言われているルーベルトは、どうもジルハードと似ているらしい。


 その時の遺品としてペンダントを見せてもらった時は“俺はこんなセンスしてねぇよ”と言って笑っていた。


 その後も何かとジルハードはルーベルトと比べられ、よく似ていると言われてきた。


 ジルハードからすれば赤の他人。しかし、他人事ではないようにも思えたその人物。


 死体が発見されてないらしいので、どこかで会えるかもしれないとは思っていたが、こんな出会い方はないだろう。


(最悪の顔合わせになりそうだ........)


 今日ばかりは、神の気まぐれを恨みたい。妻が殺された時ですら神に向けて恨んだことは無いが、この日ばかりは神という存在を殺したくて仕方がなかった。


 神を信仰するものが、神の領域に手を伸ばす。


 その結果、どうなるかなど誰にだってわかるだろう。


 かつて天へと登ろうとした人類かバベルの塔を作り神の怒りを買った時のように、かつて、イカロスが天を目指して飛び太陽の熱によって地へと落ちたように。


 人は、空へと手を伸ばせば必ず落ちる。


 空は神の領域。そして今、神の領域に手を伸ばした信徒達は神の怒りに触れたのだ。


『これは予想でしかないが、おそらくあの兄弟はルーベルトを殺した後、死体を持って崩壊したマルセイユに戻った。そして組織が崩壊しているのを見たあと、私達の目から逃れながらITA(イタリア)に入り込み、そして教皇庁に話をもちかけたのだろう。奴らの体はリーズヘルトと同じく、魔物の組織が混入している。その情報と実験台を渡す代わりに、自分たちを世界の目から隠すように交渉したのかもしれん』

「........」

『少なくとも、私が今調べた限りではルーベルトの情報に魔物の細胞が混入していることは認められていない。だが、実験体であることは間違いない。これが、悪い報告だ』

「........リィズ。何を見た」

「ルーベルトの影。最初は見間違いかなと思ったけど、念の為におばちゃんにお願いした」

「そうか........よく見つけてくれたなリィズ」


 グレイはそう言うと、静かにベッドへと座る。


 その表情は顔を下げているからジルハードには分からない。しかし、その声は今がかつてないほど感情を感じなかった。


 しばらくの沈黙。


 誰もがグレイの言葉を待つ。


 ルーベルトはそれだけグレイにとって大切な人だったのだろう。昔話をしていた時は、必ず“感謝してもしきれない”という程には大切に思っていた存在だ。


 たかが3日。されど3日。


 その3日間で、世界の命運は別れたのだ。


「人の死までも弄ぶ神がいるというのであれば、俺は神を殺す。俺たちですら、殺した相手を生き返らせて辱める真似はしない」


 ボソッと小さな声でグレイが話始める。


「死に恥まで晒されたルーベルトは、俺が必ず楽にしてやる。そして、仇である兄弟も殺す」


 グレイはそう言うと、首から下げたペンダントを強く握りしめた。


 いつの日か取りに来ると言ったルーベルトはもう居ない。あれは、ただのカカシだ。


 同じ皮を被っただけの、ただのカカシでしかないのだ。


「それが終われば、まずは希望を奪う。神の元へと行く聖なる場所を消す」


 それは天国のダンジョンを攻略するという宣言である。


 かの場所は、この世界で最も神へと近づける場所だと言われている。


「その後、戦争を起こしてやる。ローマ教皇だろうがなんだろうが皆殺しだ。関係の無い人間だろうが巻き込んでぶち殺す。政府が黙認していたのは、国民の失態だ。権力を握らせたヤツらも全て同罪だ」


 あまりにも詭弁すぎるが、今のグレイを止めようと思うものはここにはいない。


 それに、ついこの間第三次世界大戦を引き起こしたばかりだ。今更国一つを滅ぼすと言っても、誰もが“まぁ普通だな”と思ってしまう。


「そしてその後、全世界に奴らの悪事を公表してやる。その恩恵にあやかろうとした者達も巻き込んで、キリストという神を殺してやる」


 過去これ程までにブチ切れたグレイを誰も見た事がない。髪をこれでもかというほど強く握りしめた少年は、今にも銃を持って目に見える人間を撃ち殺さんとするほどに怒り狂っている。


 こんな状況でジルハードも冗談は言えない。


“6秒間ゆっくり深呼吸でもしろよ”なんて言ったに日には、明日の朝日を拝むことは出来ないだろう。


「木偶情報屋。今からこのことに関する全ての情報を集めろ。金は言い値でくれてやる。最優先事項だ」

『金は受け取れないよ。今まで馬鹿みたいに儲けているからね』

「アリカ、あれを作れ」

「わかった」

「ほかの者は奴らの死に場所にふさわしい場所を探すぞ」

「ルーベルトはどう殺すの?」

「........やりたくは無いが、二度とこんなことが起きないように完全に消滅させる。墓に埋めてやりたいが、それが一番だ」


 テキパキと指示を出すグレイ。


 怒り頂点な状況でありながら、的確に指示を出す彼はやはり自分達の長にふさわしい。


 ジルハードはそう思いながら、自分に出来ることを始める。


 今回ばかりはおちゃらけ無しだ。ここまでブチギレているボスを相手に、ふざけられるような鋼のメンタルは持ち合わせていない。


「二度も。二度も俺にルーベルトを殺させる事を後悔しろ。俺の持ちうる全てを使って、お前らを殺してやる」


 最後に小さく呟かれたその言葉は、どこか悲しげであった。

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