国境へ逃げろ


 日本に住んでいて夜逃げをする経験なんて稀だろう。少なくとも、普通に暮らしていれば夜逃げをすることは滅多にない。


 かく言う俺も、夜逃げをする経験は初めてだった。


 さっさと荷物をまとめると、ルーベルトが所持している車に乗ってDEU(ドイツ)を目指す。


 マルセイユから近い国と言えばITR(イタリア)だが、リィズが持っている情報を流す伝があるのはDEU方面だそうだ。


 後はFRとDEUの仲が悪いというのも理由である。ITRに逃げれば、FRの犬共がかなり公に捜査をする可能性があるらしい。なるほどわからん。


「てっきり、山奥に車を乗り捨ててとかするかと思ったら、普通にインフラの整った場所を通るんだな」

「映画やドラマの見すぎだ。夜逃げってのは足を掴ませないのも大事だが、速度の方が重要だ。奴らの庭の中でウロウロしてるよりも、さっさと国を出てから足跡を消した方がいい。特に、今回のような場合はな」

「そういうもんなのか。俺は夜逃げが初めてだからな。そこら辺の勝手がわからん」

「こればかりは慣れだよ慣れ。幸い、まだこちらの情報は漏れてない。検問が張られる前に逃げ切れば俺たちの勝ちだ。まぁ、検問が張られてもすり抜ける術なんて幾らでもあるがな」


 ルーベルトの余裕さと手際の良さを見るに、彼は何度かこういう事を経験しているのだろう。


 リィズはどうか知らないが、経験のない俺からしたら頼もしいことこの上ない。


 だって俺は普通の日本人学生でしたからね。国家に追われるどころか、警察に話しかけられたことすらない。


「それに、“アリス機関”の内部抗争もいつ終わるか分からない。私が居ない今、左翼派が勝つのは決まってる。下手をすれば、既に終わって私を追跡してるかも」

「おいおい、それは勘弁願いたいな。奴らは議員との繋がりがあるんだろ?ポリ公を動かされるのは厄介だ」

「警察どころか、軍を動かせる。流石に大規模にやれば問題になるだろうけど、小規模なら問題ない」

「どちらにしろ勘弁だな」


 穏やかでは無い会話が続く中、俺は暇潰しに色々と世界のことについて調べていた。


 スマホのような電子機器もこの世界にあるのは救いだな。暇を潰せるし、何より欲しい情報が簡単に手に入る。国家機密とかはさすがに無理だが、大抵の事はこれ一つでなんとでもなった。


「うっわ、ロシアとかグチャグチャじゃねぇか」

「どうした?」

「1800年代の国境と比べると、酷くグチャグチャだと思ってな。俺が孤児だった頃はそっちの地図しか知らないから、ここまで酷いとは思わなかった」

「あぁ、第1次ダンジョン戦争以前の国境か。俺も見た事あるが、昔の方がスッキリした国境だよな。特にSUN(ソ連)の辺が酷いだろ」

「あの国は国土が広すぎたからな........第1次ダンジョン戦争に対応しきれず、力が弱まって内部の国が独立したとかそんな感じか?」

「大体は合ってると思うぞ。如何せん500年近くも前の話だから真偽は不明だがな。というか、お前そんな古い地図の事しか知らないのか?孤児とは言え、今の世界の地図ぐらい簡単に手に入るだろ」


 おっとしまった。孤児設定を使ったはいいが、ガッツリボロが出てしまった。


 ルーベルトもリィズも俺の過去には触れないでくれているが、中にはデリカシーのないやつも多い。ここら辺の設定もしっかりと練ったほうがよさそうだ。


 何時致命的なボロが出るか分かったものでは無い。


「ウチのシスターは原始主義者でな。過去の世界こそが正しいあり方だと言って昔の地図しか見せないんだよ。神父様は能力神格主義者なもんだから、俺たちはどっちが言っていることが正しいのか分かったもんじゃない」


“原始主義”とは、1800年代の世界こそが地球のあるべき姿であり、今のダンジョンが蔓延る世界を否定し元の世界を取り戻す思想を持った人の事だ。


 ダンジョンや能力の出現によって数多くあった宗教はさらに分裂し、今では数え切れないほどの宗教が乱立している。その中に、“原始主義”の宗教も存在し原始プロトゴノス教としてこの世界で活動している。


 ちなみに、さっき調べたばかりなので詳しいことは知らん。


「変わった孤児院だな。宗教関係者が市民人気を得るために孤児院を運営することはよくある事だが、別の思想を持ったやつらがいるなんてそうそうないぞ。確か“能力神格主義者”とは仲が悪かっただろあそこ」

「もちろん悪い。けど、子供は人類の財産ってところでは思想が一致しててな。説教の時以外は仲がいいんだよ。それに、二人とも教会の腐敗に耐えかねて自ら教会を辞めた口だからな。気が合うんだろ。知らんけど」


“能力神格主義”は能力は神によって与えられた力であり、この能力を使って世界の発展を目指すと言う思想だ。これも宗教が存在し能神バドズナミア教として活動しいてるそうな。


 ギリシャ語から文字らなきゃダメな規約でもあるんですかねぇ。


“能力神格主義”は元の化学世界を作り出そうとする“原始主義”と仲があまり宜しくなく、それが原因で喧嘩をする人も多いらしい。


 俺からすればどうでもいい話だが、宗教とはそんなものである。


「へぇ、真っ当な聖職者もいるんだな。主義思想が相いれずとも、子供の為と言う理念は一緒だったわけだ」

「そうだ。おかげでこんなガキが誕生したがな。神様?クソ喰らえだ」

「そのシスターと神父、唯一の罪だな。神の存在を説くよりも、道徳の授業を受けさせるべきだった」

「馬鹿言え、俺は真面目でいい子だ。神ですら両手を叩いて褒め称えるほどのな」

「真面目でいい子はそんなこと言わねぇよ。ファックだのケツだのも言わねぇ。いい子ちゃんを辞書で調べてこい」


 半分呆れ顔のルーベルトは、そう吐き捨てるとアクセルを気持ち少し強めに踏む。


 どうやら適当な誤魔化しは通用したようだ。俺は内心ほっとすると、今の作り話に現実味を持たせるために色々と設定を練るのだった。




【原始主義】

 本来は、“自然ないし自然的なものを人間的価値の規準とする立場。歴史を原初の最良の状態からの下降とみなす年代的原始主義と,単純素朴な生活への復帰に救いを見出す文化的原始主義(wiki引用)”を表す言葉。

 しかしこの世界では、第1次ダンジョン戦争によりダンジョンや能力者が蔓延る世界へと変貌した際、この言葉も意味合いを変えていく。

 1800年代のダンジョンや能力者のいない世界に再び回帰することが、この世界の“原始主義”であり年代的原始主義や文化的原始主義は一般的には広く知られることは無くなった(宗教内ではある模様)。




 夜逃げのドライブは順調だった。


 日は既に沈み、月明かりと文明の力が世界を照らす。


 この世界に来て3日目。とんでもない厄介事に巻き込まれて入るものの、この世界での生活は順調だった。


 いや、順調ではねぇわ。


「魔力回路がまだ安定しない」

「大丈夫か?」


 自分の右手を見つめ、何度もグーパーグーパーを繰り返すリィズは、少し疲れた顔をしながら大きくため息をついた。


 顔が綺麗すぎるため、一つ一つの動作が様になるな。胸はないがスタイルもいいし、欲に飢えた男どもが寄ってきても不思議ではない。


 リィズは澄んだ赤い目で俺を見ると、小さく微笑んで首を横に振った。


「大丈夫。身体はもう動くし、後は魔力回路だけ。予想よりも毒が強いみたいだけど、時間の問題だと思う」

「ならいいが、辛かったら言えよ?昨日みたいにリヤカーに乗せてやるからよ」

「ふふっ、あれはちょっと楽しかった。またやりたい」

「........またオーガにケツを狙われんのは勘弁願いたいな。俺にそういう趣味は無い」


 あんな生死の掛かった鬼ごっこは二度とゴメンだ。格好つけて“リベンジしてやる”とか言ったが、正直リベンジとかしたくない。


 2度目は通用しなさそうだしな。


 そんなると別の手を用意しないといけない訳だが、俺は未だに何が具現化できて何が具現化できないかを正確に把握している訳では無い。


 だって小麦粉すら“玩具”判定になるんだぞこの能力。水とかなら分からなくもないが、小麦粉やら片栗粉まで具現化できる辺り、この能力の判定はゆるゆるなんだな。


 ちなみに、車は具現化出来なかった。車の中で遊んだ記憶もあるのだが、車は玩具では無く乗り物判定なのだろう。


 基準がわからん。同じ乗り物の自転車は具現化できるのに、車はできない。一体何が違うのやら。


 俺はこれは具現化可能、これは不可能と能力の仕分けを続けているとリィズが興味深そうに俺の手を覗き込む。


「それにしてもグレイちゃんの能力は変わってるね。複数種類の具現化と少ない魔力消費。あのオーガと戦ってた時にも見たけど、あまりないタイプのだよ」

「そうか?普通の具現化系能力だと思うけどな。ベテランハンターはどう思う?」

「複数種類の具現化系能力は滅多に見ないな。有名なのだと“千剣”だが、あれも複数種類とは言いつつ“剣”と言う枠組みは出ない。お前のように完全な別物を作り出せるのは珍しいと思うぞ」


 今までの会話から推測するに、世界を見て回っているはずのルーベルトですら珍しいと言う能力か。


 珍しさで言えばかなりのものなのだろうが、正直それだけではどうしようもない。だって攻撃力は皆無なんだもん。


 ぶっちゃけ金属バットとか具現化させて殴るより、銃使った方が強いからね。


 銃は金属バットよりも強し、だからね。


「へぇ。ルーベルトの能力はどんなものなんだ?」

「俺は強化と操作を合わせた感じの能力だな。逃げには使えん」

「リィズは?」

「私は具現化系かな。生き物に対してはかなり強いけど、今は魔力回路が治ってなくて上手く発動できないね」


 口ぶりから察するに、二人ともかなり強力な能力なのだろう。少なくとも、俺よりは強い。


 何か一つを極めることはしてこなかった俺にピッタリな能力と言えばそうなのだが、もう少し強い能力が良かったな。


 そう話しながらしばらく車のライトが照らす道を入っていると、ルーベルトがゴソゴソし始めた。


「どうした?タバコか?」

「ちがう。どうやらお客さんらしい。後ろのバイク。さっきからずっと付けてきてるぞ。同じ道を三回回ったのに俺達の裏に付けていているって事は、間違いなく狙いは俺らだ。リーズベルト君の知り合いか?」

「ご丁寧にメットを被ってるけど、間違いなく知り合い。あのクソッタレ兄弟が来た」

「そいつは良かった。どうやって俺達を割り出したのかは知らんが、向こうはかなりのやり手らしい」


 ルーベルトはそう言うと、グローブボックスから拳銃と弾を取り出した。


 リボルバー式の拳銃。形から見るに、おそらくS&WM686と呼ばれる拳銃であり、モデルは4インチ。


 こんな物騒なもんをグローブボックスに入れておくとか正気かと思わなくもないが、よく良く考えれば今の俺も銃を装備しているので人の事は言えない。


 ルーベルトはそれらをリィズに投げ渡すと、親指で俺達の後ろを指さした後に中指を突き立てた。


「奴らをファックしてやれ。頭をぶち抜いても誰も文句言わねぇからな」

「いや、死体を処理するやつは文句言うだろ。面倒事を持ってきやがってってな」

「そいつは違いねぇ。グレイは自前のを持ってただろ?そいつで好きに殺せ。腕に自信がなきゃリーズヘルトに泣きつきな」

「カモン、グレイちゃん」


 満面の笑みで両手を広げるリィズだが、俺はもちろん泣きつくのは拒否した。


「いや、泣きつかねぇよ?昨日修羅場を始めてくぐったペーペーだが、俺は慣れが早いからな」

「そりゃよかった。いいかグレイ。情けはかけるな。それはいずれ自分達に降って来るからな」

「前は、命の価値だのなんだのほざいてた癖によく言うな」

「それは心持ちの問題だ。殺しにそんな不純なものを持ち込むんじゃねぇよ」


 とんでもない事を言う奴だ。ルーベルトこそ、地獄に落ちるべき人間なのかもしれない。


 車の窓を空けて拳銃を構える。


 人を殺すのは初めてだが、不思議と不安はなかった。ゴブリンを殺しまくったせいか、既に感覚が麻痺しているのだろう。


 俺は呼吸を整えて、バイクに乗る奴のヘルメットに狙いをつける。


 パン!!ズドンズドン!!


 乾いた音が3発。


 1発は俺の物で、2発はリィズの物だ。


 俺のはなった魔力の弾丸は正確にヘルメットへと吸い込まれ、直撃する。


 バイクの操縦主はバランスを崩して倒れると、ゴロゴロと転がって家の壁に激突した。


「やるぅ。流石だねグレイちゃん」

「運が良かった」

「運だけじゃ当たらないんだけどね。まぁいいや、ルーベルト、アクセル全開だよ」

「あん?今ので殺れてねぇのか」

「あの程度で死ぬほどあいつらは弱くない。ここからだよ」


 真剣すぎるリィズの口調を聞いて、俺もルーベルトも息を呑むのだった。




【魔力回路】

 体内に流れる魔力の回路。簡単に言えば、血管の魔力版。この魔力回路から魔力を取りだして能力や身体強化を使うため、傷ついていると魔力の使用ができない。単純な怪我で魔力回路が傷つくことは無く、特殊な薬品を使う必要がある。

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